クラビクラのつぶやき
50才を前にしてはじめたロードバイク。はじめてすぐに落車して鳥口靭帯と肩鎖間接靭帯をきりました。というわけで今もこれからも私の右クラビクラはお灸のように盛り上がっています
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2009年12月6日日曜日
誠に小さき
坂の上の雲の第二回目です。
メルセデスの担当者以外(失礼!)と真摯です。
不具合の説明と再発の防止を確認して安心です。
おまけにワインのポラールまでもらいました。
BMより対応がいいかもとの本日であります。
ああ言えば
電車にあまり乗る機会ののない私としてはたまに乗ると色々と気付かされます。
どうして自分の所作を考えないのでしょう?
電車に乗るなり、ポテトチップの袋をばりばり破り、全部口に入れながら清涼飲料水をぐびぐび口に入れる30代の女性、子供にサイダーを与えながら、足をバタバタさせていても何も怒らず、自分もサイダーを口にする体重100キロのお母さん、孫が暴れているのに平気のおじいさん。
考えましょう!!
日本が繋がりません。大人が悪いです。
横浜到着 ランチ
お弁当も買わなかったので江田に着いてから昼食です。
朝湯のせいか喉がカラカラです。駅近くのカフェでタコのペペロンチーノとカールスバーグです。
サラダがサービスでついていました。ドレッシングが美味しいです。
白ワインも追加です。
昨日とうって変わってよい天気です。妻がピックアップにやってきました。
軽井沢4
10時チェックアウトをまたずに早々の出発でしたが、なんとスタッドレスでも登れないツルツルの路面です。北側でまだ融けません。
ズルズルともう少し無理をすると側溝に落ちてしまいます。なんとか道路維持の車が砂を捲いてくれました。
そんなこんなで時間は10時をとっくに回ってしまいました。良い経験でした。
Tが高崎まで送ってくれるというので旧道で帰ります。
途中、明治に建築されたレンガ造りの歴史的建造物を見ることができました。当時の信越本線がアプト式で登っていた頃のものです。
車の中でTが色々と今の周産期医療を取り巻く現状や問題点、そしてより専門的な帝王切開後の分娩の手法について教えてもらいました。なるほどなっとくしました。
それにして彼も美術館とクラシックが趣味で、昨年のナンバーワンが「ハンマースホイ展」とは奇遇です。今度横浜で良い展覧会があったらアッシーをする約束で別れました。
友遠方より来るでした。
車窓から故郷の赤城山にさようならを言いました。
軽井沢3
朝起きて早速お風呂です。窓を開けると稜線にイノシシの親子が歩いていました。
宿の前の川にはクレソンが自生しています。
赤いポストが味を出していました。
路面はまだ凍っています。こんな景色は久しぶりです。
軽井沢3
軽井沢の奥座敷の小瀬温泉です。
山里の一軒宿です。33年前に出会った友人のうちひとりのMがインフルエンザで来れなくなりました。
残念ですが某県で周産期医療の長をやっているTはほどなくして到着しました。
ルフレーブのピェルニー・モンラッシで乾杯です。
今日は夕餉の後、温泉に入ってからワインで語らいです。
温泉は単純アルカリ泉ですがとてもよい温泉です。
窓の外にはコゲラの可愛い姿が映っていました。
軽井沢2
時間も早いので思い出の場所をタクシーで巡ってみました。
入社したての新入社員のころ人事の新入社員研修で使っていたセミナーハウスです。
しかしながらその内情は某財団のバックアップ施設という形でS流通グループが当時ご法度だったホテル事業への足がかりとする政治的思惑があったところです。今はなぜかMトラストの所有となりチェーンで施錠されていました。これも何かの縁かもしれません。
そのあとはマラソンで回った雲場池です。ここまで新入社員に負けじと走ってきました。
カフェ・ミハエルも冬場は営業していないようです。先代のロシア人のおじぃちゃんは亡くなったようですが、あのレアチーズケーキの味を伝承しているようです。
鳩山家の別荘のそぐ近くです。今は鳩山通りという名前がついています。弟の別荘は解体していました。それにしても広い敷地です。すぐ近くに鹿島一族の別荘もありました。
軽井沢1
軽井沢駅です。みぞれが雪に変わってきました。
このスタンドが駅そば発祥の地らしいです。
南側のアウトレットモールに人が大勢見えます。新しい軽井沢の顔です。
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