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2018年5月31日木曜日

大きくなるということ

私より少しだけ年配のそのシェフは今や日本を代表する料理人となった。

30数年前、そのシェフの料理を当時オープンしたての四谷の店で食した時の感動は忘れなれない。こういう店に来られるようになりたいとぺらぺらの薄い財布を見ながら思ったものだ。

その後、日曜日に自由が丘にあったシェルガーデンという高級スーパーで彼を見かけた。休日であろうに並べられた食材を手に取り顔に近づけていた。近くには奥様と思しき女性が一人いたが彼の姿は真剣そのものだった。

それから数十年が経ち、彼の名声は高まり、テレビにもよく出演するようになった。素材についても彼は地元産のものはもとより、日本全国美味しい食材を集めてその技術で最高の料理を提供していた。恐らく焼尻島のミネラルの豊富な草を食べて育ったサフォーク種を膾炙させたのも彼と銀座に店を持つTさんが最初ではあるまいか。

それからさらに数十年が経過し、彼の店舗数もだいぶ増えたが想像していたようには増えていない。彼のメインの仕事はラクビーW杯の最高顧問に代表されるような名誉職が多くなった。それはそれで彼の努力の賜物だから賞賛したい。

とある土曜日、そんな彼の元で研鑽を積んだ若手のシェフが北鎌倉に新しくお店を出したと聞く。財布も大分厚くなったので予約してランチに伺う。

鎌倉の土日は身動きが取れない。ならばと蜑戸から海水で錆びたビーチクルーザを引っ張り出し。あの坂を登ってやってきた。

つくや否や、自転車の置き場所を尋ねると一人のスタッフはここでもう少し手前にと言っていた矢先に、その錆び付いた自転車一目見るなり奥から別の女性が走ってきて、当店に自転車置き場はありませんときっぱりという。私はこのまま帰ろうかと思ったが、「料理は美味しいので食べていってください」との別の女性の一言で思い留まり食事をした。この時帰っておけばよかった。

料理は前菜が7種、メインは魚介別々に調理し、その上からブイヤベースを掛けるというものだ。そしてそれに合うワイン3種類。

詳細は省こう。まず前菜はどれもコストのかからない食材である。コストはいい。美味しければ。調理法も何もあったものではない。家で食べているラペの方が断然美味しい。メインのスープも凝縮して濃厚とあるが旨味が出ていない。この魚介のスープでは五反田にあるTシェフのスープが白眉である。簡単な手法なのに旨味が詰まっている。ここのものはその半分程度の凝縮さだ。

とまあ最初は否定していたが、よくよく考えてみると組織やお店が大きくなると人によってその見方が変わっていしまう。例えば十二単衣を着ていた女性そのものを見るのではなく、上衣の色を見るもの、その刺繍を見るもの、足袋を見るもの、顔を見るもの一人一人一様である。来ている人の本質(中身)を全員が見ているものではないのだ。

そういえばとある飲食プロデュースクループに入った恵比寿の中華もそうだった。

組織や店が大きくなると色々な解釈をする人が増えるのだ。数十年前私は上場を目指したらどうだと証券会社の人に言われた。その時に「私の会社は大きな商店でいいんです」と苦笑いしながら答えたことは今考えると満更間違っていたわけではなかったようだ。

※写真は本文とは関係ありません。




2015年11月13日金曜日

けんちん汁を知る

子供の頃、母親が作るけんちん汁は嫌いでした。どちらかというと豚汁が好きでした。そんな事を知ってか知らずか我が家ではけんちん汁が食卓に上がることは殆どなくなってしまいました。

それから三十数年を経て鎌倉に蜑戸を構えて、鎌倉中を自転車でめぐることが多くなりました。

けんちん汁発祥として名高い建長寺までは長い坂もあり自転車では難儀な道中なのですが、ある夏、トンネルを抜け坂道を登り境内を参拝したあと、門前のうどん屋さんにて昼食を取りました。

名物、けんちん饂飩を食したのです。するとどうでしょう、今までのけんちん汁のイメージは完全に裏返りある意味期待以上だったのです。

それ以来、美味しいけんちん汁を作るにはどうすればよいか、色々な書物を紐解きながら何とか美味しいけんちん汁に辿り着くことが出来たのです。

あの夏の邂逅がなければけんちん汁の美味しさを知らずにいたのです。

ということで私のけんちん汁のレシピです。

用意するもの
☆昆布(出しようの良い物)
☆干し椎茸(かさの厚い良質などんこ)
☆大根、人参、牛蒡、葱、蒟蒻、油揚げ
☆塩、味醂、酒、砂糖

①干し椎茸を水で戻します
②昆布で出汁を引きます(エグくならないように)
③大根、人参、牛蒡、蒟蒻、椎茸、油揚げ、葱を同じような大きさに切りそろえます
④大きな鍋に湯を沸かし、大根、人参、蒟蒻、牛蒡の順番で下茹でします
⑤昆布出汁に④の具材と椎茸とその戻し汁を加え再度煮込みます
※このとき椎茸の戻し汁は味を確かめながら調整して、中火で煮込みます
⑥⑤の鍋に酒、味醂を加え、最後に醤油と塩で味を決め、葱と油揚げを入れます
⑦食べる直前にごま油、七味唐辛子をお好みで入れます。

ポイントは野菜の旨味とエグ味を切り離すことです。個人的にはこの薄味のけんちん汁には産寧坂七味屋の七味唐辛子が相性が良いと思っています。皆さんも美味しいけんちん汁作ってみて下さい。因みに今年27歳になる息子は大好物です(笑)





2015年10月20日火曜日

お肉についての一考察

先日STEAK REVORUTIONという美味しい肉を求めて世界中を飛び回るというロードムービーを見てきた。NYのブルックリンにあるピーター・ルーガーステーキハウスや世界中のステーキハウスが紹介されていた。日本でも築地さいとうが紹介されていた。

 ただし、いささか日本の和牛についての考察は薄っぺらである。鎌倉東急の駅前にあるH商店をして、日本の和牛はおかずとしての要素が高く、厚く切って食べないのですき焼きやしゃぶしゃぶが向いているので、脂身の多い和牛が最適だと言わしめていた。この店など鎌倉に在住する人なら既知の事であるけれどこ゜く普通の肉屋だった。その店は最近、トレンドを意識して高級感のある店構えになったが、本当なら大町のK牛肉店や葉山のA牛肉店を取材して欲しかったが、それでは映画の構成にならないと脚本家が意識したのだろう。

 確かに松坂牛や神戸牛のランクはサシの多さで等級が決まるのは昔からの習わしで仕方ないが、中勢以中店を取材しておきながら、赤身と熟成肉に触れないのは片手落ちである。特に最近はこの赤身と熟成肉に注目が集まっているのに残念である。
 そもそも、日本のステーキハウスの代表として取材された「築地さいとう」は鉄板焼きのお店である。 確かに鉄板焼きもステーキの一つであろうが素材や趣向も違うので同じ目線で評価するべきではない。もちろん日本のステーキハウスはこの店のように鉄板焼きステーキの店が多い。しかし、それがイコールサシの多い和牛を志向すると言うのは思い違いである。

 それともうひとつ、この映画が鼻をついたのは、まずエコロジーありきで始まっている。配合飼料はダメで、自然放牧が最高だと決めつけている。それが地球環境にやさしいからだと。そんな事を言われたら山がちで狭い国土の我が国など牛肉は庶民の口に入らなくなる。仕方なしに、オーストラリアやアメリカから輸入すれば長い距離を運ばれてくる燃料コストを考えてエコロジーになるのであろうか全くもって内容が陳腐である。内容も知らされず好相で映画に出演していた松坂の農家の方が可哀想である。

 肉の味が濃ければそれが旨い牛ということになるのであろうか。若い牛は若い牛なりの、年老いた牛は年老いた牛なりの旨さや調理法があるはずだ。

 映画の冒頭で硬そうな肉にエシャロットと仕上げにヘーゼルナッツオイルを掛ける料理はこの映画では番外となるが、硬い肉だって味付けと調理法で旨くなるという良い例なのにとても残念である。

えっ、それを食べたことがあるかって?
もちろんあります。日本のBLTステーキハウスでランチメニューとして提供しています。因みに肉は前足の肩の部分です。

2015年10月
https://www.facebook.com/masahiko.sugihara


2015年9月8日火曜日

うなぎクライシス2
 私の育った街は川に囲まれていた。家のすぐ裏手には渡良瀬川が流れていた。当時は悪名高い足尾の鉱毒こそ流されなくなったものの、様々な生活排水が流れ込み綺麗ではなかった。魚といえばハヤ(私達はそう呼んでいた=ウグイ 鯎)や毒魚のギギなどしかいなかった。それでも少し足を延ばし支流に行けば山女や岩魚をとることもできた。
両親の友人一家が引っ越していった郊外の住宅地にも小さな川が流れていた。その川にはイモリやうなぎがいた。うなぎといってもお腹に斑点がある八つ目うなぎである。この八つ目うなぎを獲る時に使う魚篭(びく)は入口に返しがあり、魚が逃げない工夫がなされていて、その一番奥に石で潰したタニシを布に包んで入れていた。一晩経ってその魚篭を上げてみるとまんまとうなぎや川ガニが入っているという訳である。私はこの八つ目うなぎを一度も食した事がないし、たぶんこれからも食すことはないと思う。生活に近すぎた食材というのはこんなものである。
話は変わるがうなぎの卵が遠く北マリアナ海溝で見つかったとテレビで放映されていた。うなぎは稚魚(シラスウナギ)を河口で捕り、これを養殖させるわけであるが、うなぎの生態は未だ詳しくは解明されていない様子である。また近年、天然の稚魚が激減しているという。稚魚の値段がうなぎ昇りだと。うなぎが食べられなくなったら困るので研究の一早い実用化を望むところだ。
私が幼いころ、本当に偶にであるが、両親がうなぎを食べに近くの店に連れて行ってくれた。その店は家からそう遠くない(当時の私にはとても遠く感じたが)ところにあった。群青色の暖簾に白抜きで「うなぎ」と書かれていたその店のうなぎは本当に旨かった。
うなぎが好きな人と嫌いな人が分かれると言う。あの姿が苦手だと言う人もいれば、美味しいうなぎを食べたことが無いという人もいる。直木賞をとった四国出身の男性作家は後者で大人になって初めて美味しいうなぎを食して好きになったと本に書いてあったが、私の場合は少し違う、つまり原体験は美味しかったのだ。子供にうなぎの味が分かるはずもないと叱責されそうだが、あのうなぎは確かに美味しかったのだ。
上京してうなぎを食す機会が無かったわけではない。しかしながら貧乏学生、薄給のサラリーマンの食べられるそれはどれも身は硬く骨っぽく、表面には水飴の様なベットリしたものが付いていた。かくして私は暫くうなぎからは遠ざかることになったのである。
関西は腹開き、関東は背開きという。私にはどうでもよい。それより、うなぎを蒸すか蒸さないかは重要であった(過去形)
私はつい最近まで関東風の蒸した柔らかい鰻が好きだと思っていた。東京で食べるうなぎの殆どがこの作り方であるからだ。ところがある御仁からそれは関西風の美味しいうなぎを食べた事がないからだと指摘された。味のわかるその御仁のご高説もっともである。ならばと、娘の住む岡崎に向かい駅至近の「はせべ」という店で食した。待つこと30分、運ばれた白焼きと鰻重を食べた瞬間、私の浅はかさを恥じたのである。旨い。外はパリッとしていて中はふっくら、タレも甘すぎること無く、完全に私の想像を超える旨さである。。それ以来、蒸す、蒸さないで判断することはしないことにした。
関西と関東の違いは何からくるのであろうか。色々な本で調べてみると、うなぎそのものが一番の理由だったようである。例えば産卵のために川を下るうなぎと上るうなぎではその肉身は違うであろうし、四万十川のうなぎと利根川のうなぎでは違う。そこで背開きや腹開き、蒸さないうなぎ、蒸すうなぎと調理方が別れたようである。地産地消が一番ということらしい。
しかしながら、江戸前の蒸すうなぎが嫌いになった訳ではない。それはそれで美味しい店がある。東京もさることながら鎌倉の由比ガ浜通りにある「つるや」、辻堂の分かりにくい住宅街にある「うな平」は三指に入る旨さだ。特に「うな平」の肝吸いは素晴らしい。
豊橋に「丸よ」という店がある。豊橋はどうやら関東風と関西風の境界らしい。この店のうなぎは特別に美味しいということから別品=別嬪、べっぴんと呼ばれ、時代と共に意味が拡大し美しい女性を別嬪と呼ぶようになったと聞くが、なんともうなぎが転じたとは面白い。ここのうなぎは裏返して並べられる。何でもそのほうがタレがしっかりと掛かっていると見えるということらしいが、やはり見た目も大切、私はこれには賛同いたしかねる。
一度だけ海外でうなぎを食べたことがある。日本式のうな重である。食べたのは高級ブティックが立ち並ぶパリのサントノーレ通り。お昼時を過ぎたそのお店は比較的空いていて私たち以外に数組の客がいただけだった。東麻布に本店があるその店はガイドブックに載っている有名店である。日本と同じように三十分以上待って恭しく運ばれてきたうなぎを食して愕然とした。まるでゴムのようである。噛み切れない。たれやご飯は普通に美味しいのにうなぎが全然違う。あたりを見回すと、金髪を肩のあたりまで伸ばして指には数カラットもあろうかと思う宝石を身に付けた日焼けしたマダムが何も言わず美味しそうに食していた。あとで分かったことなのだが、どうも欧州のうなぎは日本の物とは種類が違うらしい。
うなぎには綺麗な水が必要といわれる。うなぎの臭みを抜くために一、二日その綺麗な水の中で活かしておくことが必要らしい。老舗のうなぎ屋には必ず井戸があってその水が大切な役目を果たすようだ。三島は富士の伏流水が市内至る所に流れていてこの水を利用してうなぎ屋が多いことでも有名である。偶然にも銀座からこの三島に終家(居だけでなく事務所も)を移した弁護士の先生がいることもあり、三島に出掛けることがある。というよりこのうなぎを目当てに仕事を無理やりつくっていると勘繰られそうであるが、私は三島広小路の「桜屋」が好きである。ここのうなぎはふっくらしている。そして臭みが例によって綺麗に消されている。店の裏手を覗くとこれから調理されようとしているうなぎが水色のプラスチックの大きな籠の中で元気に動いている。それを若い職人が数匹選んで調理場に持っていく。
世の中に天然もの礼賛の流れがあるが、私はこれに異を唱えたい。既出の東麻布の店でもまた横浜の某店でも天然うなぎを提供するが、恐ろしく値段が高い割上に脂が無かったり硬かったりとバラつきが多い。
渋谷に「うな鐡」という店がある。今は区画整理され綺麗になってしまったが、井の頭線の出入り口に程近い大衆店である。私の様な薄給のサラリーマンでも何とか食べられる店だった。この店はうなぎを水に付けて焼く、それによって無駄な脂が程良く落ちて、よく蒸したうなぎに近い味の物を提供する。千円で食べられるうな丼、今はどうなっているのだろう。
うなぎ懐石なる店がある。フランスのタイヤメーカーのランキング本にはこの手の店が星を付けて載っているが私に言わせればうなぎはうなぎである。邪道以外の何物でもない。
数十年前に私の車の師匠でもある翁に帝釈天の参道にある「川千家」に連れて行ってもらった。焼き方、蒸し方、タレ全てが私の好みだった。一辺で好きになった。小一時間待たされるのはご愛敬である。
老舗のうなぎ屋の中には予約の中々取れない店もある。浅草にある店もそうである。予約が取れないのは仕方ないにしても、あの無愛想な電話の応対は如何なものであろうか。人柄の良いご主人が焼くうなぎは辛口でさっぱりしていると、かの作家も書いていたのに残念である。神田明神下にある店も食わしてやるという気持ちが見え見えである。ごめん被りたい。
本店は神田にある「菊川」も好きである。近いので用賀の店に行くことが多いが、この店は最初から「うちは味の不安定な天然ではなく吟味した養殖物を使う」と明言している潔さも良しとしたい。特にお薦めは白焼き。
あーあ、お腹が空いてきたまだ九時だ。今日は墨田区に行く所用がある。帝釈天も程近い、よしと思う横から今日は時間がないと言われた。言われれば言われるほど食べたい。それがうなぎである。曼の意味を持つ、「つやつやのふっくらしたうなぎ」こそ「うなぎ」=鰻なのである。
最後に私が幼かった頃食べていたうなぎは「蒸さないうなぎ」だったことを補記したい。


2015年9月改訂




2014年3月3日月曜日

我が家の味

我が家では毎年ひな祭りの時に妻がチラシ寿司を作る。娘が生まれてからなので28年になる。岐阜に住んでいた時にデザイナーズブランドのテナントより貰った赤いノートに作り方と写真が貼られている。紙は黄ばんであちこちに沁みがあるが作り続けてきた勲章のようでもある。

一度、手抜きして作ったことがある。家族全員から「アレ?今年の美味しくないね」と見透かされた。それ以来、レシピに忠実に作っている。
私は外ではチラシ寿司を食べない。我が家のちらし寿司が世界一美味しいと思っているからだ。例え、専門の職人が最高の素材を集めて作るちらし寿司があったとしても我が家のそれを選ぶ。それが我が家の味だからだ。

妻はこの料理の時ばかりは気合の入れ方が違う。いつもは目分量なのに計量カップや秤で重さや分量を測り、タイマーを使って正確に調理する。
もっともその日のために前日の体調管理まで行うのだから普段の姿からは想像出来ない。

今年もそんな季節がやってきた。娘も嫁にいき長年の我が家の風習も終わりを告げるのかと思いきや、嫁に行った娘達も里帰りした。パリに行っている息子からもちらし寿司の催促がきた。よって妻は徹夜で9つのお重をチラシ寿司で満載にすることになった次第である。


2013年12月26日木曜日

饂飩ください

吉田戦車の漫画で喫茶店の入り口で店の人に向かって、何故か「うどんください」という作品が頭から離れない。良くも悪くも「饂飩」と言う漢字を頭のなかに刷り込んだのだから。

群馬県はうどん県である。小麦の消費が多いということだろうが、戦後、小麦は安価な食料だったのだろう。小麦を使った食品も多い。

今ではうどん、イコール讃岐のように、ツルツル、シコシコのあの讃岐うどんがうどん王国の代表として広く人口に膾炙しているが、私の生まれ育った街のうどんはそんな代物ではなかった。屋号の最初に番号のつく山本といううどん屋が市内にいくつもあった。稚心に暖簾分けという仕組みを初めて知った。番号が変わるから暖簾は使えないのにと思ったことを覚えている。そんな店で出されるうどんは製麺機で作った何の変哲もない中庸なうどんだった。味も覚えていない。ただ、「ひもかわ」という、のっぺらで薄く伸ばした別のうどんがあった。物心がつくかつかないかというころ水上の鹿野沢というロープトウがひとつあるだけの小さなスキー場に初めて連れていかれた。食堂で母に何が食べたいのか聞かれ私は「ひもかわ」と答えた(つもりだった)。しかし出てきたのは、きなこにたっぷりまぶされた「あべかわ」で、私はたいそうガッカリしていたそうな、そんな思い出もこの「ひもかわ」にはある。

私の家から徒歩3分、自転車で1分のところに次郎長といううどん店が出来た。小学校の高学年の頃だった。手打ちというだけあってコシがあり、ツルッとしていて今までのどのうどん店のものとも違っていた。それ以来我が家はここ次郎長のうどんが定番となった。
中でも私のお気に入りは力うどんだった。少し濃い目の東京風の出汁にほうれん草と天カス、そして焼き餅がのっていた。中学の時、あの厳しいバスケの練習を乗りきれたのもこのうどんのお陰かもしれないと今は密かに思っている。

長さ90センチもある麺棒、のし台、麺きり包丁も持っている。私は手打ちうどんに凝っていた時期がある(過去形??)。 コシを出すことはさほど難しくない、良い小麦を使い、塩と水の塩梅を加減し、しっかりと踏んでやればいいのだ。だから出汁がなければ麺としてほぼ完成したが、出汁となるとこれがまた難しい。いりこやアゴで出汁を取ってみるが中々、麺との相性が上手くいかない。この相性というのが曲者である。自分の打つ麺が何者なのか分からぬものに、それにあった出汁をひけるはずもない。このところ半ば諦め、用具一式は押入れの肥やしになっている。

そうそう喫茶店でのうどんの話。実は桐生にはうどんを売っている喫茶店がある。喫茶店やスナックでうどん下さいと言うと、ちゃんとうどんが出てくるのだ。ただし、それは出汁のない焼きうどんです。





2013年12月20日金曜日

今こそ主役  目玉焼き


今でも卵料理が好きだ。数多ある卵料理の中で目玉焼きというのはいつも脇役、カニ玉のように宝塚歌劇団のような豪華絢爛さも、おでんの玉子のような、しみじみとした郷愁を誘う演歌の風情もない。ただ私達のそばにいつもいる。
あるときスタッフのA女史が「美味しい目玉焼きってどうやって作るんですか?」と私に訊ねてきた。いやはや、そんな質問を待ってたのよーんとばかり、内心、心躍る興奮を悟られぬように「ん、まず焼き方だね」とコホンと咳の一つもしながら冷静沈着を装い説明をした。
実はテレビのある番組で有名な料理評論家が日本一美味しい目玉焼きの作り方を披露していたからだ。目玉焼きの名誉のために断っておくが、世の多くの目玉焼きは心をこめて作られてはいない。おいしい目玉焼きをつくろうと思って作られる目玉焼きが果たしてこの日本にどれぐらいあるのだろうか。
フライパンは中火、熱くなったら少量の油を入れる。私は、なたね油にした。油をフライパンにまわして、真ん中に玉子を割り入れる。パチパチ音がして、周りがカールしそうになったら弱火にして、箸で白身をつついてフライパンに白身の新しいトコロを触れさせる禁断の儀式だ。その時、間違っても蓋をしたり、水を入れてはいけない。黄身が白く濁って白内障(白内障の人ごめんなさい)のようになってしまう。ここは辛抱が肝要。そして黄身に薄い透明の膜ができて、こぼれないようになったら出来上がりだ。白身のまわりは香ばしくうすい焦げが出来ていれば完璧だ。私は出来たてに白胡椒と塩少々をお好みで用意する。間違っても黒胡椒であってはならない。




2013年12月18日水曜日

肉々ひい肉 茄子の蒲焼き 仙台麩

肉じゃないのに肉であると主張する食材がいくつか存在する。私の育った隣街(戦前は中島飛行機の製作、戦後は自動車で有名になった)にはとんでもない、うな重が存在する。色形、匂いまで鰻そっくり、蓋を開けてもやや太めの鰻と見紛うものが重箱の真ん中にドーンと置かれている。箸をつけ持ち上げるとタレを含んだその身は鰻より重たい。口に運べばよく蒸した鰻のようではあるが、あまりにフニャフニャで柔らかい。噛んでみるとそれは鰻とは別物だ。だって茄子だもの。

我が家では筍の季節になると仙台麩を用いて煮物を作る。筍というヤツは季節が少しでもずれると市場から全くなくなるのに、その一時期には貰い物が集中する。色々なところから4.5本も頂くとエグみが出ないうちに調理しなければならないから大変だ。最初の頃は刺し身や若竹煮で崇められ食べていてもすぐ飽きが来る。そうすると我が家ではこの仙台麩とのコラボレーションの登場となる。

仙台麩は長い木に巻きつけ焼き上げる。焼き上げた麸を何と容赦なく油で揚げてしまうのだ。麸の神様がいたに叱られそうだが、この傍若無人の行為によって、麸は肉に変わるのだ。少し濃い目に味付けされた仙台麩はまさに肉である。肉より、肉々ひい肉・・





2013年12月12日木曜日

舌の表現者 平松洋子

この通りの健啖家であるからして食に関するエッセイを読むというより、片っ端から貪り食うている感がある。断っておくが決して美食家などではない、ただの食いしん坊それだけである。
売れっ子のK.Mさんという女流作家も食に関する文章を書くが、私には腑に落ちない。無理やり好きなふりをして書いているように感じるからだ。彼女は食より飲に興味があるのではないかしらんと思ってしまう。その女流作家が開高健氏のエッセイをべた褒めする。確かに氏のものは迫力もあり、氏の食に対する興味がヒシヒシと伝わってくるし、その博覧強記ぶりは知識の獲得という面では大層役に立つ。ロマネ・コンティ1935なんて飲んでいなくてもその素晴らしさがじわじわと伝わってくる。しかし、氏はゲテモノまで食の対象としているため、気とお腹の弱い私などはたじろいでしまう。
そこへいくと平松洋子さんのエッセイは庶民的だ。アマゾンやメコン川まで行ってナマズを食べるわけではない。神保町や須守坂で用が足りる。用が足りるからと言って彼女の食のアンテナが凡庸かと言うと違う。大変デリケートで敏感である。我が家では「寝る前の平松洋子」という決まり事がある。私同様食べることが大好きな息子は平松洋子の食のエッセイを読んでベッドに入ると何か幸せな気分になれるのだと言う。だから彼女のエッセイはすべて持っている。このところ食に関するエッセイ以外に本や物に関するものを書いていたが、最近また食に関するエッセイを発表した。題名は「ひさしぶりの海苔弁」である。挿絵は安西水丸氏。表紙一面の漆黒のイラストが興味をひき起こす。へそ曲がりで理屈屋の息子ではあるが仕方あるまい。中学生の頃より、ラカンやドゥルーズ、デリダ、西田幾多郎、和辻哲郎などを読んでいた早成であるからして、彼の真贋を見抜く目はこの老人をしても慧眼と言ざる得ない。村上春樹氏の小説も首を傾げる息子も、このエッセイは黙って二階に持っていき、彼のベットサイドに鎮座することになるであろうと密かに期待をしている。それにしてもヨウコさんというのはどうして食いしん坊で美食家で料理上手なのだろう。偶然とはいえ恐れ入谷の鬼子母神である。









2013年12月6日金曜日

味の多面体 八十八の鰻

味の多面体 八十八の鰻

表題のような誰かの本を読んだことがある。まあその話は余談にして、鰻について以前つれづれと書きしるした。その時、横浜の老舗「八十八」の復興が待たれるとしていたのだが、この春に八十八が二店舗一気呵成にこの復興を果たしたのである。
実はここには偶然の偶然が関係している。私が「八十八」を知ったのはつい最近山口瞳著「行きつけの店」という本の中である。この本は鎌倉の古本屋で見つけた。簟戸に戻り頁をめくると最後に筆で花押のような元気なサインがあった。そのサインが目的で購入した訳ではなかったし、本は至極まっとうな価格であったのでなんとなく得をしたような気分だったことに気を良くしてその事を友人に話すと、何と友人は山口氏の水彩画を持っているという。友人は大手のカード会社に長らく在籍していて、氏はカード会社で発行する紙面にコラムを寄せていたようである。そんな縁でその会社のロビーには山口氏の関連する書や水彩画などが飾られていたとのことである。ところが組織というのは突然消えてしまったり、生まれたりする。そんな憂き目で氏の絵は散逸する寸前のところで友人に助けだされたという顛末だった。
そんなことをブログに書いていたら、どこでどうしたのか八十八の関係者の目に止まったようである。私のところに店の復興を祈願する期間限定のイベントのお誘いが届いた。昨年の春の話だ。場所はゴールデンウィークでごったがえす横浜球場である。もちろんノコノコ出かけ「もうこれ以上は無理というギリギリの辛口の極上鰻」を食したのである。
鰻は関東風が一番だと思っていた。その考え自体は変わらないのだが、ある発泡酒のイベントで京都出身の方とお話する機会を得た。そのイベントでも主催者側の奨めるそれより、自らの舌と好みを公言して憚らないあたり並の方ではないと思っていたが、案の定、京都でこだわりの豆腐を作っておられる経営者であった。関西はもとより関東の大手スーパーでもその豆腐は販売されているし、組合の理事も務められているようであるから食の専門家エキシスパートであった。その方と鰻の話をした時、やはり、鰻は蒸さないほうが美味しいと言っていた。その時はそれまでの食習慣や文化の違いかと思ったが、よく考えてみると、私はほんとうに美味しい蒸さない鰻をたべたことがないのではないかと思うようになったのである。ロースよりヒレとつい最近まで思っていた、あの35年の不覚と同様だ。逆にあの方もほんとうに美味しい蒸した鰻を食べたことがないのかもしれない。文化の不通とはしばしばそういう時に起こるものだからである。だから私は美味しいと聞けば蒸そうが蒸さすともまず行って食べてみることにしたのだ。
昨日、八十八のうなぎを食べて、あらっと思った。頭のなかで配線が繋がったような気分だった。八十八の鰻はザラメを入れない。醤油と味醂だけである。だからタレは相当に辛い。辛い鰻が駄目という人には無理だろう。ただし、塩っぱいということはないからご安心あれ。食べながら過去にたべた鰻の味を思い出していた。野田岩、川千家、宮川、菊川、櫻屋、つるや、島むらなどなど、とりあえず舌の記憶に新しい川千家、つるやと八十八を頭のなかで比べてみた。タレの辛さは八十八>つるや>川千家の順である。おそらく。そして蒸し加減、つまり柔らかさは川千家>つるや>八十八の順番になる。見事なまでにタレの辛さに反比例している。
私が美味しいと思っているこの三軒はタレと鰻の蒸し加減を自らの経験に寄って調和させていたのである。私は唸った。美味しい蒸し鰻を食べたことがないと言う人はこの調和が取れていない鰻を食べたのではなかろうか。柔らかく身が崩れそうな鰻に辛いタレではタレを食べているようだし、蒸しの甘い鰻に薄いタレでは負けてしまう。経験によってのみ知識は集約し価値を生み出すというが鰻とてあながち間違いではなさそうである。
そう、料理は多面体なのだと一人悦に入る私である。








2013年11月26日火曜日

王様の食事

王様の食事

作家の好き好きというのは人によって分かれるものであろう。同じ紀行文でも沢木耕太郎と開高健ではまるで違う。沢木氏が精密機械の設計図のように事実を丹念に掘り下げ物語を紡いでいるのに対して、開高氏のそれは自らの興味のある部分とそうでない部分がはっきりしていて、そのストライクゾーンに当たると文章は堰を切ったように溢れ出してくる。開高氏が美食家であったことは既知であるが、サントリーの共通項で括れば山口瞳氏も同類である。この二人何が共通しているのか著述を思い返しながらつらつら考えてみると、二人共恐妻家だったらしい。なるほど開高氏がアマゾンやアフリカの地の果てまで何かを追い求めて探検した気持ちが分かったような気がする。もっとも山口氏はそんな秘境には行かず専ら祇園や銀座のジャングルに繰り出していたようであるが。

開高氏は食のエッセイの中で菊池寛を引き合いに出し、王様の食事という章で「食べるとあとからあとも形もなく消化されてしまっていくらでも食べられるものがご馳走なのではないかしらん」と言っている。そうです食べると***になる食べ物が良い食べ物だと言っているのです。食事中の方も居られるかもしれないので***と称したが、氏は文章の中でしばしこの***を多用している。ベトナム戦争に従軍し、米兵がベトナムの少年少女を虐殺する惨事を見てきた氏だけに、氏の***には人間の生きることの本質を彗眼しているような気がする。
そんな氏にここの料理は***が出る食べ物だと最大の賛辞を頂戴した宿がある。それが越前にあるこばぜ旅館である。氏はここに逗留した際に何が所望か尋ねられた宿の主人に「カニ」とだけ答えたようである。夕餉は当然のことながら旬の越前ガニの刺し身、焼きガニ、しゃぶしゃぶが供された。翌日、何を出そうか困り果てた主人が思いついたのが、当時は安かった越前ガニのメスの身や腹子など全てをご飯の上に山盛りにしたどんぶりだそうである。それを氏は一気にかっこみ完食し「うまい」と言って箸をおいたそうである。それ以来その宿に来ると必ずそのどんぶりを注文し、今ではそれを開高丼と言われ名物となったようである。

ジビエなどでもそうであるがメスよりオスの方が味が濃いのが一般的である。しかし、メスにはオスにない身の柔らかさや蟹に至っては卵がある。その辺りが氏の琴線を触れたのかもしれない。私はこの旅館にいつかは行きたいと思っている。しかし、漁期は二ヶ月に限られ、横浜からどんな交通手段を使っても相当の時間が掛かる。私にとって夢を見ていれば着いてしまうロサンゼルスやパリより遥か遠い地なのである。そんなこんなでまだ行けずじまいなのである。
ところが活きたセコガニを送ってくれるところがあると情報を得た。ネットワークの時代万歳である。もっともそんな時代だから多くの海産物、農産物を売っている。しかし時としてとんでもない一品を送られてくることもある。過去一度、日本海の牡蠣を頼んだことがある。いくつかのお店をまとめて注文と配送をそのショッピングサイトが請け負う仕組みのやつである。送られてきた牡蠣は身が殻から溢れるほど長時間揺られ、蓋を開けてみたら身が流れだしてしまった。もちろん生食では食べられるはずがない。それ以来、直接の送り手が見えないところから買うのは止めている。
今回購入したのは鳥取漁港に船を持っているレッキとした猟師さんである。船の名前は弁慶丸。蟹だけに縁起のいい名前だ。それとこの猟師さん脱サラで漁師になったと書かれていた。かねてより色々な職種の人が交雑することは良いことだと思っている。閉鎖的になりがちな世界に新しい刺激を与えるからだ。事実、この猟師さんはメールが苦にならないらしい。時化で漁に出られないとか、港に寄港していない船があるとかメールで送ってくれるので、待っている身としては大変ありがたい。そんなことも脱サラ猟師さんならではあるまいか。

閑話休題。送られてきた発泡スチロールの上に宅急便の配達者に分かるように生き物なので丁寧に扱って欲しい旨の文章が添えられている。なるほど前回の牡蠣ももしかするとそうした事故だったのかもしれないと思い返しつつ、蓋をあけるとおおぶりなセコガニがザワザワ、ガシガシ・・・元気に剽軽な目玉を上に下にしながら様子をうかがっている。
神様仏様、殺生をお許し下さい、ナンマイダブと唱和したあと、甲羅をやさしく洗い、脚を縛り甲羅を下にして蒸すこと18分、蓋を開ければほのかな磯の香りと果物のような爽やかな香りが立ち上がる。妻と二人で10匹の蟹から身や内子、かにみそを取り分け終えた頃、ピィーと新米が炊きあがったよとの合図。熱々のご飯を器に盛り、これでもかと蟹を盛り付ける。蟹の汁と醤油を合わせたものをどんぶりに少し掛けて何も言わずかっこむ。ひとくち、ふたくち、家人達は何も言わず、ただ、うんうんと相槌をうっている。六年間の大学生活最後の試験真っ最中の息子もこの晩餐の事を知って早く帰ってきている。息子の顔にも笑みが溢れる。旨い。何も表現できない。ただ、旨いのだ。中々も鳥肌の立つ旨いものにはあたらないが、今日は別。それくらい旨い。こばせ旅館では洗面器のような器にセコガニ7匹使うと言っていたが、10匹を三人で食べてもまだ余るほど、身がいっぱい詰まっていた。 ダイエット中の息子ではあったが二杯目に突入したことは言わずもがなである。

翌日も余った蟹に日本酒とみりんを加え玉子焼きにした。お弁当にして三つ葉を散らし、私の朝ごはん。これまた旨い。卵のプチプチした食感とねっとりした蟹の身が卵と相まって至福を味あわせてくれる。まさに王様の食事である。











2013年11月21日木曜日

ワインの話

ワインの話

 恵比寿の路地裏で店を15年やってきた。当時の私は日本酒やビールの味はそこそこわかっているつもりだったが、ワインとなるとからきし駄目だった。それでもバブル景気のせいかお客からワインを聞かれることも多くなっていた。もちろんそれ以前にもワインは飲んでいたがいつも頭の痛くなるような酷いシロモノばかりだったのでワインに対する印象は悪かった。
 そこで意を決して日本橋の高島屋に行きワインを買った。当時8千円近くしたと思う。買ったワインはシャンベルタン。ブルゴーニュの赤ワインである。何故このワインを買ったか。それは名前がかっこよかったからである。他のものは舌を噛みそうで頂けなかったからだ。当時はデキャンタージュもマリアージュもあったものではない。帰るやいなやコルクを開け、小さな安物のワイングラスに注いで飲んでみた。色も薄く、香りも感じられない。ちょっと酸っぱいような変な味だった。どこが良いワインなんだと勧めた店の人を恨んだ。そのような経験が災いしてか店で置いたのはオーストラリアのワイン、値段も手頃のワインが多かったが、本当に美味しいとはあまり感じられなかった。

 それからしばらくして二人のワイン通からカリフォルニアワインを教わった。リーズナブルなのにハズレがない。特にシャルドネの白ワインはさっぱりしたものから、重厚でこくのあるものまでバリエーションもあって飽きが来ない。それにひどい二日酔いもなくなった。今も冷蔵庫とセラーにはこのカリフォルニアワインがいつでも抜栓できるようにスタンバイしている。

 ある三ツ星レストランに行ったときに、それぞれの料理にワインを合わせてくれた。ランチだったので料理は9千円以下だったと思うが、ワインがその料理と同額だった。前菜で供された貝の料理に合わせられたのが20年もののムルソーだった。貝を口に運んだ後にムルソーを飲むと石灰質の土壌から吸い上げられたミネラル分が口に残り何とも言えない美味しさが広がった。そしてメインの魚料理にはカリフォルニアのシャルドネが合わせられた。ジャッジだった。先ほどのムルソーとは違う酸味もあり力強さと濃厚な味が肝を使ったソースと絶妙の火入れされたマカジキと上に載せられたホウズキの酸味と絶妙にマッチしていた。なるほどワインとは料理によってここまで味が変わるのかと三つ星レストランの凄さに驚嘆したものだ。それ以来、このワインはどんな料理とあうのかといつも考えるようになった。

 ワインは講釈より飲んでみなければ分からない。講釈は要らないという人がいる。確かにそうだと思う。でもワインを知ることはちょうど何故勉強しなければならないのかという問に似ている。そう勉強というのはいつ使うか分からないような無駄な知識を頭に入れる作業だからだ。無用なことはしないという合理主義者ならば別だがこの歳にして思うのは人生とはその無用なことが肝要なことのような気がする。ワインのラベルを見てそのワインが生産されたぶどう畑をイメージして、収穫された時の気候や温度、景色の色まで想像してみる。確かにカリフォルニアはとてもわかり易い。決して劣るとかという話ではない。ただそれに対してブルゴーニュは難しい。ブルゴーニュで美味しいワインと出会うのは10本に1本、いやいや100本に1本かもしれない。それほど飲み頃や相手(食べ物)を選ぶ。でもそれが魅力であるのも事実。難しいからこそ最高の一杯に出会った時の感激は言葉では言い表せない。天然の採ってきたばかりの舞茸を天ぷらにして合わせたボーヌロマネの美味しさは4年たっても口の中に残っている。








2013年11月13日水曜日

舌の記憶


私の好きなビストロでのディナーは大変満足のいくものであったがワインについては己の経験と知識のなさにやや自己嫌悪に陥った。ソムリエ殿には大変申し訳無いがワインというのは好き嫌いがある。その好みまで観慮してワインを選ぶということはなかなか難しいのであるからソムリエ殿に文句をつけることではない。私が拘っていたところは鴨というジビエひとつとっても季節、その調理法によって選ばれるワインが異なってくるということだ。実は美味しい料理を楽しんでもらいたいとの一念から前々日に鴨を料理し相性を確かめてみたのだ。野生の鴨は入手困難だったので京鴨を用いた。骨もないので軽くローストしてキャトルエピスで味付けした。

フランス料理のワインとの相性ではそのソースに近いワインを選ぶという基本がある。ところが当日作ったものはローストで鴨の味が直接舌に来る。この場合には開栓したばかりの南ローヌのグルナッシュではバランスが取れなかったのだ。翌日、一日置いたそれはかなり相性が良くなっていたがまあまあという出来栄えだった。
そこで私はやはりサルミソースのコクを考え、ブルゴーニュのシャッサーニュモンラッシ・プリミアクリュを選ぼうと決めていた。このワインは高年齢の樹木を用いるため輪郭がはっきりしていて落ち着いている。ところがどうだろうそのワインは品切れとのことである。その代わりに選んだのがシャンポールミジュニー2011である。ミジュニーらしい薄明るい液体は果実もあり滑らかであるがいかんせん若すぎる。恐らく樹齢は20年も経っていないのではないか。ミジェニー村はぶどうの病気によって多くの樹木を失っていたからだ。それとあまりにも早く供されたため魚のサーブの時にこのワインが注がれる始末だった。これはいけない、ワインは全く料理とかけ別の味わいとなって胃袋に消えてしまった。

メインの青首鴨のサルミソースが運ばれてきた時にはワインのグラスは空なっていた。しかたなく、ジゴンダスを頼んだ。グルナッシュらしい軽さと渋さが口元に残りローヌらしい力強さを感じたが如何せんフルーティ過ぎる。鹿肉には良いだろうが、この店のサルミソースは軽く仕上がっているので相性は今ひとつだった。やはり強すぎるフルーツ香が邪魔をする。

何故そうなのかと少ない経験と虚ろな頭のなかから昔のページを紐解いてみる。今から5年前にカンテサンスで鴨を食していた。その時のメニューはシャラン産鴨のロースト島らっきょソース、鷹が峰とうがらし添えというものだった。季節は8月。そうさっぱりとした家禽に近い鴨を軽めのソースで仕上げたものだった。これにソムリエが合わせたのが先ほどのシャンポール・ミジェニーだった。そうか私の試験は間違っていなかったのだ、だからローストのようなさっぱり軽めにミジェニーを合わせていたのだ。ということは少なからず肉の個性の強い青首鴨のサルミソースにはよりはっきりとしたワインのほうがあうということだ。グルナッシュを一晩寝かせたような滑らかさ、数年前、天然の舞茸に合わせて供されたワイン・・・・そうやはりピノ・ノワールしかない。あの時のボーヌロマネのように・・今閃いた・・・








2013年10月31日木曜日

TENTATION DE JIBIE

正式にはgibierではなくsauvageです。何故ならgibierには一定の条件下で飼育された獣肉も入ってしまうためで戴いたこれは正真正銘の野生だからです。
フランス語で鹿はcheveuil=シュヴルイユといいます。野生の肉の中でもすぐに血抜きしないと血が回ってしまう扱いの難しいものなのですが、我が家にはこの季節になるとこの嬉しいこの贈り物が届きます。もちろんこれとてご主人のハンターの腕のなせる技でしょうが、
この美味しい贈り物を届けてくれるのは黒のラブラドールを飼っている横浜在住のご夫婦です。セプとさくらに感謝。犬がいなければ出会えなかった縁だからです。
ご主人が狩猟し、奥様がそれを捌くというなんとも仲睦まじいご夫婦であります。
昨日も新鮮な蝦夷鹿のもも肉と貴重な心臓を戴き、家族で美味しく食べさせていただきました。
飼育された獣肉との違いは何と言ってもその肉の持つ生命力です。肉を噛みしめれば今まで生きていたその動物の命を感じます。私達がいかに多くの動物達の犠牲の上に成り立っているのかつくづく考えさせられます。それだからこそ骨まで大切に味わいたいと思うのです。
ということで今回は蝦夷鹿のもも肉のグリエのレシピです。もし手に入ったら是非チャレンジしてみてください。秋の深まりとともにこのジビエでとったフォンは格別でありますから。

蝦夷鹿のもも肉のグリエ

■用意するもの■
蝦夷鹿もも肉 塊、蝦夷鹿の骨、クズ肉
香味野菜
セロリ、人蔘、エシャロット、タマネギ、パセリの茎、にんにく、ローズマリー、タイム
お酒
赤ワイン、ポルト酒、ブランデー
調味料
塩、胡椒、キャトル・エピス、バルサミコ酢
その他
バター、網脂、ピーナッツオイル
付け合せ
きのこ各種、じゃがいも、根セロリ

■作り方■
①    血や筋を掃除した肉に赤ワイン、香味野菜(半量)を入れ一晩マリネする
②    骨、屑肉、香味野菜(半量)にピーナッツオイルを掛けてオーブンで焼く
③    大鍋に半量の水を入れ②をこそげ落とすようにして入れて、灰汁を掬いながらよく煮込む
④    ①の一晩マリネした肉を取り出し、水気を拭きとり網脂をかぶせる
⑤    ①のマリネした野菜、ワイン、さらにバルサミコ酢を大鍋に加えさらに煮込む
⑥    煮汁が1/3程度になったら野菜や浮遊物を漉す。これでソースの基本が出来上がり。
⑦    千切りにしたじゃがいもと根セロリに塩コショウしピーナッツオイルで片面ずつ焦げ目がつきカリッとするように炒める。
⑧    きのこはバターでさっと炒め塩コショウしておく(肉が出来上がる寸前)
⑨    網脂の上からバターを塗り、塩コショウ、キャトル・エピスを振り、肉の表面をさっと色づく程度にフライパンで焼く
⑩    肉の上にステンレスのボウルなど被せて10分休ませ、次に200度のオーブンで5分焼き、さらに同様に被せて10分休ませる。これを5回から6回繰り返す(肉汁が出なくなって肉が膨らんできたら出来上がりです)
⑪    ⑥の基本のソースにブルベリージャム、ポルト酒、ブランデーを加えアルコールを飛ばし、バターを加えモンテする。最後に塩コショウで味を整える。(ジャムはお好みで加減してください)






2013年9月24日火曜日

極上のステーキを


この頃、さしの多い牛肉のステーキより赤身の方が好みです。この傾向はお肉に限ったことではなく、お寿司でも中トロや大トロより、赤身の方が好きですし、マグロよりも白身の魚に目がありません。

ところがこの極上の赤身の肉というのが中々手に入りづらいものなのです。色々な店で購入しましたが、筋が多かったり、肉が硬かったりと思うような肉を手に入れることが出来ませんでした。

一度、接待で銀座の「かわむら」に連れて行ってもらったことがあります。あの時の衝撃が今でも忘れられません。赤身でありながら柔らかく、そしてレアなのに血は落ちない。噛めば肉本来の旨みが凝縮し、それでいて喉越しも良くすっと胃に収まって行く。そんな素晴らしいステーキでした
2年ほど前に岐阜の潜流を再訪しました。20年ぶりの邂逅です。出されたステーキも飛騨牛のもので美味しかったのですが、私には少々脂が多すぎたと感じました。

海外のステーキ店も良く行きます。アメリカのステーキはほとんどがアンガスビーフなので赤身が多く私には合っているからです。ところが店によって焼き方が違うため食感や味も変わってくるのです。ワイキキのハイズではキァベという香木でいぶしたステーキが有名です。また、BLTは同じアンガスビーフでもカナダで育てられたビーフを使うので食感も異なり、いくぶんこちらの方が柔らかく上品かもしれません。

そんなこんなで美味しい赤身を探していたら、日本にも熟成肉のブームがやってきました。そうなのです赤身こそ熟成肉が最適なのです。そんな事を喜んでいたら、そのブームの火付け役ともいえる「中勢以」が田園調布にオープンしたのです。小石川にも同店はあってそちらではイートインもあり、店で購入したお肉を調理して食べさせてもくれるようです。

そしてやっと昨日、田園調布まで行ってきました。購入したのは外モモとシンシンと言う部位です。
シンシンというのはシンタマと呼ばれるその真ん中の部分です。この二つを食べ比べる事にしました。
ここで断っておきますが、よいステーキを焼くコツというのは良い肉を手に入れること、厚さは3センチ、ある程度の塊(300グラム以上)の肉であること。そして時間を掛けて丁寧に焼く事です。
ステーキといえどもこのあたりはフランス料理の低温調理と通ずるものがあります。
3つ星のカンテサンスの岸田シェフが作るメカジキのポアレも手間と時間を掛けて休ませながら調理していくため、肉質は柔らかく、ほのかな甘みも備えています。
肉を切り分けてもらう際、職人さんは定規で3センチになるように包丁を入れました。さらに肉を丁寧に不要な部位を取り除き正味で提供してくれるのです。そう考えると以外と安いかも知れません。
外モモは醤油との相性が良いと言う事で、みそたまりと醤油を併せた調味料を作ります。シンシンの方は軽い塩コショウです。
まず、熱したフライパンに牛脂を入れて溶かします。不要な脂をフライパンから取り除き、肉の表面にさっと焼き色をつけます。このときに肉汁が出るようでは駄目です。肉をすぐに取り出しパットの上で休ませます。このときボウルのようなもので覆いかぶせるとゆっくりと温度が下がっていくために旨みを逃しません。

200度に余熱したオープンの下段で5分焼きます。そしてまた肉を取り出してボウルを被せて休ませます。これを4回繰り返します。そして休ませた肉の表面をフライパンでもう一度温めます。
お肉を焼くだけなのですが時間にして1時間近く掛ります。でも最上のステーキになる事は間違いありません。

自画自賛ですが、皿のどこにも血が残っていません。表面は香ばしく、肉のうまみがギュぅっと詰まった素晴らしいステーキの完成です。皆さんも如何ですか?こんなに美味しく出来るなら銀座まで出掛けなくても十分です。外モモもシンシンもどちらも美味しいのですが、柔らかさ、雑身の無さ、そして香りも含めてシンシンのファンになりました。息子が無言になるときは美味しい証拠です。
そうそう、ただしこのお店カードが使えませんのでそれだけはご注意ください。いや、久々の感動した食材との出会いでした。








2013年9月6日金曜日

鎌倉 Party Style 鎌倉風「カチェッコ」

鎌倉で大人数で集まる時、よく作る料理があります。アクアパッツアに似ていますが、リボォルノ風ということで「カチェッコ」と言います。二つの違いはトマトが入るか否か。あとはほとんど同じですが、海の近くでハマグリがとても安いので私はこのハマグリをいれたりして勝手に色々と私風に変えてしまっています(笑)魚はその日によって異なりますが、出来る限り鮮度が良くて旬な物を選ぶことにしています。私は自転車で3分のところにある魚屋さんで選ぶことにしています。写真はアマダイです。アマダイは古くなるとヌメリか多くなるのですぐわかります。ホウボウの時もあります。新鮮なホウボウは胸鰭の模様が綺麗で青い点がハッキリしています。もちろんどちらも目は透明で濁っているものはよくありません。皆さんも海辺の生活を楽しむなら是非試して見て下さい。本当に簡単で美味しいですよ。そして良く冷えた美味しい白ワインもお忘れなく・・・

鎌倉風カチェッコのレシピ

用意するもの
ホウボウ1尾、ハマグリ(10個)トマト(中ぐらい)8個、ニンニク(1片)、セロリの葉、パセリの茎、セルフィーユ、イタリアンパセリ、EXバージンオリーブオイル、白ワイン、岩塩、胡椒、レモン


(ハマグリは塩抜き、トマトは蔕を取り水洗い、ニンニクは芯をとる、パセリの茎は糸で結ぶ)

☆ホウボウの鱗と内臓を綺麗にして、身に包丁を入れ、水気をよく拭き取り、塩をふる
☆30分放置し、水が出てきたらその水をペーパータオルで拭き取る
☆フライパンにオリーブオイルを入れ、低温からはじめニンニクの香りを移す
☆ニンニクの香りが出たらニンニクは取り外す
☆魚の両面を軽く押しつけるようにして、皮目を焼く(焼き過ぎには注意)
☆セロリ葉、パセリの茎、トマト、ハマグリを入れ火を強めて、白ワインを魚の1/6程度まで入れ、同量の水を加え、岩塩、胡椒をして蓋をして、さらに火を強める(一番強く)
☆魚に火が入ったらセロリの葉とパセリの茎を取り外し、大きな皿にもってから、軽くオリーブオイルを魚に掛け、イタリアンパセリを手でちぎり魚にふりかける
☆食べる時に好き好きでレモンを絞って食べる















2013年8月1日木曜日

バジリコスパゲティ

バジリコスパゲティ

1970年代も終わろうとしていた時、田舎から上京した若者は六本木の外れでアルバイトをしていた。東京の右も左も分からぬまま都会の魔法陣の真っただ中で一人うつむきながら来る日も来る日も皿を洗っていた。
その日は珍しく早く終わって駅に向かう途中だった。ビルの谷間に夏の風が匂いを運んできた。何の匂いなのか分からぬまま、ただ生ぬるい夏の風は人々の欲望と快楽をひとからげにして街を彷徨っているようだった。まるで死者のように。そして夜の帳が重く滓のように重なっていく。
青年が働いていた店の近くに高級外車が夜な夜な集まり、派手なドレスを着た女性たちが降りたつ店があった。その店は地下にあった。青年は灯りに誘われた虫のように初めてその店の細い通路のような階段を下りて行った。店の中には先程のドレスの女性たちが談笑している。相手の男性は誰もが瀟洒な身なりで青年とは違っていた。女性のドレスは赤、青、黄色と原色の花のようだった。赤い口紅とマスカラが同じでどの顔も同じように見えた。ただ女性たちの目は笑いながらも、肉食獣が獲物を前にして舌舐めずりする鋭い眼光が奥に潜んでいた。男性の顔は見えなかった。照明が逆光になりところどころ照らされてはいるが全体が掴めない。青年は何とか見ようと目を細めてみるが見ようとすればするほど全体が分断されていく。最後には断片となった鼻、目、口、耳がバラバラと崩れて行く。ゲシュタルト崩壊。青年はすんでのところで店に入らずに済んだ。
それから20年、青年は歳を取り、家庭も持った。子供も生まれた。そしてあの店のテーブルに座っている。周りの人の顔がよく見える。メニューにあるバジリコのスパゲティと白ワインを注文した。運ばれてきたスパゲティの上にバジリコの葉が添えられていた。バジリコ以外にもパセリと大葉が使われていたが、傍目には分からない。あの時顔の分からない男性が食べていたものがこんな味だと20年経って初めて知った。店を出ようと会計を済ませるとまだ年端の行かない若いジーンズ姿の青年が驚いたように目を見開きこちらを見ている。青年はふと我に返ったように足早で階段を駆け上がって行ってしまった。



出店 飯倉片町「キャンティ」