以前森永卓朗氏の「物価の文化史」という本を購入し、その書評はすでに行ったので敢えて行いませんが、たまたま昨日NHKでR35を取り巻く状況の番組がありました。
私立の4年生大学を出て、年収は賞与を入れても400万に手が届かないというものです。番組はこのような社会そのものがR35の育児への抵抗となって顕れていると結論していましたが、その部分はそういう風に大人が(R35世代でない人達)が国や社会のせいにしているだけのような気がします。
私たちだってR35のときはありました。社会や国のせいにしても始まらないと思っていました。さらに大学初任給の給与ベースを見ると1980年118,000円だったものが、2004年には203,000円に上昇しています。上昇率172%です。確かにここ数年は頭打ちかもしれませんが、それだって2倍近くになっているのです。
一方、物価はどうでしょうか?確かに上昇しているものもあるでしょうが、私にはあまりそう思えません。
30年近く前に朝食、昼食兼用で食べていた新宿C&Cのカレーも当時も300円程度で、今も安いものでは300円台であります。牛丼にいたっては200円台のお店もあり、決してインフレが起きているような気がしないのです。そうスーツだって7.8万はしていました。
人間は自らの悲偶をさらに増幅します。将来のえもいわれぬ不安です。終身雇用制を自ら手放し、より多くのチャンスと利得のために欧米型功利主義を取り入れた日本人が悪いのです。
第一次産業に従事していた人たちはこの方向性によってすでに利益どころか商売さえ続けられない状態になっているのです。物価の違う他国にその生産の大半を任せ為替利益による大幅な増益を挙げていた多くの企業はこの犠牲の上になりたっていたのです。
完全なる閉鎖経済は出来ません。日本は到底無理です。しかし、ある分野に限って自国の生産品を奨励したり、地産地消を行うなど豊かさの循環を検討してみることもそろそろ大切な気がします。
しかし工業製品についはその点が難しいようです。「台湾製の低価格ミニPCが市場を席捲していたが、やっと日本勢が追撃体勢に入った」と新聞に書かれていましたが、私は違うと思います。全く同じ部品を使って、電池の消耗が早く、それでいて価格が1万円以上高いのでは競争力はありません。ですから本当の意味でのダウンサイジングはなされていないのだと思います。日本製を買いたくても価格も高く能力が劣っていては無理です。
脱工業化、本当に必要なのは日本かもしれません。