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2010年3月4日木曜日

TUNA 実証主義

2升のお米でちらし寿司を徹夜で作った妻は私と同じに指先が刃傷沙汰になってしまいました。今日、腫れてきたので整形外科に行くと言っていました。会社のスタッフに鯛でデンプを作ったと嘯いてしまいました。正確にはツナ缶です。

その妻と私の会話

妻  ツナってまぐろだよね

私  いや、カツオもあるんじゃない

おもむろに床下収納に残っていたツナ缶のラベルを確認して

妻  まぐろじゃない。キハダマグロって書いてあるよ ほら やっぱりまぐろだ

私  無言

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辞書で確認する気になれなかったので、その場はこれでオシマイでしたが、歳を取ると間違いはお互い再確認しなければなりません。何分、顔は出てきても名前が出てこないようなことがしょっちゅうあるのですら・・・・・・・


ウィキペディアによると

ツナはまぐろ、かつおツナ (英語 tuna) は、スズキ目・サバ科・マグロ族 Thunnini に分類される魚の総称[1]。5属・14 - 15種が含まれる。
「マグロ」と訳されることが多いが、マグロ(マグロ族中の1属であるマグロ属の総称)よりは広い範囲を指し、カツオやソウダガツオなども含まれる。

とあります。

私のジーニアス英和辞典でも1 C( 魚)マグロ、マグロ類などサバ科の活発な大型魚のこととあります。

ロングマンの英英辞典でも、1   a large ocean fish caught for food  2  also tunafish the flesh of this fish,usually sold cook in cans

なんです。英語ではこんな形の魚でこんな風に売られているものがtunaと呼ばれる訳です。日本のように産地によって呼び名が変わったり、出世魚のような表現はあまり見たことがありません。

ハマチはyoung yellow fish、ブリはyellow fishです。日本とは使い方が違うのです。      



写真の缶づめはツナ&コーンですが、原材料はカツオとなっています。何事も実証主義です。

CHEZ PAUL  辻 静雄

バスティーユ近くにあるパリのビストロです。2007年現在健在でした。パリに行ったときにマークしているお店です。




私の紹介よりも、昭和46年に辻静雄さんが書いたエッセイです。抜粋です。

皇太子殿下が天皇陛下の名代でエリザベス1世の戴冠式にご出席になったあとパリによられたときに、パリの外交官が、あまりりっぱなレストランにお連れするよりも、パリの市民の生活わみれるところがいいというのでお連れしたいわくつきの店です。ただし、皇太子殿下をもちだすまでもなく、アメリカ人の間でも有名なビストロのうちの1軒に入ります。

***********中略************

このエスキャロップ・ド・ヴォー・アン・パピヨット、つまり仔牛の薄切りの紙包み焼きに使う材料は、仔牛のうす切りが縦十センチ、横二十センチくらいのものが四枚、ワックス・ペーパー、これは仔牛のうす切りを包んでまだあまりのがあって、その余白が折り曲げられるくらいのものが、四枚、うすいハムが八枚、バターが大匙4杯、オリーヴオイル、塩、こしょう、デュクセルがいる。

**********中略*************

紙がこげはじめるにしたがってパピヨット、この紙包み焼はふくらんできます。おそらく八分から十分ぐらいかかりますけれども、焼あがったらすぐに取り出します。お客さんにお出しする方法は、ナイフとフォークでその紙を力いっぱいやぶり、ひきちぎって中身を出してさしあげる訳です。

その情景がありありと浮かんできます。さらにその調理法まで詳しく観察している訳です。すばらしいエッセイです。

写真はお店のHPからです。(まだ健在でした!!)メニューにエスキャロップ・ド・ヴォー・アン・パピヨットが見つからなかった(フランス語力のなさ?)のが気がかりです。デュクセルシナモンを入れるとは初耳でした。

こんなお店での食事に想いを馳せながら手作りのお弁当で昼食の午後てあります。

三鷹光器  脳神経外科手術用顕微鏡


三鷹光器という会社を知っていますか?取引先の方から教えられ知ることになったのですが、そう字のごとく三鷹に社を構える訳です。決して日立やパナソニックのような大きな会社ではありません。

三鷹といえば国立天文台のあるところ、天文機器にスタートした会社なのですが、驚きなのは現在医療機器中でも脳神経外科手術用顕微鏡の世界シェア50%を超すというのです。

高校の友人S氏も手術の際、使っていたかもしれませんね。

この顕微鏡は、腫瘍部分がモニター上で光って見える外科手術用顕微鏡なのです。取り残すと転移の可能性があるガンの位置を目で確認できることが最大のメリットです。

これには腫瘍に集まる性質を持つタラポルフィンナトリウムという物質を利用し、664ナノメートル(ナノは10億分の1)の波長の光を当て、672ナノメートルの波長で蛍光させるというものです。

そこで優れた技術は664ナノの波長の光をカットするフィルターを開発し顕微鏡カメラに取りつけ、腫瘍だけが光って見えるようにしたということです。

さらに昨年開発した最新機は、従来は光ったガンをモニターで見る方式だったものをレンズを覗いたままで確認できるようにしたということです。3次元の鮮明な映像を使って手術ができるのことで、細胞レベルで光っているかが判別できるということらしいです。

何が言いたいかって、物作り立国日本は決して崩壊しているわけではないのです。市場と進化に応じて変態している企業が躍進しているということです。

写真はHPよりお借りしました。

お金の教養  身の回りの整理・整頓のすすめ





しばらく前に読書した泉正人氏の「お金の教養」と松浦弥太郎氏の「今日もていねいに」です。

今私はいかに金に縛られずに丁寧に生活できるのか実践中であります。何をいうのかとお怒りの向きもありましょうが、本当なのです。我が家にはもうイメルダはいません。(笑)

結局大量に消費することは大量の無駄を生むことであり、その無駄を見たときには嫌悪感さえ感じる訳です。

お金の貯まらない人は「お金を使っている実感のない人」と書いてありました。

私もそう思います。

当たり前のように月1回床屋に行き、当たり前のように平日は外食でランチを済ませ、当たり前のように毎日バスに乗る。何一つ大金を使うわけではありません。サラリーマンなら普通の生活です。でも、でも、その当たり前と思っていることが危険なんです。使っている感覚のない消費なのです。

もちろん清貧の思想などとはいいません。お酒も飲むし、運転もします。外食もします。でも無駄のないように心掛ければとても気持ちの良いことです。運転だって「どうぞお先に」という気持ちで、エコに運転すれば安全で節約になります。

歳をとると身の回りのもの整理した方が良いと思います。あの秋山好古氏も「男は出来る限り身の回りのものは少ない方が良い」と申しておりました。整理すると無駄が見えて、何が必要かわかるのです。

それとこれが大切です。当たり前を頭から消し去れば、新しい知識が芽生えてきます。
古い知識は新しい知識の妨げにほかなりません。外山滋比古氏の「忘却の整理学」そのものです。

恥ずかしながら、つい最近まで無線ルーターは上下階は飛ばせられないというその当時の知識に縛られて、トライしませんでした。まさに、自己反省です。近年ではルーターも改良され上下階でも飛ばせるらしいです。もちろんこれはトライします。

無駄の垂れ流しでやっていけるどこかの国のように赤字国債は我が家では発行できません。毎日、ていねいに生活を送る心掛けです。




Hobo Blues


カード会社の定期雑誌(これが大変よく出来ていて、続けているのはこの雑誌のせい?とまで思わせる秀品です)に映画ホノカアボーイの吉田玲雄さんが「ホーボー」のことを記載していました。

hoboとは19世紀から20世紀にかけて不景気な時代に土地から土地に流れ歩いた労働者のことです。そして広義にはそれらにまつわるサブカルチャーを総称していうのです。

文学ではスタインペッグの「二十日鼠と人間」なんかはその代表作です。

昨年公開した「イントゥザワイルド」というロードムービー(恵比寿ガーデンシネマにて鑑賞しました)もそんな流れをくんでいます。

それ以上に昨年7月に逝去した歌手川村カオリさんの曲に「ホーボーブルース」なるものがありました。(映画を観るきっかけはこの曲でした)

世界には多くの流浪の民がいます。人間はこの流浪で何を思い、何を掴むのでしょう。砂上の楼閣かもしれませんが・・・・・・・・

雑誌 選択


有料な情報として以前も掲載した。雑誌 「選択」です。年間1万2千円です。1冊1000円です。
これを安いと見るか、高いとみるか人によってそれぞれです。

息子は論評はその整合性を説明する責任があるといいます。その論を得るならば「情報は委縮して、全て証明された矮小な情報」ばかりになってしまいます。

私はこの雑誌がマスを目指さない点が気に入っているのです。意見は3者三様です。問題はリテラシーを持ってこの情報を見極め、自分の意見と比較してどうなのかなと検証することにあります。

「日銀総裁が「東大経」卒が間違い」「スパコンの事業仕分けによりオーダーメイド医療に出遅れる」などの記事は少し笑ってしまいましたが、(オーダーメイド医療は今進めているスパコンでなくても進められる)、一方、「還りのいのち、還りの医療 米沢 慧」の記事はまさに膝を打つ思いです。

本当に困窮している人たちは多くを求めないのです。私も以前、そういったケースを見てきました。
多くを求めず、不平もいわず、消えていくのです。

群馬県の渋川で起きた老人ホームの火災事故を思い返して下さい。不要なものとして有無を言わさず、田舎の空いている施設に送られ、事故で死んでしまった人たちのも悲しい現実です。

福祉とは名ばかりのこの国です。



Musée d'Orsay  オルセー美術館展 国立新美術館

オルセー美術館展が5月より国立新美術館で開催されます。今年の美術館イベントの3指に入るものです。

この小さなMusée d'Orsayと書かれた箱なんだか分かりますか?

実はこれ小さな窓がついていてオルセーの代表的作品がスライドで見られるおもちゃなのです。

オルセー美術館に行ったときにお土産で購入したものです。


この箱の中にも収蔵されているギュスターブ・カイユボットの絵画です。建築デザインの仕事に携わる身として、フローリングの使い方が西洋と日本でこれほど違うのかと納得した1枚です。恥ずかしながら、汚れても削ればまた綺麗になりますとの謳い文句で無垢のフローリングを選択した人が無垢板を削ってリニューアルしたケースは未だお目にかかれません。そもそもフローリングに求めるものが違うのです。