肝機能の問題で外科的切除術を選択できず、冠動脈塞栓術にて入院していたお客様が無事退院されました。門脈近くの癌に手古摺ったということなので心配していましたが、1週間後のCTで2個の腫瘍は確認されず、無事に退院の運びとなりました。
肝臓癌はまだよくその基序が分かっていない癌の中でも比較的はっきりしているもののようです。さらにいくつかの治療法も確立され、患者のQOLを考えながら選べ、日本は世界でもトップクラスの成績を修めているようですのでこの国に生まれた事に感謝しなければいけないかもしれません。
抗癌剤の副作用も、開腹によるリハビリも必要なく、翌日から起きあがって好きなものが食べられるのもこの術法のメリットです。
冨士山のミネラルウォーターで5人で乾杯です!!
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2011年9月29日木曜日
EGG BENEDICT ニューヨーク
747は高度を徐々に下げながらシラキュースの上空を通過していた。
このあたりはニューヨークにとっての分水嶺にあたる地域だとラジオで聞いたことがあった。
英語で分水嶺はwatershedという。山に落ちた雨水が峯のこちら側と反対側とでは別の場所に流れ込む。
ヨシヒコは北関東の地方都市で育った。ここでは川の水はすべて南へ流れて行く。
隣の信州に行った時に川の水が北へ向かって流れて行くのを見て、不思議な感覚を覚えた。不思議な感覚と言うより、ヨシヒコにとっての意心地の悪さだった。
ニューヨークには空港が3つある。ラガーディア、ニューアーク、そして今回ヨシヒコが降り立つジョン・F・ケネディ空港だ。
この空港は出来てから大分時間が立っている。荷物を吐き出すターンテーブルもどことなくぎこちなく古びた音を出していた。
ヨシヒコは機内に持ち込んだディパックを左肩に掛け直し、紺色のスーツケースをターンテーブルからもぎ取るようにして運び出した。
外は小雨が降っていた。
ヨシヒコは自らトランクにスーツケースを押しこみ、映画やドラマに出てくるイエローキャブに乗り込んだ。
その車はリンカーンの古いモデルだった。運転手はインド人だった。車内にはわずかに香辛料の匂いが漂っていた。
車は途中、渋滞に巻き込まれながらも順調にブルックリンブリッジを通過していった。
橋の袂には外見は古びているけれどもよくみるととても豪華な建物が建っていた。上階のペントハウスは開け放たれ、庭のオリーブとウイキョウが秋の日差しを受けながらそよいでいる。
車は南に進み、ヨシヒコが予約してあるホテルに止まった。
ホテルはニューヨークではとても有名なホテルで、ヨシヒコが航空券を予約する時に旅行会社に薦められたホテルだった。
ヨシヒコはタクシー代を払い、チップの額に不服そうな運転手を無視してロビーに進んでいった。
ホテルのロビーは緑色の大理石を壁や床に配した室礼で、人を圧倒するようだった。ヨシヒコはこういった様式をネオゴシック様式と言うのだと何かの本で読んだことを思い出した。
ロービーに予約の名前を告げると、背の高い男性が別の場所でチェックインするように指示された。
その場所はロビーの反対側にあり、バスや団体専用のチェックインカウンターだった。ヨシヒコはついた早々体よく、人種差別を受けたのだ。
しかし、ヨシヒコは英語で反駁する体力はなかった。長旅の疲れで、一刻も早く熱いシャワーを浴びてベッドにもぐりこみたい衝動にかられていたからだ。
部屋はタワーの上階に位置して、窓から建物の間にセントラルパークの緑がかろうじて見られる部屋だった。
ヨシヒコはこの部屋で350ドルは高いと思ったが、もともと今回の飛行機代も宿泊費も自分が出した訳ではなかったので、そのまま胸にしまいこんでしまった。
翌日、目が覚めるとヨシヒコは空腹に苛まれた。ヨシヒコは身繕いを早々に済ませサキソニーの紺色のジャケットを羽織り、ダイニングに降りて行った。
ホテルのダイニングは多くのビジネスマンと思しき人達が朝食を取っていた。
友人とわいわい話しながら賑やかに朝食を取る人達、一人静かに新聞を片手にコーヒーカップを口に運ぶ人たち・・・・・・・様々な人達で溢れかえっていた。
ヨシヒコは入口から一番離れた席に座り、メニューを見回した。
ヨシヒコは汐留のホテルで叔父に一度、エッグベネディクトなるものをご馳走になったことがあった。ヨシヒコ一人ではとても入れない高級ホテルだった。
そのときにエッグベネディクトはヨシヒコが今泊っているニューヨークのホテルが発祥地で、常連客で食欲のない人に供したのが始まりだと聞いたことがあった。
ヨシヒコはその料理とコーヒーを注文した。ヨシヒコは注文してから、食欲が無いわけでもなく、足らなかったらどうしようとふいに考えたが、ホテルの斜め前にあったコーシャフードの屋台の事が頭によぎり、注文はそのままにした。
2杯目のコーヒーを飲み始める頃に、その料理は運ばれてきた。
東京で食べたそれより2倍以上大きいそれは存在感を放っていた。
卵は半熟で、ソースの酸味が感じられる。何分、パンの大きさが違うのだ。
付け合わせのポテトの量も多く、ヨシヒコはそのひと皿で満腹になった。
はっきりいって味は東京で食べたそれの方が美味しかった。ヨシヒコは世界で一番美味しいものを食べたいなら、東京からでないことだと言っていた事を思い出して、一人で可笑しくなった。
ヨシヒコは3杯目のコーヒーを半分残し、席を立ち、脇に新聞を挟み日差しの長くなった秋のニューヨークを歩きだしていった。
このあたりはニューヨークにとっての分水嶺にあたる地域だとラジオで聞いたことがあった。
英語で分水嶺はwatershedという。山に落ちた雨水が峯のこちら側と反対側とでは別の場所に流れ込む。
ヨシヒコは北関東の地方都市で育った。ここでは川の水はすべて南へ流れて行く。
隣の信州に行った時に川の水が北へ向かって流れて行くのを見て、不思議な感覚を覚えた。不思議な感覚と言うより、ヨシヒコにとっての意心地の悪さだった。
ニューヨークには空港が3つある。ラガーディア、ニューアーク、そして今回ヨシヒコが降り立つジョン・F・ケネディ空港だ。
この空港は出来てから大分時間が立っている。荷物を吐き出すターンテーブルもどことなくぎこちなく古びた音を出していた。
ヨシヒコは機内に持ち込んだディパックを左肩に掛け直し、紺色のスーツケースをターンテーブルからもぎ取るようにして運び出した。
外は小雨が降っていた。
ヨシヒコは自らトランクにスーツケースを押しこみ、映画やドラマに出てくるイエローキャブに乗り込んだ。
その車はリンカーンの古いモデルだった。運転手はインド人だった。車内にはわずかに香辛料の匂いが漂っていた。
車は途中、渋滞に巻き込まれながらも順調にブルックリンブリッジを通過していった。
橋の袂には外見は古びているけれどもよくみるととても豪華な建物が建っていた。上階のペントハウスは開け放たれ、庭のオリーブとウイキョウが秋の日差しを受けながらそよいでいる。
車は南に進み、ヨシヒコが予約してあるホテルに止まった。
ホテルはニューヨークではとても有名なホテルで、ヨシヒコが航空券を予約する時に旅行会社に薦められたホテルだった。
ヨシヒコはタクシー代を払い、チップの額に不服そうな運転手を無視してロビーに進んでいった。
ホテルのロビーは緑色の大理石を壁や床に配した室礼で、人を圧倒するようだった。ヨシヒコはこういった様式をネオゴシック様式と言うのだと何かの本で読んだことを思い出した。
ロービーに予約の名前を告げると、背の高い男性が別の場所でチェックインするように指示された。
その場所はロビーの反対側にあり、バスや団体専用のチェックインカウンターだった。ヨシヒコはついた早々体よく、人種差別を受けたのだ。
しかし、ヨシヒコは英語で反駁する体力はなかった。長旅の疲れで、一刻も早く熱いシャワーを浴びてベッドにもぐりこみたい衝動にかられていたからだ。
部屋はタワーの上階に位置して、窓から建物の間にセントラルパークの緑がかろうじて見られる部屋だった。
ヨシヒコはこの部屋で350ドルは高いと思ったが、もともと今回の飛行機代も宿泊費も自分が出した訳ではなかったので、そのまま胸にしまいこんでしまった。
翌日、目が覚めるとヨシヒコは空腹に苛まれた。ヨシヒコは身繕いを早々に済ませサキソニーの紺色のジャケットを羽織り、ダイニングに降りて行った。
ホテルのダイニングは多くのビジネスマンと思しき人達が朝食を取っていた。
友人とわいわい話しながら賑やかに朝食を取る人達、一人静かに新聞を片手にコーヒーカップを口に運ぶ人たち・・・・・・・様々な人達で溢れかえっていた。
ヨシヒコは入口から一番離れた席に座り、メニューを見回した。
ヨシヒコは汐留のホテルで叔父に一度、エッグベネディクトなるものをご馳走になったことがあった。ヨシヒコ一人ではとても入れない高級ホテルだった。
そのときにエッグベネディクトはヨシヒコが今泊っているニューヨークのホテルが発祥地で、常連客で食欲のない人に供したのが始まりだと聞いたことがあった。
ヨシヒコはその料理とコーヒーを注文した。ヨシヒコは注文してから、食欲が無いわけでもなく、足らなかったらどうしようとふいに考えたが、ホテルの斜め前にあったコーシャフードの屋台の事が頭によぎり、注文はそのままにした。
2杯目のコーヒーを飲み始める頃に、その料理は運ばれてきた。
東京で食べたそれより2倍以上大きいそれは存在感を放っていた。
卵は半熟で、ソースの酸味が感じられる。何分、パンの大きさが違うのだ。
付け合わせのポテトの量も多く、ヨシヒコはそのひと皿で満腹になった。
はっきりいって味は東京で食べたそれの方が美味しかった。ヨシヒコは世界で一番美味しいものを食べたいなら、東京からでないことだと言っていた事を思い出して、一人で可笑しくなった。
ヨシヒコは3杯目のコーヒーを半分残し、席を立ち、脇に新聞を挟み日差しの長くなった秋のニューヨークを歩きだしていった。
LITTLE BROTHER
知り合いの大家さんがいます。とても人のよい方なのですが、見栄っ張りがいけません。
結構お年寄りで自分をインテリと思っている人にこの手の人を多く見かけます。
自社ビルの一番良いフロアーを30年近く自分の会社で使っています。社員の人数や仕事の中身からすればそんな広い事務所は全く必要ありません。もしずっと前にそのことに気づいていたら、お金に窮することもなく、億単位の差になっていたことは今ではとても申し上げられません。
今回、やっとそのことに気づいたのかなと少しほっとしましたが、やはり見栄と自己への甘さで元の木阿弥ということになりそうです。
こういった人達にはリトルブラザーが住んでいるのです。そうです。村上春樹氏が1Q84で描いたあれです。今回もこのリトルブラザーがお出ましになったようです。
3年間固定式の駐車場でなく、時間駐車場を利用し、その結果ではありますが、車にいたずらされたり、ぶつけられたりしたのか、何故敢えてその方法を私が取ったのかこの人たちには決して理解していただけないでしょう。
物事には出来てもやらない事が必要なのです・・・・
立って半畳、寝て一畳、断捨離の精神で、50歳を過ぎたら物に拘らず、リリースすることを心掛ける・・・・美味しいものはみんなで別けて食べる・・・・・そうすると楽なんだけどな・・・・・・リトルブラザーもすぐ退散するのに・・・・こんな簡単なことが・・・・残念ですが仕方ありません・・・・・
おそらく一生理解されることはないのでしょう・・・・・・・
結構お年寄りで自分をインテリと思っている人にこの手の人を多く見かけます。
自社ビルの一番良いフロアーを30年近く自分の会社で使っています。社員の人数や仕事の中身からすればそんな広い事務所は全く必要ありません。もしずっと前にそのことに気づいていたら、お金に窮することもなく、億単位の差になっていたことは今ではとても申し上げられません。
今回、やっとそのことに気づいたのかなと少しほっとしましたが、やはり見栄と自己への甘さで元の木阿弥ということになりそうです。
こういった人達にはリトルブラザーが住んでいるのです。そうです。村上春樹氏が1Q84で描いたあれです。今回もこのリトルブラザーがお出ましになったようです。
3年間固定式の駐車場でなく、時間駐車場を利用し、その結果ではありますが、車にいたずらされたり、ぶつけられたりしたのか、何故敢えてその方法を私が取ったのかこの人たちには決して理解していただけないでしょう。
物事には出来てもやらない事が必要なのです・・・・
立って半畳、寝て一畳、断捨離の精神で、50歳を過ぎたら物に拘らず、リリースすることを心掛ける・・・・美味しいものはみんなで別けて食べる・・・・・そうすると楽なんだけどな・・・・・・リトルブラザーもすぐ退散するのに・・・・こんな簡単なことが・・・・残念ですが仕方ありません・・・・・
おそらく一生理解されることはないのでしょう・・・・・・・
牡蠣がない
10月に入ろうとしているのにスーパーで牡蠣が買えません。
私の家の近くの東急ストア、食品館あおば、成城石井にも牡蠣がありません。
私のところだけ????
どうしても美味しい牡蠣フライが食べたいーーーーのです!!
私の牡蠣フライの作り方をご披露します。
用意するもの
☆加熱用の大ぶりの牡蠣
☆きゃべつ
☆茹で卵2個
☆塩胡椒、(胡椒はホワイトペッパー)
☆玉子、小麦粉
☆ピクルス
☆レモン
☆牛乳
☆パン粉 出来れば買い置きしてあったバケットで作るとなおよい
①牡蠣をさっと水洗いして、牛乳に1時間程度付けておきます
②きゃべつの千切りを作り水に放しさらに水を切ります(トントントンと包丁で切って下さいね)
③フランスパンをブラインダーで細かくパン粉にします(大きさはお好みで)
④ピクルス、茹で卵をみじん切りにしてマヨネーズと和え、塩胡椒します。
⑤玉子と小麦粉を混ぜた液体にさっと牡蠣をくぐらせ、パン粉を付けます
⑥あとは180度で牡蠣を揚げて、お皿にキャベツ、レモンと一緒に添えて盛りつけます
⑦タルタルソースは別の器に入れてお好みで出します
※とにかく揚げたてをフウフウ言って食べることが一番肝要なのはいうまでもありません!!
私の家の近くの東急ストア、食品館あおば、成城石井にも牡蠣がありません。
私のところだけ????
どうしても美味しい牡蠣フライが食べたいーーーーのです!!
私の牡蠣フライの作り方をご披露します。
用意するもの
☆加熱用の大ぶりの牡蠣
☆きゃべつ
☆茹で卵2個
☆塩胡椒、(胡椒はホワイトペッパー)
☆玉子、小麦粉
☆ピクルス
☆レモン
☆牛乳
☆パン粉 出来れば買い置きしてあったバケットで作るとなおよい
①牡蠣をさっと水洗いして、牛乳に1時間程度付けておきます
②きゃべつの千切りを作り水に放しさらに水を切ります(トントントンと包丁で切って下さいね)
③フランスパンをブラインダーで細かくパン粉にします(大きさはお好みで)
④ピクルス、茹で卵をみじん切りにしてマヨネーズと和え、塩胡椒します。
⑤玉子と小麦粉を混ぜた液体にさっと牡蠣をくぐらせ、パン粉を付けます
⑥あとは180度で牡蠣を揚げて、お皿にキャベツ、レモンと一緒に添えて盛りつけます
⑦タルタルソースは別の器に入れてお好みで出します
※とにかく揚げたてをフウフウ言って食べることが一番肝要なのはいうまでもありません!!
2011年9月28日水曜日
イノベーション 経済原理
みすず書房より送られてくる定期刊行物の案内で目にとまったので購入した一冊です。
イノベーションは自ら全崩壊するような突然変異とする仮説の一方で、この本の作者のようにテクノロジーと経済の円環的連続性と捉える考え方もあるのだなと考えることも出来ます。
ドメイン、構造の深化、機会のニッチ、生成経済・・・頭を刺激する言葉の洪水です。
結局、イノベーションなくしこれからの経済は進化しないことを痛感します。今までのような経済原理だけでは発展はありえない、つまりパラダイムの変換が必要となり、全てのテクノロジーの生成要素を一度、分解して再構築する=つまりは経済の解体作業こそこれからの脱工業化社会に求められるのではないか・・・・
秋の夜長に最適の一冊でした。
キャベツの千切り
ヨシコは百貨店の4階にある家庭雑貨売り場のショーケースの中の包丁をまじまじと眺めていた。
傍から見ると、何か間違いでも起こす危ない女に視られているかもしれない、そんな真剣な眼差しだった。
ヨシコは昨晩、会社からの帰り道を最寄りの駅に着いてからいつもと違うルートで帰宅した。
駅前の小道を真っすぐに歩けば7.8分で着くのだが、その日は家から外れた商店街を歩いてみたかったのだ。
ヨシコは外食は滅多にしない、ご飯はまとめて炊いて、小さな容器に小分けにして冷凍しておく。
これなら、いつでも3.4分電子レンジで温めれば、あつあつのご飯が食べられる。
以前はテレビで宣伝しているサ**のご飯を時々買っていたが、値段も高いがそれ以上に出来あがったときのあの一瞬鼻をつく匂いを感じてからは食べられなくなっていた。
ヨシコは料理をすることが嫌いではなかった。いつもは時間が無いので手の込んだ料理は作らないが、味噌汁は煮干しで出汁をとり、味噌は沸騰させないよう、野菜は煮込み過ぎないというおばあちゃんの教えを守っていた。
ヨシコはその晩、珍しく外食をした。
ヨシコが外食をしないのは、巷で言われている「おひとりさま」という言葉に抵抗を感じているからでもなかったが、折角入った店がヨシコの心を満たしてくれることが少なかったからかもしれない。
その晩はヨシコの家の西にある商店街の外れの定食屋に入った。
店の前にはショーケースが置かれていた。ショーケースの中身はいくぶん黄ばんだ料理の見本があった。フォークが空中でナポリタンの麺を掬っている形がシュールだった。
店はこじんまりしていて、10人も入れば満席だった。
カウンターの上には小さな黒板があり、今日のおすすめのメニューが何回か消されまた書かれていた。
ヨシコはミックスフライ定食を注文した。メニューにはチキン、ハムカツ、白身魚とあった。
サーモンのフライが入っている店が多いのに、黒板の白身魚に興味を持った。
店の奥では店主と思しき初老の男性がコックコートを着て下準備をしている。
ホールではふっくらした背の低い女性がお客が席に着くたびに、コップに注がれた水と紙ナプキンに包まれたフォークとナイフをテーブルにセットしていた。
程なくするとスープが運ばれてきた。真ん中にパセリがとんと飾ってあるシンプルなコンソメスープだ。脂はほとんど浮いておらずマグカップの底の文字が見えるほど澄み切っている。スープはこうじゃなきればいけないと思う。
スープはあくまで脇役だ。主役の邪魔をしてはいけない。
フライヤーの中で白い煙とともにじゅーっっと香ばしい音が聞こえてくる。同時にトントン、トントントンというキャベツを切る軽快な音が聞こえてきた。
洋食の専門店でも面倒なキャベツはまとめて切っておくことが多いのに、この店はお客の顔を見てから切り始めたのだ。
それと同時にヨシコはそのキャベツを切る音が懐かしく、自分のそれとは異なっていることに気づいた。
ヨシコは錆びないからといってステンレスの包丁に、プラスチックのまな板を使っていた。
プラスチックのまな板は包丁がその面に届くと、甲高い声を上げる。
今聞いている音とはあきらかに違う。
店主は大きな木のまな板の上でキャベツを切っていた。包丁は鉄の包丁で洋包丁とは違う四角い包丁を使っていた。
運ばれてきた皿には熱々のフライが大盛りのキャベツに乗せられている。
キャベツの切り口はみずみずしく、フライと交互に口に入れるとフライの脂っぽさを旨く中和してなんとも言えない味わいだった。
白身魚はオヒョウだった。英語ではハリバットという。ヨシコは昔彼と観た映画のワンシーンを思いだした。その場面は禁漁の場所で小さな魚を釣りあげた老人がこれはオヒョウだと髭面の男に言うと、その男が魚のサイズを馬鹿にしてこれがオヒョウかと嘲笑する場面だった。
ヨシコは最後に残ったキャベツにウスターソースをほんの少しかけてまた口に運んだ。
ヨシコは満足だった。私のためにキャベツを切ってくれているという行為が嬉しかった。何か大切にされたような気がした。
店を出てもヨシコの頭はあのキャベツを切る音で一杯だった。
ヨシコが幼い頃、ヨシコの母は働いていた。だから、夕食はおばあちゃんが作った。
ヨシコが炬燵に入って宿題をしていると、背の低い猫背のおばあちゃんは後ろ向きで料理を作っていた。
そのとき包丁とまな板はトントントン、トントントンとあの食堂と同じ音がしていた。
おばあちゃんが使っていたのは、刃先の丸くなった鉄の包丁だった。そしてまな板は銀杏の木だった。銀杏の木は抗菌効果もあり、まな板に最適なんだとおばあちゃんは教えてくれた。
ヨシコの頭の中には、おばあちゃんと同じように鉄の包丁でトントントン、トントントントンと軽快な音を鳴らしながら料理をしている自分の姿がはっきり映っていた。
傍から見ると、何か間違いでも起こす危ない女に視られているかもしれない、そんな真剣な眼差しだった。
ヨシコは昨晩、会社からの帰り道を最寄りの駅に着いてからいつもと違うルートで帰宅した。
駅前の小道を真っすぐに歩けば7.8分で着くのだが、その日は家から外れた商店街を歩いてみたかったのだ。
ヨシコは外食は滅多にしない、ご飯はまとめて炊いて、小さな容器に小分けにして冷凍しておく。
これなら、いつでも3.4分電子レンジで温めれば、あつあつのご飯が食べられる。
以前はテレビで宣伝しているサ**のご飯を時々買っていたが、値段も高いがそれ以上に出来あがったときのあの一瞬鼻をつく匂いを感じてからは食べられなくなっていた。
ヨシコは料理をすることが嫌いではなかった。いつもは時間が無いので手の込んだ料理は作らないが、味噌汁は煮干しで出汁をとり、味噌は沸騰させないよう、野菜は煮込み過ぎないというおばあちゃんの教えを守っていた。
ヨシコはその晩、珍しく外食をした。
ヨシコが外食をしないのは、巷で言われている「おひとりさま」という言葉に抵抗を感じているからでもなかったが、折角入った店がヨシコの心を満たしてくれることが少なかったからかもしれない。
その晩はヨシコの家の西にある商店街の外れの定食屋に入った。
店の前にはショーケースが置かれていた。ショーケースの中身はいくぶん黄ばんだ料理の見本があった。フォークが空中でナポリタンの麺を掬っている形がシュールだった。
店はこじんまりしていて、10人も入れば満席だった。
カウンターの上には小さな黒板があり、今日のおすすめのメニューが何回か消されまた書かれていた。
ヨシコはミックスフライ定食を注文した。メニューにはチキン、ハムカツ、白身魚とあった。
サーモンのフライが入っている店が多いのに、黒板の白身魚に興味を持った。
店の奥では店主と思しき初老の男性がコックコートを着て下準備をしている。
ホールではふっくらした背の低い女性がお客が席に着くたびに、コップに注がれた水と紙ナプキンに包まれたフォークとナイフをテーブルにセットしていた。
程なくするとスープが運ばれてきた。真ん中にパセリがとんと飾ってあるシンプルなコンソメスープだ。脂はほとんど浮いておらずマグカップの底の文字が見えるほど澄み切っている。スープはこうじゃなきればいけないと思う。
スープはあくまで脇役だ。主役の邪魔をしてはいけない。
フライヤーの中で白い煙とともにじゅーっっと香ばしい音が聞こえてくる。同時にトントン、トントントンというキャベツを切る軽快な音が聞こえてきた。
洋食の専門店でも面倒なキャベツはまとめて切っておくことが多いのに、この店はお客の顔を見てから切り始めたのだ。
それと同時にヨシコはそのキャベツを切る音が懐かしく、自分のそれとは異なっていることに気づいた。
ヨシコは錆びないからといってステンレスの包丁に、プラスチックのまな板を使っていた。
プラスチックのまな板は包丁がその面に届くと、甲高い声を上げる。
今聞いている音とはあきらかに違う。
店主は大きな木のまな板の上でキャベツを切っていた。包丁は鉄の包丁で洋包丁とは違う四角い包丁を使っていた。
運ばれてきた皿には熱々のフライが大盛りのキャベツに乗せられている。
キャベツの切り口はみずみずしく、フライと交互に口に入れるとフライの脂っぽさを旨く中和してなんとも言えない味わいだった。
白身魚はオヒョウだった。英語ではハリバットという。ヨシコは昔彼と観た映画のワンシーンを思いだした。その場面は禁漁の場所で小さな魚を釣りあげた老人がこれはオヒョウだと髭面の男に言うと、その男が魚のサイズを馬鹿にしてこれがオヒョウかと嘲笑する場面だった。
ヨシコは最後に残ったキャベツにウスターソースをほんの少しかけてまた口に運んだ。
ヨシコは満足だった。私のためにキャベツを切ってくれているという行為が嬉しかった。何か大切にされたような気がした。
店を出てもヨシコの頭はあのキャベツを切る音で一杯だった。
ヨシコが幼い頃、ヨシコの母は働いていた。だから、夕食はおばあちゃんが作った。
ヨシコが炬燵に入って宿題をしていると、背の低い猫背のおばあちゃんは後ろ向きで料理を作っていた。
そのとき包丁とまな板はトントントン、トントントンとあの食堂と同じ音がしていた。
おばあちゃんが使っていたのは、刃先の丸くなった鉄の包丁だった。そしてまな板は銀杏の木だった。銀杏の木は抗菌効果もあり、まな板に最適なんだとおばあちゃんは教えてくれた。
ヨシコの頭の中には、おばあちゃんと同じように鉄の包丁でトントントン、トントントントンと軽快な音を鳴らしながら料理をしている自分の姿がはっきり映っていた。
ポルシェのブレーキ
よくポルシェのブレーキは宇宙一なんてフレーズが言われますが、何故だか分かりますか?
制動力だけならばフェラーリと同じプレンボのブレーキに変えたアウディS6改に乗っていたのでこれと比較すると分かりやすいのでこの車を例にします。
このアウディは改造に200万円以上費やし、ショックもタイヤもロムも大幅に変更しました。もちろんリアが太く、30の超扁平高速タイヤです。
しかし、これが思った通りに制動力を発揮できません。特に慣性が働けば働くほど効きません。
理由はアウディはフロントエンジンのためプレキーングのGがより前方に移動し、後輪が浮いた状態になっしまうためです。つまりはエンジンレイアウトということです。
これこそがレーシングカーがRR方式を採用する理由の一つなのです。
乗りこまないとポルシェのブレーキは分かりません。BMWやメルセデスのように女性や非力な人でも同じようにブレーキが掛るようには作っていないからです。踏んだ分だけ止まるという考え方です。
パッドは硬いです。ですからBMWやメルセデスのようにホイールは汚れません。ただ放熱が良いのですぐ冷えます。また、洗車後はさらにブレーキが効かなくなります。もっとも4.5百メートル走れば元に戻りますが、これはローターの表面に酸化塗膜が出来るためです。
少しずつ、ポルシェの事が分かってきます。中々、奥の深いものです。
制動力だけならばフェラーリと同じプレンボのブレーキに変えたアウディS6改に乗っていたのでこれと比較すると分かりやすいのでこの車を例にします。
このアウディは改造に200万円以上費やし、ショックもタイヤもロムも大幅に変更しました。もちろんリアが太く、30の超扁平高速タイヤです。
しかし、これが思った通りに制動力を発揮できません。特に慣性が働けば働くほど効きません。
理由はアウディはフロントエンジンのためプレキーングのGがより前方に移動し、後輪が浮いた状態になっしまうためです。つまりはエンジンレイアウトということです。
これこそがレーシングカーがRR方式を採用する理由の一つなのです。
乗りこまないとポルシェのブレーキは分かりません。BMWやメルセデスのように女性や非力な人でも同じようにブレーキが掛るようには作っていないからです。踏んだ分だけ止まるという考え方です。
パッドは硬いです。ですからBMWやメルセデスのようにホイールは汚れません。ただ放熱が良いのですぐ冷えます。また、洗車後はさらにブレーキが効かなくなります。もっとも4.5百メートル走れば元に戻りますが、これはローターの表面に酸化塗膜が出来るためです。
少しずつ、ポルシェの事が分かってきます。中々、奥の深いものです。
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