プラス25センチの景色
ロードバイクを初めて7年になる。真夏や真冬でもガンガン乗っている人に比べれば大したことはないが何とか続いている。私達くらいの歳になるとこのなんとか続いているということが大切なのではなかろうか。
ロードバイクというのは私達が子供のころに乗っていた自転車とは全くの別物である。もちろん自転車と構造的には全く同じなのだが、乗り方が違うし、使う筋肉も違う。足が地面については駄目なのである。クリートが靴とペダルを繋ぎ合せるため、サドルの位置が25センチ近く高くなるのである。
私のロードバイクの師匠は我が社の顧問をして貰っている弁護士の先生である。この先生、ロードバイクに乗りたくて、銀座4丁目から三島の山の中に引っ越したご仁である。それほどまでに峠に恋をしてしまった人である。
いつだったか、一緒にある案件を数人の弁護士先生と会計士と一緒に先生に手伝ってもらった事があった。相手は大手の私鉄事業者だった。この最中先生は大落車を起こした。事故は修善寺SSの下りコーナーで起こった。命に別条は無かったが、鎖骨と恥骨を複雑骨折し治るまで丸3か月掛った。幸いにもこの案件はリーマンショックの前に結審し、思いがけぬ嬉しい結果に終わったのであるがヒヤヒヤしたものである。
ところでその先生がロードバイクに跨って見る景色は特別だと言う。たかが、25センチされど26センチなのである。その少し高い位置から見る景色は特別なものだという。
最初の頃はよく立ちコケをした。そうペダルが取れない事を忘れて自転車を停めてしまうのである。ところが慣れてくるとその塩梅も体が把握し、コケなくなってくる。そのころが一番危ないのだ。車の運転でも免許を取って少し慣れた頃、事故が起こりやすいというあれと同様なのだ。私もご多分にもれず事故を起こした。それまで下りのスピードは怖いどころか楽しくてどんどん出していた。家の裏手に長い擂り鉢状の坂道がある。私はいつものように加速して坂道を下った。自転車が一番スピードに乗って、そのまま上り坂を通過しようとする直前にその事故は起きた。信号の変わりばなを高校生らしき男の子がチャリンコに跨って出て来たのだ。私のバイクはブレーキを掛けたが間に合わない。相手は無音のバイクに気がつかない。運悪く、マンホールの上だったので自転車は横滑りしながらその高校生に向かっていく。まるでスーモーションのようだった。ロードバイクの落車の時バイクを放さないのが鉄則だと教わったが、瞬間、私は掴んでいたバイクを放した。結果、私の体は宙に舞い、6.7メートル先の中央分離帯に空中で一回転しながら転げ落ちたのだ。
道路に寝たまま後ろを振り返るとその高校生の前でバイクは止まっていた。男の子は倒れるでもなく、自転車に跨ったまま何があったのかわからない様でキョトンとした顔をしていた。
私はそれを見てホッとしたと同時に急に右肩に激痛が走った。見てみるとジャージの上に骨がピョコンと飛び出していた。男の子に救急車を呼んでもらい、そのまま病院に直行した。
救急車にロードバイクを乗せたのは私くらいではないだろうか。救急隊員にバイクも一緒に乗せてもらうように懇願したのだ。バイクは無傷だった。人間の方は右烏口靭帯と右肩鎖骨靭帯の断裂で骨は折れてなかったが、完治まで3カ月はかかるとのことだった。
それ以来、大きな事故は起こしていない。あれほど下り坂で飛ばしていた私はすっかり元気がなくなり注意するようになった。
このロードバイクというもの実に忠実である。何が忠実かと言うと、自分の実力に忠実なのだ。調子良く40キロで最初巡行していても、帰りは脚にきて30キロにも満たない。前半、足をためるべく高いケイデンスで漕いでいると、帰りは心拍がオーバーして乳酸過剰状態になる。つまり絶対に自分の実力以上にはならないということが分かったのだ。最初からイーブンがいいのだと分かっても、そこは親父の意地がある。国道で若い大学生のローディがいたりするとぴったりついてしまう。逆に私が前にいるときは追い抜かれないように踏んでしまう。結果、帰り道では脚にきて回らなくなる。自分でも何故こん馬鹿な事をしたのかと思う事もあるが、なあに今は馬鹿がやれるんだから良いでしょと気を取り直すことにしている。本当に乗れなくなる日まで、意地とお金を掛けてもう少し25センチ高い世界を楽しみたいと思っている。えっ!楽しんでいる余裕が無い!!確かに