このブログを検索

2013年8月28日水曜日

犬を飼うと言う事 老犬の介護

我が家の2代目のゴールデンリトリバーの男の子はこの9月で13歳になります。前の女の子が7歳で突然亡くなったので、十分長生きしてくれています。

それでももう13歳です。去年までは海で泳いでいましたが、今はその体力はありません。

足腰も弱く、今年に入って尿失禁も始まり、常時オムツをするようになりました。

前足にも豆が出来て、時々つぶれて出血する事もあります。そんな時は靴下をはかせて様子を見ます。

毛並みも悪く目は白内障で全身に腫瘍が出来ていますが、悪性なのか良性なのかさえ分かりません。

前の子は手術をした数日後に亡くなりました。掛り付けの獣医は中々手術をしてくれず、その1年後にやっと行った卵巣のう腫の手術は成功したといっていましたが、今考えたら手術などしなければ良かったと後悔しています。先生を攻めるのではなく、最後のわずかな時間でも家族の中に居られる方が良かったと思うからです。

3代目の女の子も9歳になりました。彼女のお父さんは9歳で無くなっています。大型犬の寿命は本当に短いのです。

彼女の方も以前は車の荷台に飛び乗っていましたが、今はとてもそんな事は出来ません。足腰は弱くなってきました。

ゴールデンは両手で抱えあげられますが、彼女は50キロ以上あるので無理です。

今そうなったとき用の担架を考えています。生き物を飼うと言う事は老化を引き受けるということです。生きている以上必ず別れは訪れます。

前の子の時はその悲しさにペットロスになったものですが、私達も色々と学びました。悲しみは同じでしょうが、犬が死んだ悲しさを犬だけが癒してくれることも知っています。

いつまで一緒に居られるかそれは分かりません。でも精一杯生きている以上、世話をするのが動物を飼った人間の使命です。犬は最高の相棒ですから・・・









2013年8月17日土曜日

劇場化する日本 大衆迎合とポプュリズム

日本という国が劇場化しつつあるということは今に始まった訳ではなく、その一翼をマスコミが担っているという事実も既知のことではあるがあまりに嘆かわしいのでつい筆を執った次第である。

昨日、日本を代表するような企業の人事担当者20人が、マスコミのアンケートに答えるという形式で次のような質問に答えていた。

その質問は東京ドームで一番ビールを売ったアルバイトを経験した人と大学の授業でオール優を取った人でどちらを選ぶかという質問に18社の人事担当者が前者を採用したいと答えたのだ。

私が勤めていた会社ならともかく、日本を代表するような企業の担当者が本当にそう答えたとしたらもはや嘆かわしいを通り越して、日本の行く末が心配である。

何故このような傾向になったのであろうか。

日本という国が鎖国から積極的に西欧文明を吸収し、富国強兵、殖産興業に励んだのはご存知の通り、そして帝国主義的政策から開戦し、今度は焦土と化すまでとことん焼きつくされた訳である。戦後の日本はアメリカ化と呼べるほど戦勝国アメリカに追随し、復興を遂げたわけである。

しかし考えてみると明治のころからにわか西欧化しているものの、西欧文明の本質は全く無視してきた。いや、あえて都合の悪いところは見て見ぬふりをしてきたとも呼べるのではないか。

西欧文明にはその体制維持のためにも、正なる番人が必要だった。膨大な植民地をいちいち一人が見る訳にはいかないからだ、そこで正なる番人が必要となる。欧米ではそれをプレッピースクールが社会装置として機能し、真のジェントルマンを輩出し、その制度を維持してきた訳である。

ノブレスオブリージとはそうした土台があって初めて機能するのである。

日本はどうだろう。多くの人が日本人は勤勉で、真面目で、集団的だと思っているだろうが、本当だろうか。

私はそうすることがただ単に都合が良かった(その社会体制において)からだと思う。

何故なら、騎士道精神やジェントルマンは個人的ではなく、その社会において相互交換的装置として機能し、より体制的であるからだ。

一方日本人のそれは己にとって都合が良い、集団の排除理論(自分たちと異質な物を嫌悪する)としての集団を形成するのだ。

だから、トヨタの奥田氏がそろそろ嫉妬や妬みでなく、良いものを賞賛する社会にならないだろうかといったとしてもそう簡単にはこの日本人気質は変わらないのだと思う。

Sパパが企業の人事担当者のレベルの低さを嘆いていたが、人事担当者の方には申し訳ないが、確かにそういう側面も歪めない。

トップに「こんなに面白い人がいる」と言ったほうが受けがいいのである。「こんな優秀なひとがいる」より確実に自分に返ってくる不確実性のリスクも軽減できるからだ。

ものづくり大国も、集団性も幻想である。その社会に都合のよいシュプレキコールであり、詭弁なのだ。

その証拠にどのくらいの人が後者を選ぶのであろうか。自問してみるべきである。

境界のないこの国の自由は堕落と平均化のしっぺ返しでもあるのだ。







2013年8月13日火曜日

サービスの本質とは

このところ冷蔵庫の製氷機とエアコンが壊れた。エアコンは機械的異常ではなくこのところの猛烈な暑さに除湿冷房というエアコンに一番負担のかかる作業を無理強いしたせいであると思うのだが、私が驚いたのはそれぞれのメーカーの対応の良さである。
この海辺の蜑戸のエアコンはD社である。一昔前のD社と言えば中国での需要拡大から、国内の販売はどちらでもいいというような感じで、サービスもさっぱりだった。一時期は電話さえつながらないものだった。ところが電話の翌日には来訪できるというのだ。冷蔵庫はH社製である。3年前に購入したそれは非常に使いやすく、性能も優秀だった。今回も製氷室に大きな氷を入れた時に部品が破損したのであろう。つまり私が悪いのである。ところがこちらも対応が良かった。翌日には修理に来る予定であったが、こちらの都合で伸ばしてもらった次第である。東京ならまだしも神奈川の海辺の街にいてこんなに対応が良いとは驚きである。

ネットショッピングが拡大し、店売りが相対的に減少した今、我々はどこで買ったかより、どの製品を買ったかというスタンスが強いと思う。大手量販店で購入しても結局、そこからメーカーに発注し修理を依頼する。この事を我々は知ったのである。使い捨てなら別だが、耐久消費財のようにある程度の年月使うようなものはどういったサービスが受けられるかということが肝要になる。

やっとメーカーがこの事に気付いたなら嬉しい。日本の製造業はアジア諸国の安い製品によって壊滅したというがそうだろうか。挙句の果てにガラパゴス化と揶揄される多機能独立型の製品を作ったことが敗因であるといわれている。いやいやそうではないはずだ。我々が中国製の安い家電製品を買った時にはこうしたサービスなど期待していない。そう使い捨て感覚だからだ。なぜ日本製品を買うのか。そこには買った後のことを考えているからなのだ。アップル的製品と耐久消費財の一番の違いはそこである。サービスの本質とはユーザー、消費者の心を読み、そこにすり寄ることである。それが出来ればまだ日本の製造業もチャンスを生かせると思うのだがいかがであろうか。そんな期待をして蝉の声を聞く、夏の朝である。

2013年8月6日火曜日

大山鳴動してネズミ一匹  学校のプール開放中止について物申す

大山鳴動してネズミ一匹


私の子供はもう大きくなったので直接は関係しませんが、横浜市では小学校のプール開放を停止しているようです。埼玉県で起こった痛ましい事故が直接の引き金だと思われますが本当にこれで良いのでしようか。一説によると警察庁から各地方自治体に監視をする人間は警備業務に精通した人が好ましいとの狭隘な観点から書類が提出され、資金難に悩む学校は二の足を踏んでしまったようです。こういった書類を作る警察庁も問題ですが、必要以上にオーバーリスクテイクする学校関係者を見ていると今の日本そのものの欠落しているものを見ているようです。教育と言うのは子供に色々な機会を与えて、勉強だけでなく多くの事にチャレンジし、10人10色の特徴を引き出し、社会性を学ばせる事だと思っています。ところがこうしたオーバーリスクテイクは益々個人個人の自主性や多様化を阻害するばかりか、集団を混乱させます。全てが勉強ばかりしている子供だけではありません。親が忙しくて遊びに連れて行く事さえできない家庭もあるのです。そうした子供達はどうやって時間を潰せばいいのでしょう。
先日、悲しい場面に遭遇しました。小学校4.5年生の男の子が駅で出会った母と一緒にいた同級生に向かって、家が貧乏だから学堂に行くお金が無いので、学童にはいけなくなったというのです。それを聞いていた男の子はそうなんだといったきり、そのまま母親に連れられて行ってしまったのです。何も言わなかった母親は忙しかったのかもしれませんが、こうした弱者に対して学校も社会もぽっかりと空間を作って孤立させているようなそんな気がしてなりませんでした。教育とは学校だけでするものではありません。親もそして地域社会も連携してするものです。自分たちのしたことは正しいと思っている多くの日本人はそれが己にとって都合がよいと思っているからなのです。ただそれだけです。だからいじめについても全く根っこは同じです。被害が自分に及ぶと思うからいじめられている人間を擁護しないのです。それを先生たちが率先して行っているのではもはや日本の教育はおしまいです。

教育に携わる多くの人にもう一度輝かしい自分たちの夏休みの事を思い出して下さい。少なくとも私はそれでどれ助けられたか分かりませんから。





2013年8月1日木曜日

バジリコスパゲティ

バジリコスパゲティ

1970年代も終わろうとしていた時、田舎から上京した若者は六本木の外れでアルバイトをしていた。東京の右も左も分からぬまま都会の魔法陣の真っただ中で一人うつむきながら来る日も来る日も皿を洗っていた。
その日は珍しく早く終わって駅に向かう途中だった。ビルの谷間に夏の風が匂いを運んできた。何の匂いなのか分からぬまま、ただ生ぬるい夏の風は人々の欲望と快楽をひとからげにして街を彷徨っているようだった。まるで死者のように。そして夜の帳が重く滓のように重なっていく。
青年が働いていた店の近くに高級外車が夜な夜な集まり、派手なドレスを着た女性たちが降りたつ店があった。その店は地下にあった。青年は灯りに誘われた虫のように初めてその店の細い通路のような階段を下りて行った。店の中には先程のドレスの女性たちが談笑している。相手の男性は誰もが瀟洒な身なりで青年とは違っていた。女性のドレスは赤、青、黄色と原色の花のようだった。赤い口紅とマスカラが同じでどの顔も同じように見えた。ただ女性たちの目は笑いながらも、肉食獣が獲物を前にして舌舐めずりする鋭い眼光が奥に潜んでいた。男性の顔は見えなかった。照明が逆光になりところどころ照らされてはいるが全体が掴めない。青年は何とか見ようと目を細めてみるが見ようとすればするほど全体が分断されていく。最後には断片となった鼻、目、口、耳がバラバラと崩れて行く。ゲシュタルト崩壊。青年はすんでのところで店に入らずに済んだ。
それから20年、青年は歳を取り、家庭も持った。子供も生まれた。そしてあの店のテーブルに座っている。周りの人の顔がよく見える。メニューにあるバジリコのスパゲティと白ワインを注文した。運ばれてきたスパゲティの上にバジリコの葉が添えられていた。バジリコ以外にもパセリと大葉が使われていたが、傍目には分からない。あの時顔の分からない男性が食べていたものがこんな味だと20年経って初めて知った。店を出ようと会計を済ませるとまだ年端の行かない若いジーンズ姿の青年が驚いたように目を見開きこちらを見ている。青年はふと我に返ったように足早で階段を駆け上がって行ってしまった。



出店 飯倉片町「キャンティ」