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2013年1月29日火曜日

とんび岩


太一ことターボーの家と良平の家は直線距離にして500メートルしか離れていなかった。二人は学校から帰るとランドセルを放り投げるようにしていつも真っ暗になるまで遊んでいた。そんな二人のクラスに鈴木勝男が転校してきたのは小学校5年のときだった。
鈴木勝男は背が高くひょろっとしている。背が低いターボーとは対照的だ。勝男は浦和から転校してきた、父親の仕事関係とか言っていたが、そもそもこの街の小学校で転校生は珍しい。小学校、中学校と学校は変わるが、生徒のメンツは変わらない。
クラスの担任が勝男の紹介を終えると、勝男を良平の席の隣に座らせた。先生は良平に宜しく頼むとポンと肩に手をおき、くるりと反転し黒板に向かった。良平はそう先生に言われたことが少し誇らしかった。
それから3か月が過ぎた。勝男は体育の授業では球技はあまり得意ではなかったが、駆足だけは早かった。今までクラスで一番早かった男子と競争した時も大差で勝利した。
勝男は痩せていたことでスイッチョンという渾名をもらった。この地方ではクツワムシに似た、ウマオイのことをスイッチョンと呼ぶ。ただし、勝男のそれはその駆け足の早さから「スイッチ・オン」をもじった名でもあった。
3人は土曜日の午後、とんび岩に行く約束をした。とんび岩はその街の西に位置していた。周囲を山に囲まれているその街はどこへ出掛けて行っても山がすぐ追いつく。とんび岩はその山の中腹にあり、とんびが羽根を畳んでひょんと留まっている姿に似ているからつけられたようだ。良平は街を睥睨するようにその場所にあるその岩が好きだった。
3人とも小さなナイロンのナップサックを背負っていた。この街のはずれにある競艇場の開場20周年の記念に貰ったものだった。
途中の駄菓子屋で3人は飲み物を調達した。良平とターボーはグレープ味のチェリオを買った。勝男は透明のスプライトにした。
途中まで道は舗装されていたので3人は自転車で登り口に位置するその小さな公園まで行った。公園に着くころには背中にびっしょりと汗をかいていた。山の稜線にそって3人は登り始めた。
途中、地表に飛びだした木の根っこの上を土と同化した落ち葉が重なり、足を取られそうになったが何とか半分辺りまでたどり着いた。さらに進もうと良平が二人を振り返ると、勝男が「変な虫がいる」と地面を指差した。ターボーがその虫を見る。それはオケラだった。勝男はオケラを見たことが無かったのだ。虫の好きなターボーがそのオケラを捕まえて、ビニールの袋に入れようとした。良平はターボーをたしなめるように、「オケラは明るいところにいると死んでしまう。目が見えない彼らは太陽の光をとても嫌うんだ。だから、持ち帰っても死んでしまう」ターボーは残念そうに袋からオケラを取り出し草むらに放した。
太陽が西の山に近づいたころ3人はとんび岩にたどり着いた。3人とも汗だくで疲れていた。岩は2段になっていて、丁度段と段の繋ぎ目が平らになっていた。そこに3人は腰を下し、持ってきた飲み物を飲んだ。眼下に自分たちの学校が見える。とても小さなその建物は模型を見ているみたいだった。こうして街を見てみるとあれだけ大きく広いと思っていた街も案外小さいものだと思った。この街から離れたことのない二人はこの街の外のことが気になった。どんな街があって、どこに続いているのか。漠然とした少年の気持ちはその後の二人の人生におおきく影響を与えることになる。




2013年1月25日金曜日

ホワイトアスパラガス 旧 ジョエル 青山 現 キュイジーヌ フランセーズ JJ


ホワイトアスパラガス 旧青山ジョエル キュイジーヌ フランセーズ JJ

大分前になる。ワインを覚えたての頃だったと思う。妻と本場のホワイトアスパラガスを食べてみたいと青山に出掛けた。丁度、ゴールデンウイークの前後だったような気がする。
近くでブルースウェーバーの写真展をやっていた。我が家にもゴールデンがいるのでこの写真展を観た記憶がある。大きなニューファンドランドのポスターが特別に売られていた。10万円という価格を聞いて尻込みした。買っておけばよかったと今更ながら後悔する。その足で入ったのが「ジョエル」だった。
私は今はやりのフレンチはあまり好きではない。どことは言わないが懐石料理の様に少しずつ凝った演出で供されるそれは何を食べているのか分からない。私は正真正銘古いフレンチが好きだ。フランスも大きな国で地方によって使う食材や味付けが違う。当然旬の時期も違うし、素材もまちまちだ。その一つがホワイトアスパラガスである。私は国産のアスパラガスを何回と食べても、いつも繊維が口に残り後味の悪さを感じていた。本場はどうなのだろうという興味があった。この店では採れる季節により2つの別の地方の物をフランスから空輸しているそうだ。確かこの時はブルターニュ産と言っていた。
運ばれてきたそれは柔らかすぎず、硬すぎず絶妙な火入れだった。上に掛けられたウイユ(卵)ソースも微かな酸味と濃厚な黄身が旨くバランスが取れている。ナイフでアスパラを切るとすっと無駄な抵抗なくナイフが入っていく。口に運んでみるとほんとうに口の中でとろける。そして繊維を全く感じなかった。これは旨い。おそらく相当大きなアスパラを丁寧に下処理しているのであろう。脱帽した。
その後、この店は東京ミッドタウンに居を移した。名前もキュイジーヌ・フランセーズ・JJと変わったが、その後の再訪でも同様にホワイトアスパラガスを注文したが味は変わっていなかった。そうそう、この店のもう一つの名物は鱸のパイ包み焼きである。相談すれば料理してくれるようである。このアスパラにしても後段の鱸の料理にしてもとびきり白ワインと相性が良い。そろそろ暑くなる季節の変わり目にこんな料理を食べてワインを飲む。最高の時間である。ワインもローヌのヴィオニエに代表される力強い白となるとコンドリューあたりか・・・そう考えると今からこの季節の楽しみだ。




面従腹背と目先の利益




面従腹背という言葉をご存知ですよね。表面的には服従するように見せて内心では従わない事をさすのですが、丁度、インフレターゲット2%を突き付けられた日銀の総裁のコメントをよくよく分析するとこんな感じかと思います(笑 当の本人は違いますというでしょうが)
何故、こうなるのか?その原因は従わせようとさせている人間と従わなければならない人間の知見の差があるからではないでしょうか。ただし、一方で力の差が逆転している訳です。
私達の周りではこうしたことが日常のあらゆる場面で生じています。例えば大手のメーカーと下請けの関係、クライアントとの関係、先生と生徒の関係などです。もっとも知見も力も上ならば仕方ありません。どちらかが異なる時にこの面従腹背は起きやすいのです。
そしてその事に気づかずに進めて行くと、最後にはしっぺ返しを食うわけです。
この事は自戒として考えなければなりません。私達はついお金を払うと言う事で力の関係を強調したがります。お金を払ったからと言って力の関係はイーブンなのです。ここを大きく勘違いしてしまう。逆に知見が乏しいのに相手の事を理解せず物事を進めて行く人もいます。ビジネスの上で話をすると「普通はこうだから」と言う人がいます。普通って何でしょう。その人にとっての普通と私にとっての普通は全く違うのにステレオタイプに断言してしまう。つい先日もロマンティックなインテリアを好むクライアントを理解せず先走りそうになりましたが、ちゃんとそういった自分にとって「普通でないもの」も理解して取り組まなければなりません。幸い一緒にやっている設計士の先生が柔軟だったので助かったのですが、要はそういう事です。私もすぐに図書館に走りました(笑)
一方、こんな事もありました。私が壁紙を選んでいると業者は指定したカタログだけを用意してありました。これでは50点です。普通カタログというのは無料です。またはインターネットで簡単に取ることが出来ます。ところが和紙のカタログは有料なのです。目先の事を考えれば有料のカタログをいくつ揃えてもすぐに仕事に生かせるわけではないし、出費も痛いでしょう。でもそれは自己投資と同じではないでしょうか。目先の利益ばかり追求して自分の知見を高めなければそれ以上の仕事は回ってこないのです。もし私が業者だったら日本全国の和紙のカタログを購入してそれぞれの特色を理解して、その事を武器にします。ただし、ここで注意するのは前述した力の関係です。私が一刀両断にすれば相手は面従腹背するでしょうが、それでは困るのです。どうするか?私がカタログを無償で提供して相手に使ってもらう。そうです、自己投資のための本を相手に渡し出来る限り同じステージでやってもらいたいからなのです。



2013年1月24日木曜日

甘鯛の酒焼き お雑煮 京都 なかむら


甘鯛の酒焼き お雑煮 京都 なかむら

この店は言わずと知れた名店である。様々なガイド本にも紹介され、星さえ付いていたと記憶する。私は星には全くもって無関心なのであるが。まあそれはさておき、この店のルーツは魚屋である。若狭湾で取れたぐじ(甘鯛)を馴染みの料亭に卸していたと言う。それがいつしか仕出し屋をやるようになり、最後は料亭となったようだ。
この店の名物はなんと言っても一子相伝で受け継がれるこのぐじの酒焼きである。ここで
甘鯛について補足しておく。読んで字のごとく身が柔らかく仄かな甘みを感じる美味しい魚であるが、日本近海には4種類ほどあるらしい。その中でもアカとシロが主に食用とされるわけであるが漁獲量はアカが多く、味となるとシロに軍配が上がる。
この魚は鱗が柔らかくその鱗も食べることが出来る。つまり身が柔らかいのだ。この手の魚は新鮮か新鮮でないか直ぐわかる。時間がたつと魚にぬめりが出てくるからだ。
ここで使われている甘鯛はもちろん極上のものである。新鮮さもさることながら大きさが丁度いい。魚と言うのは大きさによって味が違う事はご存知であろうか。例えば10キロと4キロの鰤とでは味が全く違うのだ。ここの魚はこの手の料理法として最適な大きさという意味である。ゆっくりと時間を掛けて焼きあげられるのだろう。表面の皮が美味しい。
香ばしくて海の豊饒さを一気に口の中に感じさせてくる。そして身を綺麗に食べ終えたらその骨にお湯を掛けて戴く。骨と骨の間にある旨みが広がり素晴らしいスープになるのだ。
そしてもうひとつこの店の名物料理が雑煮である。京風の雑煮は白みそ仕立てが定番であるが、店により麩を使うところと丸餅を使うところがある。ここは丸餅だった。
ここの雑煮は一切出汁を使わないのだ。ただ自分の家で湧き出る水を使い、白みそだけで味付けする。究極の料理法である。ワインを嗜むご仁ならテロワールという言葉を聞いたことがあると思うが、まさにそれである。京都は至る所に湧水がある。しかし、それぞれの場所で味が異なるのだ。これはワインの土壌と似ている。そういえばぐじの焼き方もじっくり時間を掛けて火入れするそれはフランス料理の手法にもあったような気がした。
もっとも懐石料理に慣れていない私達は運ばれる料理をあっという間に完食し、次の料理が運ばれるまで長い合間を持て余していたのが一番印象的であったと告白する。





鯊釣り


鯊釣り

子供のころにはよく釣りをした。もっとも家のすぐ裏手に川が流れていて竿をもってちょつと出掛ければ済むような塩梅だった。近くに釣り具店はあったが餌のみみずを購入した事はなかった。その裏手の川で釣れる魚は「ハヤ」だった。東京ではこれを鯎(うぐい)というらしい。婚姻色になるとお腹にオレンジの縞模様が顕れる。もっともこのハヤを釣り竿で釣るようになったのはずっと大人になってからだった。小学生の頃は、半ズボンにシャツを捲りあげて両手を石の穴に突っ込み、むんずとつかみ取る。時折、ギギという毒の背びれをもった魚をつかんだ時にはひどい痛みと腫れに悩まされた。
鯊釣りをするようになったのはKさんの誘いだった。一昔前まで鯊は江戸前の海には沢山いて、庶民の台所を楽しませた。ところが江戸前の天麩羅の鯊は姿を消し、キスにとってかわられた。時折、ねずっぽという風体の悪い魚が供されるがあれはネズミゴチという別の魚である。もっともキスよりこちらの方が美味しいと私は思うが。
鯊釣りにはのべ竿がいい。リールなんていらない。水深に応じて2.3本用意するが出来れば鯊の感触が手に伝わるような柔らかく鋭敏な竿がよい。それにジャリメをちょんと引っかけて鯊の鼻先に垂らすのだ。鯊が小さい時にはイソメでは食べない。このジャリメの方が断然食いが良い。鯊は実は多種多様な魚である。先の陛下が研究されていたように日本近海だけでも相当の種類が確認されている。
小坪の港で釣り糸を垂らすと、真鯊は滅多に釣れない。替わりに岩鯊といわれる少し薄い色のこぶりの鯊が釣れる。真鯊には負けるが天麩羅にするとこれも上手い。
秋谷海岸で釣り糸を垂らした時には、鯊の代わりに黄色と黒の縞模様のはっきりした、キヌバリという魚が釣れた。あのときはバケツいっぱいほど釣れたが、その色から食べられそうもないので全て海に戻した。
鯊で一番美味しいところは、実は肝である。夏場に餌を十分に蓄えて大きくなった鯊の肝ほど美味しいものはない。そのさっぱりとした味わいに醤油をまぶして淡泊な鯊の身を戴く、最高のぜいたくである。カワハギより上品かつ貴重であると偏見を交えて申し上げる。


PM 6:50



 美佐子の息子は浩一郎の息子の勧めもあって塾に通い始めた。もともと成績は悪くなかったので試しにテストを受けさせてみたらかなりの高得点をとりそのまま特待生となった。特待生は授業料が掛らない。美佐子にとってはありがたかった。

 それと同時に息子へのいじめは影を潜めた。一緒の塾に通うTやHが息子をかばうようになったのだ。庇うようになったといより、むしろ今までいじめていた方といじめられていた立場は逆転した。
 息子は大きいお兄ちゃんとの約束を守っていた。「もし友達が出来て、相手より優位な立場になったとしても、仕返しをしてはならない。そうすることがいじめには一番良くないことだから。それをいじめの連鎖という。君はいじめている子になってはいけないから。そう、いじめの連鎖は断ち切らなくてはならない」

 息子の顔が前より柔和になった。そして何より勉強という集中できるものがあることで、精神的に一回り大きくなったような気がした。今までは読まなかった新聞も目を通すようになった。
 どうして難しい漢字が読めるようになったのか不思議な思いで見ていると、分からない漢字を辞書で一生懸命に調べていた。分からない事はそのままにしない。自分で調べるといった事を実践しているようだった。浩一郎の息子から貰った辞書の一番最後のページに息子の名前が書いてあった。そしてその横に「君なら出来る」と書かれていた。美佐子嬉しくて目頭が熱くなった。





2013年1月23日水曜日

1981年のゴーストライダー Capter3 Ⅰ


Capter3 Ⅰ

 優子は目の前の黒い巨大な建物を見上げていた。その建物は竹橋の交差点にある新聞社の隣にあった。優子はこの新聞社に見覚えがある。
 それは洋一が就職する以前のことだった。洋一の友人が新聞配達のアルバイトをしていた。新聞配達のアルバイトと言っても早朝にオートバイや自転車で各戸に新聞を届けるものではない。それは新聞販売店に直接新聞を運ぶ仕事だった。
 用賀にあるトラックに乗り竹橋のこの新聞社でインクの匂いが強烈な印刷したての新聞を受取り、二ノ宮や国府津の販売店まで運ぶ仕事だった。
 ある時その友人が体調を壊して洋一にピンチヒッターを依頼したのだ。優子はその内容が楽しそうなので洋一のピンチヒッターについていったことがあったのだ。仕事を終えると帰り道の大磯港でトラックの荷台に隠してあったアイパのツインフィンとモスのコンケープの深く入ったダブルフィンのボードを使って形の良いショルダー程のレギュラーの波を2時間半ほど楽しんだ。
 優子はそんな楽しさとは裏腹に今、目の前の建物を見つめていた。
その建物は石張りで、窓ガラスはピカピカに拭きあげられ、誰の目からもお金が掛ったものであることはわかった。
 建物が持つ威圧感とは結局中で働く人間の弱さの代償の様な気がしていた。それに石張りの建物は墓石を連想させていた。
 湿った石積みの階段を上がると、入口には制服を着た警備員が入館者のチェックをしていた。濃紺のスーツを着た優子は建物の窓ガラスに映り込む青空を一瞬見つめ、それからすうっと深呼吸した。警備員に要件を伝え足早にエレベーターホールに向かった。

 その会社は子供から老人まで名前の知らない人はいないような、名の通った商社だった。本店を関西に置くその商社は財務内容が堅実で、石橋を叩いても渡らないと比喩されていた。優子はそんなことはどうでも良かった。早く面接を済ませて表に出たいという気持ちだった。この慇懃な建物を心底嫌悪していたから。

 思いのほか面接は順調に進んだ。優子は余計な事を言わなかった。ただひとつ日焼けしていることで何かスポーツをしているのか尋ねられた時に、父と一緒にゴルフをしていると嘘をついた。相手の面接官が左手にグローブの跡がないことを尋ねられたが、その跡が嫌なので手袋をしないでプレーしていると嘘を重ねた。
 ひとりの面接官はまだ優子とさほど歳の離れていない若者だった。もう一人の面接官は年の頃にして40代前半といった感じだが頭が後退し観た目はもっと老けて見えた。お腹のあたりに脂肪がたまり、着ているワイシャツも妙に窮屈みえた。面接が終わると優子は足早に入ってきた玄関を目指した。優子は表に出ると同時に大きく深呼吸した。まるで嫌な物を吐き出すように。