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2011年9月30日金曜日

カパルアウェストマウイ空港 JHM

成田ならNRT、ホノルルならHNL大抵の空港コードはその略字です。

しかし、カパルアウェストマウイ空港のJHMはどう考えてもぴたっときません。

調べてみたら、この空港が出来たときのハワイアン航空の社長がJhon Henrry Morganだったそうで、その名前を付けたらしいのです。

これは世界的に見ても珍しいと思います。ジョン・ヘンリー・モーガン空港なら分かりますが、カパルアウェストマウイでは想像することは困難です(笑)

でも一つ勉強になりました。今度、UAのカウンターで聞いてみます(笑)航空会社の職員なら知っていますよね(笑)

段々 ジャーマンシェパード

Sパパに頼まれていたオペラの代表的なものを息子がやっとCDよりipodに移してくれたので、コンビニに持ち込みました。

その後久々に段々です。

レオンが先に来ていて、しばしさくらとレオンを交互にボールで遊びます。

夕闇せまる頃、みんなも集まって来てくれました。

訓練中のお利口なシェパード2匹も入って来てくれました。ロイとさくらはシェパードが気になるらしく遠巻きにワンと吠えますが、すぐ隠れます。可笑しくて笑える二人です。

そんなお利口なシェパードでも長い待てをしていると飼い主のところに匍匐前進してくるのがほほえましいです。

みんな可愛いです・・・・・どの子も本当に可愛いです!!


HOLLY SMOKE




英語でホーリースモークといったらアレですよね、でもお店は70年代のサーフカルチャーを中心に品ぞろえされた真面目なお店です。

このお店が港北ニュータウンにあったころ、CPOジャケット(これ分かる人アメカジにハマった事のある人です)を買いました。

思えば人生初めてのCPOジャケットは高校2年生の頃、上野の中田商店で購入したものです。

確かアメリカの陸軍の制服と一緒に購入しました。中村正竣に憧れていましたから(笑)

そうそう、このお店は青葉台に移転し、さらにここ荏田に移ってきたとのことでした。

店内には70年代のアメカジやビンテージのボードが並んでいます。ウエットもクラシックスタイルで少し長めのタッパーが良い感じです。2ミリも着やすくて好みです。

先般、MB横浜のT氏とも話したのですが、カーボンボードは軽過ぎて小さな波でトリムしずらいというのです。確かに私の持っていたサーフボードハワイの9.1や、今気に行っているジョエルチューダーの9.4、ボブオルソンの10の中で、ボブオルソンはあの大きさでボランクロスをしっかり巻いているので重すぎます(笑)が、ジョエルチューダーもしっかりした重量があります。

ある程度の重さと適度な厚さが好みのようです。

このお店にあるレアなボードも魅力的ですが、やや薄く少し好みとは離れます。また覗いて見ることにします。

ただしこのお店に来るとき、スポーツカーはまずいです。店の前の段差で擦りそうになります。

今度はゲレンデで来ることにします。


秋用のワックス2点お買い上げ、しめて540円也!!





元競馬 宮川

豚ちゃん貯金でのランチはスタッフの要望で、元競馬の宮川に決定です。

スタッフのA女史に弊社の管理案件を見てもらうことも出来一石二鳥です。

なのに今日に限って911で来てしまいました。やっぱ、911に3人はおかしな感じです。

うな重はどれも同じ鰻で大きさのみの違いのようです。

一番大きい3100円を頼みました。予約を入れてなかったらあぶなかったです。店内は地元の人と思しき方々で一杯です。

胆焼きは2本のみあったのでこれもオーダーしました。


胆焼きは硬すぎず美味しい!! 胆汁も生臭くなく美味しい!!

タレも江戸前の辛たれで美味しい!!

残念ながらかんじんの鰻がふっくらしていません。残念!!

帰りに芸能人G氏の真っ黒な家とてっきりテレビから姿を消してしまったHさん(奥さんはMIさん)の家をチラリと見ながら帰ってきました。

2011年9月29日木曜日

祝退院 冠動脈塞栓術

肝機能の問題で外科的切除術を選択できず、冠動脈塞栓術にて入院していたお客様が無事退院されました。門脈近くの癌に手古摺ったということなので心配していましたが、1週間後のCTで2個の腫瘍は確認されず、無事に退院の運びとなりました。

肝臓癌はまだよくその基序が分かっていない癌の中でも比較的はっきりしているもののようです。さらにいくつかの治療法も確立され、患者のQOLを考えながら選べ、日本は世界でもトップクラスの成績を修めているようですのでこの国に生まれた事に感謝しなければいけないかもしれません。

抗癌剤の副作用も、開腹によるリハビリも必要なく、翌日から起きあがって好きなものが食べられるのもこの術法のメリットです。

冨士山のミネラルウォーターで5人で乾杯です!!

EGG BENEDICT ニューヨーク

747は高度を徐々に下げながらシラキュースの上空を通過していた。

このあたりはニューヨークにとっての分水嶺にあたる地域だとラジオで聞いたことがあった。

英語で分水嶺はwatershedという。山に落ちた雨水が峯のこちら側と反対側とでは別の場所に流れ込む。

ヨシヒコは北関東の地方都市で育った。ここでは川の水はすべて南へ流れて行く。

隣の信州に行った時に川の水が北へ向かって流れて行くのを見て、不思議な感覚を覚えた。不思議な感覚と言うより、ヨシヒコにとっての意心地の悪さだった。

ニューヨークには空港が3つある。ラガーディア、ニューアーク、そして今回ヨシヒコが降り立つジョン・F・ケネディ空港だ。

この空港は出来てから大分時間が立っている。荷物を吐き出すターンテーブルもどことなくぎこちなく古びた音を出していた。

ヨシヒコは機内に持ち込んだディパックを左肩に掛け直し、紺色のスーツケースをターンテーブルからもぎ取るようにして運び出した。

外は小雨が降っていた。

ヨシヒコは自らトランクにスーツケースを押しこみ、映画やドラマに出てくるイエローキャブに乗り込んだ。

その車はリンカーンの古いモデルだった。運転手はインド人だった。車内にはわずかに香辛料の匂いが漂っていた。

車は途中、渋滞に巻き込まれながらも順調にブルックリンブリッジを通過していった。

橋の袂には外見は古びているけれどもよくみるととても豪華な建物が建っていた。上階のペントハウスは開け放たれ、庭のオリーブとウイキョウが秋の日差しを受けながらそよいでいる。

車は南に進み、ヨシヒコが予約してあるホテルに止まった。

ホテルはニューヨークではとても有名なホテルで、ヨシヒコが航空券を予約する時に旅行会社に薦められたホテルだった。

ヨシヒコはタクシー代を払い、チップの額に不服そうな運転手を無視してロビーに進んでいった。

ホテルのロビーは緑色の大理石を壁や床に配した室礼で、人を圧倒するようだった。ヨシヒコはこういった様式をネオゴシック様式と言うのだと何かの本で読んだことを思い出した。

ロービーに予約の名前を告げると、背の高い男性が別の場所でチェックインするように指示された。

その場所はロビーの反対側にあり、バスや団体専用のチェックインカウンターだった。ヨシヒコはついた早々体よく、人種差別を受けたのだ。

しかし、ヨシヒコは英語で反駁する体力はなかった。長旅の疲れで、一刻も早く熱いシャワーを浴びてベッドにもぐりこみたい衝動にかられていたからだ。

部屋はタワーの上階に位置して、窓から建物の間にセントラルパークの緑がかろうじて見られる部屋だった。

ヨシヒコはこの部屋で350ドルは高いと思ったが、もともと今回の飛行機代も宿泊費も自分が出した訳ではなかったので、そのまま胸にしまいこんでしまった。

翌日、目が覚めるとヨシヒコは空腹に苛まれた。ヨシヒコは身繕いを早々に済ませサキソニーの紺色のジャケットを羽織り、ダイニングに降りて行った。

ホテルのダイニングは多くのビジネスマンと思しき人達が朝食を取っていた。

友人とわいわい話しながら賑やかに朝食を取る人達、一人静かに新聞を片手にコーヒーカップを口に運ぶ人たち・・・・・・・様々な人達で溢れかえっていた。

ヨシヒコは入口から一番離れた席に座り、メニューを見回した。

ヨシヒコは汐留のホテルで叔父に一度、エッグベネディクトなるものをご馳走になったことがあった。ヨシヒコ一人ではとても入れない高級ホテルだった。

そのときにエッグベネディクトはヨシヒコが今泊っているニューヨークのホテルが発祥地で、常連客で食欲のない人に供したのが始まりだと聞いたことがあった。

ヨシヒコはその料理とコーヒーを注文した。ヨシヒコは注文してから、食欲が無いわけでもなく、足らなかったらどうしようとふいに考えたが、ホテルの斜め前にあったコーシャフードの屋台の事が頭によぎり、注文はそのままにした。

2杯目のコーヒーを飲み始める頃に、その料理は運ばれてきた。

東京で食べたそれより2倍以上大きいそれは存在感を放っていた。

卵は半熟で、ソースの酸味が感じられる。何分、パンの大きさが違うのだ。

付け合わせのポテトの量も多く、ヨシヒコはそのひと皿で満腹になった。

はっきりいって味は東京で食べたそれの方が美味しかった。ヨシヒコは世界で一番美味しいものを食べたいなら、東京からでないことだと言っていた事を思い出して、一人で可笑しくなった。

ヨシヒコは3杯目のコーヒーを半分残し、席を立ち、脇に新聞を挟み日差しの長くなった秋のニューヨークを歩きだしていった。









LITTLE BROTHER

知り合いの大家さんがいます。とても人のよい方なのですが、見栄っ張りがいけません。

結構お年寄りで自分をインテリと思っている人にこの手の人を多く見かけます。

自社ビルの一番良いフロアーを30年近く自分の会社で使っています。社員の人数や仕事の中身からすればそんな広い事務所は全く必要ありません。もしずっと前にそのことに気づいていたら、お金に窮することもなく、億単位の差になっていたことは今ではとても申し上げられません。

今回、やっとそのことに気づいたのかなと少しほっとしましたが、やはり見栄と自己への甘さで元の木阿弥ということになりそうです。

こういった人達にはリトルブラザーが住んでいるのです。そうです。村上春樹氏が1Q84で描いたあれです。今回もこのリトルブラザーがお出ましになったようです。

3年間固定式の駐車場でなく、時間駐車場を利用し、その結果ではありますが、車にいたずらされたり、ぶつけられたりしたのか、何故敢えてその方法を私が取ったのかこの人たちには決して理解していただけないでしょう。

物事には出来てもやらない事が必要なのです・・・・

立って半畳、寝て一畳、断捨離の精神で、50歳を過ぎたら物に拘らず、リリースすることを心掛ける・・・・美味しいものはみんなで別けて食べる・・・・・そうすると楽なんだけどな・・・・・・リトルブラザーもすぐ退散するのに・・・・こんな簡単なことが・・・・残念ですが仕方ありません・・・・・

おそらく一生理解されることはないのでしょう・・・・・・・