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2010年10月25日月曜日

答えを早く見つけ出すマスコミ 早熟の天才

急がば回るななんていう言葉を残している早熟の天才ゴルファー君もいるようですが、どうもこの世の中「早熟の天才」を探しているようです。

料理の世界でも、予約が取れないとか、ミシュランの三つ星とかそんなマスコミに騒ぎたてられ、経験も浅いまま有頂天になっている人たちが多いような気がします。

考えてみてください。確かに18歳には18歳の考え方が25歳には25歳の考え方があります。でもそれは成長過程での考え方であってその人が死ぬま変性、変革は続くのです。

人間の学びで学校が受け持っているのはほんの一部分です。出会う人や自らの意志で毎日学んでいくのです。もう俺は完成系だと思っている人がいたならそれは残念な人です。そんな人は歳をとって自分を見たときに愕然とする筈です。何をして生きてきたのかと?空っぽの自分に驚愕するのです。もっともそれさえ考えられないなら仕方ありません。

今の日本の凋落はこの簡単に答えを導き出す大人たちにあります。物事を白黒つけて、多元的に判断しない大人の責任です。

誰か、叱責も顧みず若いプロゴルファーにこんな本でも読んでみなさいと言える大人はいないのでしょうか?国民全体がバラエティー番組を見るがごとく、無関心、無責任、無秩序(秩序的?)で通すつもりでしょうか。嘆かわしいこの国の未来です。

フラナリー・オコナー Flannery O'Connor

小説を読むときに二通り感覚が私にはある。

ひとつは共感して、物語の中心に自分を置く場合ともうひとつはかなり離れた地点から俯瞰し、物語の進行を見守る場合である。

オコナーの小説は圧倒的に後者だ。中心に自分を置いたならば、この寂寥感と、無毛さで心の中はギザギザに傷つけられてしまう。

かろうしで高みから俯瞰することで心の消耗を最小限にしている。

しかし、読後の特別なザラツイた感覚は何故なのだろう、活きていること、人間そのものの矛盾がぐさりと心に刺さる。

しかし、それでも読みたくなるそれがオコナーだ。

男子厨房に入るべし

時々同じ本を複数買ってしまうことがあります。その理由はその本の内容が面白くなく、全く記憶に残って居なかった場合と、もうひとつは読んでない場合です。

年間、100冊以上金額にして6ケタになる場合もある私の本をうまく整理してくれる人がいればその心配はないのですが・・・・・・・

この本はセーフです。題名と著者は知っていましたが、購入していませんでした。

料理本のエッセイは数々あれど海外のもの購入するのは珍しいのです。

昔の人は「男子厨房に入るべからず」なんて言います。誰が決めたのでしょう。料理を作る事は全ての事を忘れて美味しいものを作る創造的行為なのに、厨房に入るななんてもったいないことです。

「男子厨房に入るべし」しかも拘りをもって・・・・賛同の声はわずかなようです(笑)

衝動買い JET STREAM

あざみ野のカボスにて衝動買いです。

お金もなく、ただ暇を持て余していた十八の頃、ラジオから流れてくる音楽と城達也さんの朗読が旅情をかきたてました。

その十八歳の青年はこんな詩に巡り合います。



思いがけず、フリーウェーの出口で花売り娘だ。

何てロサンゼメス風な夕暮れ時。

帰宅を急ぐご亭主が、ブレーキを踏んだついでのの浮気心。

家内の喜ぶ顔見たさに、と、言い訳には事欠かない味な買い物。

若い娘が、愛嬌と一緒に抱いた花束が

我が家を前に、ほっと一息の心の隙に忍び込む。

白粉っ気のない顔に、ひっつめ頭。

Tシャツの胸のふくらみや

Gパンもはじけそうなお尻が、

もう充分に女だからって、

雀斑だらけの、お色気ぬきの娘っ子さ。

ご亭主は、余裕綽々。

父親みたいな微笑を浮かべて、

「ツリはいいよ」と窓越しに受け取る花束一つ。

その筈なのに、それだけの筈なのに。

娘の笑顔に年甲斐もなく胸はずませて、

これは叉どうしたことか、

心残りのアクセルを踏み込みながら

明日もあの娘がいればいいが、なんて・・・・・・


1976年 ON AIR ジェットストリームにて


それから数年後青年はわずかなお金を握りしめて初めてアメリカに行き、ロサンゼルスに旅するのです。

人生とは長い旅路のようなものさと口癖にするのはそれからずっと後のことです。

アカタテハ 

蛾は好きではありませんが蝶は好きです。

家の中でアカタテハがぐったりしていたので脱脂綿に砂糖水を作り吸わせました。

元気になって飛び回っています。今は神棚の上です。



この蝶は越冬するのです、でも家の中の気温が変化するので中々春までは難しいのですが、暫くは休んで行って下さい。

高校生の頃にもアカタテハを家の中で見ていたことがあります。

蝶の名前ならそんじょそこらの子供には負けない自信があります。

本質的には野山を走りまわっていたのではなくオタクのように蝶や虫を採っていた少年だったのです。(笑)