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2013年3月4日月曜日
リンダ・グラットン「ワークシフト」
この本の題名は正式には"THE SHIFT The future of work is already here"である。
2025年にあなたは誰と何処でどのように働いていますかと問われるのである。
ブログやSNSをやっているなら是非読んでおいた方が良いお薦めの一冊である。
2025年に私のように生きているかどうかも分からない老人は別として若い人はどのように考えるのか大変興味深い。
私は暫く前に友人に勧められ購入して読んだ。和訳本を一読して、それから原書を読んだ。
英国人らしい英文と簡易な説明は小気味良い。
私自身、今の若者のように生まれたときからネット社会が当たり前になっている人ではないから、ネットの無い社会に戻れと言われれば戻れる。しかし、戻ろうとは思わない。
それは有史以来新しい文明を享受した人間の性だと思う。
本は働き方に触れているが、私はもっと大きなパラダイム変化だと思っている。
私がサラリーマンをしていた流通業はもとより、製造業、運輸業、情報通信などなど・・・これらほとんどの業種がその良い悪いに関わらず影響を受けると確信していた。
大きな時代の変化の渦中にいるとその変化に気づき難い。
このブログを始めるきっかけは変化の中にいる私の備忘録のつもりだった。
文章が無性に書きたいときはこのブログで試験的に書いて見たり、その時その時思った事を綴っていた。
ところがそれにも思わぬ広がりがあった。
ずっと疎遠だった知り合いから連絡をもらったり、友人が私の今を知っていることだった。
昔なら友遠方より来るとなれば1日2日酒を酌み交わし膝つき合わせてお互いの事を話した後でなければ知りあえなかっただろう。それがあった瞬間に相手の事を理解していた(ある意味での)
さらにフェイスブックをこれまた勧められてやってみたら、やって初めて理解した。
どうして中東の春がこんなパソコンの画面で繋がっているだけでなし得たのか。
やっと理解した。
何故ならそれはアイデンティティの共有だったから。
繋がるということはある人間と同質化する。これは繋がりの無かった社会とは大きな違いだ。
何故なら、同一性を求めて繋がりを求めているからだ。当たり前なのだ。
しかし一方で自分に都合よくそれを利用しようとする人間もいる。
私がまだ使い方も分からずにSNSをやっていると、ある見知らぬ人から友達申請があった。ずっと無視続けていたが、あまり頻繁なので承認してしまった。その後、その人は自分の思想信条の正しさを同意を求めるがごとく、煩いほど発言するようになってきた。私はそっとボタンを押しなおした。
きっとこの逆だってあるだろう。ネットとはそういうものであると認識しなければならない。
フェイスブックの創始者マーク・ザッカーバーグがSNSは嘘が嫌いだと言っていた。その通りだと思う。繋がりの社会では嘘はすぐばれるから。
もう一面を考えておかなければならないのは、「人は良い評価を得られようと行動する」という事だ。
全人格的人間など存在しない。神でない限り、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり、悪い人になるときもあれば、良い人になる時もある。つまり、ネットに表れているのはその一面だと言う事。
その人の本当の悲しみや怒りなどは奥深くにしまってしまうのだ。
だから私はこうつぶやくことにしているネットでの情報は「確かにそういう一面もある」
12年前にLAに行ったときと、先月のLAで一番驚いたのは、全てが超スムーズになったことである。
レストランに出掛けても、ホテルについても全くまごつくことは無い。だって事前にどんな店かどんなメニューか知っているのだから。
道路だってLAの複雑なハイウェイを心配していたが、グーグルマップがあれば渋滞も時間も心配ない。ナビよりずっと正確だった。
だがこれをやりすぎるともはや観光など必要なくなってしまうのではないかと危惧する。
名所旧跡巡りはもうみんなの「知っている」になってしまっているからだ。
ではネットワーク時代の観光とはどういったものなのか?
その一つは自分のアイデンティティの旅だと思う。価値観と言うのは変化する。つまりその時々で自分は何を目指し、嗜好しているのか探す旅だ。
これはある一点の歴史を客観的に眺めるのではなく、時間と言う流れの中であくまで自分を中心に社会システムやその基盤を探す旅だ。そう動的観光なのだ。
私はことごとく前述の観光的旅行は遠慮している。申し訳ないが、どこぞの工場を観て回ったり、名所旧跡を巡る旅など御免被る。
いっそ、私が旅行の企画でもしてアィデンティティの旅を売り込むなんてのはどうだろう。
冗談だが、これは冗談でなく今度のパリに行ったらシャルルドゴール2に立ち寄る、今日決まった。いわば毎日の好奇心の積み重ねの旅なのだ。
閑話休題
変化にはリスクはつきものである。私の回りにはそのリスクの取り方について3種類の人間がいる。
ひとつはリスクを取らず最初からネットと距離いや拒絶してひきこもる地下人である。
もうひとつは積極的にリスクを取り、変化についていき、生き生きと自分を発揮している人達だ。伊藤穣一氏なとその典型ではなかろうか。
そしてもう一種類は仕方なくしぶしぶリスクを取っている人達だ。実は3番目が一番多い気がする。
過去の歴史を見てもパラダイム変化が起きた時に変化出来ないものは必ず淘汰される。
前述したワークシフトの中に「仕事と遊びの境界線を曖昧にすることが創造性を発揮する最良の方法だと述べていた。
自画自賛だが、幸せとは
Happiness=√(健康)×(人間関係+価値共有の時間)
なのだから・・・
定年で蕎麦打ちをするのでは遅いのだ。
昨日、LAの息子とスカイプした。LAは30度だという。息子の顔は暑くて汗ばんでいるようだった。
臨月を迎え里帰りした娘が階段から降りてきた。妻は息子と会話している。
犬は2匹横たわり眠ったままだ。幸せとはこんな一瞬かもしれない・・・・・
息子もお世話になったI・K氏から送られてきたマリブの昨日の写真・・このポイントは正式にはMalibu Surf riders Pointといい、海底はCobble Stoneと教えてもらった、53歳にしてまたあたらしい事を娘と同年代の人に教えてもらった・・・これも幸せである・・・間違いない・・・
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