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美佐子は深夜勤務のファミリーレストランのアルバイトを辞めていた。美佐子は週に4日浩一郎の事務所で図面整理や経理の仕事をしていた。残りの2日は若い専門学校の学生と一緒にCADの勉強をしている。飲み込みのはやい美佐子は浩一郎の教える操作方法を大部分はマスターしていたが、複雑な3Dの画像などまだ覚えることも多かった。美佐子はこのレストランに勤めるまで自分は接客に向いていないと思っていた。美佐子は事務の仕事をしていたときには、ほとんど人と話せなかったいや話さなかったからだ。自分が接客など出来るはずがないと思っていた。ところがそんな話を美佐子より5歳年上の先輩であるトシコに打ち明けると、トシコは意外なことを言った。「あなた向いていると思うは、言葉じゃ上手く表現できないけれど、なんていうか全身から人とコミュニケーションを取りたがっている感じがするのよ。なんていうかオーラみたいな、いやちょっと違うか、とにかくそんな気がするの」
無口で人と接するのが苦手で大人しかったことをトシコに話すと、彼女は「誰でも話はするのよ。ただ、その総量が決まっているの。おしゃべりだった人が急に無口になったり、その反対に無口な人が急におしゃべりになる場合もあるの。つまり話す総量は決まっているのよ」美佐子はなんとなく理解した。
屈託なく話す美佐子はアルバイト仲間でも人気者になり、お客からも印象が良かった。20代の大学生からラブレターめいたものをもらったこともあった。美佐子は徐々に明るさを取り戻していった。いや、生まれて初めて違う空気の中に居る自分が心地よかったのだ。
浩一郎と付き合うようになっても美佐子は時々そのレストランを訪れていた。子供の世話をしながら少し時間が出来れば立ち寄って、旧友たちと何気ない会話を楽しんでいた。美佐子の家は三軒茶屋と池尻のちょうど中間、国道246線の南側にある。この辺りは官舎が多く、公立学校も進学校として有名だ。
美佐子はそんな環境なので息子のことが少し気になった、幸い美佐子に似て本が好きだった。勉強は出来ない訳ではなかったが、心配な美佐子はそのことを浩一郎に相談すると、浩一郎の息子が今年大学一年生になったばかりなのだが、週一日ならなんとか都合が付けられるということであった。大学は幸いここから近く、彼の都合のつく時間なら勉強を見てくれるというのである。美佐子は申し訳ないと思いながらもお願いすることにした。
浩一郎の息子は細身で身長が190センチ近くある。電車に乗っていても頭一つ高いのですぐ目につく。容姿は浩一郎に似ていないが爪のかたちは浩一郎そっくりだった。息子のことを浩一郎は周りからトンビが鷹を生んだと言われた。浩一郎も勉強は出来たが息子のそれは比べ物にならなかった。小学生の時に偶然受けた全国模擬試験で一番をとった。それ以来塾では特待生となり浩一郎は授業料を払ったことがなかった。一位になるたびに商品としてもらう蛍光マーカーのセットは浩一郎の事務所にも10セット近くたまっていた。高校になってもその成績は変わらず、塾も行かないまま東京大学の理科Ⅲ類にストレートで合格した。
美佐子の家は鉄筋コンクリートの3階建ての2階部分で、建物はすでに20年以上が経過し外壁のペンキははがれ躯体がむき出しになっているところも目立つ古い建物だった。建物の名称に使われているドイツ風の名前は全くこの建物に似つかわしくなかった。2DKの室内は6畳の和室と6畳の洋室、それに8畳の台所とダイニング、そして風呂とトイレという古風な間取りだった。床はフローリングでなく、リノリウムという合成樹脂のような安っぽいものが敷き詰められていた。子供のいる美佐子にとっては足音の響かないこの方が都合良かった。建物は通称ドラゴン通りから少し入ったところにあった。80年代にファッション雑誌がやたら通りに名前をつけたがった。この通りもご多分にもれずくに龍雲時というお寺があるためにネーミングされたようだ。
美佐子は外で遊んできた息子を先に風呂に入れ夕食の準備に取り掛かった。今日は浩一郎の息子が勉強を教えに来てくれる日だ。いつもの献立なら、ご飯に味噌汁に漬物それにハンバーグと野菜でおしまいだが、今日はそれにポテトサラダと目玉焼きを付けた。美佐子のせめてもの気持ちだった。