友人が新幹線を彼の地に定着させるべく各企業体の代表選手として数年間台湾で仕事をしていた。その完成と単身で頑張ってきた友人を労うため、仲の良い数家族で台北に旅行したことがある。
父にとって台湾は第二のふるさとのようなものである。父は晩年を台湾の山奥で陶芸の指導に心骨を捧げていたからだ。父が話すのは北京語だった。不思議な事に台湾は北京語が通じると言っていた。ご存じの方も多いと思うが、台湾では日本統治時代より後になって中国大陸から移住した人を外省人といい、それ以前から住んでいた人を内省人と呼ばれている。現在ではこうした区別は薄れては来ているが年輩者の多くは今でもこの事を意識している者も多い。
台北に行って驚いた。台湾料理という看板の店は一つもないのである。友人から聞いて膝をたたきなるほどと思ったが、要するに中国全土から色々な料理が持ち込まれ、さらに台湾で昔から食べられていた料理と混血した家庭料理のことを台湾料理と呼ぶことを初めて知った。
ツバメの巣や熊の手、フカヒレはあまり美味しいとは思わないが、この地で食べる中国料理はとても優しく私の舌に合っていると思った。
そういえば客家は流転の民としても有名だ。その客家が多く住む県が台湾にある。妻の好きな大根餅もその一つだ。父が大陸より台湾が好きだった理由も今は何となく分かる気がする。