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2013年1月16日水曜日

1981年のゴーストライダー Capter2 Ⅹ


Ⅹ

 優子は田園調布の駅前にいた。洋一のアパートではなく別の場所で待ち合わせをしたかったのだ。それにしても時間に厳格な洋一なのに待ち合わせの時間にすでに15分遅刻していた。前日も深夜まで残業をしていたから仕方ないと優子は思ったが、それとは別に洋一を促すような催促の電話をしないと何故か決めていた。

 洋一が現れたのはそれから10分してからだった。洋一の車が優子の横にゴロゴロとディーゼルエンジンの音を鳴らしながら近づいてきた。洋一は優子に車に乗るように窓を開けて促したが、優子は洋一と目線を合わせずそのまま真っ直ぐ歩道を歩き続けていた。洋一はついに根負けして環八に出る直前で車のエンジンを切り、優子の前に両手を広げて立ちはだかった。

 洋一は遅刻したことを優子に詫びたが、優子はそのことを怒っていたのではなかった。久しぶりのデートでしかも駅で折角待ち合わせをしたのに車でやってきた洋一の無神経さに怒っていた。それに洋一の格好はどうみても寝起きのそれである。霜降りのチャンピオンのスエットパンツに黄色いグランドジャンバーをひっかけた格好は洋一の部屋着そのままだ。
 優子は洋一のジャンパー胸に張り付けられたイーグルのワッペンを何も言わず指差した。洋一は優子が何故指差しているのか分からず、何か上着についているのではないかとしきりにワッペンのあたりを触ったが結局それが何だったのか分からぬまま、運転席に戻りエンジンを掛けた。

 車は環八を左折しそのまま走り続けた。休日の環八は特に混雑する。午後になると二子玉川にあるショッピングセンターに向かう車が幹線道路を埋め尽くす。洋一はその手前で左折し第三京浜に入った。洋一の車は三車線ある真ん中をもうこれ以上でないというエンジンの悲鳴とともに走り続けた。右や左から赤や黄色のスポーツカーが洋一の車を追い抜いていく。
 誰かが洋一の車のことをシーラカンスだと言っていたが満更でもなかった。洋一はどうも最新のものにあまり興味が持てない。いくら性能や装備が充実していると言っても自分に似合わないと思っている。洋一は新しいものより使い古されてそれなりに時間を感じさせるものが好きだった。
 洋一はカーラジオのチャンネルをFENにセットした。FENは洋一の部屋ではノイズが多くて聴こえない、第三京浜でも保土ヶ谷を過ぎないと旨く電波を拾うことが出来ないのだ。ラジオからノイズ混じりにレイパーカージュニアの歌うウーマンニーズラブが聞こえて来た。車は警察署を左折し134号線と直角に交わる道を真っ直ぐ走り続けた。窓からは馴染みのサーフショップに並べられた真新しい色とりどりのサーフボードが見える。優子はやっと洋一に向かって「暑い」と一言しゃべった。今日初めての会話だった。








2013年1月12日土曜日

生シラス 鎌倉 もんざ丸 喜楽丸


生シラス 鎌倉 もんざ丸 喜楽丸 
はじめに断っておくがこの二つは鎌倉で生シラス漁をしている漁師さんのお店で行っても決して食べさせてくれませんのでご了解を。
鎌倉で暮らすようになっての一番の楽しみはこの生シラスに出会えたことかもしれない。
もちろん横山(横浜の北部)でも時々生鮮食品の売り場でお見かけするが、これははっきりいって別物である。
シラス漁は3月の解禁から12月一杯までである。昨年は夏過ぎまで異常な水温の上昇も重なり、本当に不漁だった。その前の年にはたらふく食べられたのでまあ良しにするか。
それほどまでに旨いのだ。
シラスには大きく春シラスと秋シラスがある。ご存知のようにシラスはカタクチイワシの幼魚である。春シラスはまだ小さく柔らかく味も繊細であるが中々多くは獲れない。秋シラスはこれよりやや大ぶりであり時折、赤ハラというお腹が赤いものが混じることがある。どうも甲殻類の幼生(稚魚とは言わないらしい)を多く食べるとこう赤くなるらしいのだが、あまり珍重されないというかどちらかというと敬遠される。
このシラス漁というのはどうやらそれぞれの漁場が決まっているようである。いくら鎌倉で捕れないからといって腰越や葉山に行くことはない。つまり撮れる場所でも味が変わってくるようだ。どの場所も新鮮なら美味しいと思うが、私は鎌倉の海への変質的愛情も加わりこの二つのお店のシラスは特別に美味しいと感じてしまう。
このふたつのお店は微妙に違う。同じ海岸線なのだが、もんざ丸は材木座海岸商店街にあり港は材木座である。喜楽丸は由比ヶ浜海岸である。場所は坂の下。テレビで一躍有名になったあのカフェのすぐ近く。そして値段も違う。もんざ丸は一袋500円、喜楽丸は700円だったと思う。もちろん量は喜楽丸が多い。もんざ丸にしても2.3人前はゆうにある。後段するそれぞれ別の食べ方をすることも可能な量である。スーパーの雀の涙のような少しとは訳が違うから。
ここで私の失敗談から御忠告申し上げる。生シラスはいくら新鮮だと言ってもお腹を壊すことがある。これは海水に含まれている細菌やバクテリアは必ず存在するからだ。まあ、妊婦や幼い子供、病気の人は避けた方が無難である。絶対はないのだから。それともう一つ、購入してきたらすぐに氷を一杯に入れてほぼ氷点零度前後で食べるまで保存すべきである。そして食べる前に流水でよく洗う、これが鉄則である。それまでしてお腹を壊したら仕方がない、諦めるべきである。因みにこの方法をするようになってお腹を壊したことはまだない。
食べ方はシンプル。とにかく炊きたてのご飯を用意する。そしてシラスにすりおろした生姜と醤油をかけ、お好みで小葱や大葉を入れて食べる。これはまさに王道的食べ方である。もうひとつはもんざ丸のレシピにあったユッケ風である。シラスにごま油を少しかけて、生卵と小葱を加える。軽く混ぜて熱々のご飯の上にかけて、かっこむのだ。
これが旨すぎるのだ。こんなに旨いものがあったのかとひしひしと感激する事間違いない。
シラスの爽やかな香りと苦み、そのあとでくる旨みが熱々のご飯と一体になって胃袋に収まるころには二人で炊いた2合のお釜のご飯の底が見えはじめているだろう。
このお店に行く時は出来れば自転車か徒歩でお願いしたい。どちらも車を止めるスペースがないからだ。どうしても駄目ならば駐車場に車を止めて徒歩で向かってほしい。もともとこれらのお店は飲食店におろしていたものの一部を一般にも売るようになったのだから、私達のマナーが悪くて販売中止とならないように心掛けたい。そう飲食店に行く前の飛びきり旨い生シラスが買えるのだから。旨い物を手に入れるにはそれ相当の努力を。




りんごの気持ち i phone5

70年代のヒット曲に「りんごの気持ち」なんていうフレーズがありましたよね、曲は林檎殺人事件とかいったような・・・・まあ、それはどうでもよいのですが、今日はそちらではないアップルのお話。

今更、私が某社の製品についてどうのこうと申し上げても、皆様の方がよほど熟知しているでしょうし、昨日初めてスマホに替えた私よりヴェテランであります。

私が今までスマホにしなかったのは簡単な理由です。必要なかったからです。

まず第一に車で移動するので、メールが見られません。事務所か自宅かでしか見ることが出来ないのです。(車の移動といっても大企業の運転手付きではありませんので自分で運転しているので・・・笑)

もう一つは事務所や自宅で見るのなら、老眼の進行も相成って、大きな画面の方が良いということであります。

そんな私も一時、オバマ大統領を真似てブラックベリーを所有した事がありますが、あの使い勝手の悪さは酷かった、すぐに普通の携帯に戻しました。


そもそも私は携帯電話が広まる前、自動車電話を使っていました。そうですトランクに無粋な黒いアンテナを付けなければならなかったあれです。

当時は私は車で日本中飛びまわっていましたので重宝しました。

しかし、そう思って使っていましたが、運転中に相手から掛けられる電話を困りものです。簡単な用件ならまだしもメモを取る必要のある内容や長時間に及ぶ質問など運転中では危険を伴うことも多かったのです。

よくよく考えてみると一分一秒を争うような切迫した大切な電話なんてほとんどありません。

それ以来、自宅か事務所に電話を掛けてもらうことにしています。そこでスタッフが緊急性を感じたら私に連絡を取ることにしています。一種のフィルターです。


昨日のニュースでドコモの凋落とソフトバンクとAuの躍進が対比されて報道されていましたが、もしドコモがi phoneを扱っていたら状況は大きく変わっていたでしょう。

dinosaursという単語があります。文字通りの意味は恐竜ですが、もうひとつ時代遅れという意味もあります。

私はアップル製品をi pod、i padと持っています。i podに至っては事務所用、車用と3個もあります。

ところがこのところ音楽を聞く方法が変わってきました。そうですbluetoothの機器が充実し、本体側にこの機能があればどこでも自由に聞くことが出来るのです。

そうなると私の持っているi podでは聞くことが出来ません。もはやそれらの機器の前でdinosaursな訳です。

さらにFacebookやブログ、twitterをやっているとアップルの製品はそれらの利用に対してユーザー目線で作られていると実感します。

例えばFacebookをやっている人ならおわかりと思いますが、写真を掲載する場合、カメラの画素数やスペックとは別に上手く映るカメラというのがあります。例えばコンデジと比較してもiphone5のカメラは色の再現性がこのSNS的な写真の利用には最適化しているのです。


因みに私はライカと一眼とこのカメラで一風堂のラーメンを撮りましたが、一番美味しそうに見えるのはi phone5でした。

日本企業の製品は確かに性能やスペックでは優れていますが、つまりはこのinterfaceが弱い。

さらにi padやi pod touchで使い方に慣れている私にとって使いやすいのです。

アップルが数種類の似たような製品を出しているもしかしたらわれわれ人間のこの「馴化」という特質を見抜いて戦略を立てているのかと思ってしまうほど使いやすいのです。

もうひとつの理由は飛行機の中でWi-Fiが使えるようになったことです。短距離の移動ならまだしも、10時間以上のフライトでは現地情報やメールの確認もしたいものです。

ラップトップやipadを持ち込めばそれでいいのですが、空港の検疫や重くなるので出来ればこれひとつで済ませたいといのが本音です。

今までコンデジを使っていましたが、もはや私にはこのi phone5と一眼があれば良いのかなと思ってしまいます。

えっ??ライカX2は??ちゃんと使いますよ。ただし、ライカは独特のカラーのため被写体を選ぶのです。パリやロンドン、ニューヨーク、京都、鎌倉あたりなら本領発揮でしょう。ようするに渋い写真なのです。

この写真はi phone5じゃありません。コンデジです・・当たり前??



2013年1月11日金曜日

天麩羅 三軒茶屋 天里 鎌倉 ひろみ


天麩羅 三軒茶屋 天里 鎌倉 ひろみ
寿司と天麩羅は家で食べるものではないと胸を張って言いきる妻の口癖だが、確かにこれほど家庭と料理屋の味が違うものもありますまい。
あれは息子が小学5年生の時だから、かれこれ12年も昔になる。どうせ無理だろうと嵩をくくって、息子にもし塾の全国模試で一位になったら好きな物を何でも食べさせてあげると約束した事がある。あの当時より喰い物で釣っていたのだから今の彼の体型は半分親のせいである。これは反省しきり。そのとき彼の口から出た言葉が天麩羅である。
銀座にある高級店のそれは確かに良い食材を使うが値段も飛びきりである。ただ、私の経験から数件しか知らないが、どうしても私の舌の琴線に触れる店には出会ったことが無かった。
あるときにお得意様に三茶に美味しい天麩羅店があると誘われた。その店はお世辞にも高級と呼べる代物ではなかった。茶沢通りから住宅街に少し入った場所にあるそれは場末の小料理屋のようでもある。暖簾を潜って席につくとカウンター越しに店主の仕事ぶりが見える。まず出されたのが海老である。特筆すべきは頭の揚げ方で、これほど香ばしく揚げられた海老の頭は食べたことが無かった。次々に供される魚介と野菜の中にギンポウがあった。
ここでギンポウについて少々説明する。ギンポウまたはギンポは銀宝とも書く。江戸時代の銀貨に形が似ているからとも聞くが定かではない。もっともウツボや田うなぎに似た平べったく長細い形がどうして銀貨に似ているのか全く分からない。名前の由来はともあれ、テトラポットなどで釣りをしていると時々掛る。大抵は仕掛けに絡まって仕掛けをお釈迦にしてしまう困りものである。この魚が珍重されているのは東京だけだと思う。他の地域では捨てられているようだ。東京=江戸に限ってはどこの誰だか知らないが、天麩羅にして食ってみようとおとこ義を出したご仁がいたようで、これがまた美味ということで通の間に広まったようである。そんな珍味は銀座の高級店でも中々お目にかかれない。それが普通のコースの中にあった。どう旨いかととうと、その身はアナゴともまた違い臭みがない。淡泊でありながらねっとりとした独特の食感である。口に入れるとほろほろと溶けてしまう。そしてコースの締めくくりには天丼か天麩羅茶漬が供される。その時は後者を選択したが、出汁に油がほとんど浮かばないのである。最後までさらっと食べ終えた時に、皿の白紙を見るとほとんど油がついていない。あっぱれ大将のなせる技、大いに驚嘆し家路についた。
約束して1月後、その機会が到来した。息子は本調子ではなかったが、大いに満足したのは言うまでもない。一時この店の大将は体を壊したようだが、今では息子と共に厨房で腕をふるっている。
もう一件お薦めの店がある。こちらは天丼だ。もちろん普通の天麩羅もあるが私は天丼をお薦めする。
鎌倉通いに慣れ始めた夏の暑い日、私達は小町通りの二階にあるこの店に入った。あたりを見回すと昼食時でもあり、常連と思しき人がてんでに食事を取っていた。その中に黒い帽子にニットのワンピースを着て一人で座っている上品な老婦人が居た。彼女はメニューを見ずに天丼を店員に注文した。彼女は暫く置いて出されたその天丼の蓋を返して、海老の天麩羅をその上に置き、ご飯と天麩羅を丁寧にかつ慣れた手つきでぺろっと平らげたのである。私達が天丼を注文したのは言わずもがなである。
ここの天丼は江戸前のそれである。黒っぽい汁なれどしょっぱくない。甘過ぎると言うこともない。そして素材が生きている。この店のお薦めは断然この天丼である。
胃腸薬の宣伝に外国の民族衣装をきた老婆三人が「私は天麩羅が好きよ」というのがある。このCMを見るたびにあの帽子の老婦人を思い出す。







1981年のゴーストライダー Capter2 Ⅸ


Ⅸ
電話の用件は洋一の会社の劇場のチケットを取って欲しいというものだった。
洋一の会社はテナントビルを経営している。全国の中核都市にはその名前を冠する建物がいくつもあった。中でもここ渋谷には数棟あり、そのひとつに劇場を有している。劇場で開催される演目はコンサートから新進気鋭の演出家の作品、海外の話題作と多岐にわたった。
麗子が依頼したチケットは井原西鶴の好色一代男を現代風にアレンジした新劇だった。
麗子は高校生の頃1年間シアトルに留学した経験があった。交換留学である。その時にお世話になったアメリカ人の夫婦が来月日本に来ることになって、是非その劇を見たいと希望したのだ。
ご主人は弁護士をしていた。弁護士と言ってもドラマで法廷闘争するような弁護士ではなく日本でいうところの司法書士や行政書士のような仕事が主だった。彼は大学時代に日本の浄瑠璃に興味を持ち、独学で研究し、日本にも数週間滞在した事がある。
彼らには二人の子供がいる。長男は麗子より5つ年上でニューヨークの証券会社に勤務している。二男は大学生でロサンゼルスにある大学のドミトリーで暮らしていた。彼も法学を専攻していた。今回の来日に同行するのはこの二男と妻の二人だった。
洋一は麗子に先日のお礼を再度言い、おそらく大丈夫だと思うが取れたらまた連絡すると電話をきった。
洋一は劇場を担当している部署に電話をいれ、電話を切ると同時に席を離れその部署のある二つ階下に行き、チケットを購入できるようにお願いをした。部署のチーフはそのデスクの中央にグレーのツイードのジャケットに黒のニットタイをしめて座っていた。彼はローゼンタールの眼鏡越に、その手の劇に全く興味のない洋一の依頼に怪訝な顔をしていたが、洋一から仔細を聞くとそれなら仕方ないといった顔で受話器をあげ直接劇場に電話を入れチケットを確保してくれた。洋一は丁寧にお礼を言い、そのまま直接劇場までチケットを取りに行った。
洋一のデスクのある建物と劇場は直接繋がってはいない。一度、表に出て坂を上りそのテナントビルの従業員用エレベーターを使って上がらなければならなかった。
坂の途中には開店したばかりのバーが右手に見える。看板は小さく「アルコホール」と書かれていた。ガラスの向こうに蒸留所で使う大きなカッパー色のポットスティルと呼ばれる蒸留釜が置かれていた。この店は吉祥寺の人気店が渋谷に初めて出店したものだった。 洋一は学生時代、吉祥寺のその店には何度も訪れていたのでオーナーとも顔なじみだった。洋一はオーナーからこの店の開店レセプションの招待状をもらっていたが残念ながら出席できなかった。
建物に入る右手のスペイン坂から歓声が聞こえた。テレビの撮影スタッフが芸能人と一緒に撮影しながら坂を上ってきた。まわりにはファンと思しき人がトリツイテいる。その姿は人間というより、大きな塊のようで何か不気味な生き物の様な気がした。洋一は足早に建物に入った。




2013年1月10日木曜日

シチリア料理 葉山 ピスカリア


シチリア料理 葉山 ピスカリア
巷に日本ほどイタリア料理店が多い国はないのではないかと思うほど、猫も杓子もイタリアンである。家の近くにもフレンチ出身のオーナーシェフがフランス風の店名を付けていたかと思ったら、看板が急に変わってラ・何たらといったイタリア料理店に変わっていた。シェフは同じなのに。まあそんなゴタクは別として美味しいイタリア料理店が少ないというのは事実。でもこれも日本に限った事ではないのだけどね。
妻がナポリに行った時に街場のレストランでピッツアを食べたのだがこれが不味かったらしい。日本の方が何倍も美味しいと憤っていた。私もミラノから電車に乗ってジェノバの少し先の港町まで旅した時に同じような経験がある。ミラノで食べたそれは本当に不味かった。もっとも着いたホテルで供された魚介類のパスタや前菜はどれも唸るほどの美味しさだったので日本より値段に正比例しているようだ。日本のそれは高い値段を出したからといって美味しいとは限らない。予約の取れないとマスコミで騒がれているお店でも大したことがないところも多い。だから余計腹の虫が収まらないのだ。
そんなこんなで私はパスタマシンを持っている。パスタの種類に合わせて配合を調整し、打つ回数を変えたりしている。私は相当の麺好きである。
イタリアンと一言で括っているが実は地方の郷土料理の集まりである。例えばパスタにしても前述のように卵を入れたパスタもあれば全く入れないものもある。トマトを多用する地方もあればそうでない地方もある。これを読んでいる読者の中でイタリアの州がいくつあるか知っているならそれで宜しいが、知らないなら地図を参考にすべきである。
そんな州の中で長靴のつま先のさらに先にある石コロのような島がある。これがシチリア島である。シチリア島と言えば私は映画ゴットファーザーを真っ先に思い浮かべる。貧しいパレルモの街からニューヨークに渡ったマフィアの故郷だった。もう少し後段では映画グランブルーでジャックマイヨールに扮した男が真っ青な地中海を舞台に潜水を繰り広げた場所だ。どちらもシチリアのイメージを濃くしている。
シチリアは地図を見てもおわかりのとおりその対岸はアフリカ大陸である。つまり、イスタンブールと同じようにイスラムとの文化的接合点であるのだ。
実際のシチリア料理にはイスラム諸国で普通に使われているややエキゾチックな香新料が使われる。そしてもう一つが島に自生するウイキョウ=フェンネルである。だからシチリア料理にこのフェンネルが欠かせないのだ。ところが日本ではこの生のフェンネルが手に入らない。大抵のところは乾燥したフェンネルで代用するが味が違う。パスタを茹でる際にも使うのだから代用では中々上手くいかないのだ。
私がこのお店に初めて訪れた時、まず目には行ったのは庭先の鉢に植えられていたフェンネルだった。迷わずシチリア風の鰯のパスタを注文した。運ばれてきたその皿からはフェンネルの柔らかな香りとトマトソースと鰯がパスタに絡み合い最高の逸品だった。
このパスタを普通のパスタで供する店も多いが、私は絶対にこの店のようにカザレッティというショートパスタが合うと思う。真ん中に切れ目が合ってソースとよく馴染むからである。この店を訪れてこれを食べないのは魚屋に行って野菜を買うようなものである。だから是非このパスタをお勧めする。この店のランチには前菜が6種類付く。季節によって変わるのだが、これがまた驚くほど美味しい。カポナータというイタリア版野菜のマリネ、季節の野菜や小魚のフリッタ、クスクスサラダ、生シラスのパンケーキ(勝手にこう呼んでいる)など新鮮でなければ美味しくないものをさっと料理して出す。クスクスのサラダは香辛料の香りが効いていてどこかイスラームを連想させる。まさにバカ旨だ。そうそう肝心の鰯も新鮮なものが入った時しか出さないと言っていた。どうりで旨いはずだ。この店の庭先のフェンネルは今は涸れてしまったけどちゃんと生のフェンネルで料理している。おかけでその影響で私はネットで種を購入してフェンネルを育てた。そのうち地植えにした2本が今日も黄緑色の葉を寒風に吹かれながら元気に3年目に突入した。くれぐれもフェンネルのそばにディルは植え無いように、何故ならフェンネルがディルになって優しい味が変わってしまうからからだ。これ本当のフェンネル。



1981年のゴーストライダー


Ⅷ
洋一と優子の関係は微妙に変化していた。洋一は相変わらず帰宅するのは深夜で土日の休日も会社に出社することが多く、二人が合えるのは月に1.2回程度だった。洋一のアイパのツインフィンもここ数カ月埃を被ったままだった。
洋一の会社に優子から電話があった。どうしても今日の昼休みに会いたいと言うのだ。
時計を見ると11時を回っていた。
洋一の会社には面白い慣習があった。もともとカリスマ性の高い経営者なのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、全ての事をその経営者の許可を貰わなければならなかった。それを「センムケッサイ」と呼んでいた。多くの人にとってこの「センムケッサイ」は一大事で仕事の大きなウェイトを占める。今日は1時から始められる「センムケッサイ」のための資料作りがあってあと30分では済ませられそうもない。洋一は優子に2時ならなんとかなりそうだと伝えたが、優子はそれならいいと電話を切ってしまった。
その日は珍しく早く仕事が終わり、洋一は東横線から目蒲線に乗り換えて6時半には沼部駅前の中華屋で夕食を取っていた。洋一はビールとレバニラ定食を食べていた。
お世辞にも綺麗とは言えない店だがここのレバニラは美味しい。それに肩肘を張らず落ち着くのだ。洋一は引っ越して来た時から老夫婦が切り盛りするこの店の常連である。
テレビでは巨人対中日を放映していた。洋一はぼんやりとみるとはなしにその画面に顔を向けていたが、同年齢のカップルがドアを開けて入ってきた音で我にかえりあわてて勘定を済ませて表に出た。
駅前から洋一のアパートまで桜並木が続いている。この道を桜坂ということをつい最近知った。まだ洋一はこの枯木のような古木に花が付いたのを見たことが無かったからだ。
洋一のアパートは軽量鉄骨で出来た2階建である。洋一の部屋はその1階にあり間取りは1DKである。6畳の台所に6畳の寝室、浴室は窓の無いユニットバスだった。2階も空いていたが1階と比べると3000円高かった。洋一は賃貸アパートの賃料は安ければ安いほどいいと思っていた。どんな高額な賃料を支払ってもそれは決して自分の物にならないのだから。ただし、学生時代のような訳にはいかなかった。風呂なしのアパートは風呂に入る時間が自ずと決められてしまう。仕方なく風呂付のアパートを探した。
場所もあまり関係なかった。渋谷に近いところから洋一の予算で東横線沿いに順番に探してきたら川を渡ってしまった。そこで一回乗り継ぎをする前提で一番近いところを探したらここ沼部だったのだ。ただし、洋一はひとつ不満な事があった。駅名は沼部なのに住所は田園調布本町である。どこを見回しても田園調布とは程遠い環境なのに田園調布という名前が付いている。隣町の鵜の木には今時珍しいピンク映画館もあった。それに大体名前が沼部や鵜の木である。華やかな田園ではない。湿った川沿いの土地を連想させる。洋一の育った街と大して変わらない川辺の街だった。最初はこの住所が恥ずかしくて仕方なかったが、今ではそのギャップを洋一の方でも話題の一つにしていた。
洋一の部屋にはエアコンは無かった。正確にはエアコンを買えなかった。エアコンを付けようと貯金していたのだが、会社の先輩に誘われた掛けマージャンで一夜にして十数万円の負けをつくってつまったからだ。大学時代から鍛えていたからと洋一は妙な自信があったがあっけなく一夜にしてその自信は崩れた。洋一はそれ以来マージャンをやめた。
夏の暑い夜、洋一のアパートの軒先に猫がやってきた。白と黒ぶちの猫は洋一が煮干しを投げると美味しそうに食べるのでつい部屋の中に入れてしまったことがある。もちろん動物の飼育は禁止されている。猫は暫くして出て行ったが、翌朝ベッドから出ていた足の膝から下が数十か所赤く腫れていた。昨日の猫が蚤を連れてきていたらしい。それ以来、猫に餌をあげることもしなくなった。
洋一が部屋のドアを開けるとベッドの横の電話機が鳴った。パラシュート生地で作られたブリーフケースを床に置いたまま、受話器を取るとその声は麗子だった。