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2011年3月20日日曜日

原発という名のメトロノーム

原発本は沢山出ています。私も数冊読みました。しかし、どれも??????です。

そもそも日本人には広島、長崎を経験して核という言葉に特別な感情を持っています。

一方、今の日本があるのは原発に代表されるエネルギー開発に他ならないのです。

資源のない我が国が世界第二位(今は中国にとって代わられた)はこうしたエネルギー開発と表裏一体なのです。

原発を批判するとは自らの血肉の身体を否定することでもあるのです。ただそこには官僚主義という目に見えないシステマティックな悪意が憑依しているのも事実です。

我々は原発というメトロノームを右に左に見ています。ある時は右に、ある時は左に・・・

あるべき姿を追うあまり、今を見失ったこの国のようであります。

嬉しい知らせ  宮古・塩竈

宮古の義父の姉が無事のようだと盛岡の兄弟より便りが伝わってきました。

宮古では駅まで被害は及んでいないので家は残ったようです。ただ本人と連絡が取れている訳ではないので伝聞ですがホッとしました。

塩竈のお世話になっている人に電話をすると、こちらも被災しなかったとのこと安心しました。

でも教え子の中には連絡が取れない人もおり、心配していると言っていました。被災の中の被災の言葉です。温かい思いやりです。疎開する人とは大違いです。

今回の震災の中で心奪われた映像が伝わってきました。最愛の家族を亡くしながらも、住民のために働いた人、取り残された人に安否を伝えるべく必死に手紙を届ける郵便配達の人、国民のために命を賭して原発の放水に当たっている人、誰一人名もなき人です。政治家には一人もおりません。国民の板塀になる人はいないのです。私達はこの光景を目に焼き付け、日本の再生に何が必要か熟考しようではありませんか。

幸せの時間  シャンプー!!!! 

逗子の引き渡しや、大震災そしてその後とセプとさくらのシャンプーが延び延びにになっていました。

ララポに送りに行った帰りに、ガソリンの有効利用として向かったIKEAは当面休業のようです。

被災地に物資を送ると出ていました。こういったところが並みの日本企業と違います。

アマゾン見ると電池が1万円以上で出品されています。アメリカでは普通と言いますか゛、私には普通ではありません。こういった出品は火事場泥棒に他なりません。断罪すべしです。

家に戻りセプとさくらのシャンプーです。さくらは水にぬれても小さくなりません。もともとが立派になってしまいました。

そういえば家にやってくるヒヨドリが太ってきました。怖がらずに私がこっそり置いた餌を食べにやってきます。我が家に来れば間違いなく大きくしてあげることが出来ます(笑)

大震災が嘘のように平穏な日です。この子たちといつまでいられるか分かりませんが、精一杯心を込めて接していたいと感じます。

自転車に乗ってあざみ野の本屋さんに行きます。登って、下って、また登りです。

欲しかった本はありませんでした。2011のプロツールの本を買って戻りました。でも自転車でなく、ロードバイクが良いなと思った今日であります。



やせ我慢のすゝめ

関西の親戚を頼って関東から「疎開する」人が増えているという。

原発の危険について様々な流言飛語が流れており、まさにリテラシーの教育を受けてない多くの国民が情報混乱に陥っている。

私はここで「やせ我慢のすゝめ」を皆さんに提案したい。

何かが起こるんじゃないか、原発で放射能(放射能という言葉もSF映画みたいで科学的じゃないなあ)が拡散されるかも、とかガソリンがなくなるんじゃないか、とかトイレットペーパーもなくなるのじゃないかと、とか、とか、とか、とかく起きてもないことを想定して、自分だけはという利己的な欲求が噴出している。

今やらなければならないことは、起こったことに対処すること、それたげで良いのだ。被災した人たち、起こってしまった原発事故への対応、そうした起こってしまったことに対応し、起こるかもしれないけど敢えて事前準備はしないというやせ我慢が今必要なんじゃないだろうか。

トイレットペーパー無くても生命には何ら問題ないでしょう。インドの人はどうしてるの。ガソリンなくてもいいでしょう。車を動かすことで生活しているの?あなたの車は運送会社のトラックと同じなの?
こう聞き返したくなります。

犬ともの娘さんことRちゃんはシドニーから出産で帰国しています。そのRちゃんがお腹にアルミホイルを巻いてお参りに行ったと聞きました。こういう、笑える行動こそが暗い中にポッと明るい花を咲かせるのです。必要以上に過敏になることは全く必要ないのです。

みなさん「やせ我慢のすゝめ」です。

知恵が足りていない 閣僚補増すべし

今回の大震災ゆえに過去のシミュレーションはほとんど役に立たない。

震災、原発事故、電力不足という三重苦にあっている我が国、未曾有の災害である。

早急な被災者への復興は望まれるべきであるが、震災地に急いで仮設住宅を建築しているが、被災状況さえ掴めていない人たちにとってあまりに性急な方法ではあるまいか。

大家さんたちで作る団体がある。この団体では80万戸の空き室を有していて、その空室を被災者用に貸し出す用意があるという。どの大臣からもそんな声は聞こえない。

ある試算によると家賃7万円として年間84万円、一方仮設住宅の建築費は400万円弱だという。

賃貸住宅を取り巻く状況は長期のデフレと景気低迷により空室率が上昇している。これを逆手に取り込み、余剰資金を被災者の生活費に回したらどうだろう。

閣僚の補増には大賛成である。谷垣氏を指名したことはやりすぎとの声も上がったが、このような災害の復旧には党も政策論も必要ない。強力なリーダーシップを発揮する政府そのものだ。

断った谷垣氏の器の小ささも驚きだが、周りで政党戦略だとか、それはやりすぎだと揶揄する議員の小ささも虫ほどの値打ちもないと思ってしまうのは私だけだろうか。

「知恵がなければみんなで出し合う」これしかないのだ。

仕訳で名を馳せた某議員も、買いだめや、ガソリンの給油に向かう消費者に対して、もっと強いメッセージを発して、国民のパニックを回避することこそが責務であろうと考える。