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2011年9月22日木曜日
台風一過 我が家の場合
台風15号が首都圏を直撃しました。皆さん大丈夫でしたか??
私はかろじて直撃の少し前に東名で帰ることが出来ましたが、豪雨のため陥没した所では軽自動車が立ち往生していました。こういうときゲレンデは威力を発揮します。
妻は田園都市線が止まったため東横線で綱島よりバスで帰宅しました。娘は5時過ぎに帰宅指示が出たとのこと、横浜線も一部運休のためララポまで迎えにいきました。
道路の真ん中に大木が倒れていたり、枝が落ちていたり大変なありさまです。
私の前を走っていた軽自動車はハンドルを切ったとたん風にあおられて片側が浮いてしまいました。なんとか転倒は免れましたが、くわばらくわばらです。
息子は本郷から身動きも取れず、田園都市線が開通したのが夜9時過ぎですが、よくあの猛烈な混雑の中帰ってきたと感心しました。
自宅の被害は一度も使っていないガスBBQコンロのガラス扉が割れた事位ですが、鎌倉と逗子は8時間以上の停電だったようすですから、付けてきた冷房が止まっていないか心配です。
何せ黴の培養していましたから(笑)
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ところで今日は月例の税理士さんとの打ち合わせです。今年も震災の影響はあったものの全体としては好調で、昨年仕込んでおいた節税が功を奏しそうです。
この先生の私が感心するところは、課税庁との塩梅をきちんと考えていることです。私も以前、贈与税を支払うと言うことで贈与行為そのものを確証するという手法を学びましたが、先生のそれも似ています。
近年、関西の税理士組合で経費の一部が否定され、接待交際費扱いと訂正させられた事案がありましたが、あれなどその顕著な例です。
たまにはこうして仕事もしなければ・・・ねっ!!
大学祭 グッバイユニバーシテイ
キャンパスの銀杏は色づきを強め、空の高いところに鱗雲が浮かんでいた。
ヨシヒコはマーケティングの同好会に所属していた。そのきっかけは偶然だったが、当時の顧問の先生のゼミが学生に人気のゼミで、同好会に入るとそのゼミに入りやすくなるというもっともらしい噂に惹かれたのもあったかもしれない。
ヨシヒコはコトラーを愛読していた。物を売るという単純そうに見える行為が、ひとたびマーケティングの魔法にかかると、様々な人間の欲求が見えてくる。
ヨシヒコは先輩が言ったロイヤルティーについての一言が気に行っていた。最高のロイヤルティとは個人が自分の妻や両親、親戚にその企業や商品を薦められるかというものだった。ヨシヒコは絶えずそのことを反芻していた。
ヨシヒコは1.2年生のときの怠慢を払拭するべく学校に真面目に通うようになっていた。もっともその理由は3年より急遽教職の科目を取り始めたことが大きかった。
授業は経済や法学とは全く関係のない心理学や憲法も学ばなければならなかったが、その必要性を無視して唯一選択した一般教養の授業か楽しみだった。
当時ベストセラーにもなった「タテ社会の*****」の著者ことN女史のご主人の講義だった。ヨシヒコは妻の名前を前面に押し出し、学生を集めていたその先生についてシニカルに観察したいと密かに思っていたのだ。
人間と言うものは面白いと思った。そうやって学生を集めてはいるものの妻とは違う個を主張したがっている。絶えず妻を意識しながらも、その呪詛から逃れようと葛藤している様が人間らしく思えたこともある。
ヨシヒコは一日2食の生活を送っていた。授業料は育英会の奨学金で賄っていたが、生活は苦しかった。市の奨学金も受けていたが、東京の高い家賃と食費に消えていた。
ヨシヒコは乗り継ぎの新宿駅の地下のコンコースにあるカレーショップで朝食兼昼食を済ませる毎日だった。月曜日はコロッケカレー、火曜日は玉子カレー、水曜日はコロッケ、木曜日は玉子この連続だった。朝カレーなる宣伝も頃ごろ耳にするが、20年以上前からヨシヒコは朝カレーだった。
大学の食堂は2か所あり、ひとつは明るく綺麗なカフェテラス、もうひとつは古い校舎のある食堂だった。この大学には生協は入っておらず、どちらもヨシヒコの財布には重荷だった。
その食堂では平日の3時過ぎになると、現金のみで販売してくれるスペシャルメニューがあった。
余った牛肉を利用したステーキ定食だった。確か620円だった。ひと月に1回はヨシヒコはこのメニューを注文していた。
ヨシヒコは色々なアルバイトを経験した。時給のよい駅前のティシュ配り、家庭教師、旅行の添乗員など時間が許せば昼夜区別なく働いていた。ディレクターと知り合いの友人がテレビ局の仕事も紹介してくれた。
テレビと言うのは虚構の商売なんだよとその友人はヨシヒコに教えてくれた。
ヨシヒコはあるクイズ番組に芸能人と一緒に出演することになった。ヨシヒコとほぼ同年代のその女性はヨシヒコよりずっと大人っぽく思えた。彼女は確かレコードも出していたがあまりヒットしたようではなかったが、そのタイトル宜しく長くスリットの入った紫のチャイナドレスを着ていた。
テレビ局の打ち合わせ室には、ファ*ファ*大佐ことO氏も座っていた。スタッフからクイズの答えを2.3問教えてもらっていたが、結局、本番では忘れてしまって答えられなかった。
司会はキ*キ*の愛称で知られるベテラン俳優。この人とはこのあと数回会うことになるがそれは叉のお話。
クイズは一進一退で進んでいたが、最後の問題でカレーの発祥国を聞かれた。他の回答者はインドやパキスタン、中国などと答えていた。ヨシヒコはとっさに「イギリス」と答えてしまった。実は答えてから、答えてはいけないことに気づいた。芸能人組みが優勝するシナリオはなかったのだ。テレビ局のスタッフから冷ややかな目線を受けながらも、本番の番組はそのまま進行した。場は一気に白けていた。
賞金は10万円とスクーター、テーブルセット、沖縄旅行、真珠のペンダントだった。その芸能人は旅行は忙しくていけないからいらないけど、後は全部折半と言ってきた。ヨシヒコはのその芸能人の厚顔で横暴な笑い顔を見て背筋が寒くなった。
ヨシヒコはその晩応援に来てくれた友達に夕食をご馳走して、賞金を使いきった。持っていたくなかったからだ。
賞金は新宿つな八の天麩羅に化けた。
それ以来、テレビ局のバイトの仕事は来なくなった。
窓の外には西日に照らされた2号館が写真のように映り込んでいた。古いレンガのその校舎は冬は寒く、暖房も旧式のものだったが、ヨシヒコはその校舎が一番好きだった。
学園祭が終われば、クラブ活動も引退だ。特に何かをやり遂げたという充実感は無かったが、これでもう終わりなんだと思うとメランコリックな気持ちになった。
学園祭のスピーカーから竹内マリアのグッバイユニパーシーティが流れていた。
ヨシヒコはマーケティングの同好会に所属していた。そのきっかけは偶然だったが、当時の顧問の先生のゼミが学生に人気のゼミで、同好会に入るとそのゼミに入りやすくなるというもっともらしい噂に惹かれたのもあったかもしれない。
ヨシヒコはコトラーを愛読していた。物を売るという単純そうに見える行為が、ひとたびマーケティングの魔法にかかると、様々な人間の欲求が見えてくる。
ヨシヒコは先輩が言ったロイヤルティーについての一言が気に行っていた。最高のロイヤルティとは個人が自分の妻や両親、親戚にその企業や商品を薦められるかというものだった。ヨシヒコは絶えずそのことを反芻していた。
ヨシヒコは1.2年生のときの怠慢を払拭するべく学校に真面目に通うようになっていた。もっともその理由は3年より急遽教職の科目を取り始めたことが大きかった。
授業は経済や法学とは全く関係のない心理学や憲法も学ばなければならなかったが、その必要性を無視して唯一選択した一般教養の授業か楽しみだった。
当時ベストセラーにもなった「タテ社会の*****」の著者ことN女史のご主人の講義だった。ヨシヒコは妻の名前を前面に押し出し、学生を集めていたその先生についてシニカルに観察したいと密かに思っていたのだ。
人間と言うものは面白いと思った。そうやって学生を集めてはいるものの妻とは違う個を主張したがっている。絶えず妻を意識しながらも、その呪詛から逃れようと葛藤している様が人間らしく思えたこともある。
ヨシヒコは一日2食の生活を送っていた。授業料は育英会の奨学金で賄っていたが、生活は苦しかった。市の奨学金も受けていたが、東京の高い家賃と食費に消えていた。
ヨシヒコは乗り継ぎの新宿駅の地下のコンコースにあるカレーショップで朝食兼昼食を済ませる毎日だった。月曜日はコロッケカレー、火曜日は玉子カレー、水曜日はコロッケ、木曜日は玉子この連続だった。朝カレーなる宣伝も頃ごろ耳にするが、20年以上前からヨシヒコは朝カレーだった。
大学の食堂は2か所あり、ひとつは明るく綺麗なカフェテラス、もうひとつは古い校舎のある食堂だった。この大学には生協は入っておらず、どちらもヨシヒコの財布には重荷だった。
その食堂では平日の3時過ぎになると、現金のみで販売してくれるスペシャルメニューがあった。
余った牛肉を利用したステーキ定食だった。確か620円だった。ひと月に1回はヨシヒコはこのメニューを注文していた。
ヨシヒコは色々なアルバイトを経験した。時給のよい駅前のティシュ配り、家庭教師、旅行の添乗員など時間が許せば昼夜区別なく働いていた。ディレクターと知り合いの友人がテレビ局の仕事も紹介してくれた。
テレビと言うのは虚構の商売なんだよとその友人はヨシヒコに教えてくれた。
ヨシヒコはあるクイズ番組に芸能人と一緒に出演することになった。ヨシヒコとほぼ同年代のその女性はヨシヒコよりずっと大人っぽく思えた。彼女は確かレコードも出していたがあまりヒットしたようではなかったが、そのタイトル宜しく長くスリットの入った紫のチャイナドレスを着ていた。
テレビ局の打ち合わせ室には、ファ*ファ*大佐ことO氏も座っていた。スタッフからクイズの答えを2.3問教えてもらっていたが、結局、本番では忘れてしまって答えられなかった。
司会はキ*キ*の愛称で知られるベテラン俳優。この人とはこのあと数回会うことになるがそれは叉のお話。
クイズは一進一退で進んでいたが、最後の問題でカレーの発祥国を聞かれた。他の回答者はインドやパキスタン、中国などと答えていた。ヨシヒコはとっさに「イギリス」と答えてしまった。実は答えてから、答えてはいけないことに気づいた。芸能人組みが優勝するシナリオはなかったのだ。テレビ局のスタッフから冷ややかな目線を受けながらも、本番の番組はそのまま進行した。場は一気に白けていた。
賞金は10万円とスクーター、テーブルセット、沖縄旅行、真珠のペンダントだった。その芸能人は旅行は忙しくていけないからいらないけど、後は全部折半と言ってきた。ヨシヒコはのその芸能人の厚顔で横暴な笑い顔を見て背筋が寒くなった。
ヨシヒコはその晩応援に来てくれた友達に夕食をご馳走して、賞金を使いきった。持っていたくなかったからだ。
賞金は新宿つな八の天麩羅に化けた。
それ以来、テレビ局のバイトの仕事は来なくなった。
窓の外には西日に照らされた2号館が写真のように映り込んでいた。古いレンガのその校舎は冬は寒く、暖房も旧式のものだったが、ヨシヒコはその校舎が一番好きだった。
学園祭が終われば、クラブ活動も引退だ。特に何かをやり遂げたという充実感は無かったが、これでもう終わりなんだと思うとメランコリックな気持ちになった。
学園祭のスピーカーから竹内マリアのグッバイユニパーシーティが流れていた。
三つ子の魂 マルクス経済学
私が大学生になったころには学生運動はなりを潜め、声高に政治的主張をすることはなんとなくカッコ悪いことのように視られていたのだと思います。
それと私の大学は先にも述べたように、東大経済学部の混沌の中で近経の教授が多く移ってきたことも加わり、当時では珍しく近経でケインズが必修でした。
もちろんマルクスも学びましたが、何となくマルクスは政治的な匂いが強く、好きにはなれなかった記憶があります。当時、ロバート・オーエンも併読して、理想的社会主義など妄想だと冷めた目で見ていたからかもしれません。
ところが、当時の東大で学び、テレビにもよく出ている息子の高校の先輩でもあるK氏や、氏と共著して原発で熱弁をふるった方など、このマルクスの匂いがプンプンします。どう隠しても匂いは隠せません。
こう考えると三つ子の魂百までとはよくいったものだと思います。若い時に受けた思想的影響と言うのは生涯ついて回る気がします。
それと私の大学は先にも述べたように、東大経済学部の混沌の中で近経の教授が多く移ってきたことも加わり、当時では珍しく近経でケインズが必修でした。
もちろんマルクスも学びましたが、何となくマルクスは政治的な匂いが強く、好きにはなれなかった記憶があります。当時、ロバート・オーエンも併読して、理想的社会主義など妄想だと冷めた目で見ていたからかもしれません。
ところが、当時の東大で学び、テレビにもよく出ている息子の高校の先輩でもあるK氏や、氏と共著して原発で熱弁をふるった方など、このマルクスの匂いがプンプンします。どう隠しても匂いは隠せません。
こう考えると三つ子の魂百までとはよくいったものだと思います。若い時に受けた思想的影響と言うのは生涯ついて回る気がします。
富岡通信 その2
Sパパより富岡通信その2が送られてきました。もちろん敵陣には内緒のモールス信号(ちょっと古いかな)でです。
私より一回り以上先輩なのに今の日本の現状を最も憂いておられます。
経済人として肉食系人種と同じ土俵で渡り歩いてきたSパパだからこその意見です。
以下その全文です
編集長のおっしゃる「本当に円高か?」の論理は私も先にハワイ、ロンドン、パリ、
ジュネーブなどの各都市におけるコカコーラ―(500CC)の価格で比較をしましたが、
結果はMcと同じ結果が出ました。日本におけるコカコーラが格段に安かったのです。
しかし、問題はそれだけのメリットでは日本経済が成り立たないという所に来てい
ることです。
世界経済は肉食人間が市場を奪い合っています。その戦いに勝つ最強の武器が為替
レートです。これは30年代の大不況でも同じでした。ところが日本だけが草食人
間となって米欧中から攻め込まれているのです。輸出減、国内空洞化、雇用減、株価
下落、個人消費減などなど日本経済が疲弊していくに事に欠くものがないほどです。
別添「マネーサプライと外国為替レート」をご参照下さい。米ドル並びにユーロに対
して相対的に円の市場供給が少なく、円高になってきていることが分かります。なお、
ユーロの市場供給は08年を除いては円と変わりがありませんが、それにも拘わらず
ユーロ安となっているのはユーロ個別の問題、ギリシャなどの債務不履行問題を抱え
てきているからかと思います。
米国の市場への資金供与は突出しています。金融政策にしか頼らなければならないお
家の事情がるからでしょう。
では、最後に我が国は何故この肉食動物間の戦いに加わらないかと推察すればそこに
「財政規律一点張りの財務省」と「通貨の安定をお題目にしている日銀」が政治家、メディア
などのマインドコントロールをしているからでしょうか?「G7で為替介入への理解
を求める我が財務大臣」が世界の金融マンから見たら如何にも滑稽であったことでしょうか。
もし、今晩(東京時間)にFRBのバーナンキ議長がQE3の金融緩和策(米ドル放出)
を決めれば更なる円高は避けられないのではと心配します。
富岡通信員 Sパパ
私より一回り以上先輩なのに今の日本の現状を最も憂いておられます。
経済人として肉食系人種と同じ土俵で渡り歩いてきたSパパだからこその意見です。
以下その全文です
編集長のおっしゃる「本当に円高か?」の論理は私も先にハワイ、ロンドン、パリ、
ジュネーブなどの各都市におけるコカコーラ―(500CC)の価格で比較をしましたが、
結果はMcと同じ結果が出ました。日本におけるコカコーラが格段に安かったのです。
しかし、問題はそれだけのメリットでは日本経済が成り立たないという所に来てい
ることです。
世界経済は肉食人間が市場を奪い合っています。その戦いに勝つ最強の武器が為替
レートです。これは30年代の大不況でも同じでした。ところが日本だけが草食人
間となって米欧中から攻め込まれているのです。輸出減、国内空洞化、雇用減、株価
下落、個人消費減などなど日本経済が疲弊していくに事に欠くものがないほどです。
別添「マネーサプライと外国為替レート」をご参照下さい。米ドル並びにユーロに対
して相対的に円の市場供給が少なく、円高になってきていることが分かります。なお、
ユーロの市場供給は08年を除いては円と変わりがありませんが、それにも拘わらず
ユーロ安となっているのはユーロ個別の問題、ギリシャなどの債務不履行問題を抱え
てきているからかと思います。
米国の市場への資金供与は突出しています。金融政策にしか頼らなければならないお
家の事情がるからでしょう。
では、最後に我が国は何故この肉食動物間の戦いに加わらないかと推察すればそこに
「財政規律一点張りの財務省」と「通貨の安定をお題目にしている日銀」が政治家、メディア
などのマインドコントロールをしているからでしょうか?「G7で為替介入への理解
を求める我が財務大臣」が世界の金融マンから見たら如何にも滑稽であったことでしょうか。
もし、今晩(東京時間)にFRBのバーナンキ議長がQE3の金融緩和策(米ドル放出)
を決めれば更なる円高は避けられないのではと心配します。
富岡通信員 Sパパ
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