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2009年12月15日火曜日

名書 編集・刊行   誤診のおこるとき


私は医学徒ではありませんが、診断学の入り口となる名書を現代的問題点も踏まえ、編集刊行したこのような書作の発刊には拍手を送りたくなります。営利を目的とした書物の多い中、先駆者の営為を残し語り継ぐものです。


ここにも書いてあります。操作的診断運営上の問題点が。さらに薬の副作用による症例も加えられています。


近年精神医学は薬の開発により大きく様変わりしました。しかし、一方でこの薬の副作用と思われる症例も増えています。


草の出版社やりますね!!

BMW New Z4 試乗  Cargraphics#27











中々機会に恵まれなかったNewZ4の試乗です。


ドライビングフィールというのは主にエンジン出力、駆動の方式、サスペンション、タイヤその全てが影響しあいます。つまり乗ってみなければ分からないということです。

特にBMWはその傾向が顕著です。ノーマル525と525Mスポーツでもフィーリングが全然違います。

7シリーズも750と750ILでは重たいILのほうがスムースなドライブフィールです。

このNew Z4も精悍なフロントマスクにグラマラスなヒップ、そして何より電動で完全開閉のメタルトップが日本の気候に適しています。

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確かにカッコいい!!確かに!!しかし今の525から乗り換える意味はあるのでしょうか?


来年の8月にNew5シリーズの発表です。そして1年後予定通りならツーリングです。


悩ましーい時期になりました!!!!!!!

























Cuisson sons-vide / Vacuum packed pouch cooking

英語だとそのものです。「焼く」「蒸す」「煮る」にこの第4の調理法「真空低温調理法」が加わりました。

そもそも、1979年にジョルジュ・プラリュム氏がフォアグラのテリーヌを作る時に考案されたと聞きます。

私たちではカンテサンスの岸田周三氏のように何十回も温めて、休めてを繰り返し芸術品のような火入れは出来ません。特に、カジキ鮪やサーモンのソテーは温めすぎるとパサパサになります。
これはたんぱく質が80度以上になると変質するからです。

大きなレストランでは既にこの機械を導入し、老舗の肉じゃがの味に近づいているとも聞き及びます。

ということでsons-vide supreamをSパパのお嬢様M子さんにお願いしました。多忙なのにすみません。何分M子さんの人脈におすがりしたいわけでして・・・・・・・・・必要なら妻をハワイまでひとっとび取りにいかせやす!!!!!!

丸山眞男 リベラリストの肖像

丸山眞男を読み返している我が身としては一助となりえる本に遭遇いたしました。

現在、60歳前後の人たち(リックパパ達)を第一世代、なんとなく知っている私たちの頃が第2世代、そして全く知らない人を第三世代と称しています。

確かに第一世代は熱狂的崇拝者徹底して批判する対象と極端な場合が多く、私たちはやや穏やかになります。第三世代になるとそもそもと古典を話す前置きが必要となってきます。

どの世代についても、この本は「体系建設型」ではなく「問題発見型」の思想家としての側面を抉り出しています。

ちなみにこの本は2006年のサントリー文芸賞を受賞しています。

蕎麦屋の系図


以前渡米する飛行機の中でこの本を読み無性に美味しいお蕎麦が食べたくなって困ったことがあります。(笑)

妻はどこへいっても蕎麦派ですが私は用心深く、美味しいところででないと蕎麦は注文しません。

お蕎麦には大きく分けて「更級」「」「砂場」「一茶庵」の4系統が代表してあります。

一茶庵は「蕎麦聖」ともいわれる片倉康男氏が新宿東口に開店したのが、俳人小林一茶の生誕100年にあたるためこの屋号を付けたと言われています。

砂場は秀吉の大阪城築上時に人夫相手に工事用の砂場で開店したことから付けられたと聞きます。

藪は駒込団子坂の旧地名が藪之内藪下だったころから付けられたと聞きます。

更科は保科家に出入りしているある人物がその蕎麦打ちの腕を評価され、そば粉の産地である級の更と保の科を取って付けたといわれています。

私の大好きな「宮本」は神田、浅草と分家した藪が池之端にさらに分家したその池之端藪で修行されたと聞き及びますが、出汁、そばとも抜群です。2度ほど蕎麦だけのために行きましたが、ここ以上のお蕎麦はまだ食していません。

ほんの少しばかり遠いのが悔やまれます。何分島田なので・・・・・・・・・

情動と情緒  

情動と情緒どちらも同じ意味なのです。しかしながら人から「あなたは情動的だ」と言われれば批判されたように感じるし、「あなたは情緒的だ」と言われれば「ああそうですね」となります。

これはたぶんに日本人の精神構造の根底に澱のようなものがそうさせているような気がします。



ある方が台北、故宮博物館の白菜の展示を見て「何でいいのか分からない」と言っていた事を思い出しました。きっと、その逆にあちらの人は長十郎作の黒楽を見ても「何がいいのか分からない」かもしれません。



つまりカントの言う「美とは目的なき合目的性」に他ならないものでありますのでしょう。

明日から、京都の嵐山です。そのあたりも検証してまいります。

下流社会 


以前にも同期の三浦展氏が書いた「下流社会」を良書だと申上げました。


上梓したときに確かにその現象は見られましたが、この頃はなんとか中流にしがみついていたまで振り落とされています。


一口に下流といっても上と下の格差が広がり、中抜けの状況が起きていて全体がダウンする訳です。


これは単に収入(収入も教育とは関係がある)の問題だけではありません。学力についても同様です。


大学2年生で予備校にも通わず、公認会計士試験や司法書士試験をパスする人間もいれば(実際にいます)、大学にいかない、いけない人間もいる。それらは確かに昔からあったことです。しかし、優秀な人間はさらに優秀な人間で収斂し、小集団化し、駄目な人間はフラスコに広がる色水のごとく拡大していく、そんな状況が顕著です。


私の愛蔵書に石橋湛山のご子息さんからいだいた「雨新者」という本があります。

この雨新者とは法華経に載っている言葉です。現在の日本の舵取りをしている政治家の皆さん、「雨新者」の精神をお忘れではないですか。


沈みかけている日本という舟を感じて下さい。

イノベーションのジレンマと解


クレイトン・クリステンセン著の「イノベーションのジレンマ」とその解です。囚人のディレンマではありません。あくまで経営の良書です。


以前、輸出依存型の日本の産業、特にトヨタのような大企業は凋落する(トヨタ関係の人がいたらゴメンナサイ)と申上げましたが、まさにこの本にその事が書いてあるのです。


企業は正しいことを正しく行う故失敗するということです。何も間違ったことを行っている訳ではありません。


顧客の意見に耳を傾け、新技術に投資しても、なお技術や市場構造の破壊的変化に直面した際には、市場のリーダーシップを失ってしまうことを著者は言い当てています。


市場の下位(価格的に低いまたは低収益のボトム)を何故取り込めないのか?顧客に束縛されていることはどのような不利を招くのかなど細かく分析しています。


レクサスを作り始めたときに実はトヨタの凋落が始まったのだと思います。あの時点でレクサスに投じた費用をハイブリッドなどという中途半端な開発ではなく、家庭用の充電で50Km以上走れる車の開発に向けていればまだ間に合ったかもしれません。実際トヨタにはタタのような低価格の車は作れません。


つまり現在の顧客が望んでいる事を実現しても、多くの汎用型が現れると急速に構造変化が起きてしまう現象です。コンピューターの開発もそれと同じで、大きな高速CPUを1つ開発するよりも、低価格の汎用型CPUを利用したほうが有利になります。日本のスパコンの開発など愚の骨頂です。


何故、企業はそれを行うのでしょうか?私にはこれら企業の姿が前を向いているつもりでも、後ろを見ている、過去の幻影に惑わされているように感じられます。それがつまり正しいことだと考えるわけです。


これは企業経営に限ったことではありません。当時のソヴィエトや東欧諸国が信じていた社会主義思想もその時の正しい姿だったはずです。


見えない霧の中に何を見つけ出そうとするのは恐怖を伴いますそれなら視界の良かった後ろを見ているほうが安心ですしかし、その安心こそ、霧が晴れて足元が急な岩場であったときには体制を立て直せないのです。この先もしかしたらと「ウスウス」考えることが大切です。この「ウスウス」が今後のキイワードです。