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2013年1月18日金曜日

上かつ丼 材木座 土手


上かつ丼  材木座 土手

 材木座に通うようになった20年前にこの店も開店したと記憶している。場所は材木座商店が大きくカーブするそのおへその近くである。それ以来、20年近く通い続けている。
 おかみさんの横でよちよち歩いていた小さかった男の子が今や配達や厨房で働いている姿を見るとお互い歳をとったと痛感する。

 ここの麺類ははっきり言って普通である。これといって特に特筆するところはない。出前用の麺というのは伸び切らないような妙な腰がある。あれがいけない。

 ところがここの上かつ丼はそれらに比して中々である。あくまで私が薦めるのは上かつ丼である。天丼や普通のかつ丼ではない。上かつ丼である。私はカツに入っている豚肉の脂身が好きではない。どうしても残してしまう。ところがここの上かつ丼はヒレ肉を使う。だから残さなくて済む。それに揚げたて出来たてのそれは汁が熱々のご飯に染み込んでこれがまた旨い。客に媚びを売らないその姿がなんとも頼もしいのだ。

 刑事ドラマで犯人がかつ丼を食べながらつい自供してしまうのは理解できる。これを食べたら誰だってほっとして安心してしまう。つい本音が出るだろう。

 小さな頃、どんぶりをもってガツガツ掻きこむような食べ方をすると母親から犬食いだと注意された。我が家のゴールデンは確かに腹っぺらしでその兆候はあるが、さくらに限っては決して犬食いではない。それにかつ丼ばかりはどんぶりを持ってガツガツと食べていいと思う。人に不快な思いをさせなければ一番美味しく食べられる食べ方がその料理の一番良い食べ方だかと思うから。だって食は命の糧なのだからね。

 材木座は鎌倉の中でもローカル色が強い。地元の人たちが未だに元気で働いている。商店街の外れに位置する光明寺では定期的に市が催される。ここの山門は見事である。また蓮の池と枯山水の庭も有名だ。土手の2軒隣の萬屋酒店にはいつもお世話になっている。店をやっている時は中々手に入らない日本酒を回してくれた。ここは夕方からは立ち飲みバーになる。缶詰を肴に地元の人に交じって一杯やる。中々乙なもんだ。

土手の上かつ丼を食べると妙に落ち着くのはそういった記憶の襞が胃袋に吸い込まれるからなのかもしれない。納得。






マイブーム スキー

テレビのニュースで苗場スキー場の来場者が昨年より増えているらしい。

スキー場が子供のリフト料金を無料にしたりとハード面の工夫しているらしいが、一番の理由は80年代のスキーブームに育った30代前後の夫婦がもう一度スキーにチャレンジしたいという気持ちが大きいと思う。

雑誌ポパイでもスキーブーム復活と題してこの2月号を刊行している。

もっともあの長いリフト待ちに戻るのは嫌たけど、外国語しか聞こえないスキー場はやはり寂しいからスキー人口の増大は良いかもしれない。

私が幼稚園でスキーを始めたときは竹のストックに、木のスキーでビンディングはかかとに引っ掛けてパタンと前に倒すものでした。リフトでなくロープトウといもので手がパンパンになった。

小学校に入ると皮にコーティングした靴に替わり、竹のストックもジェラルミンに変わった。

その後、グライファイバーのスキー板が登場した。クナイスルという外国のメーカーのそれは高嶺の花だった。確かホワイトスターとか言っていた。これは買ってもらえなかった。

スキー場まで電車で2時間くらいということもあって、始めのうちは電車で通った。

中学の頃は友人と越後中里や石打など駅に近いスキー場に出掛けていた。

スキーの映画も会も市の文化会館という如何にもその手のフィルムを上映するのに適した場所で毎月開催されていた。スポンサーは市内のスポーツ店だった。

当然、上映会が終わると景品の抽選会があって、子供心にいつか当たらないかとドキドキした。

そのころの上級者と呼ばれる人は無理をしてもセーターで滑ったものだ。セーターで滑ることは転ばないという暗黙の了解でもあり、ゲレンデでは注目された。でも本当は寒かったのでセーターの中には風を通さない薄手のナイロンのシャツを着ていた。

パンツは今の様なダボダボではない。ニーパッドが入っていてピッタリとした伸縮性のあるものだった。

あの頃は難しいコブを如何に旨く滑れるか皆熱中した。丸池のAバーン、志賀のジャイアント、八方の黒菱、どこもそのコブの大きさは威容を誇った。今はスノーボーダーのためにほとんどのコブが均されている。

私がスキーをしていて遭難した人を2回見た。1回目は蔵王だった。同じ宿に宿泊していたグループが遭難した。翌日、大規模な捜索が開始され全員助かった。

2回目は天神平、春スキーだったがマチガ沢にまだ雪崩が起こる前で、危険なので封鎖されていた。私達とすれ違った3人組はロープをくぐって滑り降りて行った。途中で大規模な雪崩に合い、全員死亡したとニュースで知ったのは翌日だった。

このところ密かなマイブームなのだが、中々行けない。それでも昨年は軽井沢、一昨年は志賀、その前の年はトマムに行っている。今年も何とか行きたいと画策しているのだが、身重の娘は出産で戻ってくるし、息子はLAに留学と何かと忙しなくいく機会がとんと来ない。

密かなマイブームとして胸の奥にその燈を消さないよう灯し続けるようにしよう・・・スキーボーイなのだから・・・