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2014年2月24日月曜日

「らしさ」とは

広く人口に膾炙している「何々らしさ」という言葉を聞くと、私の中の天邪鬼の虫が騒ぎ出すから言うわけではないが、何か違和感を覚える。

例えば日本人らしさと言うと、多くの人は控えめで、勤勉で実直であるなどと表現される。本当にすべての日本人がそのような筈はないのに強制的にタグを付けられている気がする。

家守の仕事は街と直結している。その街の中で仕事をするのだから当たり前といえば当たり前なのだが、ここでも「らしさ」が顔を出す。「銀座らしさ」「渋谷らしさ」とは何だろう。高級でハイセンスなことが銀座らしさなのだろうか。109に代表される若者のファッションが渋谷らしさなのだろうか。

「らしさ」がひとり歩きした街を一つだけ知っている。原宿の竹下通りである。まさにあの街は「らしさ」の凝縮である。どこをとっても金太郎飴のように同じ「らしさ」が顔を出す。

私の働く中目黒も20年前には飲食店も物品販売店も無かった。目黒川沿いには小規模な工場や倉庫が軒を並べていた。20年前の中目黒らしさはそんな光景だった。
もちろん「らしさ」を全否定するつもりはない。ある漫画家が自分の好きな家を建てると言って奇抜な家を建てようとして住民から非難されたように、あまりに場違いなものは敬遠される。

あるボストン在住の都市計画の専門家と東京について話をしたことがある。彼は東京はニューヨーク、ロンドン、パリとも違う特異な街だと言っていた。私がニューヨークやパリのように長い年月を掛けて熟成されるような街づくりを手本とするべきではないかとの意見にきっぱりノーと言い放った。東京こそスクラップ&ビルドを続けなければならないと。そうしなければこの街は衰退していく運命にあると続けた。

飲食店のまね事をしているときに15年いやそれ以上続けて老舗にしたいと思っていた。後になってその考えが誤っていたことに気がついた。老舗とは変わらず立ち止まっている訳ではない。絶えず社会の変化を受け変質している。ただ、その変質を最小限に止めようと莫大な労力を使っているのだ。

「らしさ」とは時代を映す鏡である。あまりに「らしさ」を追求すると流行を追いかけるのと同様、流れている川の水をひと掬いするのに等しい。そして流れは私たちを置いていく。

先般もとある建物の企画でこの「らしさ」をという言葉を耳にした。もちろん悪気はないし、前述した街と乖離しない程度の常識的「らしさ」を指してのことであろうが、やはり私には「らしさ」を必要とするのは幼児化した頭と功利に目が眩んだ商人だけだと思うのだが如何であろうか。

建物にもいつの時代でも残るかっこよさは必ず存在する。いや、そう思いたいとの願望でもあるのだ。








ネットワークの情報特性

グーグル・マップを使っていて意外なことを経験した人は多いのではないか。東京や横浜で利用している際には道路の混雑状況がリアルタイムに表示されるのに、地方に行くとそうでない。過日も同様のことを経験した。軽井沢から高崎までの道路情報を見ると(グーグル・マップ)ところどころに渋滞マークはあるもののそんなに酷い渋滞ではない。よしと車を進めたものの今度はビッシリ車が道路を埋め尽くして身動きがとれない。これが分かっていれば別の道を考えただけにくやしさがにじみ出る。

食べログを見ていても登録者数の少ない店の評価は極端に顕れる。登録者の多い店はそれなりに適意な評価となるが、少ないとなると首を傾げたくなる場合も多い。

考えてみればサンプル数が少なければ結果は大きく現実と乖離してしまう可能性が高い一方、サンプル数が多ければ極端なものは除外される。学内テストの成績の標準分布と同じ事なのにその特性を理解せずに使ってしまう。くれぐれもその性格お忘れなきよう。



2014年2月23日日曜日

あるがままを受け入れる

先日の私は軽井沢に3日間閉じ込められた。記録的な大雪で全ての交通網が遮断された。もっとも、鉄道に関しては2日後には復旧したが、四足の家族二人と一緒となると車をおいて電車では戻れない。結局、予定より3日間多く滞在することになった。
私が逗留していたのは一戸建てのログハウスだったので孤立感は倍増された。玄関からホテルに続く道は完全に雪で封鎖され、朝食をとるためにラッセルして道を作った。朝食前の良い運動にはなった。

こういうときに大方の人は事態を受け入れている。自然の前では人間の力など無力であることを理解している。ところが、一部の人は口角泡を飛ばしホテルの従業員に文句を言っている。自分はどうしても帰らなければならないといい静止するのも振り切り車に乗り込み出て行ってしまった。案の定、車が途中でスタックしてホテルの救援要請の電話が入った。今度はホテルの従業員の車もスタックして余計に事態を悪化させてしまった。そして、本人お礼も言わず部屋に消えていってしまった。
レット・イット・ビー、そう人生は思うようにならない。なるようになるさ。この歌詞を思い出す。

ところが3日もすると何やらそうとばかり言っていられない悶々とした気持ちになる。一つは情報が錯綜していることだ、これによって多くの人が被害を受けた。前日まで正常運転の予定としていた新幹線は完全に運転中止、運転再開するとのアナウンスも結局再開できず多くの人が立ち往生し、駅は人でごった返した。

立ち往生で言えば、碓氷バイパスに立ち往生した300台近い車両にも情報が届いていない。もっと手前で道路管理者が警告をするべきだった。

そして自治体も慣れていないを言い訳にひどい対応だった。軽井沢町は3日経っても南側道路は一車線しか通行できず、北口の駅前は雪が残り車の通行に支障をきたしていた。除雪されているのは警察署の前だけ。笑えるジョークだ。除雪の下手くそさは軽井沢に限ったことではなく、安中市や前橋市も同様だった。道路の真ん中に雪を積み上げるので右折や左折の車線が封鎖され大渋滞を巻き起こしていた。

昔、新潟県の豪雪で有名な小さな町に行った時にあまりに整然と除雪されていたので宿の主人に理由を聞いたことがある。すると主人は町の人達が除雪のある取り決めをしていてそれが長年のルールになっているというのだ。なるほど自衛隊の手を借りなくても、こんな小さな集団で事前に準備することで災害になることを最小にとどめていると感心した。
あるがままを受け入れる。大切なことだ。ただし、一方で人間は考える葦でもある。同じような過ちを犯さぬよう学習する動物でもあるのだ。






2014年2月21日金曜日

スキーのすすめ

このところ艾年を境にスキーをまた始めた。回数は多くはないが行ける時に行こうと出不精な私がスキーに行く。

雪山は全てを覆い尽くすから好きだ。真っ白な雪が実社会の様々な軋轢や問題を覆い隠すかのようだ。
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スキーをするなら断然自前の道具を揃えられることをお勧めする。もちろん財布と細君の許しの範囲ではあるが。
 道具に関しては決して高い道具でなくても良い。自分が好きだと思える道具であれば良い。滑走面のテクスチャーを考えたり、雪質に合わせてワックスを選んだりする。これもまた楽しい。自分が調整した道具が上手くいった時はさらに楽しいからだ。
 
リフトに一人で乗るのも思考の整理に役立ち宜しいが、隣り合わせた見ず知らずの人と会話することも楽しい。インターネットの仮想空間に慣れた私たちには、相手のことを知らない全くの他人との会話をほとんどしなくなったからだ。

先日も日帰りでスキーに来ていた20代の若者と会話した。やはりスキーは楽しいと。そしてストレスの解消になると言っていた。リフトを降りるまでの束の間の会話、それがまた簡潔で宜しい。





2014年2月20日木曜日

マスコミの凋落

夕方テレビを付けると顔を異様にひっぱり若作りをしている女性キャスターが出ていた。私はこの人が嫌いである。過日は我慢して聞いていた。航空会社のマイルが不正に使われたニュースだった。最後に「マイルは現金とは別だとお考えください」と締めた。

馬鹿じゃなかろうか。全く、マイルの実体を調べていないだけでなく、法律のほの字でも教えてやりたくなる。マイル不正はいけない。犯罪だから。しかし、日本航空は他の航空会社と比べてもマイルが使いやすい。それよりもマイルを現金と同じように使えると宣伝しておきながら目に見えないブラックアウトをする航空会社が如何に多いことか

。それらは政治的、地勢的バリケードをうずたかく積み上げ、日本の法律を反故にする。消費者契約法もその前ではかたなしだ。マスコミに流れるニュースはその程度のうわべのものなのかと失望する。もはやニュースは報道番組ではなく、グルメとゴシップ芸能情報誌のようである。





2014年2月19日水曜日

言葉の問題

村上春樹氏の新作「ドライブ・マイ・カー」での文章の一部が問題になっているという。私も読んでみた、確かに北海道の実在する町の名前を記している。そしてその女性に向かって「***町ならみんなタバコを道に捨てているだろう」と書かれている。これを見て一部の町民が目くじらを立てたわけだ。私たちはそんな公共のルールを守らない人間ではないと。彼らは文章全体を読んで作者の意図を理解しているのだろうか。
例えば私のことを家人の誰かが「北関東の辺境の人間が魚を食べて美味しいとか、美味しくないとか、ホザイている事自体馬鹿馬鹿しい」と言ったとする。だからといってこれが本当に北関東の人全てを馬鹿にしているわけではない。私のことを特定して揶揄しているだけだ。私個人の特定にはディレクトリが役立つ、これはよく私たちも使う。関西人だからとか、関東の人はなど頻繁に使う。つまりすべての人がそうだと言っていないし、悪意もない。あるのはその女性に対する怒りや失望だ。
こんな事を抗議する町議たちは今のマスコミにも似ている。重箱の隅をつついて全体を見ない。
そう考えると小説家というのは大変な職業である。そういえばこんな事があって筆を折った人がいた。村上氏にはそうなってほしくないと願うのである。






2014年2月16日日曜日

違和感

四谷にある学校とアパートの往復で四谷界隈を歩くことはほとんどなかった。ところがどうしたことかその日はパチンコ屋のすぐ先の路地を歩いてみたくなった。パチンコで負けたせいか、今でも理由はわからない。
路地は坂になっていて下っている。丁度新宿通を背にして南側に行く道だ。道はうねうねと曲がりながら途中幾つも道は分岐していた。
坂の途中まで下ると右手が崖になっていた。雨水と苔に覆われた無機質のコンクリートの壁が獣の皮膚の表面に出来た潰瘍のように小さく無数に盛り上がっていた。
人気のない木造の家屋化の窓が開け放たれていた。猫がこちらを睨む。夏の日差しも落ち気温が下がっているはずなのに一向に涼しくならない。谷地になっているからなのか風が通らない。身体に汗がべトッとまとわりつく。
臭気が漂ってきた。下水道の匂いだ。どこかに臭気の原因の入り口があるのだろうが見つからない。
振り返ると大きな黒い動物が横切った。猫にしては大きい。ヤツデの葉の陰に隠れてしまった。目だけが光ってこちらを見ていたが、居なくなってしまった。
通りに出て時計に目をやると8時を回っていた。こんな狭い空間に2時間もいたことになる。
後になってその辺り一帯が鮫河橋と言われる東京でも三指にあたる貧民街であったことをしる。谷にくるといつも違和感を覚えるのはあの日の既視感かそれとも風のいたずらか。