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2012年4月30日月曜日

InfluenceとInspire

今ではブログやFacebookで手軽に情報をシェア出来ますし、何十年も会ってない友人にもつい昨日会ったような既視感さえ覚えます。

しかしながらこれらは実体験では決してありません。何故なら、直接会って相手の鼓動や表情を観ながら会話することはなく、あくまで仮想の中での話ですから。

ネットワークを意識するようになったのは今から6.7年前です。自分が30代より全く仕事関係でも血縁でもない多くの人の影響を受けてきたのか改めて思い知ったからです。

またそれらの情報の階層が折りたたまれて自分の行動を揺り動かしていたのです。

それ以来、自分と何らかの形で接点のある人に多く声をかけ、GWの一日に我が家を解放し、皆に集まってもらっているのです。

そうです仮想ではない、実際のネットワークの確認作業のようなものです。

昨日も過去最高の50名以上の老若男女が集いました。中にはお孫さん付で参加した人もいました。

またTEDに実際に参加し、スピーチをされた人がいたことも確認できました。

FACEBOOKは有用です。しかし、有用でも情報の一端しか見えないのも事実です。

ビールは30リットルしか消費されませんでしたが、ワインは3リットルのスーパーマグナムボトル2本と白ワイン9本、赤ワイン8本、さらに森伊蔵も空になりました。

光陰矢のごとし、Sパパが言っていたことを思い出します。

「今自分が選択しなければ次はないのだよ」確かにその通りです。

人生は選択の連続ですから・・・・・

2012年4月26日木曜日

宇宙論 佐藤勝彦氏

みなさんは宇宙について興味はありますか?興味の無い方や宇宙の事を考えると怖くなる人(息子は小さなころ宇宙の話をすると耳をふさいでいました・・笑)はとばしてください。

佐藤勝彦氏という研究者がいます。この分野でノーベル賞に一番近い人だとも言われています。

数年前まで東京大学で教鞭をとっていたのですが、定年で退官し別の大学に移られました。

私は小柴教授のノーベル賞受賞記念の公演の折、直接佐藤氏の講演を聞く機会に恵まれました。

氏の講義は一般の聴衆のため難しい方程式は使わずに、至極簡単に彼の唱えるインフレーション宇宙論について説明してくれました。

ここにお薦めする本は氏がまさにそうした素人向きに分かりやすく書きあげたものです。

宇宙論の序章としてお薦めの書籍です。




ステープ・ホーキング氏は皆様もご存じの車いすの天才物理学者です。彼はスタートレックにも出演していますから知らない人はいないと思います(笑)

彼の著したこの本も入門書としてお薦めです。今最新の宇宙論の概要をつかむにはうってつけです。

そうそう佐藤勝彦氏はホーキングの訳者でもありましたね。




もう少し量子論や粒子の振る舞い(物理学は良い言葉を使いますね)を知りたいと言う人にはこちらの本をお勧めします。

内容的には日本人で先般ノーベル賞を受賞した益川・小林理論とも通ずるものがあります。

宇宙創成の謎は対称性の破れだった?本当に想像が膨らみます。



さらに宇宙の姿を俯瞰しようとするならばこの2冊がお薦めです。宇宙観が一気に広がること間違いありません。カラビヤウ多様体ということばや超弦理論もこの本で知りました。

読み終えると村上春樹のパラレルワールドが嘘ではなく、実際に説明されているところに驚きます。

金環日食が近づいています。専用の器具を使って目を傷めないように観測しましょう。私は日食の開始と終了間際のダイヤモンドリングが好きです。



2012年4月25日水曜日

TED

昨晩のテレビでアメリカで開催されているTEDの実際にスピーチをしている場面ととその前の練習の風景が写されていた。

今まではこのTEDを見ることはプラチナチケットを手に入れるようなもので、マスコミもシャットアウト知るのはネットワーク以外になかった。

実際に登場してスピーチする人物は老若男女、人種もバラバラでその守備範囲は相当に広い。

すでに名を馳せている人もいれば、全く無名の人もいる。

そしてそのスピーチの内容は各国のボランティアによって翻訳され各国に配信される。

Human Arabesqueなるビデオは人種や年齢を超えてアラベスクが出来あがる。このネットワーク社会の姿そのものである。

参加した茂木健一郎氏がこのTEDの素晴らしさはまず発表させる場を設けるだけでなく、どのようにしたら効果的に映るか、聴衆に感動を与えられるか徹底的に分析している点だと言っていた。

氏はこのプロジェクトの参加には「脱抑制」が必要だが日本人は苦手な部分を本質的に持つとも言っていた。

私がこうした一連のアメリカでの催し物(アカデミー賞の授賞式なども)はまず徹底してやることを徹底的にやっていることだと思う。何も特別な事ではない。やるべくしやっている点である。

そこへいくと我が国はだらしない。いや不甲斐ないのである。素人の討論会やクイズ番組は敬遠され、芸能人のお決まりのクイズ番組だけが生き残る。

英語でapplauseという単語がある、賞賛である。トヨタ自動車の元会長で経済界の重鎮である奥田碩氏が「そろそろ日本も嫉妬から賞賛の経済にかわるべきだ」と言っていたがまだまだ遠い話のようだ。

話を元に戻そう。このTEDでは知は個人や一部の企業によって独占、閉鎖されることは社会全体そしてその個人やシステムにも恩恵を預けず、オープンにして共有することで知そのものも、そして個人も企業も価値が上昇すると言っていた。

FACEBOOKでもこのTEDについて触れたが、残念なのは私の友人で「いいね」をしていたのが一人だったことだ・・・若い人にこそチャレンジしてもらいたい・・・・

世界はまさにThe next convergenceなのではないか?

この本を送った就活中の友人の息子はきっとこの深遠な意味を理解してくれていることだと思う。

2012年4月23日月曜日

時間とのかかわり方

30代の頃には分からなかったことが、たまねぎの薄皮剥くように一枚一枚ベールをどかし、目の前にその姿を現すことがあります。

私にとって時間とのかかわり方もそんなひとつ。

以前時間は相対的なものと言った事がありました。その通りです。ある人にって1時間はすごく長いものかもしれませんが、別の人にとってはとるに足らない時間であることもまま見受けます。

私は仕事をするうえで特に大切にしている考え方があります。

自分が取りかかろうとしているその仕事は果たし時間を味方に付けることが出来るのか否かということです。

成功するか分からない仕事でも、この時間を味方につけることが出来ればその成功の確率は驚くほど上昇します。

逆に相手にこの時間を味方につけられるとこちらの勝率は下がります。もちろん人生には勝者も敗者もないのですけど・・・

欲どおしい人というのはこの時間を味方に付けていません。

欲が時間に勝って独り歩きするのです。こうなったらその人に良い事はありません。

ある本に「怒らない心穏やかに生きる」と書いてありました。すべてがそうだったらその人は聖人です。誰だって頭に来ることも心乱されることだってあるのです。それは人間ですから仕方のないことです。

ただ、そういう時ほど丹田に力を入れて一度俯瞰するのです。すると時間の流れが自分の中で一度止まり自分が時間の雲の上にいるそんな感覚を覚えます。

すると時間はするすると川を流れ自分は何もせずその時間の雲に乗る事になる訳です。

世の中、あるがままに受け入れるということが出来るようになるのです。

全てが旨く行くとは限りません。失敗も多くあります。でも嘘だと思ってこの考え方を試して下さい。

本当に必要な事なんて本当に少ないのです。ほとんどはどうでもよい事。どうでもよい事に拘っているのは愚の骨頂ではありませんか。

まさに「断捨離」とはそのことを理解することですから・・・

2012年4月20日金曜日

超美味 生シラス

生シラスを食べた事のある人は多かろう。私も腰越の生シラスと言われて食堂で食したもののちっとも美味しくなく苦味さえ感じてどうでもいいやと思っていた。

ところが鎌倉に住むようになって春先に材木座でシラス漁を行っている前田水産(もんざ丸)で購入してから考え方が変わった。

シラスといえど場所や購入する店によって千差万別。ここで教えてもらった食べ方は生姜ねぎ、醤油のオーソドックスなものとユッケ風に生卵、ゴマ油と葱、醤油で食すというものだ。

ところがこのシラス毎日取れるものではない。まして青葉区のTストアーで売られている生シラスとは別物である。シラスは鮮度が命。料理店も買いに来るのだから。

今年は漁が遅れていて半月ばかり遅くなっているようだ。やっと2日前くらいから十分な量が取れ出したと聞く。

喜楽丸は坂の下のローソンの裏にある。いつもシラスを捕っている。今日はそのシラスだ。

春シラス特有の小ぶりの身は苦味はなく、甘さが際立つ。これは旨い。

シラスは内臓ごと食す。だから冷蔵庫の保存の仕方が重要だ。昨年、2回お腹を壊した。それは私が購入したまま冷蔵庫に入れただけだったからだ。

購入したら袋のまま、ボールに氷と水を入れたものにそのまま冷やす。これだとほぼ5.6度だ。菌は繁殖しない。そして食べる前に氷を取り除き氷水で洗う。これがお腹を壊さない秘訣だ。

いや、お腹を壊しても私は食したい。本当にこんな旨いものを食べられるのは幸せである。

明日は残ったシラスを小麦粉と卵とカイワレと小葱でワッフルにしよう。

これは又朝食に欠かせない・・・・・



美術史概論「ボストン美術館 日本美術の至宝」展

私は何故か知らないが、当時の大学の一般教養にあった「美術史概論」という授業をとった。当時の内容はもう忘れたがその時の講義の先生が「日本の美術が壊滅的な被害にあう事実が3回あった」「そしてその1回は辛うじて難を逃れた」といったような事を言ったことだけ覚えている。

1回目は応仁の乱、悉く焼き打ちされた。もう一つは太平洋戦争である。多くの文化財が喪失した。

その間を埋めるのが急速に西欧化した明治の時代の危機である。

その明治の言ってみれば、鹿鳴館にうなされて今までの芸術を見向きもしなかった時代に多く日本美術は軒先に置いてけぼりにされていた。その日本美術を海外逃避という選択で難を逃れさせた人こそ岡倉天心であり、協力者のフェノロサやピゲロだった。

そんな海外に逃避していた美術品の里帰りが国立博物館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝」展」である。

この展覧会は今年どうしてもみておきたかったものだ。

曽我蕭白はご存じのように奇才である。現存するものが多く伊勢地方で発見されたため当初はこの地方の出身と間違えられていたが、近年では京都の裕福な商家の生まれで、父母の死後、家は凋落し、自らも奉公に出て、色々な流派も含め独自で絵を学んだようである。

室町時代の画氏の曽我蛇足とは直接の関係はないようだが、蕭白はオマージュも込めて自らを蛇足軒と名乗っていた。

蕭白の雲竜図は実はつい最近まで、襖に張られていなかったため、展示されることが無かったと聞く、襖から外して急遽アメリカに運んだ当時の状況がうかがわれる。

専門家による修復も完了してお目見えになった逸品である。

私は絵の先生に「絵と言うのは写真とは違う、そのまま丸写しにすれば良いというものではない。描きたい対象を決めて、力強く、描くのです」と教わった事がある。

まさに蕭白の絵はそのとおり、描きたいものが何なのかはっきりと目に飛び込んでくる。

もちろん構図やそのデフォルメを嫌う人もいようが、私にはその個性がはっきりと感じられた。

展時には「平治物語絵巻」や「刀剣」「きもの」などもあったが「三条巻」より「信西巻」の方がスピード感を感じられて個人的には好きなのでさっと流す程度だった。

私の鑑賞方法は確かに一般から見れば邪道だと思う。みたいものを決めて直感的に視る。

そのほかの物ははっきりいってどうでも良いのだ。くぐっと心ひかれたものが何だったのかそれをみるために行くからだ。

笑っちゃう話だが、ルーブル美術館も1時間も掛らなかった。ニューヨークのメトロポリタンはフェルメールの青をみるためにだけにいった。

私のみるは「観る」ではなく「視る」なのかもしれない。

お時間があれば是非足を運ぶ事お薦めする。上野は丁度、八重桜とぼたんが盛りだった。桜の後、草木が一斉に光り輝きだした。








2012年4月18日水曜日

SNSとマスコミ

ブログを初めてもう2年が経ちます。FACEBOOKは丁度1週間てす。TWETTERはやっていません。

私がFACEBOOKを始めたのはHPの制作をお願いしている人から是非やった方が良いですよと言う言葉を受けての重い腰上げでした。

そもそも映画を観た人には説明は不要でしょうがFACEBOOKはハーバードの美人投票に端を発し、同大学の人気にあやかって拡大したという歴史を持ちます。

私はそういう権威的手法が大嫌いなので参加しませんでした。

一方、親友で大企業をポンと辞め今はベンチャーの執行役員をやっている人間から、「注意してやるならそれ相当の面白さがある」とも聞かされていました。

実際にFACEBOOKをやってみてそんなやる前の先入観を上回る効果を感じました。

ブログはマスコミを小さくしたようなもの、熱心な読者にこちらの情報は伝えられるものの双方向とはいきません。

その点FACEBOOKは双方向いや多面的な情報通信です。

さらに実名制については(以前も書いたことがあります)は様々な変化を生みだします。

ある地方の政治方針についてFACEBOOKとTWETTERで比較したら正反対の評価が顕われたと聞きました。

FACEBOOKでは肯定的な意見、かたやTWETTERでは否定的意見になったようです。

では全て良いのかと言われれば疑問も残ります。実名制と言う正義の仮面は果たして本当の情報なのでしょうか・・・私にとってある程度のそのことをバイアスとして視なければしっくりこないからです。

人間は良い面だけではありません。負の面も併せ持つものです。ですからFACEBOOKはまさにこの上に成り立っているといっても過言ではないでしょう。

FACEBOOKが点と点を繋ぐのであれば、ブログは平面に広げます。

誰かがTWETTERよりやはりブログが大切と言っていました。プログは情報発信する側に時間を与えます。そう考える時間です。これは大きな違いです。

FACEBOOK個人の生活のアーカイブとは成り得ましょうが、思想のアーカイブとはならないのです。

私がブログをやっている一番の目的は新しい「知」を知りたいからです。

ご存じのように「セレンディピティ」という言葉があります。そのまま訳せば「情報発見能力」とでもなりましょうが、つまり何か新しい探し物をしていなければ幸運はやってこないの例えです。

大学を卒業した時の私の頭は空っぽでした。今考えても恥ずかしい限りです。そんな空っぽの頭でも社会の経験や先輩、友人の刺激を受けて新しい「知」を知るのです。



CPスノーではありませんが、私達の多くが自分の知らないことに疎いのです。

私は高校の時の生物の教科書をみて愕然としました。今の教科書に載っている事はほとんど触れられていないのです。

一方、旧制中学入試問題集という本を購入しました。こちらは逆に今では分からないような漢語の表現が目立ちます。

そうです、「知」というものは積層されアーカイブ化されるのです。決して一時点で完結されるものではないのです。日々更新されて行くものなのです。

偶数たす奇数が何故奇数になるか説明せよという簡単な問題があります。

そうN+N+1=2N+1という簡単な自然数の式が正解ですが、MBAも持っている大変頭脳明晰の友人が習った事がないと言ったのです。まさに、その友人の時代には全く教えられなかった事だったからからです。

前述の生物の話と同じです。

SNSとマスコミの違いはSNSがそれ自身更新、自浄作用があるのに対してマスコミはありません。

恐らくマスコミの人は分かってないのでしょう。私のところに時より遊びに来られる某新聞社の編集委員の女性はそんなマスコミの有様に嘆いておられました。

一部の人は慧眼を持ってこの状況を俯瞰しているようです。

しばらくはその意味でもブログは継続していきます。(笑)





2012年4月17日火曜日

release or retain

あるきっかけで私が40代の時にMBAを目指そうとしたら、時間は有限だからもっと他の事をしようと言われました。その人もMBAホルダーですが・・私には何故なのかその時は分かりませんでした。

しかし、今になって考えると「その事」をしなかったお陰で「色々な経験」をすることが出来た訳です。

結局、人生は「幾千万回の選択の連続」です。まして時間と言うものは均一ではありません。



皆さんは本川達雄氏著書「ゾウの時間ネズミの時間」という本を読んだことがありますか。

動物はサイズによって心臓の拍動も異なり自ずとして時間も変わっていると書いてありました。

そうです時間は相対物なのです。

人間に至っては若い頃より歳をとった方が一年が早く流れると感じた人が多いのではないでしょうか。そう感じた人は全うに生きていると断言できます。

歳をとり、感化されることが多くなり、物や人との関わりが若い時に比べて格段に多く複雑になっている証拠です。

脳は確かに記憶力や多くの機能が老化します。それは生物学的な自然な流れです。

ただし老化しても強化されて行く部分もあるのです。経験や知覚というものは進化します。そしてそれらは学習を通して新たな次元に記憶は「再構成」されるのです。

ここにもう一冊の本があります。



ここにもそんな脳の不思議な事が描かれています。物忘れがひどくなったと嘆いている人には必見です。

ただ困った人もいます。それだけ処理しなければならない情報や事象が多いのにも関わらずリリース出来ない人です。

こんなはずじゃない、こんなことはおかしいといわんばかりです。

全ての事を保持する事は出来ません。忘れるべくして忘れるのです。

断捨離」も一種の物のリリースです。これが出来る人は人生においてのリリースも出来るでしょう。心配ありません(笑)

最近巷で話題にのぼる「シェア」、「公共」、「ネットワーク」も実は根っこの部分でこの「リリース」があると私は思うのです。

フェイスブックを始めるまで個人の実名制やそれに伴う様々な効果に疑問的でした。

実際にやってみると、つまり呪縛を解かれた(リリースした)ら物事の次の局面が現れてきたのです。

ですから皆さんも自身の呪縛を是非解いて見て下さい(笑)



下流社会」で有名な三浦展氏がこのたび「第四の消」という本を上梓しました。

早速購入して読み始めましたが良書だと思います。倍くらいの文章をまとめたと書いてあった通り充実して内容の濃いものです。

この「第四の消費」にも書かれていますが、「つながりを求める消費」とはつまり「リリースした消費」とも読み変えることが出来ます。

物を売りながら同時に共感や情報も提供していく。新しいスタイルです。

色々と記しましたが、結局自分自身でreleaseしているのかretainしているのか考え選択することなのです。

皆さんも如何ですか??選択していますか??





喉元の骨・・・






糸井さんと私は直接の知り合いでも無ければお友達でもない。ただ前の会社のグループで彼が作ったコピー「おいしい生活」は今でも記憶に新しい。

彼が震災以降ずっと被災地への応援を継続している。もちろん彼に限った事ではない多くの人が善意と自らの信念に基づいて行っている。

私が言いたいのは何と言うかそういった外形のことではなく、彼の根っこにあるもの、つまり幼いころから今に続く原体験において自然とそうした行為をしているように感じたのである。

彼は私より10歳も年上である。恐らく彼が入学したころには学生運動の真っただ中であったであろう。彼の大学はH大学はそうした左翼のアジトだったと聞く。彼はそんな学生運動をどう見たのであろう。

彼は18年間前橋で暮らした。私の生まれ育ったK市と同じ赤城山の南面に位置する街だ。

彼の高校は県内でトップクラスの進学校だった。私達の頃にも「バンカラ」という気風が残っていた。下駄で登校する輩やわざと学生服の襟や袖を擦り破っていたものもいた。

当時は社会が決めたもの、親が決めたもの・・つまり大人が決めたものをカッコ悪いと思っていた。

不良でもないのに不良を気取っていた。チョウランには虎が刺繍してある学生服を着ていた友達もいた。

私はそれは着られなかったが、それでもアイビールックなんて絶対着る事はないと思っていた。

赤城山からのからっ風を顔に受け、いくら漕いでも前に進まない自転車に乗って砂まじりじりの学校に通った。

私が上京して初めて目にしたものはこの社会の仕組みが18歳の若造が考えていたようなものではなく、そんな事お構いなしに時計のようにコツコツと前に進む世界だった。

止まることも考えることもない世界・・・高度経済成長の最後の時期だった・・・

私は上京して大いなる挫折をした。庄司薫の本とはまるで違うこの社会に・・・・

そして次第に頭から18年間の原体験は消えて行ったのだ。

30歳を過ぎて故郷に帰ったことがある。私も彼と同じく故郷で両親が離婚した。

良いことも悪いこともこの街にはあった。やっと30歳を過ぎて故郷に帰ることが出来たのだ。

そこで私は根っこがここにあったことを痛感した。今まで消え去ったと思っていた原体験が形を変えてひよっこり顔を出したのである。

私はそれ以来故郷を否定しない。つまりありのままの私を顕すことにしたのだ。

そんな事を考えると彼の震災支援は彼の原点回帰なのではないかと思う。

日本は二つの繋がりで結ばれているのではないかと思う。

ひとつは東北から栃木や群馬を連ねて東京につながる道。もうひとつは九州、四国、近畿地方から東京につながる道だ。

我々は思考するとか哲学するとかする以前にこのDNAが影響して知らず知らずに自分の行動に影響しているのではないかとこの頃思う。

私の住んでいる横浜の山の手より鐘が淵や曳舟の工場と住宅が混在している街に行くと妙に心が休まる・・・これも原点へ近づいた知るしかそれとも単なる懐古趣味なのか・・分からないが・・・



2012年4月16日月曜日

蝶の話  Butterfly

蝶はバタフライ、かたや蛾はモスである。今日は蝶の話。

私は子供の頃、蝶にはまっていた。子供なら一度は経験する虫獲りの類だが、何事も凝り性の性格ゆえ、蝶に関する書籍はつい読みふけったものである。

まず捕蝶網。出来るだけ大きめで軽く、柔らかい網である。網の長さも重要だ。当時は竹や細い木が主流だったが私はアルミで特別に作ってもらった。今ならカーボンか・・ただ落雷が怖い。

蝶を捕獲したらまず薄紙に羽根が折れないように綺麗にたたむ。この時蝶を軽く押して弱らせる。動かないようにしっかりと紙の詰まった三角形の容器に入れる。

家に帰ったら、死後硬直しないうちに桐で出来た標本台に乗せ、防腐材を注射器で蝶の胴体に注入する。紙テープで蝶の羽を広げ固定する。

体が固まったら標本箱に並べ、小さな紙に採取地、採取日、種類、雄雌を書き並列させる。

調べて行くと色々な事が分かってくる。例えばリュードルフィアライン=Luehdorfia lineというものがある。

地学で習ったフォッサマグナとは違うがこの線の西側ではギフチョ、東側ではヒメギフチョウが生息する。

ギフチョウがカンアオイを食性とするのに対し、ヒメギフチョウはウスバサイシンを食性とする為に棲み分けられたという。しかしながら近縁のこの2種には混在型つまりハイブリッドも存在するそうだ。

アメリカにいる移動する蝶として有名なマダラチョウことオオカバマダは幼虫がトウワタという植物を食べる。これにはアルカロイトが含まれていて蝶もその毒性をまとうことになる。

マダラチョウ全般がこの傾向があり、毒性を持つ。そしてそのためかマダラチョウは蛾に擬態していると言われている。

子供の頃の記憶なのに良く覚えている。蝶の事で何一つ得をしたことはないが学ぶとはそういうことたと思う。

久しぶりに宮益坂上の志賀昆虫普及社でも覗いて見るか。

いや志賀昆虫は確か戸越銀座に移転したのだった・・・残念・・・


知り合いのオフィスには番組制作生業としているので、某局の取材でボルネオに行った時のお土産として各種の昆虫の標本が飾られていたが、そうあのとき少しだけ昆虫の知識が役だったかもしれない。

まあそんなものだ・・・・

2012年4月13日金曜日

新しい発見  心持

新しい発見は一人では出来ません。人によってもたらされるのです。

偉そうに言ってますが、新しい事を発見できなければ人生本当につまらないものです。

仕事のヒントも、教育や親業もみんな人によって改造され新しく生まれ変わります。

私は息子が筑駒に入学したときに一度だけ先生との面談にいった事があります。

担任の社会科の先生の部屋(個人に部屋が与えられているんです)に伺った時、書架に並べてある蔵書を見て驚きました。

マルクス、エンゲルスはもちろんフーコー、デリダ、和辻哲郎、ウィトゲンシュタイン、村上春樹・・・・

私が教職を目指して出身の教育委員会にいった際の先生のものとは大きく異なりました。

すでに中学生の頃にウォラーステインやデカルトを教えている(先生は教えているとは言いません。ヒントを与えていると言っていました)

そしてそれを咀嚼する生徒達・・・私の考えていた先生像とは大きく異なりました。

私には新しい発見でした。

そう新しい発見は常に人によってもたらされるのです。

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ローソンのLチキンとその専用のバンズがあることに2日前に知らされました。(ブログで知ったのでした)

初めて購入し食べてみると・・・・ウン!!!美味しい!!!確かに旨し!!

ゴボウサラダをプラスしたらもっと美味しかったでしょうね。

これも新しい発見です。知らなかったら一生出会ってない経験です。

何気ない生活の中で新しい発見は毎日あるのです。そしてそれは人によってモタラサレルということを再確認しています。

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昨日、私も面白い発見をしました。(発見じゃないけどね)

妻がお茶受けとして外装工事の職人さんに焼きまんじゅうとビスケットを出したところ、焼きまんじゅうだけが空になって戻ってきました。

あの独特の食感(頼りげないモコモコ、フワフワとした)を好むとは珍しいと思っていましたが、先方より「旦那さんか奥さんはもしや上州の出身かね」と言われました。

大正解!!私は正真正銘上州の出身ですから。

すると親方も吾妻の出身だと聞きます。巷ではこれを奇偶といいますが、これとて新しい発見をしようとこちらが考えなければ知らぬままです。

新しい発見は常に私達受け手側の心の持ちようによるのです。




あっ・・・それと蕪と鶏肉の炒め物はこうやって作るのですよ・・N子さん分かったかな???
ポイントは肉に火が入ったところで蕪を入れ最後に青菜を加えることです。



2012年4月12日木曜日

犬を飼うと言う事・・・

モモコちゃんが亡くなった亨年18歳・・・大往生である。
でも飼い主には大往生なんてありえない。いつになってもまだ来年と思うから・・・

私は兄弟もなく、友達も少なく(この性格ゆえ皆無??)犬や猫が幼い頃の友達だった。

神社の境内に捨てられた小犬を拾って来ては飼ったのは数えきれない。

最後にいた子は「チコ」という小さな雑種だった。

クル病にかかって脚はO脚、そして苛められた性格ゆえか怖がりだった。

私以外の人間が食事の時に手を出そうものならガブッと噛みついた。

そんなチコを上京のため離れ離れになった。

母親の手術もありチコは手放した。今でもそのチコの夢を見る。

それ以来、犬は飼わないと心に決めた。

二人目の子供が生まれ長女が幼稚園のときにオーストラリアの先輩の家を訪ねた。

そこにはマディというお利口なゴールデンかいた。

自分が飼っていた今までの犬との違いに驚いた。

娘は犬に触ったことも接したこともなくソファーの上を逃げまわった。

帰国して犬を飼うと決めた。

ジニ―が家にやってきたのはその時である。我が家に沢山の幸せをくれたジニーのことは忘れない。

ジニ―は7歳で虹の橋に旅立った。あまりの突然に我が身を切られた悲しさにどうしようもなかった。

突然の死はやりきれない思いだった。

しばらく犬を見ることも触ることも出来なかった。

2か月以上が経った頃、いつも散歩させていた広場に行くと、いつもは寄ってこない達郎君というブルドッグが近寄って来てそばを離れようとしない。

涙があふれて・・・とめどなく、目の前が何も見えなくなった・・・・

犬を失った悲しみは犬でしか癒せないと思った。

それ以来、犬を飼い続けると決めた。自分が死ぬまで一匹でも多くの犬と一緒に暮らしたい。

その時間は私にとっても犬にとっても最高の時間とするべく自分に課した。

犬の寿命は短い。だからこそ最大の愛情をもって接して愛すべき家族としなければならない。

有名タレントが犬は家族じゃないという。私はそうは思わない。短い時間かもしれないが家族だ。

短いからこそ出来うる最大の愛情を注いで育て接するべきである。

セプやさくらもいつかは死ぬ。考えたくなくてもいつかはその時がやってくる。

その時は骨壺を抱いて眠る日が続くだろう・・・さりとてまた犬は飼うと思う。

本当に愛しているから・・・・家族とともに歩んだ愛しい君たちかけがえのない神様からのプレゼントだった・・・愛しべき君たちへ・・・・

ジニ―は一緒にハレクラニのプールで泳いだのですよ・・・・・・・・・いつも一緒にいて・・・・









2012年4月11日水曜日

吉祥寺 阿佐が谷 高円寺

私の東京での生活は友人宅に転がり込んだ玉ノ井(現在の東向島)に始まり、笹塚、阿佐が谷、浜田山、沼部、三田と5回の引っ越しを経験した。

友人の多くも中央線に住んでいたので遊び場はこの界隈だった。

中野は秋葉原宜しくフィギュアの街となり、丸井は引越しを余儀なくされたが、この街も変わってきた。

私のいた30年前には高円寺にはジャズクラブがあり、JBLのスピーカーでレコードを鳴らしていた。

少しお洒落して出掛けるのは吉祥寺、この街も当時の青春ドラマの影響か、初めて来た時も違和感はなかった。井の頭公園は今もここでデートをすると別れると言われている。

阿佐が谷には世界的に有名な卓球メーカーがあった。その影響か分からないが青梅街道に程近い場所の卓球センターに通ったことがあった。

その街も90年代には変わってしまった。ロフトが新宿に移転したようにアングラなカルチャーもターミナル駅に移転してしまった。

六本木にピットインが出来たり、多くのライブクラブが港区に移転していった。

そんな時代を経て、今またこのあたりが面白い。私は時折り覗くのだが、村上春樹が二つの月の見える銭湯の煙突もここ南阿佐が谷にある。

若者達がコミュニティを作り始めている。ネットによる小規模なものだが徐々に広がりを見せている。

大資本による開発はスクラップ&ビルドそれでいい。ただ、まっとうに生活している者たちまで巻き込むのはゴメン蒙りたい。

文化は決して大企業から生まれないから

Dogs friends

撮りためたdogs friendsの写真です。命あるものいちかはなくなります。それまで一緒に暮せた事に感謝しましょう。

Rママ、花と犬は難しいとおっしってましたがどうしてどうして、二人の表情がとても良く取れていましたよ!!

その写真の載ったブログはこちら→http://bernesemt.blog110.fc2.com/











お寿司の話

実は私、酢のものが苦手なんです。幼き頃、理科実験室で匂いを嗅いだ酢酸によって嗅覚に負の歴史を負ったために極端なお酢の匂いが駄目なのです。

そしてもうひとつ、何分海なし県で育ったもので、生の魚を食べる習慣がなかったので、叔父が東京で寿司を食べさせてくれるまでお寿司とは縁遠い存在だったのです。

でも寿司は嫌いかと言えば、そうではありません。美味しい寿司には特に敏感です。

敏感だから困るのです。美味しいと思う寿司の本当に少ない事少ない事。

それにバカ高い値段も戴けません。

小ぶりのシャリに江戸前の仕事をしていて、それでいて入りやすい店が私の好みの寿司店です。

このところの某タイヤメーカーのレストランガイドで名を連ねる店は高級店ばかり。

戴けません・・・・・

私のお薦めはSパパ御贔屓の「吉野寿司」そうです。日本橋高島屋の近くの店です。

妻が風邪なのに21カン完食した店です。

決して敷居は高くなく、扱うマグロは最高。舌の上で鉄の包丁の味がします。

煮きりや江戸前の仕事もさすがという他にありません。

それともう一店が人形町にある「㐂寿司」です。ここもまた江戸前の仕事です。確か平松洋子さんも常連と聞いたことがあります。

さっと入ってささっと食べて出て行く。寿司屋は本来そういうものです。

もうひとつ、皆さんに教えます。真鶴に行ったら是非覗いてみてください。

真鶴半島の先端近くの「栄寿司」です。頑固な父親と母親、それを娘さんが手伝っています。

もとは浅草にあったようでこの地に引っ越して地魚専門で扱うようになったと聞きます。

とても研究熱心で娘さんは図鑑まで引っ張り出して私に説明してくれました。

私がT大学の海洋生物の教授だと言った事を真に受けたようです・・・笑

ここで初めて食べたのが「グリンドイカ」皆さん知っていました?



美味しいですよ!!でも滅多に獲れないそうです。あったらメッケモンのようです。

でも見た目はねぇ??????

なんでこんな話をしたかというと、今朝の新聞にまたタイヤメーカーの北海道版で三ツ星の店が紹介されていたからです。

あの三ツ星の一つの寿司店はずっと以前、仕事先の接待で連れて行ってもらいましたが、その態度の戴けないことで覚えています。

地の魚といっていましたが、その下処理は???とても江戸前の仕事とは思えなかったからです。

あの本、日本料理になるとからきし駄目です。これが私の偽らざる心境です。

私ぐらいの寿司嫌いに取材ほさせれば滅多な店には星は付けません(笑)そのほうが信憑性も上がって良いのでは???皆さんどう思われます????

あれ??こうして写真を見るとどこの店も大きなビルや銀座ではないのですね・・・・・・・・・・なんか納得・・・




2012年4月10日火曜日

都市国家 「田園都市国家の構想」



先日、三浦氏の著作を買いそびれていて慌てて購入した。もう一冊のこの本、著作の別の本は読んだことあれど対談は初めて。

三浦氏の本は歴史データの分析はもとより何より写真との対比が楽しい。下町の形成を3期に分析するところなど白眉ものです。私が住んでいた玉ノ井も「濹東綺譚」とともに紹介されていた。

かたや、増田氏、高橋氏の著作は落ち目の三度傘の我が国を日本列島改造論の真逆の手法によって再生させようとするもので読んでいて面白い。ただ、対談部分が少ない。

さて、敵に祭り上げられた田中角栄氏であるが、そもそも日本の歴代の総理大臣は国家をビジョンとして捉えていたのであろうか。

私には大方の総理(最近の目まぐるしく変わる総理は別)は持っていたのではないかと思う。

ここに一つの資料がある。故大平正芳氏の「田園都市国家の構想」である。

名前からすると均一的な田園都市がイメージされるが決してそうではない。モデルニュータウン建設を否として、人間生活の総合的環境の計画的整備を是としている。

さらに第二章に至っては「日本の国家システム」に言及しており、二分的対立の概念は本来の日本文化の中にはなく、隋唐文化の吸収期の律令時代と欧米文化を摂取した明治以降だと説いているのだ。

この時の座長を調べてみると梅竿忠夫氏である。画竜点睛のこどき慧眼である。

ここで私の中には三浦氏の著作が思いだされる。下町と言えど東京である。戦災からの復興にしても東日本大震災からの復興と比べるとそのスピードが違うる何故にここまで物凄いスピードで2度も復興することが出たのか・・・

明治以降の日本は不合理さの上になりたっていたのは誰もが認めるところであろう。良い悪いはへ別としてその不合理さは、東京と言う街を世界的にすることに邁進した。東京に足りないものがあれば足して、何としてでも東京だけは別だった。その事がこの恐ろしい程のスピードを持ったとすれば皮肉な話だ。

アメリカの西海岸の沖に都市国家を作ると言うプロジェクトがあるらしい。ITの資産家ですでに120万ドル以上つぎ込んでいるらしい。実現するかどうかは別にして、彼の考える国家はリバタリアンの国家だ。規制を廃止し自由主義を原則とする。

目を国内に向けてみよう。府民にあれだけ人気のある橋本氏のいうところは大阪を都市国家にせい。というものだ。

大阪だけ切り離して、特区として自由に裁量権を持たせえ。というものだ。

ビックブラザーからリトルピープルの時代へと変化していると前述した。その事は政治体制さえも変える。二元的思考選択からより並立的思考選択へと舵をとるのであらば、我々も相当覚悟をしなければならないだろう。

それは地域、国家という地政学的、民族的の集団を解体し、リビルドするのである。そには我々を守る外部装置はもはや存在せず。我々自身が自らを守る必要があるからだ。

2012年4月8日日曜日

春の海  逍遥

海はいいよ・・・すごくいい・・・・春の海は心が穏やかになります・・・人も優しくなれますね・・・・・

大きなアロエ、遠くにコーストガード(今日は葉山に天皇陛下がいるので)・・・・・・・