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2011年8月10日水曜日

真夏日 でも涼しいよ

気温は35度を超えているのに今日はオンショアで風が海で冷やされ涼しいです。

持ってきた本はほとんど読んでしまったので、マクルーハン再読です。

マクルーハン分かるわけありません。だって彼自身一貫した理論ではないのですから、でもなぜかそのいい加減さが気になるのです。

まだインターネットもフェイスブックもない時代にメディアについて、閃きかもしれませんがこんな考察をする人間がいたことが不思議です。

メディアがまだメディアとして君臨していた時代のことです。

梅棹忠男氏とこのマクルーハンを呼んでいたら、いつの間にか満ち潮になっていました。隣のカップルのテントは流されてしまいました。

早々に引き上げます。

隣の方が黒ラブのラブちゃんとともにご挨拶に来てくれました。

とても良い子です。うるさいサクラとは違ってとても良い子です。可愛いのでなでなでしました。

逗子フェスの準備が進んでいます。巨大なステージが組みあがりつつあります。

もんざ丸で目の黒い鰯が200円だったので買ってしまいました。


二楽荘 ジャージャー麺

鎌倉東急にセプがガリガリした修復用のペンキを買いに出かけました。

お昼は二楽荘のジャージャー麺です。

父が作ってくれたそれは少し甘く、赤味噌の香りがたっていました。

父は北京近郊で食べたこの料理が好みらしく、時折作ってくれました。

父の料理はこのジャージャー麺と牛蒡と豚肉の甘辛煮です。

そんな父の料理より甘さが消え、塩気がたっていまいすが、麺とあわせるとちょうど良い加減です。

鎌倉の二楽荘、今までどの料理を食べても美味しいのですから実力ありでしょう!!

帰ってきた妻が残念そうです。明日はこのジャージャー麺食べると意気込んでいます。

2011年8月9日火曜日

午後のプール

毎年バカンスにこの海岸を訪れていた男はいつものように本をたんまりとしたためプールサイドに席をとった。

今日携えた本は日本ではFLライトと同時期に活躍した、Aレーモンドの建築詳細という本と、パリのシェイクスピア&カンパニィ書店という実在した文学の伝記的書店主の本、それにイタリア料理の分厚いレシピ本だった。




数日続いている晴天が今日も空をおおい、入道雲が遠くで立ち上がっている。近くでカモメが風に乗って飛んでいく。かもめは鳶に比べて水平線の近くの低い位置を飛ぶからすぐわかる。

上昇気流をつかむのは苦手らしい。

近くではその手のひとたちとすぐ分かる黒いラッシュガードの集団がお揃いで奇声を上げて真夏のプールを楽しんでいる。ラッシュガードにうっすら見える刺青は愛嬌だ。

ごく普通の若い男の子とは何ら変らない。いつものにぎやかなプールが帰ってきたようだ。これはこれで楽しい。


男は日焼けして火照った体を鎮めるためにプールにゆっくりと入り、数回水中を掻いて顔を上げると、目の前に子供の浮き輪が風に飛ばされて見えた。

男は浮き輪をつかみ、子供の母親と思しき女性に渡した。

女性はさっきのまで早口のフランス語で子供に何か言っていたのに、驚くほど流暢な日本語で「ドウモアリガトウゴザイマス」とお礼を述べた。

彼女はここ数日間このプールでよく目にしたスタイルの良い女性だった。

真っ黒に日焼けしたプールの監視員と思しき男の子が、女性と私に向かって話し始めた。

女性の名はソフィーと言い、4才になる女の子がいた。旦那は日本人らしく今日は仕事のようだ。

彼女は如何にフランスがつまらない国で、日本のほうが良いのか訴えていた。

そんな彼女なのに娘をどこの小学校に入れるのか悩んでいた。

私にはその矛盾した行動に彼女の発したAncien régimeという言葉で理解した。

すぐにシンガポールに赴任しなければいけないらしい。

つまり日本は経由地なのだ。彼女の留まる国ではない。彼女は旅人なのだ。

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水平線に向かって2艘のヨットが進んでいる。2艘のヨットが互いに相手を意識しながら並行して曳航を描いていたと書くのか、2艘のヨットが互いに抜き抜かれつしながら曳航を描いていたのか、私には分からない。つまりは作者の利得とはこのことか。

漠然とした風景も、あそこに灯台があるとか、あそこに神社があるという「意識」によって意味を持つ。言葉とはそういうもの。

W.P.キンセラ  ソシュール記号論

私は経済学部出身ですが、文学をなぜ勉強しなかったのか30才を過ぎたころから悔やみました。

哲学や文学は人間と言う幹を太くしてくれます。経済学や法学はいわば実学です。

勉強はどうせ使わないかもしれない知識のためにあるのですから、実学もそれ以外も結局は同じこと。

そう考えると悔やまれます。

W・P・キンセラ(映画フィールドオブザドリームスのシューレスジョーでお馴染みの)「モカシン電報」という小説があります。

ここで出てくる「ギター」と「ラジオ」の差異がインディアンには認められないわけです。

ソシュールの記号論によればインディアンたちは「差異を認識していない」ということです。

つまり「差異の知覚」こそ「意味されるもの」であるからです。

これは英語のsheep、muttonとフランス語のmoutonの違いと同じということです。

日本では雨でも無数の表現があります。桜にしても「残花」と「余花」ではその視点が異なります。

つまりは我々日本人はこの差異を感じやすい神経の持ち主なのです。

我々が感じる違和感とはこのことかもしれません。

話を「モカンシン電報」に戻します。しかしながら、この小説は西欧対未開という二項対立の中に、意味を失ったものの哀れさを描いています。

こうしたものの見方がもっと若いうちに出来たなら、いっそう文学の世界にのめりこんでいたことでしょうむ。

それも幸い???

翻訳の珍本が話題になっています。言語道断です。翻訳をするとういうことは作者の変わりに異言語で作者の心の叫びを著すのですから心してかかって欲しいものです。そんな出版社や訳者は買ってはなりません。

追悼 松田直樹選手

松田選手が私と同郷と知ったのはつい最近のことです。

同市のA町の出身と言うのでご近所です。

戦力外通告をされてもサッカーの魅力から離れられず、サッカーを続けてきた根っからのサッカー人でもあります。

しかし一方で好きなことを仕事にするということの悩ましさ、難しさを感ぜずにはいられません。

私なんかその反対だったので胸をなでおろしています。

天国でもサッカーを続けてください。そう願います。

ヘミングウェイと開口 健

ヘミングウェイと開口健どちらも好きな作家だ。

省略文体が経験からくるものだということは知っていたが、ヘミングウェイが10代のときに戦争で受けた心の傷を生涯背負って、そのリハビリとして小説を書いていた。

今で言うPTSDだ。

彼は深く自省する為に小説を書き、平仄を保っていた。

ヘミングウェイが3度目の妻とアジアに向かう際に立ち寄ったワイキキでの写真がある。

体にフィットしたTシャツに足元はシャック・パーセルだ。

彼はアバクロやLLビーンを偏愛していた。

物から見る作家も面白い。

そんなことを知る一冊です。プールやビーチではパラパラと頁がめくれてお勧めです。



2011年8月8日月曜日

夏の決まりごと 一品香

子供が生まれてすでに20年以上、ここ材木座の海で夏を過ごしています。

鎌倉ベースにビーチチェアはありますが、真夏くらい海の家でチェアーとパラソルを借ります。

場所はいつものところです。海の家は毎年変って生きますが、座る場所はいつもここと決めています。

T女史とご主人から戴いたクーラーボックスにビールを満載してきました。

昼食はこれも20年以上通っている「一品香」さんです。

ここのもつ煮込み食べないと夏が来た気がしません。もつ煮込みとカレーライスです。もちろんカレーは妻とシェアします。

腹ごなしにとボディボードを子供のように遊んでいたら、腰が痛くなってしまいました。

妻はウトウトして足の半分が日焼けしてしまいました。

もってきた本も大方読み終わりました。遠くで入道雲がわき上がっています。