クレイトン・クリステンセン著の「イノベーションのジレンマ」とその解です。囚人のディレンマではありません。あくまで経営の良書です。
以前、輸出依存型の日本の産業、特にトヨタのような大企業は凋落する(トヨタ関係の人がいたらゴメンナサイ)と申上げましたが、まさにこの本にその事が書いてあるのです。
企業は正しいことを正しく行う故失敗するということです。何も間違ったことを行っている訳ではありません。
顧客の意見に耳を傾け、新技術に投資しても、なお技術や市場構造の破壊的変化に直面した際には、市場のリーダーシップを失ってしまうことを著者は言い当てています。
市場の下位(価格的に低いまたは低収益のボトム)を何故取り込めないのか?顧客に束縛されていることはどのような不利を招くのかなど細かく分析しています。
レクサスを作り始めたときに実はトヨタの凋落が始まったのだと思います。あの時点でレクサスに投じた費用をハイブリッドなどという中途半端な開発ではなく、家庭用の充電で50Km以上走れる車の開発に向けていればまだ間に合ったかもしれません。実際トヨタにはタタのような低価格の車は作れません。
つまり現在の顧客が望んでいる事を実現しても、多くの汎用型が現れると急速に構造変化が起きてしまう現象です。コンピューターの開発もそれと同じで、大きな高速CPUを1つ開発するよりも、低価格の汎用型CPUを利用したほうが有利になります。日本のスパコンの開発など愚の骨頂です。
何故、企業はそれを行うのでしょうか?私にはこれら企業の姿が前を向いているつもりでも、後ろを見ている、過去の幻影に惑わされているように感じられます。それがつまり正しいことだと考えるわけです。
これは企業経営に限ったことではありません。当時のソヴィエトや東欧諸国が信じていた社会主義思想もその時の正しい姿だったはずです。
見えない霧の中に何を見つけ出そうとするのは恐怖を伴います。それなら視界の良かった後ろを見ているほうが安心です。しかし、その安心こそ、霧が晴れて足元が急な岩場であったときには体制を立て直せないのです。この先もしかしたらと「ウスウス」考えることが大切です。この「ウスウス」が今後のキイワードです。