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2010年5月14日金曜日

蒲柳の質 無私の功罪


自民党で次々に退陣した首相の多くは2世議員でした。今の総理も同様です。

全部とはいいませんが多くの2世議員は「蒲柳の質」のような気がしてなりません。

さらに「秘書がやっていたので私は知らなかった」と言います。本当に知っていなかったのなら、リスクについて相当鈍感であり、政治家には向きません。これを「無私の功罪」と呼びます。

故石橋湛山が著書「雨人者」の中で、政治家のもっとも大切な仕事は一握りの人に対してではなく、この国の多くの人のために公平に板塀になりきることだと説いていたことを思いだしました。

官房長官の徳之島訪問は滑稽に感じます。本来の蒲柳(カワヤナギ)は強い繁殖力で様々な環境に適応する種類のようですが・・・・・


健全な精神は健全な肉体に宿る ユウェリナス

この言葉がユウェリナスこと古代ローマの風刺詩人が言ったことなので、文字通りの意味ではなく平たく言えば「運動や娯楽に興じてばかりいると健全とはいえませんぞ」との意味であること既知です。

あえて私は文字通りのこの言葉の意味が「家庭教育における子供の健康と精神の発達」に当てはまるような気がしています。

病弱であることは欠点などではありません。しかし、病弱であるがゆえに親も周りも過保護になり、気付いて見るとそうしてもらうことが当たり前になってくる。そして、子供は既に知り得ている関係の中だけで社会を構築し、億劫になり新しい社会の構築に及ばない。これは子供にとっての悲劇です。

そうどの時点で折り合いをつけ、子供を外にポーンと押し出してやるか、これが親に与えられた命題なのです。

Crain&Co. パーソナル便箋と封筒


Sパパを真似て作ったCrain&Co.の便箋と封筒が残り少なくなってきました。

伊東屋に発注しようか迷っています。とりあえず大切に使います。

ものすごい癖字、難字の私は手書きで全て書くと相手が読めません。仕方なくパソコンの力を借りて書いているのですが、名前と挨拶はモンブランの万年筆でしたためます。少ないながらも相手への思いです。

この便箋と封筒をもってこの夏は上高地にでも出かけますか?言うだけはただですから・・・・・

2010年5月13日木曜日

泉 麻人   青春の東京地図



泉麻人さんはよく私のお店にも来ていただいておりました。私より少し年上ですが、彼は根っから東京ボーイです。K大も下からですから相当遊んだに違いありません。昨日、この本が届きました。
休日のパスタブックです。

ただ、私が思うにこういった根っからのおぼっちゃま君の方が東京をシニカルに見る傾向があるように感じます。私なんぞの田舎者はどっぷり東京にハマってしまうのとは大違いです。

ところで80年代学生の頃は特にお金がなく、奨学金をもらいながらアルバイトをしていました。それなのに3年より教職課程まで取ったものですからアルバイトもあまり出来ずじまいでした。そんなとき助かったのがディスコの無料券です。キサナドゥ懐かしい響きです。

どういうわけかK大の友達や先輩からこの券を戴き、食うために通っていました。当然、食うためですから踊ることには興味もなく、ただこの頃かかっていた音楽はよく覚えています。彼にも数回会っています。

その友人の一人が中野に住んでいました。彼と良く一緒に中野ブロードウェイの喫茶店でランチをしたものです。ところが先日、この中野ブロードウェイの近くに行ってびっくりです。まるで様変わりしていました。モールの中にはメイド喫茶はあるわ、ホビーの店があるわ、大変です。ここ秋葉?と勘違いしてしまいそうです。

みなさんくれぐれも中野ブロードウェイ気おつけて下さい!!かなりディープです!!!


PCクロニクル

思えば私が初めて使ったパソコンはマッキントッシュの初期型でした。価格はソフトを含めて150万位したものをもう使わないということで使わせてもらいました。これは実用的には使いこなせなかったのが本音です。

その後、まだエクセルが出る前にロータス1.2.3を使用したいがためにN社やF社の国産パソコンが大きなシェアをしめていた当時、ご多分にもれずこれらのPCを購入しました。当時は専用の用紙を使い、印刷機も重くて大きいものでした。もちろんインターネットや映像編集などには使えない代物でした。

ほどなくしてWINDOWSが発売されるや否や、PCが身近にとても使いやすいものになってきました。初めてネットを通じて色々な情報を取得出来るようになりましたが、情報の質は玉石混淆でした。

そしてメールがごく当たり前の通信手段になり、高速、小型化が進み周辺機器も大きく様変わりしました。

今私の使用しているWINDOES7の64ビットのパソコンの価格は当時の1/4です。

昨日、2年ほど前に購入したF社製のPFDスキャナをこのPCで使えるようにすべく、対応のドライバを探したところ、結局使えるようになるまでに半日掛ってしまいました。同様の事をC社で行うとものの数分で済みます。

何故なら、一度登録して顧客製品確認をして、さらにビスタ用を一度埋め込んで(直接はie8では埋め込めないので他のPCでダウンロード)してさらに3つのドライバをそれぞれアップグレードさせていくからなのです。その都度再起動を要請され時間が掛ってしまう訳です。

さらにこのF社では顧客対応窓口を縮小させる思惑のようで、どんな場合にも有償の窓口に導入させようとしています。電話の繋がり方も3回目までは自動音声で繋がらないようにしてあり、その後になります。オペーレーターの不充実は彰かです。

どうしてこうなってしまったのでしょうか?S社は急速に業績回復をしていると聞きます。さらにノートンなどは購入後の対応が完璧です。

メーカー各社もその時代に応じて顧客への対応も異なり、顧客もその使い方が変わってきています。新しいOSに対応したドライバなどはもっとオープンに手軽にダウンロード出来なければ意味がありません。

この結果メーカーの栄枯盛衰があるのも事実です。

しかしながら物を作るということは、その物の向こう側にある人を見るということです。これをせずただ作り続けるのは愚の骨頂としかいいようがありません。

こんなウタがあります。「コンプアライアンス 気にしすぎ 結果会社死に体に」 

アマゾン  ザッポスの奇跡

このところアマゾンの急成長ぶりに驚かされます。

書籍中心だった同社が家電やコレクター物も含めて急速に範囲を広げ、かつ迅速、安全というネット販売の要を失うどころか、質的に良くなっています。

さらにクレジットカード会社との連携も進み、某家電量販店並みのポイントや、徹底した価格戦略などザッポス的コアコンピタンスを感じます。

以前はこの手の古いCDは専門店でしか手に入らなかったものも今は簡単に手に入れられます。

さらに絶版になった書籍も購入できます。おそるべしアマゾンです。

梱包も以前のようなオーバースペックで大量のごみが出ていたものが改善されています。

今回は懐かし80年代から90年代のCDを購入しました。翌日に配達されました。


エアーサプライ懐かしいですね。学生だった私はレコードを買うお金はなく、確かエアチェックしてカセットに入れていました。

エアーサプライのこのジャケットは日本仕様だそうです。このころウィンドサーフィンのブームもありました。





911 Jean Baudrillard 「不可能な交換」


911についてジャン・ボードリヤールは911こそ「不可能な交換の壁」だと言っている。

そう著書「不可能な交換」の中で客観的偶然について、サイコロの例を用いて次のように書いている。



ジャン・ポートリヤール著 塚原 史訳「不可能な交換」紀伊国屋書店より




ところで偶然の運命の選択を導くものは何だろうか。そんなはずはない。主体がみずからの選択をプログラミングする瞬間に、問題となるのは純粋に客観的な偶然でも、決断された意志でもなく、主体の無意識の思いつきに導かれた、いわば主観的偶然なのだ。・・・・・・・以下一部省略

いずれにしても、プログラミングされてないものは、何一つコンピューターから出てこないのと同じように、精神のうちにあらかじめプログラミングされていないものは、何一つサイコロから出てこない。
だから、サイコロの目的が一切の固有の意思から自らを解放することだとしても、この挑戦は疑似えにすぎない。あらゆる企ては疑似餌であり、欲望の月並みな偶然性に回帰するために、わざわざサイコロを通過する必要はないのだ。
おそらく客観的偶然はひとつの幻想、ひとつのユートピアにすぎない。サイコロによる決定は、そう思われているほど恣意的ではないが、真の意味で自動的ではあり得なかったと同じだ。そして、偶然は、人が行う選択のうちには決して存在しない。ただ、単純に、あなたに起こったことを為すにまかせる場合は別だか、その場合でも結局、偶然あなたに起こることなど何もありはしないことを人々は知っている。


善が悪を打倒したつもりでも、この壁は決して消滅しないだろう。善と単一性の原則=グローバリぜーションがかえって世界と思想の絶対的特異性への道を開くのだと「不可能の交換の壁」についてまとめています。テロリズム対正義という単元的思考の危うさについての理解はまだ足らない気がします。