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2013年7月2日火曜日

キァベの香り

キァベの香り

ハワイという場所はどうして魅力的なのだろう。ホノルル空港に降り立つだけで日本とは違うハワイの香りと光に包まれる。もうすでに心はリラックスして日常から解き放たれている。この香りの元は生のレイから来るものだ。私は毎回生の花のプルメリアやオーキッドで作られたレイを空港で買いその香り旅の間中を楽しむ。
いくつかの骨董店を覗いてカイルアの橋を渡り、海沿いの道を真っ直ぐに進んでいくとその花の香りとは違う、食欲をそそる香りがしてきた。どこかの庭でバーベーキューをしているようだ、肉を焼く匂いにほのかに木の香ばしさが纏わりついている。
お盆を過ぎた頃のワイキキビーチは以外とガランとしている。騒々しいビーチは幾分静かになったがサンオイルが残り香のように砂にしみついている。
夕闇が街を覆い、ショーウィンドーが煌びやかな輝きを見せる頃、お気に入りのレインスプーナーの裏地柄のアロハを着て、ウィンドゥを眺めながらカラカウア大通りを東に進む。ウィンドウに移る自分は白い短パンの下は素足にデッキシューズでこれでも精一杯の正装をしている。
店は通りから一本裏のクヒオ通りに面している。少し古ぼけた建物の一階にずっと昔から寄り添うようによく馴染んだ看板が出ている。店の内装はマホガニーをふんだんに使った贅沢な作りだ。照明も適度におとされ、小さなステージで演奏が始まった。
二十年前、渋谷のシスコというレコード店でこの人のレコードを買った事がある。先輩に勧められて買った。アウディという名前がドイツ語で耳の事だという事もその時知った。
席に通され、メニューを開けようとすると昼間と同じ匂いがした。メニューにはこの店の肉はキァベと言う香木で軽くいぶしてあると書いてある。昼間のバーベーキューにもその香木が使われていたのか。
サラダをひとつ、付け合わせにスピナッツ、そしてキァベで炙られた11オンスのプライムリブを頼んだ。ワインはこの肉に合うカリフォルニアワインのカベルネソーヴィニョンを選んだ。
恭しく運ばれてきたステーキはキァベの香りを纏い、金色の輝きを放ちながら目の前に置かれた。
ナイフとフォークで肉を切り分け、大きめの塊で口に入れる。肉の味がしっかりとする。その余韻を楽しむようにワインを流し込む。カベルネの強烈な味が肉の味と溶けあい、何もかも胃袋に仕舞い込んでくれるようだ。
ワイキキの夜、東に歩いてステーキハウスに行く。レインスプナーのアロハを着て。

出店 ワイキキ「ハイズ・ステーキハウス」





2013年6月28日金曜日

三十五年の不覚

三十五年の不覚

一生の不覚という言葉があるが、私の場合、生まれてから今日まででは少し無理があるので、味が分かるようになった十七、十八歳から今日までの三十五年間の不覚としておく。まあ一生の不覚でないだけましと自分に言い聞かせる事にするが私の中で大きくとんかつの基準が変わったと申し上げる。まるで北半球と南半球が逆さまになった位、青天の霹靂の出来事である。
とんかつは目黒に限るなどと大言壮語して今までヒレカツしか食べて来なかった私が武蔵小山の「たいよう」のロースカツを食べてノックアウトしたのだ。いや魂消た。
今まではどこのとんかつ屋でロースカツを食べても、必ず脂や筋が口に残り、飲みこむのに苦労した。それが何回も続くうちに結局ロースカツを頼まなくなった。そしてヒレカツばかりを注文していた。
実は食の雑文を一応きりの良いところまで書きあげたので、自分への御褒美として武蔵小山のたいように出掛けたのだが、それが衝撃の体験となったのだ。
私が出掛けたのは平日の11時15分、九席の小さなカウンターは既に満席だった。予約客が四名いるのでその後になりますと言われたが先頭だったので待つ事にした。数人の来客があったが予約で満席と書かれた看板を見て残念そうに帰って行った。待っている間に女性が注文を伺いに来た。
我が社の同伴したスタッフがこの店のようにランチで予約をとると席の空白が出来て効率が悪いと言っていたが、私には分かるような気がする。マスコミが美味しいと騒ぎ出すと、猫も杓子も詰めかけ常連が入れなくなってしまう。そして潮が引くように詰めかけた客は去り、残った店は台無しになってしまうからだ。自分の領分を弁え丁寧な仕事をする。それこそがこの店の店主の目指すところなのではないだろうか。そのあたりは中華そばの名店、多賀野とも似ている。
今日は自分への御褒美であると同時に、失敗しても良いと自分に言い聞かせロースカツを注文する事にしていたのだ。とカッコの良い事を言ったが、実はネットのコメントはあまり信用しない、あくまで参考程度、それより信頼する舌を持つ山本益博氏が高い評価をしていたのでそちらを信頼していたのだ。
私がランチのロースカツと普通のメニューのロースカツの違いを聞くと、肉質は全く同じで厚さが違うという。一方は百グラム、もう一方は百五十グラムである。迷うことなく百五十グラムを選択した。
お茶を出され待っている間に店主の動きに目をやった。口数少なく、控えめな店主の動きをみると、肉のたたき、衣づけ、揚げ、そして最後の包丁までとても丁寧にしかも的確に動いている。丁寧さは赤子を扱う如くである。いや、私が孫を風呂に入れるときよりも丁寧かもしれない。出来上がりの頃会いを見て、おしんこ、ご飯、豚汁が出され間もなくして大盛りのキャベツが乗った皿にトンカツが運ばれてくる。
はじめに右側の脂身の多い小さな肉片を何もつけずに食べた。口に入れた瞬間、脂が溶け噛んでも筋が無い。その脂身は臭いどころか甘さを感じる、そしてすっと口の中に消えていった。左に進むにつれ脂身は少なくなっていくが、そもそも脂身の付き方大変上品であるのでそのくどさは微塵も感じられない。脂身でない肉もきちんと火が入っているのに柔らかいだけでなく、しっとりしている。ご飯も美味しい。少し硬めのご飯であったがお米は立っているし甘みも感じる。豚汁もいい。味が濃いと言っていた人がいたが、そんなことはない。丁度いい濃さだと思う。おしんこも古漬けだが酸っぱくなっていない。箸やすめにはうってつけだと思う。そしてキャベツ、そう私はキャベツにうるさいのだ。その私からしてこの店のきゃべつは旨い。細さもさることながら、水揚げのタイミングが良いからなのかシャキシャキしてトンカツと一緒に口に入れると肉の甘みが一段強く感じられた。
百五十グラムのロースカツをペロッと平らげてしまった。いや、艾年を超えてもまだまだ知らない事が多い。自分の経験が如何に狭了で無知なのか思い知らされたのである。
やはり舌の記憶は更新されなければならない。今日からまた知らない味へのチャレンジが続く。だって言うでしょ。食べてみなければ分からないと。


出店 武蔵小山「たいよう」 






2013年6月27日木曜日

至福の炭水化物

至福の炭水化物

この歳になると池波正太郎氏が書いていたように、健痰家でも食が細くなってくる。私も以前なら大盛りを注文していたものが、残念ながらこの頃は控えめにしている。何だかこんなことで歳を感じるとは寂しい限りだ。
私の東京の入り口が浅草で、その次がお茶ノ水だということは既に書いたと思うが、十代の喰い盛りの若者はこの界隈の食堂の盛りの良さに助けてもらった。私達は出来るだけ腹もちのよいメニューを選んだ。カロリーなんてもちろん考えない。いや、むしろカロリーの高い食べ物を選んでいた。
すずらん通りのパチンコ屋で一番見た目の若い同級生が交番のお巡りさんの職務質問によりそこに居合わせた一道一派全員が補導されたのは若気の至りであるが、あの界隈には腹ペコの学生を満足させる店が多かった。
すずらん通りの裏手にその中華料理店はある。もちろん大盛りを謳い文句にするだけでは駄目である。しっかりとその全てが旨くなくてはならない。その点この店は問題ない。全て合格点以上の料理を出す。その店は神保町にある徳満殿と言う店だ。私が頼むのはチャーハンである。チャーハンというものはシンプルであるがゆえに難しい。私も時折作るが、油が少なすぎてもパラパラ、ボソボソと旨くない。もちろん油がべとついたチャーハンは論外である。
具材はその時々の気分で変えてもいいが、油と卵の黄金律は変えられない。これがチャーハンの肝となるからだ。
あの頃はこの店の大盛りチャーハンをぺろりと平らげていた。別名、ヘルメットチャーハン。そうアメリカ軍のヘルメットのような形に丸く押しつけられた大盛りのチャーハン。
それをレンゲで一口運べば、至福のごはんの旨さが広がる。どうして炭水化物というのは旨いのだろう。そしてスープを続けて口に運び、またご飯を掬う。この反芻的行為はお腹を満足させると同時に幸福感をもたらす。久々にチャレンジしてみようか、幸いな事にベルトの穴はまだ残っているから。

出店 神保町「徳満殿」





2013年6月26日水曜日

思い出のハイボール

思い出のハイボール

数日前に銀座にあるハイボールの美味しいバーに行った。根魚と言うなんともキテレツな名前のそのバーのハイボールは氷が入っていない。とても繊細で美味しいハイボールだったが、私の探しているハイボールはそれではなかった。
私が学生の頃、遊び場では肩身の狭い思いをした。当時、文武両道の早稲田や慶応は早慶戦の時などそれぞれの学生達が意気揚々とそれぞれの場所で青春を謳歌する。慶応は六本木、早稲田は新宿で大いに盛り上がった。私達の学校の運動部はからきしだめで、六大学にはとうに及ばず、東都大学リーグでも辛酸をなめていた。それでも早慶戦に関係なくお酒を飲みたいと言う欲求は抑えられず、そろりそろりと酒場に向かうのが常だった。
私達は地元の四谷を除けば、新宿と渋谷で飲んだ。これは二つ年上の先輩の実家が代官山にあり、新宿で高校時代を過ごしたこともあり、この二つの盛り場に明るかったからだ。
渋谷は風林会館にある酒場だった。確かオールドを飲んでいた記憶があるので高級な感じがした。もう一件は新宿だった。あの頃、盛り場にはコンパと呼ばれる安く飲めるカウンターバーがあった。私達がよく行ったのは歌舞伎町にあるコンパエアーラインという店だった。店内は広く、いくつかのブースに分かれていて、それぞれが各国の航空会社の名前になっている。カウンターにはその航空会社の制服を着た若い女性が一人いてお酒を作ってくれる。これだけ書くと秋葉原や神田にあるイケナイコスプレバーを連想される方もいるかもしれないが、至って真面目、女性はただお酒を造るのである。そしてなによりとても安かった。先輩がボトルキープしているので千円以下で飲めた。
私はいつもハイボールを頼んだ。氷の入ったグラスにウィスキーを注ぎ、ホースのようなもので炭酸水を満たす。そして軽くステアして出す。出されたそれは薄く、かすかにウィスキーの味がする程度だった。それでも楽しく飲んでいた。
私が(先輩が)好きだったのはSASと書かれたブースだった。ご存知の通り北欧の航空会社である。今こんな事をしたら商標やらなんやらでとんでもない自体が予想されるが、当時は鷹揚だった。誰もそんな事を気にしなかった。
この店のカウンターの女性はほとんどがアルバイトだった。私達と同じような学生が多く、このカウンターの女性は多くても二名がいて、いつもは一人で切り盛りしていた。
一人の子は中央線の某有名女子大学に在籍中だと言っていた。もうひとりは最後まで素性を明かさなかった。
女子大に通うその子はストレートのショートカットで笑顔の可愛い子だった。出身は愛媛県と言っていたが、みかんが嫌いだとも言っていた。小さい頃に食べすぎて体が真黄色になったからとも教えてくれた。地方から出て来た者同士、私もその子と話をすると何故か落ち着けた。彼女はその店のアルバイト以外にも色々なアルバイトで学費を稼いでいた。家はあまり裕福でなく入学金も何とか工面してもらったようだった。私達はどちらが多くのアルバイトをしているか競い合った。私が家庭教師を筆頭に、駅前のティシュ配り、新聞の配送、土方手伝い、プールの監視員と言えば、相手も負けてない。この店のほかにあと二店、そして添削のアルバイトと張り合った。彼女の別の店のアルバイトは知り合いの女性が病気になり急遽頼まれてするようになったと言っていたが、あまり乗り気ではなかった。時給は他のバイト三倍するものの接客しなければならない。常連客がほとんどなので滅多に酷い客はいないのだが、中には酩酊して時々困る客もいると話していた。
それでもすぐに笑い顔を取り戻して薄いハイボールを作ってくれた彼女だった。
最初の夏が終わり秋に差し掛かる頃、彼女はその店を辞めていた。風の噂で聞いたところによると病気をして実家に戻ったと言う。何の病気なのかそれ以上誰も口にしなかったが、休学ではなかった。
今でも私のハイボールはあの店で飲んだ薄いハイボールを思い出す。彼女の可愛い笑顔と共に。

出店 新宿「コンパエアーライン」





2013年6月25日火曜日

鯛の鯛

鯛の鯛
鯛の鯛をご存知の方は多いと思うが、鯛のエラに近い骨が鯛の形に似ていることからそう呼ばれる骨の事である。少し大きめの鯛なら容易に見付ける事が出来る。
私の生まれ育った街がいかに新鮮な魚介類が当時は手に入りにくかったか既に何度も訴えているのであるが、辛うじてこの鯛は食べた事がある。父親が結婚式の引き出物として家に持ち帰ってきたからだ。私の家は通称サンブン=産分(産業文化会館)の近くだった。ここには結婚式を挙げられる披露宴会場があり、周りの町村の人もここで結婚式を行うのが常だった。当時の引き出物は赤飯と鯛の塩焼きの尾頭付きが定番だった。赤飯は塩胡麻を振りかけて食べるのだが、もう一方の鯛がいけなかった。まるで煮干しのようにカチカチに硬くなってしまって、身をほぐそうとしても箸さえ受け付けない。やっとのことで身に箸が届くが塩辛くて食べられない。子供心に何で鯛が重用されるのか全く持って不思議だった。
上京して生の魚を食べるようになった。お寿司屋さんで鯛の握りを食べた時にこれが今まで塩焼きで食べていた同じ魚なのかと驚いた。それ以来、寿司ネタの鯛は好きになったが、進んで鯛の塩焼きにまで手が伸びる事は無かった。
魚好きの恩師にこの話をすると、それはもったいないと好相した。鯛は捨てるところの無い魚、腐っても鯛、つまりどんな調理法をしても美味しいというのである。
機会があって大阪に行く事になった。いつもは日帰りなのに今回は大阪で一泊する。妻たちとユニバーサルスタジオに来ていた息子と合流して、私達が先に帰るという女性たちに大変都合のよいスケジュールだった。そこでその策略に乗ったふりをして、何か旨いものを息子と食べに出掛けようと決めたが、そんな助べえ根性の時は大外れする。それではまずいと心して店を選定した。六本木に鯛めしの専門店があったことを思い出した。確かにその店の本店は大阪だった。もし失敗しても私の鯛に対する印象が変わる事にはならないし、恩師にも言いわけがつく。しかも、ここからならそう遠くない。よし決めた。電話をしてみると空いているとのことである。私達二人はタクシーでその店に向かった。
その店は「与太郎」という。私達は白木のカウンターに通され、鯛飯のコースを注文した。しばらくして突き出しや前菜が運ばれてきた。どれもシンプルだが丁寧に作ってある。明石の蛸を使った酢味噌和えも、蛸は適度に弾力がありながら歯でさっと噛み切れ、きゅうりがみずみずしくそれでいて全体は水っぽくならずに美味しかった。
そして真打ちの鯛飯が登場した。サワラのお櫃に丸ごと一尾の鯛が蒸されている。表面にうっすら焦げ目があるので、焼いて入れたのであろう。職人が慣れた手つきで鯛の身をほぐしご飯と混ぜ合せた。出来あがったご飯に好みで山椒を振りかける。旨い。ご飯と鯛の甘みが旨く重なり、最後にすうっと磯の香りがする。旨みが凝縮されていた。二人で三杯近くお代わりしたがそれでも余ってしまった。余ったものはプラスチックの容器に入れてくれたので私達はホテルに持ち帰った。
翌朝、息子と冷たくなった鯛ご飯を食べた。ん!!美味しい!!昨日の炊き立ての鯛飯も美味しかったが、冷たくなっても美味しい。味が複雑に変化している。二日目のカレーと恩師の言葉を思い出した。最後にこのとき息子は小学五年生だったことを付け加えておく。

出店  大阪「与太郎」





2013年6月24日月曜日

西陽のとんぺい焼き

西陽のとんぺい焼き
材木座に通うようになって20年が過ぎる。それは同時に犬を飼い始めて同じ年月が経ったと言う事だ。
我が家に最初にやってきた犬はゴールデンレトリバーで、女の子なのに家族に幸せを運ぶ魔法使いのようになって欲しいからとジーニーと言う男の子の名前を付けられてしまった。その犬とはよく材木座海岸を散歩した。聞きわけの良い子はノーリードでも大丈夫で、つねに私の目を見て行動していた。
子供達も幼かったが、ジーニーを連れて食べられる店しか入らなかった。それでも子供達は満足していた。
材木座海岸の中ほどに「かたつむり」という広島風お好み焼きを食べさせてくれる店があった。水色の建物が特徴で裏手には倉庫があり、そのすぐ近くに犬小屋があった。
目のくりっとしたキングチャールズスパニエルと大きな体躯のゴールデンリトリバーの男の子がいた。
その店につくと最初にその子たちを撫でて挨拶をしてから店に入った。私達は海が見える戸外のデッキに席を取り、思い思いの食べ物と飲み物を頼んだ。
この店の主人と思しき女性は、私達より幾分年上であったが、その凛とした表情や立ち振る舞いから、銀幕で活躍した女優のようでもあった。いや、きっと若き日はそれに近くお仕事をされた方だと推憶する。二人の娘さんは私達より幾分若く、その美形ぶりに驚く、すらっと長く延びた手足は母親譲りなのか、日本人離れした小顔で切れ長の目をしていた。
最初は姉にあたる人が調理をしていたが、何かの理由で姉が厨房に立てないようになり、妹が今度は調理を担当した。
私は必ずとんぺい焼きを注文した。とんぺい焼きというのは豚のバラ肉の上に生の卵と沢山の葱を散らしたあれである。ところがこのとんぺい焼きが微妙に違うのだ。いや、微妙ではない、はっきりと違うのである。
どちらが旨いと言う事を書くと、国際問題にも発展しかねない懸案なので明言は避けるが、この店のものより美味しいものを食べた事が無い。それほど美味なのである。
とんぺい焼きはバラ肉の歯触りと卵の焼き加減が肝要である。肉はカリカリとした食感でありながら、柔らかさも残さなければならない。卵も生ではいけないが、火の入りすぎには最も気をつけなければならない。
このとんぺい焼きを食べながら富士山の横に沈む夕日を見て麦酒を飲む。横には妻と娘や息子たちとジーニーがいる。これ以上の幸せはなかった。心満ち足りた時間はあっと言う間に過ぎてしまう。
店は数年前に売り渡され暫く閉店していたが、新しいオーナーが水色からアイボリーに壁を塗り替え、新しく店を始めた。その店の名前は「リプレイ」という。オーナーは元俳優と言うから、何かしらの縁があるのかもしれない。
とんぺい焼きはなくなってしまったけれど、デッキはまだある。ジーニーは亡くなり、娘が嫁ぎ、息子も多忙で中々一緒に散歩をする機会も少なくなったが、妻もそして2匹の犬も元気でいる。今年の夏には2匹の犬に妻と娘と娘の旦那そして孫も連れて来てみよう。西陽と麦酒は変わらないのだから。


出店 材木座「かたつむり 閉店」「リプレイ」







2013年6月20日木曜日

権太坂とハンバーグ

権太坂とハンバーグ

正月の箱根駅伝の保土ヶ谷中継所の映像を見ると大学生の時に起こした事故の事を思い出す。真冬のサーフィンを終えての帰り道、西日を浴びた権太坂のすぐ近くの短い坂道を色の褪せた友人のポンコツセリカで登っていた。
その車は今考えると笑っちゃうほどダサかった。群馬ナンバーの上、シガーソケットには真っ赤な提灯のライトが付けられ、ハンドルには安いビニール製のカラフルなカバーが取りつけてあった。極めつけは左墓天と書かれた大きなステッカーがリアガラスに貼ってあった。断っておくが決して私の趣味ではない。断じて違うのでお間違いなく。
話を事故の時に戻そう。私達は春先の冷たい海でのサーフィンと分厚い5ミリのふるスーツが体を邪魔し体力を消耗していた。そこに急に暖かい車内に入り顔が紅潮し、二人ともウトウトしてしまった。信号機の無い交差点で事故は起こった。ドスンという鈍い音とともにボンネットが大きくひしゃげて体が衝撃を受けた。はっと我に返ると道路の三分の一くらいのところで路線バスに車は衝突して止まっていた。バスのほうはバンパーが少しへこんだ程度で乗客にも怪我人はいなかった。警察の事情聴取も終わり、バス会社の渉外担当がやってきた。その男がいうには幸い怪我人もなくパンパーの傷もすぐ直る程度なのでバスは私達の対物保険で直してくれればいい。ただし、そちらが悪いのでそちらの損害は賠償しないというものだった。着の身着のまま東京に戻り、叔父に相談したが、職人でそうした手合いの話には苦手の事もあって、結局、相手の条件を呑むしかなかった。
今になって考えれば、例え車両保険を掛けてなくても相手にも責任がある。私達は初めて大人の汚い手口を思い知らされた日だった。
その時、夕焼け空に見た事のあるハンバーグ店のサインボードがうっすらと点灯した。
その道を使った理由は横浜新道が渋滞していたこともあるが、ついそのあたりの裏道を知ったかぶりをして走ったのが原因だった。何故知っていたかと言うと当時付き合っていたガールフレンドの一人がこの近くに住んでいたからだ。原宿の交差点から程近い場所に彼女の家はあった。銀行員の父親を持つ彼女の家庭は厳格だが明るく自由だった。彼女を家に送り届けたある日、その父親が近くのハンバーグ店に連れて行ってくれた。それがこの看板の店「ハングリータイガー」である。
ここで「ハングリータイガー」について少し補足しておこう。神奈川在住の人なら知っている人も多いと思うが、出店が地域で限定されているため全国的には馴染みは薄い。
この店がオープンしたのは一九六九年である。私が十歳の時だ。もちろん東京から遠く離れた北関東の街ではその店がオープンした事など知らなかったが、その最初の店がこの保土ヶ谷店である。その店に私が連れてこられたのがその九年後ということだから一九七八年となる。当時は写真付きのメニューはなかった。名物の直火焼きハンバーグはもとより、飲み物も赤ワインを始め、オールドーパー、カンパリなどファミリーレストランとはかなり趣を異にしていた。
店は大きな窓から緑が写り込み、茶色のソファーシートがゆったりとしたテーブルを囲むように配されている。木製の高い天井から吊り下げられた大きなシェードのランプからは暖かな光がテーブルを照らしていた。私はいっぺんで好きになった。
ハンバーグが運ばれてくると客は一斉に紙ナプキンを高く持ち上げて洋服にソースが飛ばないような格好を取る。皆が皆同じ格好をするのでまるで儀式の様でもあり、中々笑える。
ハンバーグはしっかり肉の味がした。焼き方のせいか余分な油はほとんど落ちて外側は香ばしく焼かれ、ナイフをいれると美味しいミディアムレアの赤身が顔を出していた。
ソースは決して強くない。肉の味を引き出すために余計な事をしないように作られているようだ。
付け合わせもシンプル、皮つきのポテトとエンドウ豆だった。今はどうかしらないが、ハンバーグの付け合わせはこれに限る。私のお薦めである。
そんなハングリータイガーも数年前、食中毒事件を起こした。マスコミは一斉に管理体制が不十分とか、社員教育のまずさを書きたてたが、私はその後数回訪れていたが一度もそのような事を感じなかったので食べ続けたが、世間の客足はやはり大幅に減ったようで閉店する店が相次ぎ、神奈川に店はなくなってしまったようだ。
その事故の後、彼女とは細い蜘蛛の糸が雨に濡れ、すうっと千切れてしまったように連絡を取る事もなくなってしまった。その後、歯科衛生士になり、結婚して幸せな家庭を築いたと風の噂に聞いたものの今となっては彼女の顔さえ思い出せない。いつも真っ黒に日焼けしたスレンダーな手足と、彼女の着ていた黄色のOPのシャツだけが残像として瞼に残っている。それでもあの時の舌の記憶は残っている。

追記

料理と食べ物にまつわる私のつたない記憶と心に残った事を書き始めて96000文字になる。これほどまでに食いしん坊だったのかと自分でも驚くとともに、今日の昼ご飯を何を食べようかと朝から考えている自分の性を隠しようがない。


出店 保土ヶ谷「ハングリータイガー本店」