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2013年1月7日月曜日

純粋な人 私の記憶

世の中には心がとても純粋で優しいのにこの世の中に中々受け入れられなくて静かにこの世から消えてしまう人がいると思う。

小川洋子の「ことり」に出てくる兄弟のように。

私も二人そんな人を知っている。

一人は父が焼きものを作る工場のあった足尾にいた。

家の隣(隣と言っても東京のように家が密集している訳ではなく4.5百メートルは離れていた)のいさちゃんが連れてきた子だった。みんながターボーといっていたので正式な名前も名字もしらない。

いさちゃんは私より3.4歳年上だったと思う。夏休みの間だけ街からやってきた私の事をよく遊んでくれた良い兄貴分だった。

工場とは別に町から無償で借り受けた土地に建っている山荘のあった場所が地元では「まむし沢」とよばれて誰も住まない場所だとこっそり教えてくれたのもいさちゃんだった。

私はこの沢で水泳を覚えた。今でも水中で目を開けた時の得も言われぬ恐怖はこの時に植え付けられたものなのかもしれない。

私が小学校の2.3年生だったと思う。悪ガキの頃である。

無人駅のホームの下の石積みに小さな穴がある。

電車は1時間に一本くらいしか走らなかった。私達のその穴に花火を仕掛けて中から魑魅魍魎が出てくるのを待った。

その夏5.6匹の蛇やトカゲを捕まえた。ほとんどはそのまま逃がしたが、誰が言ったのか今は忘れてしまったが一匹の蛇と大きなカエルをネズミ捕り用のかごの中に入れてカエルがどうなるのか見ていた。

翌朝見るとカエルの足が蛇の口から出ていて、蛇のお腹が大きく膨らんでいた。

人間と言うのはどこまで残酷なのだろうか。小さな子供をそのまま可愛い天使のように扱う大人を見ると、それだけじゃないんだよと教えたくなる。

そんなときターボーは耳を押さえ、目をつむって何か訳の分からない言葉を発して、私達を止めようとする。実際には腕を掴んだり、制止しようとしたわけではなく、全身を震わせて抗議していたのだ。

私が今でもホッとするのはこのターボーはいさちゃんがいたおかげで誰からもあからさまないじ゛めは受けなかったことである。

ターボーが怪我をしていた小さな鳥を見せに私のところに持って来た時に、アトピーで真っ赤になっていたその分厚い掌がとても優しく柔らかくその小鳥を包んでいた事が今でも思い出せる。

私は夏休みも終わり街に帰っていった。それ以来ターボーもいさちゃんも行方は知らない。

10数年前に同地を訪ずれた時には工場の建物もいさちゃんの家も跡形もなくなっていた。

もう一人は同じ小学校にいた。私が5.6年生になったころ、初めてその子が同じ学校にいた事を知った。

当時の私の通っていた小学校には特別学級というのがあって5.6人がそのクラスにいた。同じ教室ではないのでほとんど顔を合わせなかったのだ。

何故、高学年になって普通級に入ってきたのか分からないが、恐らく中学には特別学級のようなものがなかったので徐々に馴らすためにそうしたのではないか。

その子は花や虫が好きだった。自分より弱いものを愛していた。

男の子が花壇の花を踏みつけて目茶目茶にすると、そっと花を元に戻そうとその子は涙ながらに花を植え直した。制服も手も泥だらけにして。

ある子が蟻を踏みつけて殺そうとすると、自分の掌で蟻を守ろうとした。結局、掌ごと踏みつけられて蟻は死んだ。

赤くはれ上がった甲に着いた靴跡より掌で死んだ蟻を見て泣いていた。

その子は中学1年生の時に死んだ。もともと心臓が悪かったようだ。今でも葬式の時に写真に映っていたその子が天使に見えた事は忘れない。

そして誰の記憶からもその子はずっと消えていた。

優しさとは何だろう、強さとは何だろう。私はこの二人を見て自分より弱いものを慈しむ心だと思う。

ここまで地球や自然に傍若無人に振る舞ってきた側の人間が何をぬかすか、全くその通りである。

しかし、円安や株高に一喜一憂している日本を見ていて、どうしても年の初めにこんな事を書きたくなったのである。

今年は慈愛を少しでも持てたら・・・そう思う凡人である・・・だって私には天使にはなれそうもないから・・・・

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bloggerの写真がアップ出来ないので色々試したけど(coo keyの削除やアドオンの設定)駄目だった。アメリカのサイトで確認したら同様の事態が起きていた。internet Exからgoogle cromeにブラウザーを変更して入ってみたら簡単にアップ出来た。

ビッグデータの問題もそうだけどやろうと思えば簡単にその分野でシェアの大きい事を利用して何でも出来るのだ。それを利用者は注視しなければならないと思う。