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2013年3月13日水曜日

落ち着きのない子供



子供の頃よく落ち着きのない子供だと言われた。今でも変わらないと思う。何分、キファーサザーランド主演の24を倍速で観るくらいだから・・

もうひとつ、お前は普通の事が出来ないのかと言われた。でも普通って何だろうとその時も今も思っている。

普通の話はさていおき、そのような性格の訳だから、この歳を過ぎてもとにかく興味がある事が多すぎる。

音楽にしても一貫したものがない。あれこれとその日の気分に合わせて見繕ってしまう。

その道を極めた人に言わせればお前はサーフェイスだと言われると思うし、それでも仕方ないと思っている。

今日も運転していて突然スティーブマックイーンの邦題「栄光のルマン」を思い出した。同時にポールニューマンとロバートレッドフォードの「明日に向かってうて」をイメージした。あの映画は最初スティーブマックイーンが演じる予定だったのを辞退して、彼の奥さんがレットフォードを薦めたと言われているから。頭の中は映画で使われたバートバカラックの「雨にぬれても」が木魂し始めた。そうそう歌っていたのはBJ・トーマス、当時の彼はマイケルフランクスみたいな髪型だった。あの当時はあんな髪型が流行っていた。今見るとちょっと強面がジャックニコルソンみたいだけどニコラ・コンテのような明るく伸びのあるあの歌声は健在だ。

でも彼の歌声だけじゃちょいとこの春空の良い面しか見えてこない。物事の反対の側面だってあるはずだ。ならばブラジルの国民的マルチタレントのイヴィッチ・サンガーロの陰のある歌声のデュエットでどうだ。今朝のスターターが決まった。二人のデュエットする「イパネマの娘」。

子供の頃は裕福とは言える家庭ではなかったが、母は無理をして色々やらせてくれた。ピアノは先生が教えようとしても手を押さえて勝手に弾くので2回で辞めさせられた。絵の教室には通っていた。中学になるまで真剣にその道に進もうと思った。

中学になって美術教師に「お前の絵は枠をはみ出していて駄目だ」と言われた。それから描くことが嫌いになった。あの教師の名前も今は覚えていない。

人間は所詮、一言で表せるものではない。良い面も悪い面も必ず存在する。せっかちだという半面、悠長な部分もある。だから大人が子供を断定することは絶対にしてはいけない。

子供の頃、私が人生で一番嫌いなプレゼントをもらった記憶がある。人生最悪のプレゼントとは小さな木製の盾。当時、地方の土産物屋に行くと根性とか忍耐とかまるでスポコンアニメのセリフのような、多くは2文字の漢字で書かれた小さな木製の盾が売っていた。私はこれをもらった。盾には忍耐と書いてあった。すぐに捨てた。

人間も音楽も同じだと思う。聞きたい時もあれば聞きたくない時もある。良い部分もあれば悪い部分もある。玉石混交。今日会う人の良い面を見つけよう。


2013年3月12日火曜日

壊れない車

それにしても色々な車を乗り継いできた。特に30代半ばからは2台体制になったので一気にその数は増えた。

ランチャ、マセラッティ、フォード、ディフェンダー、レンジローバー、ボルボ、アウディ、BMW、メルセデスベンツ、ポルシェ・・・・

イタリア車は本当に壊れた。そして治らない。正規のディーラーでも治らないから困る。

レンジローバーも突然その時はやってくる。エンジンが掛らない。身動きが取れなくなる。

ボルボだって壊れた。何よりエアコンから独特の匂いがしてくる。構造上、エバポレーターに雑菌が繁殖するようだ。

アウディに至ってはロムチューンから30のタイヤ、さらに強化ブレーキにサスの交換と車体価格位改造にお金を掛けた・・・しかし、壊れた。当時は並行輸入の車だったので部品が中々届かない。

一月眠ったままになっていたこともある。

BMWだって壊れないというけれどそれは走行距離が少ない場合のみ。今だってプラスチックやゴムの部品が多く劣化する。それにBMWのV8というのはほぼ5割の確率でオイル漏れが起こる。

これを治すのは至難の業(お金が掛るのよ)


ならば日本車にしたらどうだという声が聞こえてくる。

以前、クラウンに乗っていたことがある。あるときカローラが代車できた。乗ってみた・・・変わらない、そうクラウンもカローラも基本的には変わらないのだ。

それに自動車はどこまでエコだとか環境に優しいと言っても経済的でない。

ならばあくの強い個性のある車に乗ることも一案と考えた。

どうせあと10年もすれば強い加速のGには耐えきれなくなるし、運動神経も衰えて運転が下手になる。

妻の勧め(というより税理士の先生)もあって、2年前に911を手に入れた。50歳を過ぎたらどうしても乗ってみたかった車だ。

まだポルシェがVWに吸収される前のシュトゥットガルド製の固体だ。

ところがこれが壊れない。一度も修理に出したことがない。

初めてである。車検まで一回も修理した事が無い輸入車というのは。

すこぶる優秀である。もちろんオイルも減らないし、オイル漏れも全くない。タイヤだってそんなに減りが早いと言う訳でもない。

こう褒め称えていると突然へそを曲げるかもしれないので、賞賛はこの位にして机の下で軽く拍手するに留めておこう。

その位、壊れないのだ。



Surfaceな街

以前ある方からこんな話を伺った事がある。

アメリカの東海岸と西海岸ではアジア人である我々に挨拶を返してくれるのは圧倒的に東海岸の方が多いと。

それもWASPである彼らの方が多いと言うのは驚きだった。

何でも西海岸は結局我々のような多人種の集まりで、とどのつまり同じなのだ。

妙に納得した。

先般、LAに滞在した折、息子の研究室のボスがLAはアメリカでも特異な街でとてもSURFACEだと言っていた。

確かにハリウッドの映画の舞台のように張りぼてに見えなくもない。

そのボスは東海岸の方が日本人にとって情緒的に合うかもしれないと付けくわえていた。

それも何となく分かる。

けれど、しかし、私はこのSURFACEな街が好きかも知れない。

我々は所詮トラベラーであり、永遠のトルバートールである。一か所に居を構え暮らしている訳ではない。トラベラーとして訪れるのだ。

そんなとき、歴史や伝統でがんじがらめにされた街より、SARFACEではあるが自由で気ままな街に居心地の良さを感じる。

LAは全米第2位の大都市である。でもNYやシカゴにはない田舎くささがある。

マルホランドからタウンタウンを眺めたらその意味が一層強く感じる。

ヨーロッパ特にパリには何回も行った。何回行っても尻の座りが悪く落ち着かない。

何故なら、伝統と歴史をこれでもかとトラベラーに強要する。

私はやはり東を見ているようだ。そう面(卯)舵イッパイである。取(酉)舵ではないのだ・・





2013年3月8日金曜日

春の一品

名人というのはどうしていとも簡単に美味しいものを作るのだろうと惚れ惚れと感心してしまう。

渋谷(青山)ラ・プランシュのシェフ、田代和久さんもその一人だ。店は青山学院大学の真ん前にある。

以前も申し上げたが、私は直球のフレンチが好きである。季節によって素材の持ち味は変わる。

見た目の豪華さや演出ははっきりいってどうでも良い。それよりも口に入れた一瞬に季節の色々な事を想像させるその味に興味がある。

それを如何に引き出していくかに尽きると思う。

その名人がふとつけたテレビの料理番組(きょうの料理)でこれまた和食の名人と二人で調理している。

二人とも簡単そうに、そして楽しそうに美味しいものを作る。


田代シェフが熱々の新じゃがを手で豪快に分けて行く、こちらまで新じゃがの香りが漂ってきた。

土の物は皮のところに旨みがある。個のじゃがいもも牛蒡もそうだ。これを最初から剥いてしまっては台無しである。

翌日、早速材料を買いに出掛けた。新じゃがとコルニッションだけがない。家にあったピクルスは甘いものだったのでこの二つは買わなければならない。

実はこの日大失敗をしてしまった。アンチョコの何とか鍋というものに新じゃがを丸のまま入れて蒸し焼きしてあと、余熱で調理したら、あのじゃがいものホクホク感が出ず、もちっとしたものになってしまった。

反省しきり、翌日、もう一度買いなおして再度リベンジした。基本に忠実とは本当にそうです。

私はコルニッションを多めに入れたラビゴッドソースをそれも多めに作っても好きな人はパンに付けてもらった。

まさにラビゴットソースは原意の如く元気の出るソースだ。

私流のアレンジは最低限、美味しそうな真蛸があったのでこれをボイルしてのせ、アクセントにチコリをちぎって乗せてみた。

ワインセラーから持ち出したのはプルゴーニュの白、Mercurey Faiveley 2009・・・

口の中は春の香りが広がり何とも言えぬ幸福感である。残念なのは私同様美味しいものに目が無い息子がロサンゼルスでこの料理を食べられない事だ。

帰ってきたら作ってみよう。それにしてもどこにでもあるような材料でこんなに美味しいものを作るとは驚きである。

常連とは言い難いが、確かシェフの店ではイワシとじゃがいものテリーヌも名物だったはず、是非それも食してみたい。

作り方は今日の料理の以下アドレスを参照下さい。今週末、白ワインとこの新じゃがとオイルサーディンのサラダで春を感じてみませんか??

http://www.kyounoryouri.jp/recipe/18234_%E6%96%B0%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%80.html











2013年3月7日木曜日

お金の話



考えてみると太古の昔よりお金は禍福と深いつながりにある。小学生の時にベニスの商人の短い演劇の脚本を書いたときにお金が初めて恐ろしいものなのだとぼんやり思った。
それ以来、この魔物に取りつかれて家や財産、家族、はたまた命まで無くしていった人を多く見てきた。

バブルの頃だったと思う。今はもう跡かたも無くなってしまったが、新宿に本社を構える証券会社の役員がどこから嗅ぎつけてきたのか、私に100億円借りなさいと薦めた。そして返さなくて良いとも。当時の無知な若者でもその胡散臭さが鼻についた。いや、それどころか身を滅ぼす危うさを感じた。借りなかった。

その人に限らず、こうしておけば儲かるという謳い文句で誘ってくる人がいる。そんなに儲かるのだったら人に言わず自分で買えば良いだろうと思う。
こういう被害にあった人はテレビでも相手が如何に旨く誘い自分は被害者だと強く訴える。でもこういう手合いに引っかかる人にも問題ある。

楽をして儲けたいという欲がある。その欲が目を曇らせる。楽をして儲けられるものなのこの世には無いと断言できる。数億円稼ぐ野球選手だって幼いころからの人並ならぬ努力をしてきたであろうし、ずっと続く訳でもない。
不動産所得をよく不労所得だと言う人がいる。とんでもない、何もしないでいて大丈夫なはずがない。

私の周りには2種類の大家がいる。ひとつは昔からの家業として続けている人達で、この人たちは慎ましやかでかつ疑り深い。もう一方は、お金が出来て、または借りて大家になった人達でこちらは派手で、人の言う事やマスコミをすぐ信用する。

大家業で大切なのは店子に儲けさせてもらっているという感謝の気持ちだ。ところが後者の人達は貸してやっているという奢りの態度が強い。さらにここが肝心なのだが、自分を良く見せようとする傾向が強い。これが全てをマイナスに導く。

例えば前者の人達は一番使いづらい場所に自分の居所を作る。一方、後者は一番目立つ他人から良くみられる場所につくる。私も縁あって都心のホテルの社長室にお邪魔したのだが、それは決して良い場所にはなかった。なるほどホテルは貸すプロフェッショナルである。そのあたりを心得ている。そしてその結果、両者には何十年という間に大きな差が生じる。

後者の人達はネットで買い物はするけれどフェイスブックのようなSNSやブログで情報発信しているような人を見かけない。もちろんヒルズ族の様な人達で豪遊ぶりを他人に見せびらかす人達は居るだろうが、それでもこの文章を読んでいる人達が読者とは思えない。

バブルの頃、借りる事も一つの能力であり、借りたお金も財産だと言う人が居た。今はさすがに言わないだろうが、そんなことあるわけない。借りているものは借りているものなのだ。決して、自分のものではない。

例えばローンで車を買う。その車は決して自分の物ではないのだ。家だって同じ、何十年というローンを払い終えて初めて家を持ちましたと言えるのではないか。
ある人がオフバランスの経営を説いていた。なるほど見え体裁が無ければこのオフバランスが良い事もあるのだ。使わなくなって処分できない別荘地、固定資産税ばかり高い都心の土地、住宅だって家族構成が変化すれば家の形も変わってくる。ならば最初からオフバランスというのも良いかもしれない。

こうしたことは色々な人から教えられた。親戚でアパレルメーカーの社長をしている人は寝覚めの悪いことはしないと言っていた。なるほど寝覚めの悪い金というのも分かる気がする。その会社はこの荒波の中脈々と続いている。

もしその気があるなら一度自分にはどの位お金が掛るのか毎日細かく付けてみると良い。私の場合も驚くほど少ない金額だったのだから。

お金の話は人前でしないというのが江戸時代からの暗黙の了解である。しかし、この江戸っ子気質というのは少し問題である。何故ならこの根底にはどんな種類のお金でもお金はお金と言う考え方がある。極端な話だが着物を質草に入れたお金も、娘を売り飛ばしてコサエタお金も一緒だからだ。だから敢えてお金の話をする訳ではないが、人生を豊かに暮らす方法としてお金の事は気にかけていた方が良いと思う。お金はぼんやりとふんわりとそんな感じで良いじゃないですか?所詮あちらには持って行けませんから・・




2013年3月6日水曜日

勁草と北風


勁草と北風

少年は北風に向かってペダルをこぐ

吹き付ける風は頬を切り裂くほど冷たい

橋の真ん中で自転車は押し戻されそうになる

それでも諦めず少年はぐっと腕に力を入れてペダルをこぐ
川面は海のように水しぶきをあげている

真っ青な空にとんびが一羽流れて行く

自分と周りの物すべてが異質であるような孤独感

そして喪失感

それでも少年は歯を食いしばってペダルをこぐ

思うようにならぬ歯がゆさは若さ故か、それとも運命か

勁草が風に強く押されながら波うっている

制服の内ポケットの一冊の文庫本が少年にとって唯一の盾だ

勁草が強いと知ったのはずっと後だった

少年は前を向いた

少年はさらにもっと強くペダルをこいだ

盾に守られながら全力で






2013年3月4日月曜日

リンダ・グラットン「ワークシフト」



この本の題名は正式には"THE SHIFT The future of work is already here"である。

2025年にあなたは誰と何処でどのように働いていますかと問われるのである。

ブログやSNSをやっているなら是非読んでおいた方が良いお薦めの一冊である。

2025年に私のように生きているかどうかも分からない老人は別として若い人はどのように考えるのか大変興味深い。

私は暫く前に友人に勧められ購入して読んだ。和訳本を一読して、それから原書を読んだ。

英国人らしい英文と簡易な説明は小気味良い。

私自身、今の若者のように生まれたときからネット社会が当たり前になっている人ではないから、ネットの無い社会に戻れと言われれば戻れる。しかし、戻ろうとは思わない。

それは有史以来新しい文明を享受した人間の性だと思う。

本は働き方に触れているが、私はもっと大きなパラダイム変化だと思っている。

私がサラリーマンをしていた流通業はもとより、製造業、運輸業、情報通信などなど・・・これらほとんどの業種がその良い悪いに関わらず影響を受けると確信していた。

大きな時代の変化の渦中にいるとその変化に気づき難い。

このブログを始めるきっかけは変化の中にいる私の備忘録のつもりだった。

文章が無性に書きたいときはこのブログで試験的に書いて見たり、その時その時思った事を綴っていた。

ところがそれにも思わぬ広がりがあった。

ずっと疎遠だった知り合いから連絡をもらったり、友人が私の今を知っていることだった。

昔なら友遠方より来るとなれば1日2日酒を酌み交わし膝つき合わせてお互いの事を話した後でなければ知りあえなかっただろう。それがあった瞬間に相手の事を理解していた(ある意味での)

さらにフェイスブックをこれまた勧められてやってみたら、やって初めて理解した。

どうして中東の春がこんなパソコンの画面で繋がっているだけでなし得たのか。

やっと理解した。

何故ならそれはアイデンティティの共有だったから。

繋がるということはある人間と同質化する。これは繋がりの無かった社会とは大きな違いだ。

何故なら、同一性を求めて繋がりを求めているからだ。当たり前なのだ。

しかし一方で自分に都合よくそれを利用しようとする人間もいる。

私がまだ使い方も分からずにSNSをやっていると、ある見知らぬ人から友達申請があった。ずっと無視続けていたが、あまり頻繁なので承認してしまった。その後、その人は自分の思想信条の正しさを同意を求めるがごとく、煩いほど発言するようになってきた。私はそっとボタンを押しなおした。

きっとこの逆だってあるだろう。ネットとはそういうものであると認識しなければならない。

フェイスブックの創始者マーク・ザッカーバーグがSNSは嘘が嫌いだと言っていた。その通りだと思う。繋がりの社会では嘘はすぐばれるから。

もう一面を考えておかなければならないのは、「人は良い評価を得られようと行動する」という事だ。

全人格的人間など存在しない。神でない限り、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり、悪い人になるときもあれば、良い人になる時もある。つまり、ネットに表れているのはその一面だと言う事。

その人の本当の悲しみや怒りなどは奥深くにしまってしまうのだ。

だから私はこうつぶやくことにしているネットでの情報は「確かにそういう一面もある」


12年前にLAに行ったときと、先月のLAで一番驚いたのは、全てが超スムーズになったことである。

レストランに出掛けても、ホテルについても全くまごつくことは無い。だって事前にどんな店かどんなメニューか知っているのだから。

道路だってLAの複雑なハイウェイを心配していたが、グーグルマップがあれば渋滞も時間も心配ない。ナビよりずっと正確だった。

だがこれをやりすぎるともはや観光など必要なくなってしまうのではないかと危惧する。

名所旧跡巡りはもうみんなの「知っている」になってしまっているからだ。

ではネットワーク時代の観光とはどういったものなのか?

その一つは自分のアイデンティティの旅だと思う。価値観と言うのは変化する。つまりその時々で自分は何を目指し、嗜好しているのか探す旅だ。

これはある一点の歴史を客観的に眺めるのではなく、時間と言う流れの中であくまで自分を中心に社会システムやその基盤を探す旅だ。そう動的観光なのだ。

私はことごとく前述の観光的旅行は遠慮している。申し訳ないが、どこぞの工場を観て回ったり、名所旧跡を巡る旅など御免被る。

いっそ、私が旅行の企画でもしてアィデンティティの旅を売り込むなんてのはどうだろう。
冗談だが、これは冗談でなく今度のパリに行ったらシャルルドゴール2に立ち寄る、今日決まった。いわば毎日の好奇心の積み重ねの旅なのだ。

閑話休題

変化にはリスクはつきものである。私の回りにはそのリスクの取り方について3種類の人間がいる。

ひとつはリスクを取らず最初からネットと距離いや拒絶してひきこもる地下人である。

もうひとつは積極的にリスクを取り、変化についていき、生き生きと自分を発揮している人達だ。伊藤穣一氏なとその典型ではなかろうか。

そしてもう一種類は仕方なくしぶしぶリスクを取っている人達だ。実は3番目が一番多い気がする。


過去の歴史を見てもパラダイム変化が起きた時に変化出来ないものは必ず淘汰される。

前述したワークシフトの中に「仕事と遊びの境界線を曖昧にすることが創造性を発揮する最良の方法だと述べていた。

自画自賛だが、幸せとは

Happiness=√(健康)×(人間関係+価値共有の時間)

なのだから・・・

定年で蕎麦打ちをするのでは遅いのだ。

昨日、LAの息子とスカイプした。LAは30度だという。息子の顔は暑くて汗ばんでいるようだった。

臨月を迎え里帰りした娘が階段から降りてきた。妻は息子と会話している。

犬は2匹横たわり眠ったままだ。幸せとはこんな一瞬かもしれない・・・・・


息子もお世話になったI・K氏から送られてきたマリブの昨日の写真・・このポイントは正式にはMalibu Surf riders Pointといい、海底はCobble Stoneと教えてもらった、53歳にしてまたあたらしい事を娘と同年代の人に教えてもらった・・・これも幸せである・・・間違いない・・・