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2012年7月12日木曜日

戦前の国家構造と思想 平賀粛学

平賀粛学という言葉をご存じの方は政治学、行政学の興味をお持ちの方と見受けられますが、読んで字のごとく東京大学総長である平賀氏が喧嘩両成敗の信条にて左派と右派の両教授を教授会の了承も得す゛独断で辞職させた事に端を発する大量辞任劇のことです。

以前にも書きましたが、戦前の国家思想と言うのはともすると全体主義一本やりのように思われますが、農本主義、社会民主主義など多くの思想的発展がみられるのです。

例えば蝋山政道という政治行政学者がいました。彼は上段の平賀粛学に抵抗して同学を辞しています。彼の子供は多く、その一人の道雄は私の大学の名誉教授でもあり、子だくさんゆえ左から右まで多くの論客を配し、私はその真ん中と冗談まじりに話していたとも聴きます。

こうした戦前の思想を振り返ると国民とマスコミの視点と、これらの学者や官僚の視点がずれている事に驚かされます。

学者や政治家のほとんどは日米開戦には消極的でした。それが何故圧倒的国民の声として戦争に向かう羽目になったのかを鳥肌の立つような気持で時代の流れを感じずにはいられません。

どこかの政治家が国民の幸せが一番と言うまさに戦前のデマゴーグのような政党を立ち上げました。

国民に委ねることが如何に危険か、そしてそのようなポプュリズムに呼応するマスコミの破廉恥さを彼らは知る由もありません。

アカデミズムが自尊と権威を失った今、私達の真のリーダーはどこに存在するのでしょう。

国会の論戦を聴いていても何一つハッと驚かされるような発言はありません。官僚や秘書の書いたシナリオを読んでいるだけの感です・・・・・・・・・・