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2013年7月9日火曜日

頭の柔軟性

頭の柔軟性

歳をとると躯もしかりですが、頭の柔軟性がなくなるといいます。しかしこれとて人それぞれで私より10才以上も歳の離れた友人の中には全くこれに当てはまらない永遠の青年のような人もいますし、逆に若いのに保守的で新しい思考を全く取り入れない人もいますから、ですから本当に人それぞれということになります。
私がお付き合いをさせてもらっている設計事務所の設計士さんはこの柔軟性がすこぶる豊かなのです。ここで断って置きますが、頭の柔軟性と言うのは根なし草のように、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、自分を持たすに他人に意見にすぐ迎合するというものではありません。この先生は某大手設計事務所では大きな建築物の企画や設計も、さらに個人でも数々のコンペティションにも参加するなど、自分と言うものをしっかりと持っておられます。
それでも世の中には多くの嗜好性が存在します。それを駄目と言ってしまえば、全てが御仕舞、ジエンドとなってしまうのですが、その中に一縷の光明を見つけ出し、新たな価値を創造する作業こそ、この先生の真骨頂とも呼べるものなのです。
今回のクライアントは幼き頃よりアルゼンチンを始め多くの海外生活体験をされた奥様でした。さらにその後、音大でピアノを習得しさらに看護の免許を取得すると言う、若くして多くの事を経験し感化されてきた人でした。
この感化された事実の前では私達が当たり前だと思っている事は必ずしも当たり前ではなく、もっと別の庭が広がっているのです。
この事実を受け入れ、発展させる事こそが自分の価値観を広げて行く行為なのではないでしょうか。それを強く感じます。こうした仕事を一緒にできた事は私にとっても新しい創造的出来事なのです。本当に楽しい経験でした。有難うございました。私も頭の柔軟性についてよくよく気をつけなければならないと自戒の念を込めてこの文章を書きあげたということになりましょうか。





思い込み

思い込み

私の場合、脳が何らかの障害を受けて可笑しな回路を作り出しているのではとかねてから思う節がある。もっとも私の脳の断層画像を見ると第四脳室、シルヴィウス溝の近くに今もウズラ卵大の白い得体のしれない物質があるのは事実なのだが。
可笑しな回路とは、つまるところの思い込みである。例えば雲呑と書いて「ワンタン」と読むのは小学生でも知っている。そして饂飩と書いて「ウドン」と読む。こちらは中学生くらいか。それでもこの二つの語彙は万人が知るところの漢字である。ところが私の脳では雲呑と見るや「ウドン」と発してしまう。いくら気にしていても「ウドン」に翻訳されてしまうのだ。ところが饂飩は「ウドン」でワンタンとは言わない。言語が反転一致しているのではない、あくまで視覚的イメージの迷走である。
浜田山の雲呑麺の美味しい店では二回とも「ウドン」と言ってしまったが、出て来たのは雲呑麺であったのは助かった。
こんな事もある。卵と私というオムライスの美味しい店がある。全国チェーンで展開しているのでご存知の方も多いのではあるまいか。ところが、この名前を見たり、聞いたりすると少し恥ずかしいような、困ったような気持ちになる。それは私の脳の中で卵は「卵子」、私は「女性」に翻訳されてしまうからだ。よって卵と私と言うオムライスの美味しいお店は、不妊治療専門のクリニックとなって私の頭に現れるのである。店のファサードは明るいピンクと白の基調の看板でレディースクリニックと変わっているのである。
こんな馬鹿な発想をしているのは私だけだと思っていたら、大好きな小説家の村上春樹氏も笑って(笑ったかどうかは分からない)同じ話をしていた。ハルキストとしては大変嬉しくなったが、やはり自分のこの回路の異常さは時として理解に苦しむ。
例えばショパンを皆さんイメージすると何が思い浮かぶだろうか。多くの人は音楽教室に飾られていたカールした髪の毛の女性のように優しそうなショパンの顔であったり、クラシックファンなら自分の好きなショパンのレコードの表紙なのではあるまいか。
ところが私は銀色のつぶつぶの一杯入ったサンドウイッチをイメージしてしまうのだ。何故サンドウイッチかというとこれはショパンの庇護者でもあり彼の恋人、ジョルジュサンドの影響が大きいからだろう。しかし、私の中ではメーテルリンクの戯曲ペレアスとメリサンドの森の中の絵に登場する人物がショパンに思えたことがさらに複雑に絡み合い、生成されたのではないだろうか。そして銀色のぶつぶつはケーキを作る時に使うアラザンという。これは分からないが言葉が似ているから思ったのかもしれない。そう私の中でショパンはアラザンが一杯詰まったサンドウイッチとしてイメージされるのだ。
私の場合、記憶力の低い脳をカバーするために多くの事象や物体を連結し定着しようと映像化する、能力の少ない器官の補完作用なのかもしれない。あからさま否定はしないが困る事も多い。
先日もテレビの映像で流されていたスカイツリーを見て変な想像をしてしまった。変な想像と言ってもまた変なイメージをされては困るのであるが、未成年者禁止のそれではない。まるで蟻塚だと。これもまた困ったイメージである。こちらの方は実際の蟻塚のように脆くては困るのだが。