時代の相克 自動車考
昨日、テスラのモデルSを試乗した。日本に一台しかないそうである。
この車を今年2月にハリウッドのフィリップスタルクが内装を担当したという高級な日本食レストランのバレーパーキングで見た事がある。バレーの若者が駐車場からこの車を運転してレストランの前に横付けしたのだ。確か色は黒だったが一目でモデルSと分かった。何しろ音がしないのだから。
ステラとの出会いは2年前になる。私の蜑戸のあるマリーナで試乗会が催されスポーツタイプの同社の車に試乗した。その時の感想はまさに青天の霹靂、おったまげたである。自動車メーカーの作る電気自動車やハイブリッド車はエコを意識しすぎるあまり不格好で、運転も楽しくない。どれひとつ触手を動かされるようなものはなかった。それがこの車は違った。
発想そのものが違うと感じた。並列のバッテリーパック、そして冷却技術、そうした根本的技術にプラスして、サスペンション、ハンドリング、ブレーキどれをとっても自動車として一級品である。ところが自動車雑誌にほとんどこの車の論評は無い。メルセデスの新型Aクラスには数ページに及ぶ試乗フィールが書かれているのに、この車のそれは雀の涙程度である。彼らは試乗して驚かなかったのだろうか。自動車メーカーはここまで電気自動車の可能性を目前に突き付けられ、それでもハイブリッドとかディーゼルといった内燃機関に執着する。500キロ航続出来る上に三時間で充電できるこの車はもはや電気自動車のマイナス面を感じない。もはやメーカーの旧態とした己の利得を固持するが如くあえて新境地に踏み要らないという感が歪めない。しかしながらイノベーションの流れは止められない。例え、メーカーの多くがそしてマスコミが敢えて炊きつけなくても徐々に広がり浸透する。イノベーションとはそういうものだからだ。
同級生が役員をやっている大手ブレーキメーカーも来ているらしい。何しろこの車はOEMの最たるものだからだ。サスペンションはビルシュタィン、ブレーキはブレンボ、バッテリーはパナソニック、そうした優良なパーツを組み合わせて一台を作っている。そして車の心臓部はアップルそのものだ。新しい時代の物づくりの発想である。
私の乗るメルセデスもBMWも4.5年もするとソフトが古くなり、ナビの機能は大幅に低下する。それでも自社のものに拘る。結果、ユーザーは使えないインターフェイスのナビをつけてグレーの画面のまま、我慢しながら運転しなければならない。
タッチひとつで回生ブレーキの強弱やサスペンション、ハンドリングが切り替えられるそのスムーズさに驚愕した。個人個人の要望にマンツーマンで対応できる。凄い事だ。
同乗したカーリーヘアーのアメリカ人がこの車の楽しさについて目を輝かせて語っていたのが印象的だった。彼は丁度、水上の取材から帰って来たばかりのようだった。そして彼の家にも75年製の911がガレージにあると言っていた。私も旧いゲレンデと911だと言うと、彼は「イイネ」と一言笑った。私が「ダイナソー」というと彼はにやり、それも「イイネ」と・・・。
今朝も雨にぬれた首都高速を運転しながら彼の「イイネ」を反芻していた。やはり悩ましいこの頃である。まあ申込金は未来への懸け橋として入金するつもりではあるが・・・・