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2009年11月7日土曜日

タマプラーザ ザ テラス




初めてタマプーザザテラスです。冬ごもりのためのソファと事務所用の加湿器を購入しました。在庫の確認に時間がかかるのでその間軽く全体を見て歩きました。
それにしても似たようなお店が多いのに驚きます。2年後どのお店が残っているのでしょうか。
開店2分前だったので一風堂の列に並びます。赤マルランチです。メニューも増えていますが値段も上がったような気がします。味も恵比寿とは微妙に違います。
そうそう久し振りにゆっくり読書をしたい気持ちになったので、有燐堂です。1冊を除いて欲しかった本が手に入りました。あとでゆっくり楽しみです。

立冬 小春日和


穏やかな立冬です。去年植えたオリーブに実が黒く熟しています。


落ちた実を笠木に置いておくと、ツグミが食べに来ます。


今日はインディアンサマーらしく冬の準備です。


まずは壊れたソファーを見てきましょう。

2009年11月6日金曜日

価値の崩壊

人間は多少なりともいくつかの人格を有しています。私とて真面目な顔をして仕事をこなしている自分、犬の前で赤ちゃん言葉まで発してしまう自分、友達の前では悩み一つみせない自分、等々であります。

そして、その人格それぞれで価値を見出しています。仕事を完遂することの価値、相手に喜んでもらうことの価値、子供を卒業させる価値、いくつも価値を自ら作り上げています。

しかし、その価値の基底にあるものが崩壊したらどうなるのでしょう。とてもではありませんが人格を保つ骨格が崩れてしまいます。これこそが多くの人が苦しめられる精神的危機に他なりません。

心の基底にある澱んだものが、基底に穴を開け、価値を排出してしまい、残った穴はカラカラに干上がってしまったとき、本当の危機が訪れるのだと思います。恐ろしい光景です。

今のところかろうじて小人さんがこの空白を埋めてくれています。小人さんを大切にします。

レビィ・ストロース 礼賛


近くの書店にいったらレビィ・ストロースの書籍がコーナーにまとめて展示されていました。
ここにもレビィ・ストロースを同じように追悼する人がいることを想い、嬉しくなりました。
みすず書房より発刊されている「サンパウロへのサウダージ」を購入しました。


サウダージという言葉を彼はどのように解したのでしょう。時間の移ろいゆくなかのはかなさと憧憬、私にはそんな気がしました。そしてその憧憬には若さゆえの危うさ、儚さが感じられます。


2009年11月5日木曜日

愛読書  「観念の歴史」 アーサー・オー・ラヴジョイ


少し古い本になりますが、観念史の金字塔とも呼べるこの書物は難解でありますが(数回読み返して内容を確認し、行ってまた戻りを繰り返した)今も本棚の前面に鎮座しています。確かに息子もこれを盗み見していたのを記憶しています。


存在の連鎖から進化の観念へ、ヨーロッパを彩った思想群の壮大な転換を観念の基底に降り立って明らかにした」という言葉では言い表せない何かを感じます。もっとも後節の批判がないわけではありません。


しかし、ヨーロッパの歴史的系譜よりこの時期が偉大な転換点であったことは間違いではありません。



換骨奪胎  My PC

5年前に購入したこのPCですが、2度ほどのシステム障害を乗り切り(再インスール)とOSを今までのWindows XP PersonalからProfessionalに乗せ変えたり、RAMも増設したりと換骨奪胎の体で頑張り続けてきたのですが、このところ毎日のようにフリーズします。大切なデータはバックアップしているものの記録中のデータが失われてしまいます。診断マネジャーによるとやはりRAMが足りないようです。
メモリを2枚しかセットできず。さほど多くの拡張は望めません。本当はWindow7SP1が出る頃まで待ちたいのですが、危機的状況です。

やはりどこか直しても全体のバランスが悪いようです。しかし、キャノンの複合機のインストールやらPDF機器のインストールを考えるとゾッとします。

そろそろご引退の頃かも知れません。

2009年11月4日水曜日

構造主義の父 クロード・レビィ・ストロース氏 訃報


10月30日「悲しき熱帯」「野生の思」で有名なクロード・レビィ・ストロース氏が永眠されました。100歳でした。
今では「ポスト構造主義」と言われていますが、彼がいなかったら構造主義そのものが認められていなかったのではと思います。ポストどころではありません。未開の文明にある構造知に光をあて、西欧中心の思考体系に警鐘をならしました。
知の巨人がまた一人この世からいなくなりました。ご冥福をお祈りいたします。
奇遇にもあるレビィ・ストロースのことを書いた後に、有名なブログで当時のフランスには自らがフランスの知を背負っているという責任感と自負があったが、今の日本にはないと断罪している人がいましたが、果たしてそうでしょうか。私も自分の環境だけではそう思わざる得ないでしょうが、本当の「知」を求めて努力し、成果を生んでいる若人がいることも付け加えておかねばなりません。実際にはあるのですよ。知らないことを知っている、知っている事しか知らないということはどうなんでしょう。まさに知の矮小化であります。