このブログを検索

2014年2月13日木曜日

陰影のない時代

フリードマンのフラット化する社会を読んだのは随分昔になるが、現代(イマ)は彼が宣言していたように国境さえ意味を持たなくなる平滑化されつつある世界である。これによって情報の非対称性はなくなり、人々は平等に共通の情報を保有する。一方で平滑化は陰影を持たない。知っているか、知らないかそのどちらかである。
私はSNSを暫く前から試みている。情報は瞬時に誰かに届けられ閲覧した人はその情報を廃棄する。見事なまでに己に都合のいい情報が集まる。SNSをやると言うこと(覚悟して)つまりその事を甘受していなければならない。自分の情報を開示しない閉じたコミュニティに安住したいならばSNSはやらない方がいい。自分が隠しておきたい情報がなくても微妙な人間の陰影さえも失われるからだ。
では何故続けるのか、それは利便性に他ならない。他社に情報をネットワーク経由で伝達することで直接の強さを軽減できる。さらに、プライベートでは珠にしか会わない友人にも近況を伝えられる。確かに便利だ。
ある米国の学者がFACEBOOKはこれから衰退すると言っていた。今の状況は熱病のようなもので、多くの人は我に返ると。閉鎖的な日本人ならともかくあちらの学者がそう言っている。
何だか分かるような気がする。確かに便利ではあるが全く陰影のない世界は案外面白くない。例え利便性を手放したとしてもそちらを選ぶかもしれない。いずれにしても世界は変わったのだと。