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2014年3月1日土曜日

巴里逍遙

輸入文具の店を始めたのは巴里に行きたかったからである。毎年2回仕入れと称して(本当に仕入れていました・笑)巴里に数日間滞在した。本当はもっと長くアパルトマンでも借りて巴里に住むことが出来ればもっと楽しかったろうに、そんなことは到底出来るはずもなく、数日間の巴里行きで巴里の雰囲気を楽しんだ。
巴里の街をご存知のかたはお分かりだと思うが、巴里は東京と比べるとずっと小さい。
市街地と郊外を隔てるあたりに門がある。実際に門はないのだが、中世の頃には石造りの門があったはずだと思いを馳せる。
その辺りには市が立つ。バンブーもそのあたりにある。クリニャンクールが観光客相手の店が多いのと比べて、こちらは大分庶民的である。店を出している者の中にはフランスの田舎町から車に商売道具一式を積み込んでやってくるものもいる。掘り出し物の古い香水瓶を譲ってもらったこともあった。
巴里で一番好きな場所はモンマルトルの丘の上である。ピガール広場の先だ。あそこから見える巴里の屋根の景色が好きだ。
エッフェル塔には登ったことがないが、あそこでは高すぎる。それに比べると丘から見える景色では、建物には大小の煙突が不揃いに飛び出ていて手に取れそうな感じがする。
丘の下には葡萄畑がある。巴里で作られている唯一のワイン用葡萄だと聞く。葡萄の葉が色づき、西陽に照らされて黄金色に輝く初冬の景色。
早朝かと思いきや時計を見るとすでに8時を回っているのにあたりは暗い。その薄暗い石畳の坂道を大人に連れられて幼い子供たちが登ってくる朝の光景。クロワッサンとカフェオレの香り。
全ての日常が美しい街、巴里。巴里から日本に戻ると、大好きな絵の飾ってある美術館から帰ってきたような気持ちになる。そしてその絵をまた見たくなるのだ。






2013年7月3日水曜日

カリテ・プリとユトリロ

カリテ・プリとユトリロ

初めてパリを訪れた時、モンマルトルの丘のふもとにある小さなホテルに滞在した。石段の下でタクシーを降ろされ、大きなスーツケースを引きずりながらそのホテルの玄関に着いた時には辺りは真っ暗だった。
翌朝、辺りはまだ薄暗いのに小さな子供が親と一緒に石段を上っている。時計を見ると朝の九時近くになっていた。東京よりずっと緯度の高いパリでは11月の中ごろではまた陽が昇らない。
登校の子供達を窓から見るとでもなく眺めながら、疲れた胃に茹で卵を無理やり放り込むが、思ったように喉から下りない。仕方なく、水で流し込むが口の中が玉子の黄味で一杯になりなんともやるせない。
モンマルトルを散策した。ユトリロが絵描いた街がそのまま残されていた。ラパンアジルもサクレクール寺院も昔のままだ。街角の落書き一つとってもパリのものだった。
ホテルの前の小さな公園のベンチに腰を掛けていると、石段の下の方から2メートルは優に超える黒人がこちらの方に近づいてくる。私は気構えるが、相手は好相し、手を伸ばしてくる。相手は早口のフランス語で話しかけてきたが、こちらが一向に理解を示さないのを知るや、片言の英語で「ホワット・ユー・カム・フラム」と言う。私が「ジャパン」と答えると、相手は「アイ・カム・フロム・セネガル」という。その男が差し出した手はまるで野球のグローブのような大きさでゴツゴツしていた。
その男は「アイ ワーク ゼアー」と石段の下の店を指差した。私にどこで働いているのかしつこく聞く。私が旅行者だと言っても一向に信じてくれない。しまいには夜、私の働いている店に来いという。私が行ければと答えると、「マスト」と返して来た。
夜になってその店に出掛けた。昼間の彼は厨房の奥で仕事をしていた。皿洗いなどの雑用らしいが、私達を見るや近づいてきて、同時にウェイターに何やら話しこんだ。
私達は席に着き、この季節のお薦め料理を頼んだ。暫くして良く冷えたサンセールと共に運ばれてきた、それはバケツ一杯はあろうかという量のムール貝だった。
必死になってワインと共に凄い量のムール貝を平らげた。会計を済ませ、店を出ようとすると厨房の奥の彼が笑ってウィンクしてくれた。
ビストロのフランス料理を表す言葉にカリテとプロというものがある。文字通りカリテは質、プリは値段のことだ。この二つが調和されていなければならない。
彼の親切心は身に滲みたが、胃袋の小さい東洋人にとって味より、値段よりあの量で圧倒され、あとは分からなくなった。
そろそろムール貝の季節だ。あくまでカリテ・プリのものを・・・

出店 モンマルトル 店名不明





2012年10月5日金曜日

カメラのこと

息子に言わせると私はカメラが好きなふりをしているそうである。まあ、確かにずっとカメラマニアだった訳ではないし、つまるところ必然に駆られてカメラに興味を持った訳であるから言われても仕方あるまい。

そんな私がカメラを選ぶには二つの決めごとをしたのである。こう見えても私は自分の中に一応の境界線というものを設定して身の丈をわきまえるようにしているのだ。

例えば車、50歳までは絶対にドアが2枚の車には乗らないと決めた。2枚の車を買ったのは51歳だった。そして、もうひとつは妻も運転できる比較的(ここが大事)壊れない車であるということだ。

だから、イタリアやフランスの車は御法度ということになる。

自転車(ロードバイク)に限ってはこの境界線をあげている。金額による分け隔てはない。ただし、電動の変速機には興味が無い。だいいち、自転車が車やオートバイに近くなったら自転車に乗る意味がなくなってしまうからだ。

そこへいくとカメラの場合は少し複雑だ。私にとってカメラは街歩きや何気ない日常の風景を切り取る日記のような役割をするものと、もう一つは対象物を決めてから写す、ややコマーシャル的要素のものとがある。

日常を切り取るには操作性と携帯性が大切だ。レンズを付け替えたり、袋から出したりしている間にシャッターチャンスはなくなる。コンデジで十分である。

それにである。写真の上手い人と言うのはこの観察する目のセンスがいい。だから、私達が見逃してしまうような一瞬を見過ごさない。ならば凡人の私は尚更、見る目に集中するべきだと思うのだ。

撮り方にもこだわりがある。よく写真館の応募フォトにあるような風景画を撮るのは好きではない。

三脚を構えて、暮れゆく夕日と富士山のような作画が私の理想とするものではないのだ。

あえて言わせてもらえば木村伊兵衛やアンリブリッソン、そこまで行かなくても武田花さんのような(それでも目標が高すぎる??)のような写真を撮りたいというのが私の無謀な野望なのである。いつかは時間さえもとらえたようなそんな写真を撮る事が夢なのだ。

だから、こだわりがあるとすれば、カメラがその街の雰囲気を顕してくれるかということがある。以前フィルムのときに使っていたコンタックスはその点微妙な色合いを映し出していた。

パリやニューヨークのある暗さや重さを表現したかったからだ。

つい最近手に入れたライカのコンデジX2もこのあたりが気にいって買った。以前の光学式ファインダーに変えて登場した電子式ファインダーはほとんど実際の映像のように見える点も秀逸だ。

では物撮りではどうか。物撮りに限らず動物や動く対象物にはコンデジは弱い。運動会で走る子供を獲るにはどうしても望遠のついた一眼が欲しくなる。さらに接近してとるクローズアップ撮影もマクロレンズを付けて撮ると素晴らしい作画になる。

ここで私は境界線を設けたのだ。

いまのところオリンピックの報道陣のカメラを見ていてもニコンとキャノンが2大メーカーであることに変わりはないが、あとはそれぞれの作画が好きか嫌いかである。私は前述したようにあまり人工的に明るい写真は好きではない。その点でニコンを選んだ訳であるが、もうひとつの重要な点は、キャノンはニコンに比べて後発のためデジカメ以前のレンズはほとんどない。逆に言えばほとんど全てのレンズが使えるということになる。

そこへいくとニコンはデジカメ以前のレンズが膨大にある。そこで同社はデジカメ以降のレンズをDX規格として以前のFX規格のレンズ区分けしたのだ。これによってニコンは同じメーカーでありながら機種によって使えないレンズが存在する事になった。

このFX規格のレンズは素晴らしい、プロがこぞって絶賛するだけのことはある。ただし、この世界もライカのRレンズ同様高価で奥が深いのだ。

という経緯もあり、私のカメラ選びのポイントは①ほんどのレンズが使えるようなフルサイズは買わないこと。(ニコンで言えばD3やD4)そして②もう一つはライカのRレンズが付けられるものは買わない事だ。

カメラの場合、確かにレンズによりその映り方は大きく差が出る。しかし、そのレンズの世界にのめりこむとそこはまさに底なし沼である。

ライカのエルマリートやズミックスが使えるとなると当然そのレンズの性質上、防湿庫に保管しなければならない(すぐに埃やカケの原因になる)さらにFXの400mm以上望遠レンズはどれも驚くほど高価でかつ大きさも尋常でない。カメラを撮ることに集中する気が無ければ持ち出せない代物である。

ということでカメラの境界線が出来あがったのだ。でもこの境界線は国境とは違い、あっと言う間に領海侵犯され崩壊する危険性を孕んでいる事は事前にお伝えしよう・・・







2010年12月13日月曜日

宿 Paris

モンマルトルの坂の途中に

秋が深くなれば、客も少ないホテルがある筈だ。

私は、ある年の秋の客で、

女主人から、

お手本のような字で

ルアーブルまでの旅の心得を、こまごまと書いてもらった。

今年も叉、同じ秋になって、

夜には女ばかりの家族が

ロビーでテレビを見ているに違いない。

今年も同じ秋ならば、

再び、あの宿に泊まり、

早朝の出発には、鍵の開け方を知らない人になって

「マダム、マダム」と呼んでみたい。

とうに目覚めていた彼女が、部屋着姿で笑顔を見せ、

壁際のボタンを押して

電気ロックをはずしてくれるだろう。

カチッと、まるで

心の扉の、鍵がはずれる音のように・・・・

JET STREAME 1979.11.2.ON AIR を一部私的に変更しました

2010年4月1日木曜日

PISTE CYCLABLE


フランスでは自転車専用道路のことを"PASTE CYCLABLE"と呼びます。パリっ子でも地下鉄の大規模スト以来、自転車を使う人が増えたと聞きます。

見てください、ガニまたでサドルを下げて乗っているのは極東の国だけです。