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2012年11月29日木曜日

排骨麵 横浜中華街「三和楼」 渋谷「チャーリー」


排骨麺 横浜中華街「三和楼」渋谷「チャーリー」

排骨麺を食べることは滅多にない。何故ならぶらりと立ち寄った店で美味しい排骨麺と出くわしたことがないからだ。つい無難なチャーハンや野菜炒めを頼んでしまう。

すでに閉店して数年が経つが、渋谷の公園通りから細い路地を入ったところに「チャーリー」はあった。ここには多い時には週2.3回のペースで来ていたこともある。いつも頼むのは「トンミン」と日替わりの定食、日替わりの定食は日によって異なるが豆腐と筍の五目のうま煮だったりするものがご飯の上にたっぷりと掛けられていた。それを二人で半分にする。元祖シェアである。ここの麺類はスープの中に具材を入れて供さない。茹でたホウレンソウと葱とすりおろしにんにく、そしてこの「トンミン」が別の皿で盛られてくる。ここのスープは本格的中華料理のそれである。どこまでも透明な所謂「湯」と言われるものだ。清湯、上湯などと作り方の違いで呼び方も異なる。ここのスープはあっさりしているのに奥が深い。その中に細めのストレート麺が程良い量(若い時には多少物足りない位控えめな)だった。そこに揚げたての「トンミン」が産湯をつかるように投入され口に運ばれるのである。淡清なスープにカレー味の効かせた排骨がマッチして得も言われぬ旨さだ。ここは排骨を使ってはいたが、骨は取り除いてあった。だから、どんぶりの底には何一つ残らなかった。

昨年、鎌倉のある老舗中華料理店で一時期、排骨麺を提供していた。最初に食べた時、チャーリーを髣髴させるスープと排骨に驚き喜んでいたが、2度目に食した時には麺は伸び、排骨はバラバラに切られ、もはや排骨麺とよべる代物ではなかった。それ以来メニューからも無くなった。

中華街でも多くの店で排骨麺を提供している。贔屓の杭州料理店の「三和楼」のそれは値段が850円なれど群を抜いて美味しい。排骨の旨さもさることながらチャーリーと同じく丁寧に出汁をとったスープが奥深い。ここに来たら私は必ずこの排骨麺を注文する。

ちなみにこの三和楼が休みの日に別の店でこの排骨麺を注文した。値段も高く、伸びた麺と揚げてから時間の経った排骨の不味いことこの上なしであった。排骨麺の排骨だけは揚げたてでなければ美味しくない。天使が産湯に入るには薹が立っていては駄目なように・・・


2012年11月28日水曜日

1981年ノゴーストライダー Ⅺ



洋一は霊南坂の教会の前に立っていた。この教会はあと数年で建て替えられると聞くが、洋一には建て替えられた後の教会の姿を想像することが出来なかった。

世の中には変わっていいものと変わってはいけないものがあると洋一は感じていた。この教会は後者である。この教会の古びた赤レンガや歪んだステンドグラスが真新しいものに代えられたとしても、この教会を超えることは永久に出来ない。歴史の中に凝縮された事実は時として実体を凌駕する。

優子はしばらく遅れて到着した。今日、優子の親友の結婚式がここで行われる。時刻は11時を迎えようとしていた。その友人は洋一も良く知っており、三人で一緒に食事に行ったこともあった。彼女は笑うと八重歯の可愛い細身の女性だった。彼女の髪の毛は幾分カールして襟もとで跳ねあげられていたが、今日のウェディングドレスを着た彼女のそれは念入りに延ばされ巻毛の後は痕跡さえなかった。

しばらくして新郎と思しき人物がタクシーを降りてきた。彼女が勤務先で知り合った彼はアイルランド出身の外国人だった。外国人といっても背丈は洋一とそう変わらなく、瞳もアジア人のそれのように黒かった。ただ、肌の色はあきらかに白く青みを帯びていたのと、まだ20代なのに黒髪にグレーの髪の毛が混ざっていた。

結婚式は予定通り行われた。洋一は心の中で映画「卒業」でダスティンホフマン演じる青年が新婦を奪いに来るシーン想像していた。洋一はあの映画を見た後にずっと気にかかっていることがあった。二人はあのまま車に乗って脳天気に笑いながらフェードアウトしていったが、残された新郎や家族はどうなったのだろうとずっと気にしていたのだ。世の中にはあちら側とこちら側がある。あの映画は青年の視点で見ればハッピーエンドに終わるが別の視点からすると悲劇である。人間と言うのは予定調和を図りたがるが、予定調和の裏側にはこうした悲喜こもごもの愛憎劇が日の目を見ずに隠されているのだと思うと結婚式の歓声や拍手も白々しく感じた。

結婚式にはそんな青年は現れることなく、まさに予定調和として行われた。色の付いていないステンドグラスから散り残ったプラタナスの落ち葉が太陽に照らされて輝いていた。
 
 

村上春樹にご用心 Ⅲ

世の中には村上春樹なんて大嫌いという人もいるだろう、確かに私の周りにも数人いる。

しかしながらざっと見渡せは大好きかどうかは別として本を読んだことのある人の方がずっと多いのではあるまいか。それも一冊ではなく数冊読んだと言う人が。

私の場合にはとにかく気にかかるのである。この気にかかるというところが問題であって、彼の本で読んだことのない本があれば必死に探し求めて、読後に妙な安心感を覚える。

私は以前もある評論家がヘミングウェイを「漁師が小説家になったものだ」と切り捨てたその論評に対して、お門違いであると断言した。

何故なら小説は全てその作家の経験なくしては生まれないからである。ヘミングウェイの醍醐味は彼の筆致がアフリカのサバンナの詳細やキューバ沖で必死に格闘するカジキの姿をまるでそこにいるように臨場感を持って再体験させるからだ。

村上春樹は「回転木馬のデッド・ヒート」の冒頭でこんなことを書いている。

「僕が小説を書こうとするとき、僕はあらゆる現実的なマテリアル・・・・・そういうものがもしあればということだが・・・・・を大きな鍋にいっしょに放り込んで原形が認められなくなるまでに溶解し、しかるのちにそれを適当なかたちにちぎって使用する。小説と言うものはおおかれ少なかれそういうものである。パン屋のリアリティはパンの中に存在するのであって、小麦粉の中にある訳ではない。
以下省略・・・」

私はこの部分を赤線を引いていつでも取り出せるようにしている。物を書くときの基本だからだ。

ならば誰でもできるかと言うとそうではない。経験を積んだら素晴らしい文章が書けるかと言えばそれも違う。

私も若い頃、村上氏が通っていたバーラジオで飲んでいた。しかし、同じ経験をしても彼が視ていたものはまるで別の物だった。いや、視ていた対象は同じだったのだか、頭の中で組み合わされる要素が全く違っていたのだ。

例えばそのバーでウイスキーと共にクリーム・ブリュレが供されたとしよう。

クリーム・ブリュレはご存じのとおりカラメルを焦がしたお菓子である。強いお酒との相性は良いだろうからとそんな事しか頭に思い描けないのが普通の人である。

しかし普通でない人はこのクリーム・ブリュレはフランスの食べ物であるか結構昔からイギリスでも食べられていたと知っているのである。

さらにもっと普通でない人はイギリスでは「トリニティ・クリーム(Trinity Cream)や「ケンブリッジ・バーント・クリーム」(Cambridge burnt cream)とも呼ばれ特に前者はケンブリッジのトリニティスクールで食べられていたという説もあるということも知っているのだ。

因みにこのケンブリッジ=Cambride はジュラ紀や白亜紀とならぶカンブリア紀の語源でもある。

話は脱線したがそういうことなのである。リアリティとは私達が心の中にすっと受け入れる土壌を持っているのだ。土壌と言うのはいささか違うかもしれない。別の言い方をすれば物語がすっと私達に寄り添うことのできる触媒なのだ。

1Q84に出てくる西陽の部屋のベランダに出されている植物はゴムの木でなければならない。名前のない観葉植物やアジャンタムや幸福の木ではお話にならないのだ。

むろんそれだけではない。彼のかきまぜるその容器の大きい事、どんなマテリアルを入れても一杯にならない無限の桶のように深遠なのだ。それをじっくりパラバラに良くかき混ぜ完全に溶解させる・・・だから私はまた読みたくなのだ。フィクションと言う名のリアリティを・・・

2012年11月27日火曜日

シュウマイ 焼売 お初天神 阿み彦


シュウマイ お初天神「阿み彦」
私は関西人が苦手である。こんな事をいうと関東の田舎もんが何言うてんねん、こっちの方が都だったと叱責を受けるであろうが、一人の時はまだしも関西人が集まった時のあの騒々しさが苦手なのである。鉄砲か機関銃か分からないが、頭の上で次々に交わされる会話の嵐が眩暈を起こさせるのである。
しかしながら食べ物となれば話は別である。お好み焼きや串揚げはもちろんのこと、黒門市場の近くで食べたふぐは東京の半値であの身の厚さである。寒い時期には定期券を買ってでも通いたくなる。これほんと。
横浜に住んでいると中華街が近いこともあり、美味しい中華にありつける。全国に名を馳せるシューマイの崎洋軒はどこのキオスクでも買えるが、ホタテの身を入れたシューマイ弁当は忙しい新幹線の中での朝食の定番である。
都内にもシューマイの美味しい店はある。友人がこっそり教えてくれた丸の内の「小洞天」のシューマイ定食はなるほどと唸る逸品である。何故唸るかと言えば、丁度いいのだ。このシューマイとご飯の量が丁度いいバランスでお昼の空腹を満たす。お昼は満腹になりすぎても午後の仕事のやる気がでない。そう、このバランスこそがサラリーマンの昼食の要点ではあるまいか。
そこへいくとお初天神の「阿み彦」のシューマイはお昼と言うより、仕事を終えて家路に向かうそんな少し前に、さっと暖簾をくぐってビールでこのシュウマイを食す。そんな場面がぴったりなのだ。もちろんこの場合のビールは瓶ビール。ここのシューマイは揚げシューマイが有名だが、蒸したものも提供している。池波正太郎も愛したここのシューマイどうしても手に入れたいが大阪まで行けないと言う人は電話をすれば送ってくれる。便利な世の中になったものだ。
朝食のお弁当箱に大きなシューマイが入っていた。このぎっしりとした肉の感じは磯子カントリーのシュウマイである。もちろん箸が一番先に延びたのは言うまでもない。
 
 
 

 

2012年11月26日月曜日

Daiquri


Daiquri ダイキリ

乾いた石段に日差しが容赦なく照りつけていた。茶褐色をした石段の角は丸まっていて、なだらかに港まで続いている。ときおり魚網を頭にのせた女性たちが通り過ぎるくらいで人通りはまばらだ。階段の途中に小さな踊り場がある。踊り場の横の家には上げ下げ式の鎧戸のついた緑色した木製の窓があった。窓のペンキはみごとに剥げ落ちそして傾いていた。

部屋の中は戸外の明るさのためか全く見えない。猫はその窓枠で気持ちよさそうに午後の昼寝を楽しんでいるようだった。

どこからともなくトロンボーンの音が聞こえる。遠くでかき鳴らされた楽器の音が青い空と白い雲に吸い込まれていく。

石段を登り切るとそこは旧市街だ。石で造られた建物はいずれも旧く指で数えながら階数を確認できる。どの建物も青い空と白い雲そして茶褐色をした道路と一体となって融け込んでいるのに看板だけが夜になると異様な光を見せる。看板に配されたネオン管はスペイン語よりも英語の方が多い。壊れていて光らないものや曲がって書かれているものがほとんどである。ネオン管は時折ジッジッという音を立てて点いたり消えたりしていた。

旧市街の通りに目をやると、半世紀はタイムスリップしたような車が当たり前のように走っている。そう広くない歩道に点在するように街路樹が植えられ、人々はそこでつかの間の休息を取っている。赤と黄色の縞模様の木綿のワンピースを着た恰幅のいい黒人女性がその樹の下で幼い女の子の靴紐を直していた。

この国は奇跡の国である。ある一方のイデオロギーが急激に大きく膨張をしようとすると、それを膨張させまいとする反作用を起こすイデオロギーが生まれる。最初は拮抗していたそれらであるがほんの少しでもバランスが崩れると一方は消滅してしまう。そして残ったものはエーテルのように実体をもたない軽い気体。意外にもその残滓たるものは郁福として豊醸である。

この海でクジラは子供を産み育てる。食べ物は少ないが敵から襲われることのないゆりかごのような海。クジラはここで体力と知力を備えて地球を回遊する一生の旅を始める。

クジラにとってのすべての原点がこの海。

老人が言っていた。クジラは人間の化身だと。クジラの寿命は50年である。少し前の人間も同じようなものだったが最近は長く生きすぎると老人はつぶやく。人間が死ぬと一度クジラになりそしてまた人間に化わるのだと。くじらの目を見てみるといい。老人の言葉が胸に刺さる。

歩きすぎた脚をいたわるように薄暗い店のカウンターに腰を下ろす。その店には戦う美女神の名前が付いていた。カウンターはマホガニーで出来た重厚なものだったが、時の年月に皺と滲みを増やしていた。椅子の足置きにつま先をちょこんと掛けて、フローズンダイキリを頼む。甘くないものを頼む時はパパスタイルというそうであるが、かの文豪がこよなく愛したこの店でそう口に出すことは憚られた。グラスにはラムメーカーの文字が記されている。運ばれてきたグラスから水滴がしたたり落ちる。ライムの香りが鼻をつき、冷剌なる液体がのどを通る時に戸外からパレードの音が聞こえた。
 
 

 

イカに請う

50年以上生きていてもハッとさせられる事があります。

人間の脳と言うのはこれが当たり前だと決めてかかる節があります。

例えば日本の国旗をイメージして下さい。風はどちらから吹いていますか?

ほとんどの人は無意識に左から右、つまり国旗は右にたなびいていると感じるのではないでしょうか。

これは私達に某国営放送のテレビの終わり際に流れる映像が頭にこびり付いているからだと思います。

アンカーリング効果そのものです。

ではイカの頭はどこでしょう?

魚類や水産学を履修した人以外はほとんどがあの三角の部分を考えるのではないでしょうか。

ところがイカの生態を実際に見てみると、私達が足とよんでいる部分は足どころかとても器用な動きをしますし、獲物の魚においでおいでをしたり、掴みかかったりとても足と呼べる代物ではありません。

足だったら、伝説の格闘戦である猪木対アリのように足ではチョッカイを出すのがやっとのはずです。

そうこう考えるとイカは私達がイメージしていた容=カタチでは無かったのかもしれません。

物事にはこういう側面がついてまわります。私達は頭の中で色々なものを定型化していきます。そしてほとんどの物が分かりやすく分類分別できるようにひとつづに標準化されシールを貼られていくのです。

選挙間近の各党の言い分をそれだけ聞いているとどの党もなるほどと思う部分とこれはうそくさいなと思う部分があります。

しかしながら私達が間違ってシールを張って標準化していたら、それは間違った方向に進んでしまうのは至極当たり前なのです。

もう一度標準化されたものを見なおしてみましょう。原発、TPP、日米安全保障、憲法改正問題、財政支出と経済政策、福祉と年金、消費税、脱官僚社会、尖閣や竹島問題、北方領土・・・・国民にそれぞれ標準化されるべき問題なのです・・・

2012年11月24日土曜日

クリームソーダ 鎌倉 門

いつの頃だろうか喫茶店に行かなくなった。いや正確には喫茶店というものが少なくなってあぶれてしまったのかもしれない。

どこの駅前にもあるチェーン店の出す珈琲は私が求めていた珈琲ではない。

高校生になる前に珈琲に凝っていた。近くに珈琲の豆を好きな量だけ炒ってくれる店があった。

豆に合わせて濃く煎る場合もそうでない場合も天候や温度に応じて仕事をしてくれた。

サイフォンもネルドリップも試した。サイフォンが温められコーヒー豆に水分が行きわたり、むくむくと膨らむ姿を見るのが好きだった。

それ以来、珈琲に無頓着を決めている。

鎌倉の小町通りに「門」という喫茶店がある。本当にたまに出かける。

ここのブレンドコーヒーは私が飲んでいた昔の味がする。もちろん珈琲を注文することが大半だが、もう一つの楽しみがある。

それはクリームソーダだ。

運ばれてくる緑色の液体のグラスの底から小さな泡がふつふつと湧きあがってくる。

泡は天井に押し込められた巨大な雲によって出口を塞がれ、雲に吸い込まれていく。

クリームソーダを飲みながら、小町通りを歩く人を見る。

私の密かな楽しみ。

歳の頃にして20歳前後のカップルが旅行ガイドを手に小町通りの店を指さしながら歩いている。

女性は今はやりの山ガールの格好をしている。けれども靴を見るとそれらしくない普通のアディダスのスニーカーを履いている。

男性は彼女とは歳の離れた長身の男性でザックの背負い方や履いているニッカポッカーと靴の組み合わせからアウトドアに精通しているヴェテランの姿だ。

男性が彼女に双眼鏡を渡して何やら説明をしている。指さしている方向に目をやると数十羽の大きな鳥が高い空を旋回していた。

こんな街中で彼らはバードウォッチングを楽しんでいる。

彼らが通り過ぎた後、色々な人がこの通りを往来する。クリームソーダのバニラアイスはかろうじてその姿を残すものの、緑の液体と一体となってグラスの中に溶けてしまう。