成田空港、関西国際空港、中部国際空港でも自動化ゲートの運用が昨秋から始まりました。
指紋採取が嫌だという人は別として、既にアメリカへの入国でも写真と指紋は押印しているので、私は事前登録します。モスクワのテロのように出入管理はこれからはさらに必要です。
事前登録といっても空港の出国ゲートのところでしか出来ないので次の渡航時ということになりますが。
混雑しているときの出国カウンターの列にはうんざりしますから私には朗報です。
これもETCと同じで一般化する前が一番使い勝手がよいはずです。ただし、パスポートにはスタンプが押されないので、スタンプの欲しい人は今まで通りとなります。
詳しくはこちらまで→入国管理局 http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan65.html
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2010年3月31日水曜日
こだわり ビーチサンダル
波乗りシジイとしてはビーサンはこだわります。
ゲンベイ派とハワイアナス派に大きく分かれるところですが、私は後者です。
前者は芸能人に愛好家が多いようです。私なんぞ先代のゲンベイの頃から知っています(単なるシジイということですけど)
ハワイアナスのこのタイプ探しているのですが見つかりません。今はオールホワイトと黒を3年使い続けています。出来ればこのビーさんで横がダークブルーのものがほしいです。
まあ1.2年しないとソールが減らないし、鼻緒も硬いので履きごろはだいぶ先になりますけど・・・・・
ゲンベイ派とハワイアナス派に大きく分かれるところですが、私は後者です。
前者は芸能人に愛好家が多いようです。私なんぞ先代のゲンベイの頃から知っています(単なるシジイということですけど)
ハワイアナスのこのタイプ探しているのですが見つかりません。今はオールホワイトと黒を3年使い続けています。出来ればこのビーさんで横がダークブルーのものがほしいです。
まあ1.2年しないとソールが減らないし、鼻緒も硬いので履きごろはだいぶ先になりますけど・・・・・
変わらない人
変わらない人と変わっている人というのがあります。変人のことではありません。
つまりなんていうか2面性のある人とそうでない人、いや自然体の人とそうでない人といった感じの方が適しているかもしれません。
芸能人を見ていてもやはり自然体の人が長く続いているような気がします。知り合いが明石家さんまさんのことを「そのまんまの人や」と言っていました。たけしさんのことも「そのまんまや」と。
そういえば、ずっと昔になりますが、コント赤信号のW氏と岐阜のバーでご一緒したことがあります。
セールスプロモーションのイベントの打ち上げでした。私とオーストラリアにいるK先輩、そして地元放送局の女子アナと彼の4人です。確か柳か瀬のクラブです。
彼はその当時結婚はしておらず、性格はあのまんまです。全然変わりません。途中で女子アナはひいていましたけど、女の子がいなくなると一人でマイクを離さず、サザンを熱唱していました。
今は結婚して、時々テレビで見かけますがあの当時と変わっていないような気がします。
大物ロック歌手のY氏のことを以前取り上げましたが、彼も地のまんまの人です。
自然体が一番です。
Le Tour 2010
今年のツールのコースが発表されました。このツール・ド・フランスは他のレースとは質、厳しさの面でも別格です。
昨年の日本人選手の健闘が真新しいところですが、今年はどんな戦いが繰り広げられるのか今から楽しみです。
今年のコースの特徴はオランダのロッテルダムよりスタートし、パリ、ルーペで有名な石畳の区間が長いことです。選手たちはどんなタイヤで対応するのでしょう見ものです。
パリ、ルーペの際には石畳の振動を吸収すべくフォークにスペーサーを入れたり、ジェルテープを巻いたり、タイヤを丈夫で硬いものにするなど工夫して走っています。
チームTTがなくなったということでクライマーにも有利と言われています。本命は昨年の覇者コンタドールといわれていますが、個人的にはシュレック兄弟やブラドレー・ウィギンズあたりに頑張ってほしいと思っています。
花粉も少なくなってきたようなので、バイクのメンテを始めます。
まずはタイヤの交換です。ヴィットリアのオープンコルサ EVO CXⅡの履き換えです。新しいタイヤはベロフレックスのレコードです。クリンチャー全盛のこの頃ですが、私はチューブラーから離れられません。この乗り心地は別格ですから。尺骨神経のこともあるのでこの位の拘りは許されましょう・・・・・・・・・・・・・
αναλογία アナロジー(Analogy)
アナロジーという言葉をご存知ですか? 日本語に訳せば「類推」といったことですが、どうしてなかなかやっかいな代物なんです。
アナロジカンルシンキングやフラクタクルといったように肯定的にとらえて研究しているものも多くありますが、一歩間違えば誤謬を招きます。
ある眼科でのお話
患者 「コンタクトの処方をしていただきたいのですが」
先生 「一応、検査してみましょう」
患者 「ひと月前に別の病院で検査してもらいました」
先生 「ここは別の病院なので 最初からになります」
患者 「分かりました」
ひと月前に受けた検査と全く同じ検査を終えて
先生 「大変です 網膜細胞がこんなに減少しています」
「いつ失明してもおかしくないです」
患者 「そうなんですか」
先生 「人間の網膜は再生しないので減少したら角膜の移植以外にはないのです」
雑誌に掲載されたと思しき記事のコピーを患者に見せて、どうだといわんばかりな様子
患者 「でも角膜の細胞数は個人差があるでしょうし、減少しているというのは以前と比較して確かなデータがなければ言いきれないのではないですか?」
先生 「そんなことはない、絶対に私の言うとおりあなたは危機的状況なので今すぐにコンタクトはやめて眼鏡にしなさい」
患者 「眼鏡じゃ運転できないんですよ」
先生 「運転は止めればいい」
その後患者はあまりのばかばかしさにさっさと清算を済ませ。別の眼科にいき、コンタクトの処方をしてもらいました。そして数年経った今も角膜細胞数は減少しておらず定期検査でも問題はありません。ちなみにこのとき治療行為は一切なかったのに治療行為が領収書には付加されていました。
何を言いたいか分かりますか?人間と言うのは自分に都合のよいアナロジーを行うものなのです。
この時の若造ドクターは自分の主張を裏付けさらに、自らの行為の正当性を加護するあまり自分に都合の良いアナロジーを形成したのです。患者のことは全く無視して。
裏返せば患者も同じです。ステージ3の乳癌を摘出した患者が言いました。「外科療法ではなく温存にしておけば良かった」とこれも全くアナロジーです。既に60歳を過ぎたその人は術後15年以上が経過しています。
シュレティンガーの猫という話を知っていますか、そうあの物理学の実験です。人間もこの猫と同じで確率的に半分は死んで、半分は生きているということは許されないのです。
しかし、アナロジーはあえてその方向に向かわせます。その眼科で全く同じことを言われ、論理的矛盾を知りながらも、その言に従いコンタクトをやめてしまった人もいるのです。つまり自分を信じてはいけないのです。
アナロジカンルシンキングやフラクタクルといったように肯定的にとらえて研究しているものも多くありますが、一歩間違えば誤謬を招きます。
ある眼科でのお話
患者 「コンタクトの処方をしていただきたいのですが」
先生 「一応、検査してみましょう」
患者 「ひと月前に別の病院で検査してもらいました」
先生 「ここは別の病院なので 最初からになります」
患者 「分かりました」
ひと月前に受けた検査と全く同じ検査を終えて
先生 「大変です 網膜細胞がこんなに減少しています」
「いつ失明してもおかしくないです」
患者 「そうなんですか」
先生 「人間の網膜は再生しないので減少したら角膜の移植以外にはないのです」
雑誌に掲載されたと思しき記事のコピーを患者に見せて、どうだといわんばかりな様子
患者 「でも角膜の細胞数は個人差があるでしょうし、減少しているというのは以前と比較して確かなデータがなければ言いきれないのではないですか?」
先生 「そんなことはない、絶対に私の言うとおりあなたは危機的状況なので今すぐにコンタクトはやめて眼鏡にしなさい」
患者 「眼鏡じゃ運転できないんですよ」
先生 「運転は止めればいい」
その後患者はあまりのばかばかしさにさっさと清算を済ませ。別の眼科にいき、コンタクトの処方をしてもらいました。そして数年経った今も角膜細胞数は減少しておらず定期検査でも問題はありません。ちなみにこのとき治療行為は一切なかったのに治療行為が領収書には付加されていました。
何を言いたいか分かりますか?人間と言うのは自分に都合のよいアナロジーを行うものなのです。
この時の若造ドクターは自分の主張を裏付けさらに、自らの行為の正当性を加護するあまり自分に都合の良いアナロジーを形成したのです。患者のことは全く無視して。
裏返せば患者も同じです。ステージ3の乳癌を摘出した患者が言いました。「外科療法ではなく温存にしておけば良かった」とこれも全くアナロジーです。既に60歳を過ぎたその人は術後15年以上が経過しています。
シュレティンガーの猫という話を知っていますか、そうあの物理学の実験です。人間もこの猫と同じで確率的に半分は死んで、半分は生きているということは許されないのです。
しかし、アナロジーはあえてその方向に向かわせます。その眼科で全く同じことを言われ、論理的矛盾を知りながらも、その言に従いコンタクトをやめてしまった人もいるのです。つまり自分を信じてはいけないのです。
読後感 「スギハラ・ダラー」
昨日、手嶋龍一氏の「スギハラ・ダラー」読み終えました。
読後感といたしましては、中盤までは息を呑むような展開だったのが、後半にはダレてしまいました。
最終章のあたりでは「えっ 何で」という始末です。
もう少しソフィーとアンドレイの登場には時間を掛けてほしかったものです。
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それにしてもユダヤ人ネットワークというのはどういうものなのか、想像だに出来ませんが、飲食店を経営していたころには定期的に趣味の音楽の延長でお店専用のCDを作ってくれていた友人がいました。彼は宝石商を営み相当の規模でやっていたのですが、離婚と同時に全てを処分して信州に引っ越してしまいました。その彼がダイヤモンドの買い付けでブリュッセルやアントワープに出掛けていたころ、私に言っていました。「ユダヤ人とインド人と中国人とは商売をしないように」と。
それほどまでに彼らのビジネスは強烈だったようです。それもこの強烈なネットワークを持っていたからなのでしょう。
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