開高健とクジラ屋
どうしても忘れられない味と言うものがある。私は学生時代に生活費を稼がなければならずアルバイトに明け暮れた。友人のお陰で何とか大学の単位こそ取れたものの、読書などする暇もお金も無かった。
私が読書するようになったのは35歳を過ぎてからだ。子供が小学校高学年に差し掛かり、時間的にも精神的にも少しだけ余裕が生まれた頃だ。
受験に出るような日本文学の古典や海外の超有名どころの本は一応読んでいたが、トルーマンカポーティやヘミングウェイなど比較的近年のロストジェネレーションと呼ばれる作家のものは皆無に等しかった。そこで最初にヘミングウェイの「海流の中の島々」をお茶ノ水の三省堂で購入して読み始めた。
読み進めて行くうちにヘミングウェイのカジキや海に関するに対する圧倒する知識と筆致の素晴らしさに舌を巻いた。好きこそ物の上手なりと言う言葉があるように、その件になると我前、色彩が付いてくる。それまで白黒だった映画が急に天然食を纏い、3Dの立体映画のように迫りくる。なるほどこれがヘミングウェイの真骨頂かと遅まきながら感じたことを覚えている。これに調子を良くした私は自らをニックアダムスと呼んで良い気になっていた事は恥ずかしながら事実である。
そして次に手にしたのが開高健だった。最初に購入したのは小説ではなくエッセイだった。ヘミングウェイの影響から、釣りや魚に関して興味を持っていたからだ。大学の出版会から出されていた分厚い魚類図鑑を見ながら、氏の釣りあげる魚の正体を確認していた。氏の書くこれらのエッセイは旅行記としても面白いし、魚類の生態学としても楽しめた。そしてそれに続いて現れる彼の食への表現には驚いた。
いや、これほどまでに食に関して情熱的に書かれた文章に出会った事が無かった私はその博覧強記の知識と言葉による説明に生唾を飲んだ。そしてその感動を感じた場所こそが渋谷の元祖くじら屋だったのだ。
今でもあのとき食べたくじらのからあげの味を忘れない。
ここで断っておくが、私の生まれた頃には代用食としてのくじら肉の時代は終わっていた。普通にスーパーに行けば缶詰の大和煮は売っていたが、硬くて甘い肉を敢えて買う事はなかった。
偶然、その時に食べていたものが竜田揚げだった訳である。ただ単にそれだけである。
それから、擦り切れるほどヘミングウェイも開高健も読んだ。船に乗れない私なので生命と対峙する釣りの醍醐味は分からず仕舞だが、何となく美味しいものへの執念のようなものがふつふつと心の奥に湧いて来たような気がするのだ。だから辛うじて氏の天国の家の門柱にしがみ付く蟻程になってきたと思うのであるが、一方で氏は次のような事も書いていたのを思い出す。
「言葉を扱うものにとって、美味しさを表現する時に筆舌に尽くしがたいとか、言葉に表現的ない美味しさなどと書いては駄目だ。筆舌を尽くすのだ。そして言葉を選び、選びぬいて表現するのだ」と。
果たして蟻程に成長できたかやはり不安ではあるのだが。
出店 渋谷「くじら屋」