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2011年9月21日水曜日

大磯漁港  ホテルパシフィック

ヨシヒコは海に浮かんでいた。初冬だというのに暖かな日だった。英語で言うインディアンサマーの語源はこの暖かい日を利用してインディアンが冬支度をする為の日だったことを思い出した。

大磯の防波堤から飛びこんでエントリーするこのポイントは他が風でクローズアウトするときでも護岸が風をさえぎりサーフィンすることが出来た。

ヨシヒコはサーフィンを始めたときのことを考えていた。

ヨシヒコは大学1年の頃藤沢にある友人のところに1カ月近く居候をしていた。

友人の家は広く、芝生の庭の真ん中にはプールがあった。

その家には車が3台あり、友人はツインキャブのトレノに乗っていた。白黒のツートンのボディーのそれは後になってハチロクと言われた車だった。その車で湘南中のポイントで波乗りに明け暮れていた。

当時のサーフィンはとてもローカル色が強く、ローカルに認められなければ海に入ることすら許されなかった。ヨシヒコは友人のお陰でかろうじて海に入れてもらえた。残念ながらヨシヒコは一番良いポイントではなく、岸に近い初心者用のポイントだった。

疲れと空腹に苛まれると花水の商店街にある「花水ラオシャン」に通った。タマネギと麺のシンプルな丼にお酢を回しかけ、それをすすると得も言われぬ幸福感を感じたものだった。

その夏の終わり、ヨシヒコはバイト代を貯めて初めて中古のボードを買った。永福町のバイト先の近くにあったエ**というサーフショップだった。値段は確か4万5千円だった。ヨシヒコには思い切った買い物だった。

ボードはT&Cのデーンケアロハというモデルで白い木地に黄緑のカラーリングがしてあるものだった。長さは6.1のわりに、ケアロハの体格からかテールが厚かった。当時はまだトライフィンは出ていなかった。いや正確には出ていたかもしれなかったが、ヨシヒコには手の出ない高値の花だった。

このボードは数奇な運命をたどることになるが、この話はまた後で・・・

ヨシヒコはこのボードに跨りながら、抜けるような青空を見上げた。

ヨシヒコは高校の親友のひとりタカシのバイトに付き合っていた。いや、便乗させてもらっていたのだ。タカシのアルバイトは早朝、用賀の自宅近くにあるトラックで竹橋にある新聞社に出向き、刷りたての朝刊を詰め込み、二宮の販売所まで届ける仕事だった。行きは高速を使うが、届けてしまえば何時に着いても文句を言われない。ヨシヒコとタカシは荷台にシートをかぶせてボードを隠して毎日、この帰り道にサーフィンをしていた。今日もそんな1日だった。

国道134号線を東に走ると左手にパシフィックホテルが見えてくる。ヨシヒコは数回そのホテルに行ったことがあったが、湘南の社交場として名をはせたその建物も、かつての栄華は過ぎ、侘しささえ感じられた。

水で軽く流しただけなので、髪の毛は塩が結晶になって光っていた。11月だと言うのに足元は裸足でビーさんだ。

二人はまだ将来について何一つ定かなものはなかった。ヨシヒコ20歳の11月。



老害 反原発

ノーベル賞作家の大****郎氏が反原発を高らかに謳いあげている。原発と原爆誤認してません?これには恐れ入谷の鬼子母神である。さらにこれに賛同している人達が高齢者が多いのに驚く。彼らは自分たちのツケをこれ以上若い世代に押し付ける気なのだろうか。それとも原発をなくしたから安全とでも言いたいのだろうか、狭量な世界観である。老害以外の何物でもない。

長崎や広島でこうした行為を行うというのは、ユダヤの人々をゲットーに連れ出し、ドイツ人を好きか嫌いか聞くようなものだと思う。

記憶に閉じ込められた過去の猛獣を引っ張り出すような危険な思想行為だ。

私は原発推進を擁護している訳ではない。しかし、代替エネルギー政策がない以上、細々とより安全に続けるしかないのである。

今のポピュリズムに限ったことではないが、大衆はより簡単な理論を好む。そう、イエスかノーだ。

しかし、実際の経済はそんなに簡単なものではない。人間の思考とは不思議なものだ。知性のある人も「そうしたくない」というバイアスが掛るとその意見を聞こうとしない。

もしリスクを全くなくしたいなら、自動車も電車も飛行機も全て禁止にするしかない。もちろん火力発電もだ。

そもそもリスクを100%なくすなんてことは出来ない。生きている以上リスクはつきものなのだから・・・・

こういう事言うから左翼思想の人と馬が合わないのかもしれないね・・・・



経済政策 

円高が、日本経済を疲弊させてます。政府は、中小企業への融資などの対策を講じてはいますが、円高そのものに対する対策が欠けてます。そもそも今回の円高は、リーマンショック後の救済策として米国並びにECがそれぞれの通貨を市場に大量に供給した事にあります。その結果、資金供給の少なかった円が過少性故に高騰したものです。

従って、有効な円高対策は、市場介入などでは無く日銀による大幅な金融緩和です。

具体的には、震災復興資金の全額を国債で調達しその全てを日銀が買取るのです。

世界経済は、30年代の大恐慌に似て主要国は、正に平価の切り下げ競争をしているのに、日本だけがのほほんとしてその埒外にあるのです。

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これは富岡在住のSパパ通信員よりのお手紙です(笑)実際に為替取引の現場で指揮をしていた指揮官らしいコメントだと思います。
 
ところで、このリフレーションについては私が大学で教わった岩田規久男先生が重要なコメントを出されています。岩田先生は当時、マネーサプライ論争を繰り広げており、結局この論争はうやむやになったのですが、その後も岩田先生は日銀の長期国債の買い切りオペやインフレターゲットの導入が必要との認識を持ち当時のクルーグマンやバーナンキとも近いリフレ派の旗頭でもあるのです。(クルーグマンやバーナンキはその後修正している)
 
一方、岩田先生の氏でもある小宮龍太郎氏は見当外れの日銀バッシングを諌め、不況脱出に必要なことは構造改革と規制緩和であると岩田氏とは一線を画したのです。
 
日銀審議委員の須田美矢子氏はこのようなヘリコプターマネー戦略はハイパーインフレを起こすといって批判的立場にあります。彼女の立場上なら仕方なしでしょうか。
 
しかし、リフレは批判の矛盾点は「いくら金融政策を実施しても需要がないから物価が上がらない」という理論と「金融を緩和するとハイパーインフレを招く」という矛盾した理論を構築しているのも事実です。
 
おそらくいつ物価が上がるのかということがこの問題の解だと思うのですがいかがでしょうか。
 
話は変わります。本当に円高なのでしょうか。ビッグマック指数という面白い数字があります。
 
マクドナルドのビッグマック各国の価格を数値化したものです。日本は4.08ドル、アメリカ4.07ドルです。
 
さらに物価上昇率などを差し引いた(アメリカは16年で物価が40%あがった、日本はほぼ0%だった)実質実効レートだと1995年より3割近く下がったことになります。
 
日本初のリフレ政策は高橋是清がとったと言われています。このリフレ政策は功を奏したと言われていますが、この場合海外に資金が逃げないような規制を掛けたのも事実です。また、その結果軍事費の増大という戦争への道を開かせたのも事実であります。
 
皆さんも自分なりに経済についてしばし考えてみましょう。台風の日こそ考えを思い巡らせる絶好の日なのでは・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 

医療の進歩と限界

T先輩が亡くなってから早3年が経ちました。

直腸結腸の大腸癌が既にステージⅣで多臓器への転移もあり、本人は何とか治療を望んでいたのですが叶いませんでした。抗がん剤の効果は残念ながらなく、副作用と闘っていた姿を思い出します。

あのときは治験治療や新種治療にも詳しい方に先輩の病状も含めて相談したのですが、「医療ショッピングは止めた方がよい」と言われたことがあります。

そうなのです。やる方法あるなら派閥や大学の違いを超えて、医者ならば医者として最善の方法を考えていると言うことなのでしょう。それがない以上、手はないということなのです。

理解するまでに1年近く掛りました。

今日、我が家にとっても我が社にとっても大切な人が手術の予定です。

輸血によるウィルス性肝炎と診断されてから6年、血小板が少なくインターフェロンによる根治治療は出来ず、徐々に肝硬変が進んできました。暫くぶりにCTを受けたら小さな腫瘍が発見されました。

今日のオペは下肢静脈よりカテーテルを挿入し、直接癌細胞を壊死させる手術です。

もともと肝硬変が進んでいるため肝機能の問題と、予後もあり選択されたようです。確かに開腹手術よりベターかもしれません。

近年はこれに直接、抗がん剤を注入し、体内に回らないように排出する手術も行われ、副作用も少なく、奏功していると聞きます。

確かに医療は進歩しています。しかし、限界があるのも事実です。

早朝に、傘をさしながら氏神様の北野神社のお参りをしてきました。

チャーチル 第二次大戦の嵐



AXNで予約してあった「チャーチル 第二次大戦の嵐」を観ました。

いやーさすがスコット兄弟、上手く撮れています。それにしても主役のプレンダン・グリーソンの上手いこと上手いこと圧巻です。

小物もきちんと歴史を認識しています。チャーチルが好んで履いたというルームシューズも登場します。

詳しい内容はお話しませんが、物語のところどころに散りばめられたチャーチルのウィットに富んだ言葉が耳から離れません。


固定式の砲台ではなく、機動性の高いバスによる機関砲の攻撃を嘆願するモンゴメリー将軍にOKを出した後、チャーチルが食事に誘う場面です。

モンゴメリー将軍
「私はお酒もたばこもやりません。私は戦争のために常に100%の状態にしておきたいのです」

チャーチル
「私はどちらもやるが、常に200%だよ」

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国王が地上最大の作戦こと、ノルマンディー上陸の前夜チャーチルに向かって

国王
「私が上陸用強襲艇に乗る」

チャーチル
「駄目です 死んでしまいます」

国王
「私には後継者がいる 君は一人だ」


とにかく下手な映画を見るより面白いです。最後に夫人があなたとはもうやっていられないわと言った後、嫌がるチャーチルを舞台に連れて行くラストシーンもよく練られています。

スピットファイアもユンカースもちゃんと登場します。それにしてもスピットファイアってスズメ蛾に似ていると思いません???