車 ポルシェ 911 カレラS
私は2年前にポルシェを手に入れた。
私に車を買うに当たってルールがあった。一つは50歳まではスポーツカーに乗らないという決まりだった。それは何とかクリアーできた。
もうひとつはその車にふさわしい男になっているかというかなり曖昧でかつ難しい定義であった。もちろん今でも自信など無いし、その証しにポルシェで出掛けて行く事を控える場面も多々あるのが実情であるからしてそのあたりはご容赦のほど喫してお願いする。
私には車の師匠が居た。既に他界されているが、日本の車の創世記から車を「いじって」いた。
日本で10番目の板金屋というのがその師匠の自慢で、取り立てた用事もないのに私のところに来て自動車の話をひとしきりしてから、帰っていくのが日課だった。
師匠は拘りの人だった。美味しい蕎麦屋や鰻屋もこの師匠に教わった。バーバリーのお誂えのコートは共地で帽子も作っていた。若い頃は足袋のコハゼに純金を使ったと言っていたから粋な江戸の職人だったのだろう。
師匠が「とにかく一度乗ってみな」と私にいった車がある。一つはロールスロイス。そう小学生の私が生まれて初めて恋した車である。このエンジンはロングストロークで独特のフィールがあると言っていた。エンジンはまるで体躯の強靭なアスリートの心臓のようで、力強く繰り出される血液は強大なトルクを発揮し、どこで乗ってもその余裕からジェントルに振舞えると。一度、横に乗せてもらったことがあるが確かにその通り、素晴らしい車だった。もちろん、買える予定も力もないのだが。
そしてもう一つがポルシェである。師匠は前者が公道を走れるもっとも豪華な車だとすれは、こちらは公道を唯一走れるレーシングカーだと比喩していた。当時のポルシェはまだ空冷で良く壊れたようである。下り坂はまだしもエンジンが後ろについていて、なおかつ後輪駆動なので上り坂では前輪が浮いてしまう。そのためボンネットの中に砂袋を入れることが流行ったほどである。私もこの時代のポルシェに箱根の山道を運転させてもらったことがあるが、ほんの少しのミスが命取りになるような車だった。
それから月日は流れ、私も歳を取った。新車が出るとほとんどの車(興味ある)を試していた。偶然、現行のひとつ前のポルシェに乗る機会を得た。実はここ数年ポルシェは大型化して、ファンの間では大きくなる前のそれをナローポルシェとして新車とは別に好まれていた。997型はさらに大きくなり私の好みではなかった。それがナローの様な顔つきに変わって登場したのがこの998型である。私はボクスターもケイマンも運転した。そしてカレラとカレニSを続けて運転した。はっきり言ってこの4台には値段がそのまま反映されている気がした。もちろんカレラSが必要かと言われれば必要ないかも知れないが、車の機密性、エンジンフィールどれをとっても911が上手だった。まず驚くのはフレームの頑強さである。「金庫の様な」という表現がぴったりとくる。さらに、車の後ろから押されるような独特の加速感は、あのブレーキによってピタリと止まる。ブレーキだけが高性能なのではない。車のバランスが優れているのだ。以前、アウディS6をチューニングして足回りを固め、大口径のブレンボを付けたことがあったが、エンジンが前についているためどうしても慣性モーメントが働く。これが大きな違いなのである。
それからさらに月日が経過した。飛ぶ鳥を落とす勢いだったポルシェはフォルクスワーゲンを買収するとまで囁かれたのに、結果は逆さまになった。ポルシェはワーゲンに買収されたのだ。つまりこれから発売されるポルシェは親会社フォルクスワーゲンのポルシェなのである。そんなメランコリックな気持ちで家の近くの国道を走っているとディーラーの駐車場にバサルトメタリックのポルシェが目にとまった。カレラSで走行距離はまだ数千キロである。もちろん保証付きだ。それに何といってもワーゲンになる前の固体だ。私の頭の中で昨日、税理士から言われた一言が反復していた。「中古車で登録より2.3年経過して、かつ値下がりの少ない車で走行距離の短いもの」。
ぴったりではないか。翌日、現金を持ってこのディーラーに向かったのは言うまでもない。
それから2年一緒に暮らして驚いた。全く壊れないのだ。壊れないどころかエンジンオイルは一滴も漏れていない。こんなことは今までの私の車には無かったことだった。そういえば天国の師匠が言っていたことを思い出した。「自分にぴったりと合った車は以外と壊れないものなのだよ。女房とおなじさ。良く壊れるのは相性が良くないってことだから・・・」この言葉を信じて良いものやら未だに思案中である。