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2011年9月9日金曜日

気にかかること

岐阜に25年前に住んでいたとき、いつでも見られるだろうと観なかったものがあります。

それと岐阜でお世話になった方から2.3年前から相談を受けていてそのうちといっていたのですが、お互い年もとってきているので、今いかなければきっと行かないだろうと、重い腰を上げて岐阜に向かいました。

それに岐阜は我が家のスタート地点です。東京かぶれの私を地方には地方の流儀があると教えてくれたのも岐阜でした。今となっては大切な財産です。

川原町は古い建物を保全しているまでは良いのですが、繋がりが出来ていません。これでは観光客は滞留できません。






残念ながら相談にはお答えできませんでしたが、出来る限り市民のネットワークを作り、アーテイストのような若い人に住んでもらうような努力が必要かもしれません。

岐阜城(稲葉山城)には一度登ったことがありました。岐阜の市街が一望です。この山を娘と妻は対岸より毎日見ていたのです。




宿泊は150年の歴史を誇る、十八楼さんです。

館内で夕食を済ませ、鵜飼船に乗り込みます。そうです、鵜飼をきちんと見たことがなかったのです。

篝火は赤松のやにの強いものを使います。幻想的光景ですが、船の座席が窮屈です。これは嫌だなー・・・

鵜飼船が横一列に鮎を追う姿は中々のものでした。






小一時間で宴は終わり、運転で疲れた体をマッサージです。

すると25年前に一緒にゴルフをしたり、お酒を飲んだりした業者のHちゃんが電信柱に飲酒運転で追突し死んだことほ話したら、なんとマッサージをしてくれた人も知っていました。世の中狭いものですね。

翌日、娘をよく連れて行った畜産センターの芝生広場や我が家のスタートだった金華橋のたもとのマンションも見てきました。なんと良い匂いの1階のフレンチはまだ営業していました。




昼食は事前に予約していた「潜龍」です。相変わらず風流なたたずまいで迎えてくれます。先代の女将は6年前に91歳で亡くなったそうです。







妻は胃腸の調子が悪く今一つです。

ガーリックライス美味しかったなー、焼き飯ですよ!!

きっとあと25年は続かないと思います。残念ながら。対岸に稲葉山が迫っています。

岐阜市内は近鉄も、名鉄も、センサーもそして私のSCも今はありません。私のところは更地のままです。権利関係が複雑と聞いていましたかどうやらその通りのようです。

事務所のあった白木ビルです。



帰りはノンストップで377キロ走ります。高速が伸びたのですが、名古屋近郊の人口が増えて近郊で渋滞します。さらに静岡県のほとんどは2車線なので登坂車線がなく遅い大型車が右にいてスピードが鈍ります。
さらに大和トンネルの慢性自然渋滞で今日も6キロ渋滞です。

つくや否や妻は38度の熱を出し、私は疲労困憊の体を鞭打ち、息子の夕食を作りました。

おそらくもう行くことはないでしょう。私たちの原点確認でした。

蕎麦 宮本 江戸つゆ

途中、由比のPAで小休止して、島田の藪蕎麦宮本です。






今回で3回目、店内は撮影禁止なので説明は文章にて。

車なのでお酒はご法度てす。ノンアルコールのビールとまずは前日からお願いしてあった粗挽きの蕎麦がきです。こんなに旨い蕎麦がきは生まれて初めてです。

ざるそばは三枚、天ぷらは穴子ときす、まずは天ぷらを食します。穴子は甘みがあっていやー天ぷら屋さんには悪いですが、軍配上がります。

今回初めて(夏の間限定の)江戸つゆにしました。もともと辛口できりっとしている宮本のつゆがさらにバーションアップ、店主の言うように蕎麦の甘みが増します。

最近、蕎麦湯に蕎麦粉を入れてとろとろにする店がありますが、あれは邪道です。粉はまだグルテンになっていません。そこへ行くと宮本のそれは澄んでいてほのかに甘みがあります。これに最高のつゆで合わせれば残すなんてもったいなくて出来ません。

もちろん山葵は本わさびです。

宮本にかかっている明治初期の蕎麦店はなるほど池之端の師匠より頂戴した、神田藪の絵です。

確かに神田藪はその絵の今も面影があります。

それにしても宮本は進化しています。おそらく私の個人的意見では日本一の蕎麦屋です。

スタッフになんとか無理を言って蕎麦味噌二つ買いました。辛口の日本酒で楽しんでね!!