私がブログほ始めたのが2008年の8月28日です。今年の8月28日で丸4年になります。
当初はブログもプライベートな日記のような感覚で毎日起きた出来事や、自分がハッと思ったようなことをつれづれに書いていましたが、フェイスブックを始めるようになって毎日の記録のようなものはフェイスブックに載せて友達と情報を共有し、もう少しまとまってアーカイブスにするようなトピックをブログに載せるようにしたので、ブログの更新はスピードダウンしたことは歪めません。
ブログを始めた2008年の8月は私の尊敬するT先輩が癌の告知を受けた月です。
I先輩、M先輩、一つ下のT氏と病院にお見舞いに行ったことを覚えています。
先輩の癌はたちが悪く、S字結腸の上部にありほとんど自覚症状の無いまま進行していました。
さらに癌の原発叢は切除しましたが、リンパ節、さらに肝臓にも転移していました。
先輩の子供はまだ幼い女の子がいたのでなんとか直したいと厳しい治療にも立ち向かいました。
私も色々な事を相談され、当人より民間療法(実績のはっきりしない)まで持ち出されました。これには困りました。
癌の大きさや数進行度合いによって手術が出来るものと出来ないものがありました。たかだか4年前なのに今承認されている分子治療薬もまだ使えず、一般的抗癌剤の投与しか残された道はありませんでした。
何とか方法はないものか数人の専門家に聞いては見たのですが、そこは特効薬などあろうきずはなく、逆に医療ショッピングに走ることへの警鐘も教えられました。
当時はその意味(真の意味)を理解する事は出来ず、反発を覚えたのですが、今になって考えれば一線で治療に従事している人が知らないはずはないのです。皆が出来る限りの方法を最善でやっているのですから、その事をもっと考えるべきだったのです。
先輩はその翌年逝去されました。亨年52歳でした。早すぎる死でした。
医療は万能ではありません。まだまだ分からないことが多く、日々進化しています。しかし、一方でその行為は人が行います。医療ショッピングはもっとも嫌悪される行為ですが、同時に医療についてのリテラシーも必要だと思うのです。
近くの整形外科で加齢による膝間接の痛みと診断されていた妻は大学病院に行って、膝関節も筋も問題ありません。もし問題があるとすると筋肉が何らかの損傷を受けたことしか考えられませんと言われたというのです。今まで膝に注射してきたヒアルロン酸も何でもない所に刺激を与えるだけで何ら効能はないとも言われたのです。そういえば筋肉の損傷からの回復は大体3カ月掛ります。妻は昨日も鎌倉を歩いて痛みが出なかったといいます。ちょうど3カ月・・・・なるほど・・・・・・・
妻はもっぱら溜まった洗濯物の息子の大きすぎる白衣にアイロンをせっせとかけています。
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2012年5月25日金曜日
陶磁器と私
父親の職業が「窯業」というのが気にいらなくて二十歳を過ぎるころまで、陶磁器や焼き物の類には手を触れることさえ嫌だった。
十数年前、知り合いが猿楽町の一軒家を改築してニューヨークの「FISH EDDY」というテーブルウェアのお店を始めた。どれもポップでニューヨークらしい食器だった。残念ながら親会社の負債のため閉店を余儀なくされたが良いお店だった。これがその一部。
しかしながら知らない間に色々な陶磁器を見ていたようだ。昨年、リックのパパに勧められ初めて訪れた大阪の東洋陶磁美術館もすんなり見ることが出来た。京都の楽美術館もしかり、埋め込められたDNAのせいであろうかこのところ陶磁器に目が行く。
父親は私が幼い頃に全国の窯元を渡り歩いた。益子にもよく連れて行かれた。河井寛次郎氏にも会っていた。バーナードリーチ先生から褒められたというのが自慢だった。父の最終的目標は足尾の拘泥をなんとか製品化し、公害の種をなくしたいというものだったようだ・・・夢は叶わぬままだった。
建築の世界では私はコルビジェが好きだ。バウハウスに代表されるシンプルな建築が好きだ。西海岸のCSHをみたときも衝撃を覚えた。真っ青なLAの空とされを切り抜く建物、素晴らしかった。
個人的にはライトより彼と袂を別けたシンドラーや彼に招へいされたノイトラが好きだ。
弊社の小さな建物を普請したときにノイトラのサインを要望したが出来あがったものは別物だった。だが文句は言わない。
器は料理を入れてなんぼだと思う。使えなかったら意味は無い。妻が肉じゃがを入れたのも正解。
その点では北大路魯山人や白洲正子の感覚が好きだ。
数年前、波佐見に行った。長崎に今も残る父の建築を訪ねて。その波佐見にある白山陶器は私が好きな窯元である。よくみかけるなんでもない白い醤油さしを作っているところだ。
同じような窯元が西海岸にもある。ヒースセラミックスだ。街道沿いのダイナーや食堂で出される何の変哲もないポテッとしたお皿である。
今検討中のライフスタイルショップで扱おうと思っている。青磁のような海を感じさせる色合いのソルト&ペッパー、シュガーポット・・・自分で欲しいものじゃなければ扱わない・・・・
ノイトラのタイルは個人的にものすごく欲しい・・・・・・・・
好きなものに囲まれているのはなんとも愉快ではないか・・・・
十数年前、知り合いが猿楽町の一軒家を改築してニューヨークの「FISH EDDY」というテーブルウェアのお店を始めた。どれもポップでニューヨークらしい食器だった。残念ながら親会社の負債のため閉店を余儀なくされたが良いお店だった。これがその一部。
しかしながら知らない間に色々な陶磁器を見ていたようだ。昨年、リックのパパに勧められ初めて訪れた大阪の東洋陶磁美術館もすんなり見ることが出来た。京都の楽美術館もしかり、埋め込められたDNAのせいであろうかこのところ陶磁器に目が行く。
父親は私が幼い頃に全国の窯元を渡り歩いた。益子にもよく連れて行かれた。河井寛次郎氏にも会っていた。バーナードリーチ先生から褒められたというのが自慢だった。父の最終的目標は足尾の拘泥をなんとか製品化し、公害の種をなくしたいというものだったようだ・・・夢は叶わぬままだった。
建築の世界では私はコルビジェが好きだ。バウハウスに代表されるシンプルな建築が好きだ。西海岸のCSHをみたときも衝撃を覚えた。真っ青なLAの空とされを切り抜く建物、素晴らしかった。
個人的にはライトより彼と袂を別けたシンドラーや彼に招へいされたノイトラが好きだ。
弊社の小さな建物を普請したときにノイトラのサインを要望したが出来あがったものは別物だった。だが文句は言わない。
器は料理を入れてなんぼだと思う。使えなかったら意味は無い。妻が肉じゃがを入れたのも正解。
その点では北大路魯山人や白洲正子の感覚が好きだ。
数年前、波佐見に行った。長崎に今も残る父の建築を訪ねて。その波佐見にある白山陶器は私が好きな窯元である。よくみかけるなんでもない白い醤油さしを作っているところだ。
同じような窯元が西海岸にもある。ヒースセラミックスだ。街道沿いのダイナーや食堂で出される何の変哲もないポテッとしたお皿である。
今検討中のライフスタイルショップで扱おうと思っている。青磁のような海を感じさせる色合いのソルト&ペッパー、シュガーポット・・・自分で欲しいものじゃなければ扱わない・・・・
ノイトラのタイルは個人的にものすごく欲しい・・・・・・・・
好きなものに囲まれているのはなんとも愉快ではないか・・・・
2012年5月24日木曜日
石を見つける リテラシーの話
ブログはそうでもないのだけど、フェイスブックやツィッターをやっている人からはこんな危ない事があったとか、こんな危険な情報が平然と流れていると言った類の話が多く目にとまります。
当然、フェイスブックはオープンで原則実名です。悪用しようと思えば出来るでしょう。
ただ、私の仕事は長年、書類から事実を見分けることが要求されるのです。自慢ではありませんが1件を除いて、禍根なく20年続けています。唯一の一件は書類に書かれている事は全て真実で嘘が無く、提出した人も本人だったのに第三者が入居してきたという例です。これとて経験で今では判別できるようになりました。
しかしながら一般の人にこの経験を会得するには時間も掛るでしょうし、機会も少ないと思います。
そこで今日、糸井重里さんのブログにとても良いは記事が掲載されていましたので以下引用させていただきました。是非、それ以外にもイトイさんの慧眼ある言葉が掲載されていますので興味の方はブログに足を運んで観て下さい(指を運ぶ???)
***************************************************
・早野龍五さんが、霞が関での勉強会で、
「ツイッターに集まる玉石混交の情報を、
どう判断して選別するか?」という質問に、
「石を見ることが大事。
石を知らないとリスクコミュニケーションはできない」
と答えたと知りました。
なるほどなぁ、と思いました。
さまざまな危機のなかで、
ウソだのデマだのまちがいだのも、
事実や真実のように流通します。
しかし、どこかにウソやデマであるという点が、
見つけられるはずです。
それは、善意から出発して発せられたものでも、
善意のなかで流通していくものでも同じことです。
「ああ、これはデマなのか」と知ることが、
選んではいけない方向に
じぶんが進んでしまうことから、身を守れます。
これが、「石を見ることが大事」という意味でしょう。
ぼく自身が、二年間ツイッターをやってきて、
自然にやっている情報の選別が、
早野さんの語っている、この方法だったと思います。
ほんとうは価値のない、信じては危ない情報のほうが、
ハデだったり驚きがあったりね、スキャンダラスです。
そういう情報を目にした場合、
「たいへんだ!」とすぐに騒ぎ出すのではなく、
「ほんとかな?」といったん立ち止まって、
じっと見ることが大事だと思うのです。
幽霊を見たと思ったら、正体は枯れ尾花だったりします。
でも、それは、じっと見たからわかったことですよね。
「まさか!」という情報のほうが、人の興味を引きます。
でも、その「まさか!」が成り立つためには、
そうとうにたくさんの条件が必要になるはずですよ。
じっと見ると、おかしいところがかなり見えてきます。
ぼくは、ほとんどの問題にシロウトなので、
これが正しいと断言できるようなことは少ないのですが、
その情報は「石」だな、ということだけ判断しています。
「ほんとかな?」程度の勉強は、
シロウトでもできるから、そうしているだけです。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
新緑がきれいだ‥‥とか言ってると、梅雨がくるんだよな。
http://www.1101.com/home.html
当然、フェイスブックはオープンで原則実名です。悪用しようと思えば出来るでしょう。
ただ、私の仕事は長年、書類から事実を見分けることが要求されるのです。自慢ではありませんが1件を除いて、禍根なく20年続けています。唯一の一件は書類に書かれている事は全て真実で嘘が無く、提出した人も本人だったのに第三者が入居してきたという例です。これとて経験で今では判別できるようになりました。
しかしながら一般の人にこの経験を会得するには時間も掛るでしょうし、機会も少ないと思います。
そこで今日、糸井重里さんのブログにとても良いは記事が掲載されていましたので以下引用させていただきました。是非、それ以外にもイトイさんの慧眼ある言葉が掲載されていますので興味の方はブログに足を運んで観て下さい(指を運ぶ???)
***************************************************
・早野龍五さんが、霞が関での勉強会で、
「ツイッターに集まる玉石混交の情報を、
どう判断して選別するか?」という質問に、
「石を見ることが大事。
石を知らないとリスクコミュニケーションはできない」
と答えたと知りました。
なるほどなぁ、と思いました。
さまざまな危機のなかで、
ウソだのデマだのまちがいだのも、
事実や真実のように流通します。
しかし、どこかにウソやデマであるという点が、
見つけられるはずです。
それは、善意から出発して発せられたものでも、
善意のなかで流通していくものでも同じことです。
「ああ、これはデマなのか」と知ることが、
選んではいけない方向に
じぶんが進んでしまうことから、身を守れます。
これが、「石を見ることが大事」という意味でしょう。
ぼく自身が、二年間ツイッターをやってきて、
自然にやっている情報の選別が、
早野さんの語っている、この方法だったと思います。
ほんとうは価値のない、信じては危ない情報のほうが、
ハデだったり驚きがあったりね、スキャンダラスです。
そういう情報を目にした場合、
「たいへんだ!」とすぐに騒ぎ出すのではなく、
「ほんとかな?」といったん立ち止まって、
じっと見ることが大事だと思うのです。
幽霊を見たと思ったら、正体は枯れ尾花だったりします。
でも、それは、じっと見たからわかったことですよね。
「まさか!」という情報のほうが、人の興味を引きます。
でも、その「まさか!」が成り立つためには、
そうとうにたくさんの条件が必要になるはずですよ。
じっと見ると、おかしいところがかなり見えてきます。
ぼくは、ほとんどの問題にシロウトなので、
これが正しいと断言できるようなことは少ないのですが、
その情報は「石」だな、ということだけ判断しています。
「ほんとかな?」程度の勉強は、
シロウトでもできるから、そうしているだけです。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
新緑がきれいだ‥‥とか言ってると、梅雨がくるんだよな。
http://www.1101.com/home.html
気になる人 堤 幸彦
映画の取り方には無数の方法があると思う。ストーリーを大切にして人物の心の様子を丁寧に描く方法、時間軸を基準にパラレルワールドを対比させる方法など手法は星の数ほどあろう。
私はこのところ堤幸彦監督の映画をよく観ている。漫画ではまった「20世紀少年」、テレビでお馴染の「TRICK」さらに藤田誠主演でB級戦犯で唯一死刑になった岡田准将の「明日への遺言」などそのどれもが堤氏の作品だ。
堤氏の出所は大学卒業後、専門学校で映像を習い、テレビ局に入社し数々のテレビを制作してきた。
そして最近になって映画のメガホンを取ることが多くなったと聞く。
先日「SPEC」観た。私はストーリーの展開が写真で切り取られた画像の連続のような気がした。
バルトの言葉を借りるまでもなく、日本は記号の国だ。彼はその記号をうまく利用しているのだ。
とある道路工事現場の画面に大きな看板が立てられている。実際に住宅街の郊外都市にある奇妙なこの看板を私も観たことがある。
そして並列してある看板も首都高に忽然と掲げられすぐに撤去された熱海の某旅館の看板・・・みごとに都界に存在する記号を違和感を映像の下敷きにしている。
何かの感覚に似ている・・・・そうだ、村上春樹氏が描くそれに似ているではないか・・・首都高3号線の西日の部屋、ベランダに出されたゴムの木・・・・どこにでもありそうで奇妙な景色だ・・・・
都界のラビリンスは存在する。少なくとも私はそう思う。映像は切り取られそれぞれバラバラにされ再構築される・・・・まだまだ堤氏から目が離せない・・・・・
私はこのところ堤幸彦監督の映画をよく観ている。漫画ではまった「20世紀少年」、テレビでお馴染の「TRICK」さらに藤田誠主演でB級戦犯で唯一死刑になった岡田准将の「明日への遺言」などそのどれもが堤氏の作品だ。
堤氏の出所は大学卒業後、専門学校で映像を習い、テレビ局に入社し数々のテレビを制作してきた。
そして最近になって映画のメガホンを取ることが多くなったと聞く。
先日「SPEC」観た。私はストーリーの展開が写真で切り取られた画像の連続のような気がした。
バルトの言葉を借りるまでもなく、日本は記号の国だ。彼はその記号をうまく利用しているのだ。
とある道路工事現場の画面に大きな看板が立てられている。実際に住宅街の郊外都市にある奇妙なこの看板を私も観たことがある。
そして並列してある看板も首都高に忽然と掲げられすぐに撤去された熱海の某旅館の看板・・・みごとに都界に存在する記号を違和感を映像の下敷きにしている。
何かの感覚に似ている・・・・そうだ、村上春樹氏が描くそれに似ているではないか・・・首都高3号線の西日の部屋、ベランダに出されたゴムの木・・・・どこにでもありそうで奇妙な景色だ・・・・
都界のラビリンスは存在する。少なくとも私はそう思う。映像は切り取られそれぞれバラバラにされ再構築される・・・・まだまだ堤氏から目が離せない・・・・・
2012年5月22日火曜日
庄司 薫
高校生の頃の愛読書と言えば庄司薫だった。仲のよい親友数人と彼の本を読んでその場面を共有していた。
田舎者の高校生は当時の東京での大学生の華やかな生活と政治や思想についての友人たちとのあけっぴろげの議論に憧れを抱いていたのかもしれない。
庄司薫は丸山眞男の最後の生徒だろう、彼は当時大学生で小説を書いていた。当時文Ⅱ(今の文Ⅲ)に入学するも成績優秀で文Ⅰに転部した。私は彼がかっこいいと思った。
デビュー当時、武田泰淳氏らには評価されるも、三島由紀夫には疑念を持たれる。しかし、最後には三島も認めた。
彼の作品がサリンジャーと似ているといわれることがある。あの独特の口語表現である。
私達にはそんなことはどうでもよかった、私達の近い目線で世の中を切り取っていた。
東大には行くことも志望校として書くことも憚られたが、憧れは強かった。同じ空気を吸いたかったからだ。
私達の頃には学生運動は下火になり、私立のいくつかの大学で辛うじてプラカードが残る有様だった。
丸山眞男に直接会っていた、Rパパから当時の雰囲気を聞く、羨ましい限りだ。
私達の頭上を学生運動という大きなエネルギーの通過した後の何にもないキャンパスで大学生活を送った。
後年、庄司薫が美人ピアニストと結婚した。やるな、と思った。
その後バブルで借金は膨れ、株や投資で大失敗をしたと聞く、普通なら破産していてもおかしくない。しかし、それも完済したと聞く・・・これもかっこいいではないか・・・・
いつまでも私達、昭和の青春のヒーローなのだ・・・
田舎者の高校生は当時の東京での大学生の華やかな生活と政治や思想についての友人たちとのあけっぴろげの議論に憧れを抱いていたのかもしれない。
庄司薫は丸山眞男の最後の生徒だろう、彼は当時大学生で小説を書いていた。当時文Ⅱ(今の文Ⅲ)に入学するも成績優秀で文Ⅰに転部した。私は彼がかっこいいと思った。
デビュー当時、武田泰淳氏らには評価されるも、三島由紀夫には疑念を持たれる。しかし、最後には三島も認めた。
彼の作品がサリンジャーと似ているといわれることがある。あの独特の口語表現である。
私達にはそんなことはどうでもよかった、私達の近い目線で世の中を切り取っていた。
東大には行くことも志望校として書くことも憚られたが、憧れは強かった。同じ空気を吸いたかったからだ。
私達の頃には学生運動は下火になり、私立のいくつかの大学で辛うじてプラカードが残る有様だった。
丸山眞男に直接会っていた、Rパパから当時の雰囲気を聞く、羨ましい限りだ。
私達の頭上を学生運動という大きなエネルギーの通過した後の何にもないキャンパスで大学生活を送った。
後年、庄司薫が美人ピアニストと結婚した。やるな、と思った。
その後バブルで借金は膨れ、株や投資で大失敗をしたと聞く、普通なら破産していてもおかしくない。しかし、それも完済したと聞く・・・これもかっこいいではないか・・・・
いつまでも私達、昭和の青春のヒーローなのだ・・・
器用貧乏
「私は人に何でもしてあげるのだけど、いい事はないのよ、こういうの器用貧乏というのかしらん」
という人を見かける。それは間違い器用貧乏でも何でもありませんから。
私の仕事は江戸の頃よりサービス業です。そう家守の仕事というはサービス業なのです。
物を作る仕事でも、物を販売する仕事でもありません。
若い頃は、日本人と言うのはサービスの対価として何故お金を払いたがらないのかと前述の女性同様に憤っておりました。
それから数十年がたって今思うのは、自分がその時に行ったサービスというのはどこか打算的で、もちろん対価がその先に見え隠れするような薄っぺらいサービスだったのです。
我々は物を頼む以上、プロには対価を支払うのは当然のことです。しかしながら、今の私には無償の仕事こそが一番大切な仕事だと思っているのです。
先般も弊社のスタッフがある依頼に、その将来性が見込めないという理由で尻ごみをしていました。私はその縁が良い縁であるならば何故引き受けないのかと伝えました。
弊社にとってマイナスはないのですからプラスばかり追いかけても仕方ないことです。それより縁を大切に人から感謝される仕事をするべきなのです。
我々の業界は何かと言えばすぐ手数料を言いたがります。サービス業の対価というのは相手が満足してくれなければ頂戴出来ないのです。相手に満足してもらう仕事をどれだけしたかがその仕事ぶりということになります。
お金は後から付いてくるの例えはこのことです。
閑話休題
ここ数年お願いしていた植木屋さんを今年は辞めて、叔父に切ってもらいました。
実はここ数年の植木屋さんの仕事ぶりはまずく花芽は切るし、生垣の中は空かないので風通しが悪く、出来上がりの見栄えだけを意識したものだったので、いつかは変わるだろうと思っていましたが結局変わりませんでした。
こうみえても私は気の長い方で、相手が変わるのを待つこともあります。しかし、シグナルを送っても一向に変わらない場合には仕方ありません。契約を終了します。何故なら、自分たちと価値が共有できない人をいつまでもこちら側に留めておくことはその人達にとっても、私達にとっても無駄な事だからです。私はこうなると早いものです。
もし自分は要領がよいと思っているならご注意あれ。要領のよさなどこの世の中でこれっぽっちも価値はありませんから。器用なのは指先なら分かりますが、生き方が器用では信用がなりません・・・
という人を見かける。それは間違い器用貧乏でも何でもありませんから。
私の仕事は江戸の頃よりサービス業です。そう家守の仕事というはサービス業なのです。
物を作る仕事でも、物を販売する仕事でもありません。
若い頃は、日本人と言うのはサービスの対価として何故お金を払いたがらないのかと前述の女性同様に憤っておりました。
それから数十年がたって今思うのは、自分がその時に行ったサービスというのはどこか打算的で、もちろん対価がその先に見え隠れするような薄っぺらいサービスだったのです。
我々は物を頼む以上、プロには対価を支払うのは当然のことです。しかしながら、今の私には無償の仕事こそが一番大切な仕事だと思っているのです。
先般も弊社のスタッフがある依頼に、その将来性が見込めないという理由で尻ごみをしていました。私はその縁が良い縁であるならば何故引き受けないのかと伝えました。
弊社にとってマイナスはないのですからプラスばかり追いかけても仕方ないことです。それより縁を大切に人から感謝される仕事をするべきなのです。
我々の業界は何かと言えばすぐ手数料を言いたがります。サービス業の対価というのは相手が満足してくれなければ頂戴出来ないのです。相手に満足してもらう仕事をどれだけしたかがその仕事ぶりということになります。
お金は後から付いてくるの例えはこのことです。
閑話休題
ここ数年お願いしていた植木屋さんを今年は辞めて、叔父に切ってもらいました。
実はここ数年の植木屋さんの仕事ぶりはまずく花芽は切るし、生垣の中は空かないので風通しが悪く、出来上がりの見栄えだけを意識したものだったので、いつかは変わるだろうと思っていましたが結局変わりませんでした。
こうみえても私は気の長い方で、相手が変わるのを待つこともあります。しかし、シグナルを送っても一向に変わらない場合には仕方ありません。契約を終了します。何故なら、自分たちと価値が共有できない人をいつまでもこちら側に留めておくことはその人達にとっても、私達にとっても無駄な事だからです。私はこうなると早いものです。
もし自分は要領がよいと思っているならご注意あれ。要領のよさなどこの世の中でこれっぽっちも価値はありませんから。器用なのは指先なら分かりますが、生き方が器用では信用がなりません・・・
2012年5月21日月曜日
「天衣無縫」「弊衣破帽」
人生は毎日が取捨選択の連続だけれど、大きな転機と言うものがある。
結婚と言うのは縁、上手くいく場合もあれば、上手くいかない場合もある。
それぞれの人によってその価値観は違うし、ましてや他人が一つ屋根の下に暮らすのだから色々な齟齬が生じてもいたしかたない。もちろん、それに耐えきれず別れる場合もあるだろうし、ずっと我慢して風船がはじけたように熟年離婚に至る場合もあるだろうし、最後までお付き合いいただける場合も多い。
私の場合には長女が生まれた時にひとつの転機が訪れた。
大学を卒業し、教員になる道を捨て、いくつかの企業の内定ももらい、自分で企業を選び入社した。
入社して、そのシステムに驚いたのだ。モラトリアムだった大学生が社会の荒波にもまれたというのとも少し違う。私が入社した企業はひとりのカリスマ経営者によって全てが決められていた。そのカリスマ性群を抜き、はっきりいって若造の私はその素晴らしさと慧眼に魅せられていた。
ところがそのカリスマを取り巻くお偉方や直属の上司ときたら、少しでも自分を良く見せようと諂いおべんちゃらを言い、あまねく上の優しく下に厳しいイエスマンだった。
同期も全部ではないが、自分の出世と少しでも高い人事評価のため、仲間を蹴落とすような功利的人間もいた。
私はそんなやり場のない憤りをストレスとして抱え込んでいた時に事件が起きた。私は体良く、地方に左遷された。そんな私の事を同期のほとんどは冷ややかな目で見送った。
ところが捨てる神あれば拾う神あり、私達よりひとつ上の先輩達は初めての学卒採用(4年生大学卒業者)の採用で、男性の縁故採用はない。本当に優秀な人たちだった。私はそこで数人の先輩たちにとても可愛がられた。
そんな時に長女の誕生である。東京と地方に切り離され、長女が生まれて帰りの新幹線で涙した事を覚えている。
暫くして帰省していた妻と長女が戻ってきた。そんな長女を見ながら自分のこれからの背骨になるような言葉を見つけた。「天衣無縫」ごぞんじのように、天女の衣に縫い目がない意から、詩文が自然でいて巧みなことや、純真で無邪気な人柄を言うのだが、中々その様になるには難しいし時間もかかろう。ならば「弊衣破帽」はどうであろう。バンカラとは意味合いが違う。どちらかという「騎士道の精神」に近いものかもしれない。服はボロボロ帽子も破れたような体裁でも、社会のためにならないこと、周りを傷つけるような事はせず、例え99人が反対してもその事が正しいと思えば正しいと言う人間になりたいと考えた。
すると目の前に掛っていた霧は晴れ、視界が良くなった。私は1年後に会社を辞めたのである。
今でも私が窮地に合った時(今考えると窮地でもなんでもない小さな事)に可愛がってくれた先輩達の多くは要職に就き、会社を経営陣として運営している。あの人たちの能力なら当然の結果だと思う。ただ、その中で特に可愛がってくれた先輩が数年前に他界した。とても残念だった。
子育ては神様から親に与えられたプレゼントだと思う。もちろん期間限定のプレゼントである。
生まれたときから子供が社会に出るまでが親業の期間である。親はその事を通じて、様々な価値観の人と出会う。それを咀嚼するかしないかは本人の努力次第である。
結婚して子供がいない人もいる。総じていうつもりはないが、若々しい反面、賢慮=フロネティクスに欠けている人が多いような気がする。
子育てとは自分の価値観の前に子供がいる。いくら自分の価値観を通そうとしても子供がいるのである。つまり、弊衣破帽の心根であっても子供と言う制限によって、社会的、普遍的価値観と擦りあわされ昇華されるのである。これによって唯我独尊はだいぶ修正されるのではないか・・・
この歳になって、二人の子供が生まれた事に感謝する。君たちによって私はだいぶ成長する事が出来たのだから・・だいぶ・・ね・・・・
結婚と言うのは縁、上手くいく場合もあれば、上手くいかない場合もある。
それぞれの人によってその価値観は違うし、ましてや他人が一つ屋根の下に暮らすのだから色々な齟齬が生じてもいたしかたない。もちろん、それに耐えきれず別れる場合もあるだろうし、ずっと我慢して風船がはじけたように熟年離婚に至る場合もあるだろうし、最後までお付き合いいただける場合も多い。
私の場合には長女が生まれた時にひとつの転機が訪れた。
大学を卒業し、教員になる道を捨て、いくつかの企業の内定ももらい、自分で企業を選び入社した。
入社して、そのシステムに驚いたのだ。モラトリアムだった大学生が社会の荒波にもまれたというのとも少し違う。私が入社した企業はひとりのカリスマ経営者によって全てが決められていた。そのカリスマ性群を抜き、はっきりいって若造の私はその素晴らしさと慧眼に魅せられていた。
ところがそのカリスマを取り巻くお偉方や直属の上司ときたら、少しでも自分を良く見せようと諂いおべんちゃらを言い、あまねく上の優しく下に厳しいイエスマンだった。
同期も全部ではないが、自分の出世と少しでも高い人事評価のため、仲間を蹴落とすような功利的人間もいた。
私はそんなやり場のない憤りをストレスとして抱え込んでいた時に事件が起きた。私は体良く、地方に左遷された。そんな私の事を同期のほとんどは冷ややかな目で見送った。
ところが捨てる神あれば拾う神あり、私達よりひとつ上の先輩達は初めての学卒採用(4年生大学卒業者)の採用で、男性の縁故採用はない。本当に優秀な人たちだった。私はそこで数人の先輩たちにとても可愛がられた。
そんな時に長女の誕生である。東京と地方に切り離され、長女が生まれて帰りの新幹線で涙した事を覚えている。
暫くして帰省していた妻と長女が戻ってきた。そんな長女を見ながら自分のこれからの背骨になるような言葉を見つけた。「天衣無縫」ごぞんじのように、天女の衣に縫い目がない意から、詩文が自然でいて巧みなことや、純真で無邪気な人柄を言うのだが、中々その様になるには難しいし時間もかかろう。ならば「弊衣破帽」はどうであろう。バンカラとは意味合いが違う。どちらかという「騎士道の精神」に近いものかもしれない。服はボロボロ帽子も破れたような体裁でも、社会のためにならないこと、周りを傷つけるような事はせず、例え99人が反対してもその事が正しいと思えば正しいと言う人間になりたいと考えた。
すると目の前に掛っていた霧は晴れ、視界が良くなった。私は1年後に会社を辞めたのである。
今でも私が窮地に合った時(今考えると窮地でもなんでもない小さな事)に可愛がってくれた先輩達の多くは要職に就き、会社を経営陣として運営している。あの人たちの能力なら当然の結果だと思う。ただ、その中で特に可愛がってくれた先輩が数年前に他界した。とても残念だった。
子育ては神様から親に与えられたプレゼントだと思う。もちろん期間限定のプレゼントである。
生まれたときから子供が社会に出るまでが親業の期間である。親はその事を通じて、様々な価値観の人と出会う。それを咀嚼するかしないかは本人の努力次第である。
結婚して子供がいない人もいる。総じていうつもりはないが、若々しい反面、賢慮=フロネティクスに欠けている人が多いような気がする。
子育てとは自分の価値観の前に子供がいる。いくら自分の価値観を通そうとしても子供がいるのである。つまり、弊衣破帽の心根であっても子供と言う制限によって、社会的、普遍的価値観と擦りあわされ昇華されるのである。これによって唯我独尊はだいぶ修正されるのではないか・・・
この歳になって、二人の子供が生まれた事に感謝する。君たちによって私はだいぶ成長する事が出来たのだから・・だいぶ・・ね・・・・
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