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2014年9月8日月曜日

連帯について

私が大学に入学した頃には大学紛争は見る影もなく、その遺影さえ存在しない時代でした。そのような環境からかイデオロギーや政治的議論をするということはもはや時代遅れ、負の産物と考えていたのか分かりませんが、極端な理念、信条というものにはどうも胡散臭さを感じてしまうのです。

ところが近年、原発事故後の国民の反応はそうではなく、良くも悪くも黒白をはっきりつけるような、絶対感覚でモノを言う人を多く見るようになったのです。
首相官邸前で反原発を訴える人も自分たちは正しいことをやっていると信じきっているようで、彼らのデモのせいで迷惑を受けている人のことなど毛頭にないといった感じです。どうもこの手の政治的思想には私は嫌悪感を抱いてしまうのです。

断っておきますが原発が良いと言っている訳ではありません。ただ、どんな物事にも良い面と悪い面があるようにこの問題もそんなに簡単に割り切れるものでもないし、第一今までこうした政策で恩恵を受けていたのは私達の訳ですから、それを棚上げにして論ずるというのはあまりに虫のいい話だと思ってしまうのです。

養老孟司氏が近著の中で良いことを言っていました。人間なんて地図の上の矢印程度のもので、生きているのではなく生かされていると。原発推進にしても、反原発にしても口角泡を飛ばしながら持論を展開される多くの方々はこの地図上の矢印などではなくて自らが壮大な地図を作っていると考える人なのではないでしようか。

私が入社試験の面接をしていた頃、必要以上にオリジナル性を強調する若者が多かったのです。そういえば通りが良いと思ったのか、何かの就職本に書かれていたのか不明ですがとにかく多かったのです。私はへそ曲がりなのでそういう輩には多くの点数を付けませんでした。オリジナル、オリジナルといったところでそんなにオリジナルが大切な訳ではないし、組織というもの同じようなカラーでないと上手く機能しません。さらにそういう輩が如何に仕事が出来ないか分かっていたからです。仕事のできる人は声高にオリジナル性など強調しなくともさらっと出来てしまうのです。

戦後の民主主義は自由と平等を教えてきました。しかし本当に自由と平等な社会なんて存在するのでしょうか。現実には格差は拡大しています。教えられた自由と平等がもはや夢と分かったこととこうした極端な白黒をはっきりさせる風潮が生まれ始めたことは決して偶然ではないような気がするのです。








2013年12月11日水曜日

評論家と実務家

日出る国の国民はどうして猫も杓子も評論家気取りで自分のことを棚に上げて天下国家主義主張のことを論ずるのだろうと公言したことがある。それは今も変わらない。いや、以前にも増してその傾向が政治家ならまだしも一般の庶民にまで広がっている気がする。

今日ではSNSの普及で誰でも簡単に自分の意見を公開することが出来る。それはそれで良いことだが、そうした発言の中に主義主張、理念、宗教といった、本来、より個人的なものを己の吐露を絞り出すかのように世に問いている。それ自体が悪いのではない。主張するなら吐露ではなく、その論理的根拠を説明するべきだし、神がいるというのならその存在を証明してほしい。こんなことをいうと盲信者の怒りを買うだろうが、これがエスカレートすればテロリズムの発端となるからだ。

特定秘密保護法案についても私には賛成か反対か論ずる資格はない。何故ならそれを決定するほど内容を知らないからだ。法案の中味が片手落ちのことはわかる。ただ、反対の先鋒であるはずの民主党も自ら政権を運営していた時の原発対応の詳細を雲散霧消せず秘密裏にしていることはこの問題を論ずる資格すらないと考える。

SNSを見ているとまるでアレルギー反応のようにこうした事に反応する人がいる。生まれ育った環境と言ってしまえばそれまでだが、何故か高学歴の人に多い。

ドイツで暮らしたことがある人が言っていた。ドイツでは自分の家の前の道路しか清掃してはいけないそうである。何故なら、それを生業としている人の食を失わせることになるからというのだ。もちろんそれは比喩であるが、中には日本に帰ってもそのまま踏襲する人もいるから驚きだ。ゴミがあれば拾う。当然のことなのではないか。

私はスタッフにもよく言う。やらなければならないことをやらないのは、やらなければならないことを知らないのと同じかそれ以下であると。そしてフリーライドそのものであると。残念ながら本当にこれが多い。

電球が切れていれば交換する。ゴミが落ちていれば拾う。汚れていれば清掃する。当たり前のことだ。この当たり前のこともせず、天下国家、主義主張を論ずる。嘆かわしいばかりだ。そうした当たり前のことが出来なくても組織の中なら何とか生き延びられる。中級以下のサラリーマンに多く見られるが、組織を束ねる主たる人はこうした先送りをする人を見たことがない。実務家が消え失せ、国民が総評論家になる日も近いのかもしれない。




2013年9月27日金曜日

安倍さんが変わった理由


安倍さんが好きだとか、自民党が嫌いだとかそういうことではありません。皆さんは安倍さんが変わったと思いませんか。私は当初どんな事情にせよ一国の宰相という重職を投げ辞任した人がもう一度務まるとは思っていませんでした。ところがどうでしょう。変わったとみるべきかマスコミが敢えて以前はそうしたことを公表しなかったのか定かではありませんが確実に仕事をしています。

前々日の深夜、カナダの首相と取り決めたシェールガスの日本への輸出交渉は大きな進展です。マスコミでは案の定それほど取り立てていませんでしたが、今後の日本のエネルギー政策を変える可能性のある一大事だったと思います。

そもそも20世紀のエネルギーは中東の石油に頼っていました。ところがその中東は民族的、宗教的対立でとても不安定な地域です。ひとたび戦争が起これば世界的なエネルギー問題が生じてしまいます。そこで安定的エネルギーを求めて原発に舵を取ったのです。もちろん皆様もご存じのとおり日本の原発政策導入には政治的からくりもあり、また原発フィクサーと称される人物もいて民意の反映の結果とは言い切れません。しかし、現実にこの原発を廃棄するには代替えのエネルギー政策が必要なのです。長期的には風力や太陽光、潮力といったエネルギーに転換するとしても当面は別のエネルギーに頼らざる得ないわけです。しかしながら日本にこのシェールガスは実用化できるレベルでは今のところ存在しません。
シェールガスの先進国アメリカから輸入する場合、プラントの多くは東海岸にあるためパナマ運河を通らねばならず20日ほど掛かってしまいます。ところがカナダは西海岸から直接運ぶことができるためにその半分の日数で済みます。当然コストは下がるわけです。つまり価格硬直が起こらずより安いカナダからの調達コストが他の国々から輸入する場合の基準に押し下げられた訳です。これは大きな進展だと思います。
以前、自民党のある県の後援会会長をしている先輩から安倍さんが首相を辞めた後、先輩のところに来たことがあって、その時の質問に対する答えの迷いのなさに驚いたと言っていました。先輩も首相の時の答弁のしどろもどろとの対比に驚いていたのかもしれません。
では、何故変わったのでしょうか。
私は安倍さんのブレーンがより重層的(レイアー)になったことが要因ではないかと思います。最近の政治家は似たような人と組みたがる傾向にあります。某政経塾出身の人たちの似ていること似ていること、金太郎飴のようです。安倍さんも首相の時は2世議員の典型のようでした、ところが今回は違います。これには好き嫌いは別として経済、外交、防衛のそれぞれのブレーンを配置してさらにそれら政策が上手く機能するような下準備(日銀総裁人事など)をしてから政策を実施したことが大きいと思います。またレイアーな人事は多層的な知識を生みます。それによって教育、福祉といったその他の範囲でも新たな取り組みが行われます。

7年後の東京オリンピックの招致に成功したことはさらに大きいと思います。少なからずそれまでは錦の御旗にこのことを謳えば様々な政策がインフラの整備と称して実行できるからです。ただ問題はそのあとです。私の周りの多くの経済人がそのことを心配していました。日本の正念場の7年となることは間違いありません。7年間のモラトリアムの間にこの日本という国が変わることが出来なければ確実に亡国の道を歩むことになります。
震災の復興も大切です。しかし、同じ町を戻すことが本当に復興なのでしょうか。三浦氏が書いているように復興における政策にはこのことが大切で被災者である多くの人たちも理解しなければならないのです。そして国家としてどのようなビジョンを国内外に指し示すことが出来るのかが本当に大切になってきます。安倍さん今度は投げ出さないでくださいね。本当の正念場なのですから。





2013年8月17日土曜日

劇場化する日本 大衆迎合とポプュリズム

日本という国が劇場化しつつあるということは今に始まった訳ではなく、その一翼をマスコミが担っているという事実も既知のことではあるがあまりに嘆かわしいのでつい筆を執った次第である。

昨日、日本を代表するような企業の人事担当者20人が、マスコミのアンケートに答えるという形式で次のような質問に答えていた。

その質問は東京ドームで一番ビールを売ったアルバイトを経験した人と大学の授業でオール優を取った人でどちらを選ぶかという質問に18社の人事担当者が前者を採用したいと答えたのだ。

私が勤めていた会社ならともかく、日本を代表するような企業の担当者が本当にそう答えたとしたらもはや嘆かわしいを通り越して、日本の行く末が心配である。

何故このような傾向になったのであろうか。

日本という国が鎖国から積極的に西欧文明を吸収し、富国強兵、殖産興業に励んだのはご存知の通り、そして帝国主義的政策から開戦し、今度は焦土と化すまでとことん焼きつくされた訳である。戦後の日本はアメリカ化と呼べるほど戦勝国アメリカに追随し、復興を遂げたわけである。

しかし考えてみると明治のころからにわか西欧化しているものの、西欧文明の本質は全く無視してきた。いや、あえて都合の悪いところは見て見ぬふりをしてきたとも呼べるのではないか。

西欧文明にはその体制維持のためにも、正なる番人が必要だった。膨大な植民地をいちいち一人が見る訳にはいかないからだ、そこで正なる番人が必要となる。欧米ではそれをプレッピースクールが社会装置として機能し、真のジェントルマンを輩出し、その制度を維持してきた訳である。

ノブレスオブリージとはそうした土台があって初めて機能するのである。

日本はどうだろう。多くの人が日本人は勤勉で、真面目で、集団的だと思っているだろうが、本当だろうか。

私はそうすることがただ単に都合が良かった(その社会体制において)からだと思う。

何故なら、騎士道精神やジェントルマンは個人的ではなく、その社会において相互交換的装置として機能し、より体制的であるからだ。

一方日本人のそれは己にとって都合が良い、集団の排除理論(自分たちと異質な物を嫌悪する)としての集団を形成するのだ。

だから、トヨタの奥田氏がそろそろ嫉妬や妬みでなく、良いものを賞賛する社会にならないだろうかといったとしてもそう簡単にはこの日本人気質は変わらないのだと思う。

Sパパが企業の人事担当者のレベルの低さを嘆いていたが、人事担当者の方には申し訳ないが、確かにそういう側面も歪めない。

トップに「こんなに面白い人がいる」と言ったほうが受けがいいのである。「こんな優秀なひとがいる」より確実に自分に返ってくる不確実性のリスクも軽減できるからだ。

ものづくり大国も、集団性も幻想である。その社会に都合のよいシュプレキコールであり、詭弁なのだ。

その証拠にどのくらいの人が後者を選ぶのであろうか。自問してみるべきである。

境界のないこの国の自由は堕落と平均化のしっぺ返しでもあるのだ。







2013年3月13日水曜日

小泉構造改革とは何だったのか


小泉構造改革とは何だったのか

今ほど民意が失われた時代はなかったのではないか。当時の小泉首相が郵政民営化を訴え国民的支持を集めたのは周知のとおりであるが、その後の自民党はその謳い文句さえぐずぐずだらだらとひっくり返して郵政民営化を白紙にしてしまった。子供の日直のように目まぐるしく首相は変わり、長期的政策は何一つ行われてこなかった。その結果、国民は自民党に嫌気がさした。そこで民主党を支持した。しかし、その民主党はそもそも寄せ集めの党であるから、政策の違い、いやいや政策ならまだしも己たちの権益の確保のため同党内で相克した。その後の国民は安部首相を支持したのではない。自民党を支持したのではない。他に投票できなかったのだ。ところがどうだろう、ブレーンが変わった途端に日経平均が上昇し、円安が加速した。アベノミクスの効果だろうか?いやいやそんな事はない。結果論。レーガノミクスの時もそうだった。その前から伏線はあったのだ。新自由主義は小泉首相同様、結果批判の対象にされている。フリードマンをはじめとするこの手の経済政策の騎手はボロボロである。経済学の分野でも公共経済学や厚生経済学という言葉がよく使われる。しかし私は反グローバル主義を掲げる経済学者を信用しない。日曜日の朝番組に出演しているK氏や彼と同学のJ氏など声高にこの事を訴えている。彼らは息子の学校の先輩ではあるが何故か静的思考だ。どうみても日本がスェーデンのようになれるわけがない。レーガノミクスの時に言われ続けてきた大企業が利潤を生めば、そこで働く社員の消費も拡大し効果は循環的に及ぶとしたトリクルダウン理論は後で嘘だった事が分かった。そもそも、そんなに調子の良い事があるわけがない。はじめからレトリックだったのだ。

グローバル主義は好き嫌い関係なく、すでに始まっている。私達がユビキタスの社会を目指したときからはじまっているのだ。宇宙の膨張と同様に附加逆的でその進行を止めることはできない。水が高いところから低いところに流れるごとく、富のその流れはきまっている。大きなイノベーションの渦中にいるとその事が分からない。今まさにその流れの中にいるのではないか。19世紀のパックス・ブリタニカから20世紀のパックス・アメリカーナの国家の時代は21世紀の今終焉しようとしている。民族、国家、政治、宗教我々には多くの壁があった。この壁によって安全や利便性を享受してきたし、一方で様々な活動を阻害してきた。その壁が今崩れようとしている。鈴木健氏によればその後の社会はなめらかな秩序を特徴とするらしい。前述した国家、政治、軍隊などは敵となる。鈴木健氏はサルガッソーなる集団を率いる。サルガッソーとは魔の海域バミューダトライアングルのこと。サルガッソーというホンダワラの一種が海に漂って行く手を阻む。この海域は表面にはプランクトンがおらず海底に集積していと言う。透明度は60メートルを超える。

話が脱線した。

小泉構造改革が失敗だったのは唯一途中で止めたことだという人とがいる。私も同意だ。

この改革により格差が拡大し、弱者が輩出されるのは制度的問題だという。そうだろうか、制度と言うより社会そのものをひとつの細胞に例えるならアポトーシス(apoptoisis)が始まりかけている。自身による内部崩壊の一歩手前まできているのではないか。それを制度的問題に置き換えるのは経済学者の浅はかさだ。

数年前、三浦展氏が「下流社会」を上梓した。下流社会は流行語にもなった。

この下流化の現象は今も進んでいるのだろうか。答えはイエスでもありノーでもある。情報というものが簡単に手に入れられるようになった。しかしこの事はテレビのニュース漫然として眺めているような訳にはいかない。自分で関係性を成立させ、積極的に情報を掴んでいかなければならないからだ。その意味においてそうしているものとそうでないものの情報格差がそのまま経済格差に繋がる。情報貧乏が存在するのだ。

もちろんグローバル化を止める唯一の方法がある。それは鎖国だ。お隣の国のように国際社会は関係ないとばかり、一切の門戸を閉ざしてしまえば良い。でもそんなことしたら国内で暴動がおこることは必至である。人間は一度便利さを手に入れたらそれを簡単には手放さないのだ。



 

2012年11月26日月曜日

イカに請う

50年以上生きていてもハッとさせられる事があります。

人間の脳と言うのはこれが当たり前だと決めてかかる節があります。

例えば日本の国旗をイメージして下さい。風はどちらから吹いていますか?

ほとんどの人は無意識に左から右、つまり国旗は右にたなびいていると感じるのではないでしょうか。

これは私達に某国営放送のテレビの終わり際に流れる映像が頭にこびり付いているからだと思います。

アンカーリング効果そのものです。

ではイカの頭はどこでしょう?

魚類や水産学を履修した人以外はほとんどがあの三角の部分を考えるのではないでしょうか。

ところがイカの生態を実際に見てみると、私達が足とよんでいる部分は足どころかとても器用な動きをしますし、獲物の魚においでおいでをしたり、掴みかかったりとても足と呼べる代物ではありません。

足だったら、伝説の格闘戦である猪木対アリのように足ではチョッカイを出すのがやっとのはずです。

そうこう考えるとイカは私達がイメージしていた容=カタチでは無かったのかもしれません。

物事にはこういう側面がついてまわります。私達は頭の中で色々なものを定型化していきます。そしてほとんどの物が分かりやすく分類分別できるようにひとつづに標準化されシールを貼られていくのです。

選挙間近の各党の言い分をそれだけ聞いているとどの党もなるほどと思う部分とこれはうそくさいなと思う部分があります。

しかしながら私達が間違ってシールを張って標準化していたら、それは間違った方向に進んでしまうのは至極当たり前なのです。

もう一度標準化されたものを見なおしてみましょう。原発、TPP、日米安全保障、憲法改正問題、財政支出と経済政策、福祉と年金、消費税、脱官僚社会、尖閣や竹島問題、北方領土・・・・国民にそれぞれ標準化されるべき問題なのです・・・

2012年9月27日木曜日

我田引水

昨日の自民党総裁選挙で「もう辞めます」の人が再度総裁になりましね。いやー驚きました。前総裁もそうですが、党員及び地方組織も含めてこの党の人達は国民の気持と言うもを全く理解していないのですな・・ここまで民意が読みとれないとなると選挙で勝つどころか、壊党の恐れすらありますよ。

私の注目していた大阪の人もやはり時期早尚、外交や防衛問題では素人の発言を繰り返し、国民から期待外れの冷めた目で見られ始めています。

こうなると人気の無かった政府与党は結果的に他がないからという排除の選択で勝ってしまうかもしれません。世の中、どうなるのか皆目見当が付きません。

こんな結果を予想してか青年議員代表の小泉氏は出馬せず、大敗の将でない石破氏を支持していました。彼は風が読めるのかも知りませんね。

私がニュースを見ていて驚いたのは一国の宰相を経験した総裁は集団的自衛権の行使をよく口にすることです。彼は集団的自衛権について何の見識も持っていないのでしょうか。

集団的自衛権というのは冷戦構造の頃、NATOやコメコンに代表される諸国がアメリカやソ連といった超大国の傘のうちで守ってもらうことだと認識しています。

だから他国から攻められたら助けて下さいとお願いをするのであって、間違ってもアメリカが攻撃されたら日本の自衛隊がアメリカ本土までいき戦うなんて事は想像していないはずです。

良くも悪くも敗戦国日本は日米安保という傘の中で守られてきたのであって、その事をなしには現状では何の防衛も出来ないのです。

もちろん日本が憲法を変え、自衛権を主張し、石破氏がいうように自国民の命と財産を守るために海兵隊を組織することも可能でしょう。ただ、やみくもに場当たり的改憲主張では困るのです。この国の未来のために大きな絵図を描かなければこの国は火の落ちる国となってしまいます。

チャイナリスクについて数年前色々と考えた事がありました。直接の動機は大手ビールメーカーの中国進出と撤退についての一冊の本からでした。

当時、上海駐在の友人にその事を尋ねたら、彼もそのリスクについては十分承知していました。

中国という国を理解するにはまず中国共産党について理解しなければなりません。最近読んだ本にこの組織の特殊性について書かれていたものがありました。この組織は権力の二重構造とはまた違う、入れ子のようなものだと書かれていました。

つまり、人民と人民軍と共産党がそれぞれ入れ子になって存在しているのです。だから、ある部分だけを見ると人民軍的思想であり、また別の部分は党の思想なのです。

マスコミで流される反日の映像を見るたびに、これも政府の仕組んだ政策なのかと本当に末恐ろしくなります。まさにそこに存在しない自分が体験したかのように感情の澱をつくり、そしてどんどん積もっていく、恐ろしいことです。

コストカットの名のもとに海外に進出していった企業が痛い目に会っているのは仕方ないでしょう。だってそこには自社の製品を少しでも中国市場で売りたいと言う魂胆が見え隠れしているのですから。

しかし、前述したそうした企業に従事しない国民の感情の澱が、こらえ切れなくなり大きく舵をとったら益々この国は相手の思うつぼになってしまうのです。

すでにあの国はフィリピンの領土を6つも占領しました。まさに侵略です。しかし、マスコミも国連もその事を口にしません。

世界の警察に盆暮れの送りものが届いているからかは分かりませんが、もはや警察は何も言えぬ体となってしまったようです。

2012年9月20日木曜日

昔の話

政治と宗教の話は人前でするなという家訓のため(家訓なんて嘘です)この手の話はあまりしないのですが、昔の話として聞いて下さい。

私が大学に入学した1977年は学生運動は下火になり、学内にもそれらしきプラカードも見かけなくなっていた頃だった。都内の一部の大学では多少見られたものの全体としてはすでに風化する一歩手前だった。

そもそもニュースで毎日のように流れる学生運動を見ていて、私が直感的に思っていたのは、何故彼らは学生を続けているのだろうという素朴な疑問だった。そして、彼らの行動の先にある理想が全く見えなかったのだ。

少年の私には何か親に甘え駄々をこねている分からず屋の子供に映っていた。

私の大学にもそんな余波から当時の学生運動の中心でもあった東大から多くの教授が疎開しいた。

それから30数年、学生運動こそ無くなったが、世の中の多くの反対運動(反原発、基地、などなど)の多くはこの学生運動同様、その先にあるものが全く見えないのだ。

もちろん、原発が良いなんて言っていない。ただ、こうした反対運動では国民の多くは私同様に反対したけどどうするのという疑問を突き付けられ、下火になり結局は実現する事は出来ないと思う。

ある防衛庁の幹部経験者に聞いた話であるが、そもそも墜落しない飛行機なんてないのだそうだ。
だから、防衛庁はその事を見越して、減損分を上乗せて調達すると言っていた。

オスプレイがどのくらい危険なのかは分からないが、こうした一連と同じではあるまいか。

その人は日本のマスコミは世界の事を全く話題にしないと嘆いていた。芸能人のゴシップや目に飛び込みやすい話題ばかり流して、全く世界の事を話題にしないと。

その人から聞いた話であるが、某国の海洋政策(軍事政策)はその時に既に決まっていて。今話題らなっている尖閣ばかりでなく、太平洋を大軍事基地にすべく覇権を狙っていると。

日本から遠いモルディブの日本人が作ったカツオブシ工場の跡地に中国の軍港があることは日本人の何パーセントが知っているというのだろう。

沖縄の人に聞いたことがある。本当に基地は要らないのかと。するとその人は小声で「大きな声では言えないが、無くなってしまっては困る」とまた「反対しているのは地元の人じゃないね、みんな本土人よ。地元の人は一部じゃないかな・・」

断っておきますが私は原発推進でも基地容認でもありません。こうした話題にならない事実も重ね合わせて、大きな設計図を持ちながら物事の判断をしなければならないんじゃないですかというだけ。

そうでなければ、子供が親にしがみ付きながらギャーギャーわめいているのと何も変わらない訳でだから。

閑話休題

最近のメルセデスに乗って、これじゃメルセデスは売れないなと感じたと同時に、これはもう日本人を相手にしてないということなんじゃないかと思えた。こっちが乗らないじゃなくて、あっちが相手にしていないのじゃないか・・・これって日本の自転車産業や家電産業が衰退していった事実と同じ航跡をたどっているような気がした・・・憂国の念がふつふつと湧いてきた・・・・

2012年9月13日木曜日

知らないという大罪

民主党の代表選挙をみていてこの国の政治のポプュリズムが如何にくだらないか、そして喫緊の課題を与えられた国防安全政策について無策の政治の戯言が末恐ろしくさえある。

むろん自民党が良いと言う訳ではない。長老(老害)達に担ぎあげられた、元党幹部のI氏などにこの国を任せれば、口先は体の好い詭弁で煙に巻かれ、その実は派閥の整合に他ならぬは明白。

こうした感情を少しでも抱いた国民が向かう先は関西から国を変えると息巻いているH氏に向かうのか。H氏には共感できる点が多い。しかし、H氏に取り巻く人達はとても同じ使命や政治信条を共有、共感し手を携えて政治生命を賭してやっていこうというとは考えられぬ。

政治家ばかりに責任は押し付けられぬ。昨日、家に帰るとK流ドラマがテレビから流れていた。我が家の男性はK流どころかテレビはあまり見ない。実は80才に近い私の母が何とはなしに観ていたのだ。

私の不機嫌な顔を見るとテレビのスイッチを消したが、つまりはこうした先達が戦後作り上げてきた民主主義の自由と平等こそが、今日の日本の斜陽を招いているのだ。

そうした人達は自らの知識や認識のなさを「知らない」で済ます。実はこの「知らない」は戦後日本の民主主義が植え付けてきた最悪の毒薬なのだ。

大衆迎合を柱とする多数決、標準化を根底に置く学校教育のそれは例え貴重な意見であっても、集団と異なるものは排除される。いじめの温床も実はここにある。そうした中では皆が「知らない」事は「知らない」で済むのだ。逆に知る事は皆と違う意見ということになる。我々は知らず知らずのうちにこの「知る」ということを意識の外に置くようになる。国民のバラエティ化とはその結果。

数年前にある人に言われて日米安保について考えてみた。実は概略は教科書程度知っていたが、当時はいくつかのその疑問も何となく「知らない」で済む方向に消し去っていたからだ。

色々な本を読んでみて、如何にこの日米安保が単純な「賛成」「反対」で俊査されるものでもなく、もっと深く考えなければならないと知った。日米安保と言う枠組みを考えることと、内政の日米安保は全くの別物である。

国にとって安全保障とはまさに最優先される課題である。普通の国は自国の国民を自国が守ると憲法に書いてある。日本はそれを放棄したのである。

さらにここ数年丸山眞男に関する著述を読みかえしている。私が大学に進んだ頃には彼の事は広く人口に膾炙しているとは言い難い状況であったからだ。

日本人の精神構造について、丸山はまさに今考えなければならない、鋭い洞察を行っている。

彼の「古層」という概念と並び、日本人の日本人的精神構造について理解すると、今の窮状がそうした日本人古来のものと、戦後レジームの中で構築されたシステムとの融合により、焼成されたことが分かるのだ。

もちろんだからといって無理やり愛国心に火をつけようとなど思っていない。彼もいうように愛国心とは流感のようなもので、熱を出し、うつるのである。だから、自制する事が肝要である。

H氏が言うように首相公選制ならびに一院制というのは、いくつかの課題を解決できる可能性がある。しかし、その一方でポピュリズムが蔓延したこの国の国民が学び、理解し、適正な判断が出来るか甚だ心配である。そう、まるで放射能の事が分からぬ者が原発と原爆の区別もなきまま、賛成や反対を論じる(論じるならまだしも一方的舌戦)ようなものである。

もっとも丸山はこの事を「キヨキココロ」として我が国の国民の嗜好性と位置付けているが・・・







2012年6月23日土曜日

コンセンサスを求める日本人

ジエットラグも治り頭もしっかりしてきました。海外では色々な新聞に目を通すようにしています。

もちろん現地の地域新聞の場合もあります。

あちらの新聞に同じ政党なのに党首の旗振りに対して、首を縦に振らない議員に対して何故そこまでコンセンサスを求めるのか、それが不思議だという論調が載っていました。

さらにその方法が日本式なのかとため息交じりの筆致でした・・・・

形式主義と言えば聞こえは良いですが、後になって禍根を残さないとする旨を良しとする精神構造は今の凋落する日本を代表している気がしてなりません。

自民党もそうだったように、民主党も同じです。そして国民も・・・劇場化したマスコミに自らの無知を委ね、自らが正しいと「キヨキココロ」を同期させるのです。

原発はいらないと声高に叫んでいる人が、今中小企業の製造業とくに電気を大量に必要にするような業種に携わっていたら、本当にそんな事が言えるのでしょうか?

以前、私はメッキ工場の社長さんとお話したことがありました。社長さんと言っても毎日、油まみれになって働いているような人です。メッキは長い間通電していないと製品にならないそうです。

それが停電したら、製品は御釈迦です。当然会社は倒産し、従業員は路頭に迷うことになります。

私は絶対に原発を今すぐ停止しろなどその人の前では言えませんでした。

物事が単純化されています。マスコミは劇場化しています。我々が正しいと思うことをするときに、その事で被害をこうむることの事も考えましょう。

原発が良いエネルギー政策とは思っていません。しかし、次の政策をきちんと策定せず、ただむやみに感情論でこの日本を導いて良いのでしょうか・・・

閑話休題

私は日本が鎖国をしたらどうなるのかしばし考えていました。江戸時代のようにです。ある米国の著者も同じように考えたようです。不均衡な貿易、空洞化する産業、それらをもし保護主義的な政策で国内に残置することか出来たらどうなるのかと・・・・答えは驚くべきものでした。結果はみなさんご想像下さい。

日本はもは一等国にはないのです。それなのに安穏に高福祉、平等を求めることがどれだけ矛盾しているのか・・・

2012年4月10日火曜日

都市国家 「田園都市国家の構想」



先日、三浦氏の著作を買いそびれていて慌てて購入した。もう一冊のこの本、著作の別の本は読んだことあれど対談は初めて。

三浦氏の本は歴史データの分析はもとより何より写真との対比が楽しい。下町の形成を3期に分析するところなど白眉ものです。私が住んでいた玉ノ井も「濹東綺譚」とともに紹介されていた。

かたや、増田氏、高橋氏の著作は落ち目の三度傘の我が国を日本列島改造論の真逆の手法によって再生させようとするもので読んでいて面白い。ただ、対談部分が少ない。

さて、敵に祭り上げられた田中角栄氏であるが、そもそも日本の歴代の総理大臣は国家をビジョンとして捉えていたのであろうか。

私には大方の総理(最近の目まぐるしく変わる総理は別)は持っていたのではないかと思う。

ここに一つの資料がある。故大平正芳氏の「田園都市国家の構想」である。

名前からすると均一的な田園都市がイメージされるが決してそうではない。モデルニュータウン建設を否として、人間生活の総合的環境の計画的整備を是としている。

さらに第二章に至っては「日本の国家システム」に言及しており、二分的対立の概念は本来の日本文化の中にはなく、隋唐文化の吸収期の律令時代と欧米文化を摂取した明治以降だと説いているのだ。

この時の座長を調べてみると梅竿忠夫氏である。画竜点睛のこどき慧眼である。

ここで私の中には三浦氏の著作が思いだされる。下町と言えど東京である。戦災からの復興にしても東日本大震災からの復興と比べるとそのスピードが違うる何故にここまで物凄いスピードで2度も復興することが出たのか・・・

明治以降の日本は不合理さの上になりたっていたのは誰もが認めるところであろう。良い悪いはへ別としてその不合理さは、東京と言う街を世界的にすることに邁進した。東京に足りないものがあれば足して、何としてでも東京だけは別だった。その事がこの恐ろしい程のスピードを持ったとすれば皮肉な話だ。

アメリカの西海岸の沖に都市国家を作ると言うプロジェクトがあるらしい。ITの資産家ですでに120万ドル以上つぎ込んでいるらしい。実現するかどうかは別にして、彼の考える国家はリバタリアンの国家だ。規制を廃止し自由主義を原則とする。

目を国内に向けてみよう。府民にあれだけ人気のある橋本氏のいうところは大阪を都市国家にせい。というものだ。

大阪だけ切り離して、特区として自由に裁量権を持たせえ。というものだ。

ビックブラザーからリトルピープルの時代へと変化していると前述した。その事は政治体制さえも変える。二元的思考選択からより並立的思考選択へと舵をとるのであらば、我々も相当覚悟をしなければならないだろう。

それは地域、国家という地政学的、民族的の集団を解体し、リビルドするのである。そには我々を守る外部装置はもはや存在せず。我々自身が自らを守る必要があるからだ。

2012年2月9日木曜日

虚心坦壊  鶏鳴狗盗

今日まで虚心坦壊を虚心担壊だとばかり思っていました。ひとつ思いこみを治せました。歳をとるとこれが大事なのです。



それはそうとして、この地図を見て下さい。私は同じ日本人として忸怩たる思いです。

詳しく見たい方はこちらの池田先生のHPにリンクしてみてください。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51772011.html


大震災の後に被災地に対して寄付をしたり、ボランティアをしたり日本人も、海外の人も困った時には手を差し伸べる優しさがあるのだと心温かくなっていたのに、一年もしないこの時期に被災地のそれも放射線の許容範囲の残土やゴミを引き受けるところがこんなに少ないのです。

一番困っているのは被災地の人達です。何故、痛みを分かち合おうとはしないのでしょう。

まるで三歩いったら忘れる鶏宜しく、鶏頭狐盗のごとき浅ましさです。

これを作ったのは日本に放射線を拡散させない会ということですが、この人たちは被災地はそのままでいいと思っているのでしょうか?

日本のマスコミはこういうことを伝えたがらない、だから劣化していると言われるのではないか。

原発反対派や沖縄の基地移設問題で時折り、ねじり鉢巻きで頑張っている人を見かけるが私はウンザリである。何故なら、自己中心的、自己愛至上主義が彼らの延長には存在する。自分たちと違う意見は力づくでもみ消す。

石原氏(慎太郎)の発言には全く受け入れられないものから、同意できるものもあり一概に言えないが、氏が東京都が真っ先に受け入れを表明した時に「力のあるところがやらなければ誰がやるのか」と言った。まさにその通り、我々は被災地に対してNoblesse Obligeの精神で対峙しようではありませんか。

こんな事言っているから息子から、LightweightじゃなくてRightweightだねと言われてしまうのかも??

まあいいか

2012年1月16日月曜日

マスコミにまたまた物申す

昨日、何気にテレビを付けたら報道番組に金さん銀さんの娘と思しき数名が出演していました。

何をしゃべらせるのかと言えば、彼女達が議員定数の削減や年金課税について物申すというシテュエーションなのです。

それに現役の大臣が呼応すると言うのが番組の骨子です。

あまりのあほらしさにすぐに切ってしまいました。彼女らが高齢のため全体を俯瞰する事が出来ないのは良しとしましょう。しかし、テレビ局は大切な日本の戦略をバラエティー化して何がマスコミなのでしょう。

マスコミがポプュリズム化したと言ったことがあります。ポプュリズム以前の話です。この国に必要なのは議員定数の削減で煙に巻き、政策なき消費税増税を認めさせる賢慮なき政治家の発言を国民が審判なのです。それがこんなマスコミでは多くの国民は間違った判断を下すでしょう。

Sパパが坂の下の国と言っていましたが、私にはこんなマスコミと政治家の発言を見る限り、坂の下の下の下の国にしか思えません。

だって財政再建というのはこの国の社会システムそのものを変えることなのですからね・・その事をもっとよく考え、枝葉のことばかり言っていては前に進みませんよ・・・・・トホホ

2012年1月13日金曜日

アメリカが普通の国になる

ガイトナー氏が急遽日本にやって来てイラン産の原油の輸入削減を求めてきた。

政府は何も議論せぬまま輸入削減の方針を打ち出した。これっておかしくない??

つい先日、アメリカは世界の警察ではなく、各国が自力で戦備を務めるように訓示したばかりだ。

イラク戦争の誤謬、アメリカ国内の世論、どれをとってもアメリカは仮にオバマが再選したとしてもこのような特別な国からの変化を求められることになろう。アメリカは特別な国だったから同盟国は有無も言えず協力してきた。しかし、普通の国になったらどう??

昨年初頭、Sパパの薦めで「村田良平回想録」という元外務次官の記した本で戦後の日本の成り立ち、日米安保について考察した。



確かにあの時代の必要性は分かる。しかし、どうだろう今の現実は・・・・

フランスも極右が台頭している。フランスもドイツもユーロの結束をアピールしているがユーロ離脱が囁かれ足元から崩れかけている。

グローバリズムの反動はナショナリズム、ローカリズムだ。これ当然の成り行き。

日本はイランとアメリカとは違う接し方をしてきたはずだ。民間が一歩一歩、プロジェクトを立ち上げ契約した結果特別な関係を持てた。

アメリカとは違うのに過去の政策の延長のような外交。アメリカも矛盾している。

アメリカという国家はその特別さにおいて、影響力を持ってきた。しかし、それが普通の国になるようなら世界秩序はどうなるのであろうか。

ウォーラーステインが説いたようにに世界は経済システムによってのみ存在し、軸の無い無秩序の関係になるとしたらアメリカと共に日本の凋落は避けて通れまい。

政策の無い財務大臣、外交戦略の無い外務大臣・・・・・・誰に変わっても案山子の首のすり替え程度だ。

2011年12月28日水曜日

漂流する日本

リーマンショックの時も、そして今回の3.11以降も全く機能不全に陥っている政治と経済は益々混沌としてきました。

Sパパも言っていたパペチュアルトラベラー=永遠の旅人という言葉があります。これは合法的に何カ国を移動し、日本の高い税金を少しでも回避する人達のことですが、確かに今こうした人達が増えているようです。

顧問の先生よりお薦め戴いた「資産フライト」にも同様の事例が書かれていました。

夏一緒に旅行した大学の友人であるO氏も娘さんが来年、ウィスコンシンへの留学が決定したようなので、海外に今のうちに口座を作ると今朝の話に出ていました。

トヨタの奥田元会長が「日本もそろそろ嫉妬から賞賛の経済に変わらなければならない」と言っていたのに、未だに金持ちはやり玉に挙げられています。

マスコミも官僚も政治家も金持ちというだけでやり玉に上げます。

可笑しな話ですよ。年収300万円未満の人は納税額の4%に満たないのですよ。それなのに弱者救済の旗の下、金持ちをこれ以上いじめていたら、本当に日本から居なくなってしまいます。私はそのことが心配です。

多くの人がリーマンショックで投資を止めてしまいました。個人の貯蓄は増える一方です。しかし、経済が上向かなければ消費は拡大しません。

ただ、本日たった一つ光明がありました。電力の発送電分離について電力の自由化を促進するために検討するとのニュースが出ていました。やっとです。私はかねてからこの発送電分離を進め、次世代エネルギー政策を推し進めるためにも必要だと感じているからです。

これからのエネルギーはスマートグリッドに代表されるような小規模な地域的特色を生かした発電施設と家庭発電を組み合わせたハイブリッド型しかないと思っています。

従来のような大きな会社が物凄く高い建設費で作る発電施設ではなく、より並行的なシステム構築が大切になると考えているからです。

さらに住宅の考え方も従来の枠を外してみなければなりません。そもそも日本が今のように1家族1住戸になったのは核家族化し、プライバシーを重視する個人主義の現れです。そして今そのことが孤独死やストレスを増加させ自殺者を増やしています。

震災地では無策な住宅供給により自殺者が増えていると聞きます。大切な人を失った後は一人にしておくことは大変危険です。もちろんボランティアでそんな人達をケアする精神科の医師もいるのですが無策な政治では困ります。

内田樹先生が良い事言っていました。国民は傍観者であり、劇場化するこの事態を眺めている。
しかし、このシステムが崩壊した後の混沌さはさらに二極化を進め、大きな事態になることを知ろうとしない。人間的時間と政治的時間は異なるのだと。

漂流する日本が消えてしまわないか心配です

2011年11月22日火曜日

General Popularization 仕分けのこと

法的拘束力の無い事業仕分けはいわばデモンストレーションのようなものかもしれませんが、あまりの稚拙な議論に辟易します。

大学の仕分けにとある指標を出して日本の大学は総じて世界的評価が低く、トップの東大でも30位と振るわないのだから、もうお金は出さないと言う財務省と欧米のような多額の寄付金が集まらない日本では資金が必要と言う文科省が対立していましたが、そもそもその前提となるあのランキングは何ですか?

以前にもお話したように欧米の大学は専門性に特化しており、世俗的に息子や娘を入れたい大学と異なるのです、ちなみに息子を入れたい大学ナンバーワンはあのタイガーウッズが入学したスタンフォードです。論文の引用件数となれば文系・理系それぞれの得意分野において差が出ます。

どう考えたって法学と薬学では違うはずです。

仕分け人が用意したランキングあまり大雑把で大衆迎合的です。全ての物事を集約し平均化する傾向があるようです。いけません科学的ではありません。

ファミリープレジデントという雑誌があります。いつも親が入れたい大学の特集を組んでいますが、ほとんどそれと同じようなレベルの評価なのですからトホホな訳です。

白と黒に二分する国民性もよくありませんが、大衆迎合的総論的政策というものは如何なものなのでしょう・・・・

2011年10月26日水曜日

TPPを考える

TPPとはTrans-Pasific-Patnershipつまり環太平洋戦略的経済連携協定であります。

これについて皆さんは考えた事がありますか?

私は先日、N新聞社のH女史とお話した後、これについて考えてみました。

そもそもこのTPPは小国が独自の連携を深めて大国に対峙しようと戦略的に作られたもので、発足当時はシンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージーランドの4カ国でした。

それがいつの間にかアメリカも加わり当初の様相とは大分変わってきたのです。

すでに日本は多くの国との間に関税を引き下げ自由貿易体制に移行しています。

それらの国との間ではTPPに参加しようがしまいが実質的な影響はないのです。

あるのはニュージーランドとオーストラリアぐらいです。

TPPに参加することで一般的に日本の輸出が増えると言うのは正しい理解ではないのです。増えたとしても数パーセントです。今のような為替レートの変更があれば全く効果はありません

。ただし、ここで注意しなければならないのがチャイナリスクとアメリカが必死に日本の参加を求めている真意です。この大国の動向次第でTPPは良薬にも毒薬にもなりえるからです。

まさか皆さん、アメリカが日本のためにそうしているなどと思ってはいませんよね。


TPPとは貿易に実質的に影響を及ぼすものではなく、政治的つまり国際関係における発言なのです。我々は参加か非参加と二元論で論じますが、そもそも政治的、戦略的話題なのです。これを理解しなければなりません。

民主党の某人が途中脱退もあり得るなどと発言したことはまるで理解が足りません。恥ずかしいばかりです。

農業分野での大打撃と訴える人もいます。これもおかしな理論です。世界的潮流の前に小さな小石のダムは用をなしません。

ようするにTPPとはそうしたものなのです。本論を理解せず成否を求めている我が国の現状に憂鬱になります。

内田先生がTPPについて論じていました。興味深いのでご参考にして下さい。

http://blog.tatsuru.com/

2011年9月14日水曜日

所信表明演説

所信表明演説を英語にするとGeneral Policy Speechです。

新首相のスピーチどう思われました?

個人的には意味不明の言葉や比喩ばかりで子供の童話のような以前のスピーチに比べれば良かったと思っています。

まずいのは野党です。馬鹿の一つ覚えのような野次、震災後横滑りで事故の収拾にあたっていた総理とは違うのです。国会で任命された震災後初の総理なのです。困難を乗り切ろうとする気持が微塵も感じられません。いっそこのまま総選挙を実施したら自由民*党、公*党、みん*の党が一番困るのではないでしょうか。彼らの政策は何ですか・・・何にもないではないですか。

以前与党だった先程の党も結局シナリオは官僚任せだったのですから・・・・

国土交通大臣もダムを止めるなら止めるその論拠を示さなければなりません。己の政治信条で済む話ではないからです。そうでなければ官僚に逆襲されますよ・・

近頃、アメリカのドラマ「チャーチル」を見ています。これが中々面白い。今度、日本でもCSで放送されるようです。トップの人間の苦難と判断その難しさを日本の国会議員にお見せしたいくらいです。

ところで自由*主党の幹事長のO氏は顔つきが変わりましたね。あれは内面が変わったのではなく、あまりのクレームにフェイストレーニングしているのだと思います。気持悪いですね、感情を押し殺した笑顔程、ひいてしまう顔が無いことをご存じないのだろうか・誰か教えてあげて下さい・

2011年8月31日水曜日

呉越同舟 組閣

今回のようにシ首相指名が逆転で決まったのは石橋湛山以来と初めて知りました。ということは今まで出来レースがあまりに多かった???

今回の組閣を見て、みなさんどう思われました。

私は少し驚きました。輿石氏、平野氏を起用するのは党内融和の点で理解します。しかし、もとは同じ派閥で政経塾の後輩、さらに事の顛末に至っては後出しジャンケンの前原さんを登用するとは驚きです。菅さんなら絶対しませんね。辞める前日にそれまで凍結していた某学校の無償化という外交的戦略も加味される政策を全く己の個人的主義主張で進めたのは、イタチの最後っ屁っていうんですよ。

こういった考え方を見ると、己の損得よりどうしたら問題解決を行えるかという実務家という印象を受けます。今までの鳩山さん、菅さんはあまりに理想主義を掲げすぎましたから。

特に沖縄の問題は数十年掛けてほんの少し前進したものを全く白紙にし、事態は膠着してしまいました。理想主義の結末です。

菅さんに至っては己が信用されていないことから、誰も信用できなくなり、目もうつろです。アメリカからの善意の申し入れさえ断ったというのですから、何をかいわんやです。

しかしその民主党以上に断末魔の聞こえるのは自民党です。民主党の支持率が低下しても、支持率は上がらないではないですか。妻を亡くされて可愛そうですが、谷垣さんがテレビに映ればうつるほど敗戦の将が負け惜しみを言っているようにしか聞こえないのは私だけでしょうか。

自民党でテレビに映るのは後は石原さんくらい。彼で選挙は勝てるのでしょうか?

自民党の若手のリベラルな人達は除名されようが、この国の為になるならば与野党関係なく、法案を議論し、政策実行するべきです。そのような人達を除名するようなら自民党は解党です。もっともそういう人達を受け入れる寛容さと慈愛が与党に求められるのは言うまでもありません。

マスコミは「急げ、急げ」と言います。そうでしょうか。急げという言葉の裏側に「そんなに慎重に議論する必要は無い」というメタファーが含まれているものです。それでは困ります。時間をかけるものは例え緊急時でもしっかり議論し、すぐに進められるものと峻別していく必要があります。

呉越同舟をやってのけたのですから、大きな国の将来を示して下さい。

それにしても「どじょう」と野田さんが言ったからといって、下町のどじょうやを取材するNHKのアンチョコさはどうにかなりませんかね(笑)

2011年8月30日火曜日

政治談議 月曜討論

心臓血管外科の試験勉強のため珍しく家にこもって勉強している息子と政治談議です。

我が家の婦女子は参加しません。

野田佳彦氏が次の日本の首相と決まりました。あるマスコミに言わせるとどちらにしても民主党は次の選挙で敗れるのだから、誰でも良いし、それまでは何もしないでほしいとの意見がありました。

そうでしょうか、2年間この国はもちますか?2年間も何もしないでこの国は大丈夫なのでしょうか?

今の政局の問題は、民主党も自民党も右と左に膨張していることです。その中で民主党の右派、自民党の左派は実は集合で言うところの交わりにあたるのです。

例えば野田氏の靖国論は自民党の左派の一部の人より右寄りかもしれません。さらに外交姿勢にしても隣国の大国に対しても強硬論なのです。

総理に必要な政策を私が論ずると息子は「どこの知識の受け売りなの」と失礼なことをいいやがります。まあ、いくつかの論説の集合体であることは事実ですが、根っこはきちんとしていなければなりません。政治に無頓着な経営者はまず失敗します。

話は変わりますが、日本国債の格付けについて先般さらに下がったと聞きます。その筋の専門家に言わせると今の日本国債の格付けはおかしいとか、逆に独立性を保っていて好ましいという意見もあります。私は専門家ではないので分かりませんが、日本国債はバブルの後にもっとずっと低く評価されていたのです。私にはその後、財政出動のみで経済成長もないのにここまで格付けが上がったことが不思議でなりません。だって、何一つ成長していないのではないでしょうか。

話は次期総理について戻します。野田氏に期待するところは、親類縁者に政治家がいないと言う点と松下政経塾が堕落する前の一期生という点、さらに街頭演説を毎日のように繰り返したという体力です。自民党の二世議員は首相になって顔面蒼白、早々と辞任したではありませんか。

首相、お願いします。復興はチャンスです。世界に向かってこの国のアピールするまたとない機会なのです。世界が未曽有の災害を忘れ去る前に!!!