ロサンゼルスでシンドラーの建てた住宅を見てきた。
しかし同時にそれは私にはもはや住宅ではない。
巷では100年、200年の持ちこたえるような高品質な住宅を売り物にしている企業も多い。
確かに安かろう、悪かろうの住宅では困るが、100年も200年も持つ住宅と言うのは如何なものだろう。
10年近く前にあまりに多くスクラップアンドビルドされる東京の街に対して、私が苦言めいた事を言っていたら、外国人が変化するから面白いんだと全く反対の事を言っていた。
昔英語の教材に「転げる石は苔蒸さない」というものが取り上げられていた、そうローリングストーンズ。確かに変化しているから苔蒸さないのかもしれない。
みなさんは蜑戸を知っているだろうか。そう海辺に立つ海女さんが暖を撮ったり、仲間とひと時の休息をとる小屋のこと。
それはいつ壊れても可笑しくないような、簡易的で質素なものだ。
台風や津波で流されても、また建てられる。彼女らの生活の知恵だ。
そう発想の転換。
住宅は何のためにあるのだろう。私はそこに住む人のためだと思っている。
そこに住む人は定常ではない。時と共に全てが変化する。若かった犬も年を取り老犬になるように、私達も年を取っていく。
子供は成長し新しい社会に飛びだし、また新しい家族を作る。
建物はそうした人に寄り添う存在でなければいけないのでは。
だから私にとってのよい建物とは柔軟に対応できる建物の事だ。
我が家では2部屋を1部屋に改造した。それとてあと2年もすれば使わなくなる。
そして私達が混沌とこの身の崩壊に向かう頃に都合よく朽ち果ててくれれば最高ではないだろうか。
それが私にとって良い住宅・・・