洋一は坂を登り切ったところにある小さな公園のベンチに腰をおろした。
洋一は今聞いたばかり講演に興奮していた。公園通りのショッピングセンターの上にある劇場でその講演は行われた。昨晩、音楽関係の会社面接を受けていた洋一はそんな学生向けのあるダイレクトメールに目がとまり、どうしても今日の講演を聞きたくなり渋谷にやってきたのだ。
今の今まで講演を行った会社のことなど全く知らなかった。講演者はその会社の専務でもありカリスマ性で流通業に新風を吹き込んだと言われる人と、この劇場も含めて新たに照明デザイナーという言葉を作り上げた気鋭の女性とを司会者が繋ぎテーマにそって勧められた。
カリスマと言われたその人は背が低く、白髪の目立つ典型的日本人であったが、眼鏡の奥の目はまるで獲物を狙う野生の豹のように鋭かった。
それまで流通業には全く興味のなかった洋一であったが、そこでの話は洋一の興味の琴線にふれた。洋一は自分で目にしたものしか信用しない、少しイケズなところがあった。ただ、こうして実際に見る渋谷の街もそしてこの劇場もすべてそれを証明しているように思えた。
「流通から文化を発信する」という今日のテーマは二十歳そこそこの男の子の気を引くには十分すぎるものだった。
洋一は笹塚にある以前住んでいたアパートをテレビ局の人に頼まれて一度だけ貸した事があった。どんなドラマに使われるのか知らずに貸したのだが、後になって洋一の大好きな個性的な俳優MYの主演する探偵ものだっと分かった時は不在にした自分を怒ったものだった。
そのドラマの冒頭のシーンでもここ公園通りの壁に書かれたモナリザが使われている。この企画も実はこの会社が街づくりの一端として若手アーテイストに描かせているとは知らなかった。
洋一はそう多くはないが渋谷の街にも足を運んだことはある。先輩が渋谷からほど近い代官山に住んでいたこともあり、しばしばこの街に連れてきてもらったことがある。洋一の大学は早稲田や慶応のように運動部の活躍に全校を挙げての応援というような機会もなく、新宿や六本木というような常連の遊び場を持たない、いうなれば根なし草のようでもあったから、ここ渋谷は丁度良い居心地だったのかもしれない。
洋一は黒いショルダーバッグを掛けなおし、公園の隣にあったイタリアンレストランの扉を開けた。その店は大きなガラス窓が公園の緑に開かれたカジュアルなレストランだった。
イタリアレストランとは名うってはあるもののケーキはどれも大きくとてもアメリカ的であった。洋一は窓側の席に案内された。洋一はアメリカンコーヒーを注文した。しばらくして運ばれてきたコーヒーは大きめのガラスのコーヒーメーカーに並々とつがれ、ゆうに3.4杯は飲めるものだった。白いコーヒーカップにはこの店のトレードマークである赤いトマトが小さく描かれていた。