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2013年5月8日水曜日

羊をめぐる冒険


羊をめぐる冒険

村上春樹の熱心な読者をハルキストと言うらしい。それならば私もハルキストに違いない。
先般、Sさんから面白い番組があるとメールをもらった。その番組は村上春樹氏を英語で読み解くというものだった。ふとしたことで妻がこのテクストを持っていたので実はさらりと全体に目を通していた。
以前から村上春樹氏は他の日本文学者とは違うと思っていた。国民的作家司馬遼太郎と比較すれば分かりやすいが、彼がこのカテゴリーではないと直感的に思ってきた。
氏の英訳本はこの題材にもある「像の消滅」「めくらやなぎと眠る女」の逆輸入版の2冊は既に読んでいた。そうそうレーダーホーゼンという章は印象深かった。
テクストにも書いてあったが、世界的に小説家というのは長編小説を書く方が、評価が高い傾向があると。そこへ行くと氏は短編も同じように多く手掛けている。そしてすこぶるその短編が面白いのだ。テクストに何故、村上春樹氏が世界中で読まれるのかと言う問いに対して、彼はトロイの木馬のように相手に安心させ、相手の懐でその本領を発揮するからと書かれていた。なるほど、世界中の様々な文化でもすっと受け入れられる素地であろうか。ところが、彼の翻訳本を見るとこれがまた面白い。決してあちらではメジャーでない(いやある意味ではメジャーだが深遠な部分でマイノリティ)作家の物を好んで訳している。ケアルック、カポーティ、チャンドラーだってその血筋は微妙だ。
彼の小説を読んだ何とも言えない後味の悪さは、白黒をはっきりさせる、二元論的表現とは無縁で正義の中の悪、悪の中の正義を混沌とさせているからではなかろうか。彼はよく「正しい」という言葉を使う。それがどういう意味を持つのかよくよく考えさせられるのだ。
話は羊の話だった。ここでいう羊はそう実際の羊の話である。ジンギスカンで食べる羊肉のことである。ハルキストなのでここまでの周り道は仕方が無いと容赦して戴きたい。
羊肉と言えば、臭い、硬い、不味いという先入観しかなかった。私の子供の頃はマトン肉と言えば、家畜の飼料や餌になっていたもので一般の家庭ではそう食べられてはいなかったと思う。それがどうだろう、30歳を過ぎて銀座のフランス料理店で食べたそれは臭みも無く、柔らかく、今まで食べた羊肉とは完全な別物だった。
羊にも種類があり、特にサフォーク種という羊は大変に旨い肉質を持っている。銀座の小さなビルの上階に名店「レカン」で腕をふるっていた十時亨シェフの店「レディタン・ザ・トトキ」がある。ここでは奥尻島で育てられた特別なこの羊を使ったメニューがある。ココットにこの羊肉と香草と塩を入れ蒸し焼きにするシンプルな料理なれどその旨さには脱帽である。もはや言葉が出ない。近年、三國氏の北海道の店でも扱うようになったと聞く、羊好きには嬉しい限りだ。やはり羊の本場は北海道であろうか、小説もしかり、羊諦山の名前もしかりである。
私も1年に1回この羊を使って料理をする。骨付きの羊肉を仕入れておく。ここで大切なのが塩加減である。まさに塩梅のとおり。私はシチリア産の岩塩を使う。30分もすると羊肉からうっすら水が浮きあがってくる。こうなったら料理の準備はOKである。
羊肉をたこ糸で縛って王冠状にする。中にはお好みで下ゆでした根菜類を入れる。溶かしバターをたっぷりと作り、数回に分けて羊肉にかけるただそれだけの料理である。
羊肉というのは実はワインを選ばない。白ワインでも十分に美味しい。出来れば真夏の日差しをたっぷり浴びたような南の力強い白が合う。コンドリューあたりと併せたら最高だと思う。作る前からその味が想像できるし、失敗も少ない。もはや無敵の羊肉である。