犬を飼うということ
一昨年13歳でゴールデンレトリバーの男の子が、そして先月14歳と78日でレオンベルガーの女の子が虹の橋を渡ってしまいました。
私が犬を飼う(完全に自己の責任によって)ようになって3頭目です。
知人の中にはこの別れが辛いから飼わないという人もいます。それは私も分かります。
犬は赤ちゃんの頃から面倒を見ているので自分の子供のようでもあります。その子を見送るんですからその辛さや寂しさはひとしおですからね。
芸能人で動物好きので有名なTさんは犬は断じて家族ではないと言います。家族だったら死んでも次を飼うことはできないからだと。でも死別して再婚する人もいるわけですからそれもどうかと。
ただ一つ、言えることは犬のいない寂しさは犬でしか埋められないと。
先月も死んだ2日後に孫たちが横浜に遊びに来ました。確かに賑やかで一瞬寂しさも忘れられますが、やはりぽっかりと空いた穴は塞がってはくれないのです。
超大型犬の14年といえば人間の110歳です。天寿補全うしたとも思いますが、それでも1日でも長く生きていてほしいと密かに希望をしている自分たちがいるのです。
3頭の中で2頭は私の腕の中で息を引き取りました。それがせめてもの救いでした。
私の人生の記憶を辿れば、全ての場面に犬たちが関わっています。
楽しい時も、辛い時も、そして寂しい時も、あの子たちが居なかったらと思うと、私などどうなっていたか分かりません。
あと2日で月命日になります。自分の年齢を考えるとレオンベルガーのような大型犬の介護を一年半経験した事で、今後の10年先体力が持つのか、つい躊躇してしまいますが、やはりそこは考え直して、そのためにも仕事を頑張って、いざとなれば専属の介護人を雇う位の気持ちに切り替えました。そう、犬のいない生活は私には考えられないと言う結論です。犬との出会いは「縁」です。最初に会った時、家に来る子は何かピッとくるものがあります。そして其の1頭1頭の性格も全部違い、同じ犬種でも全くの別の犬です。ですから前の子と比べるなんてことはないですね。
これからどんな「縁」でどんな子が我が家にやってくるのか分かりません。でも其の子たちの命が天命だとしたら最後まで一緒にいて命の限り付き合ってあげることが、犬を飼うと言うことなのではないでしょうか。
犬のためならハワイもサーフィンもロードバイクも全て犠牲にしても余りある生活があるのですから。