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2012年7月24日火曜日

児島惟謙 ER

児島惟謙と言う人は大津事件で政府の関与を退け、司法の独立を守ったと言われるこの人なので知っている人も多いと思います。後には冤罪を押しつけられ辞する事になる訳ですが・・・

今日、この人の事を取り上げたのは欧州列強の仲間入りを果たしたいと思っていた当時の日本がこの人の公正さに助けられ、それらの国から一目置かれるようになった、つまり2等国から1.5等国に進んだ訳です。

それはそれは今と違う大日本帝国憲法のもとですから、政治や軍部の影響も強かったでしょう。それでも公正さにおいて、この人は司法を守った訳です。

そこへいくとどうでしょう、粉飾決算や飛ばしで一部上場企業さえあのような不祥事を起こして、外部監査の重要性が叫ばれている中、結果として圧力団体の「自由性」という都合のよい言葉で押し切られ、この事を徹底する折角の機会を逃したのです。

日本株全般が魅力なく映ったのでしょう。翌日株価は下がりました。

裁判用語に「証左」とい言葉があります。証拠とは少しニュアンスが違い、「そのように説明されるべき証となるもの」と言った意味です。

以前チームを組んで一緒に裁判をしているときに当方の弁護士が依頼者のひとつの言動に注意した事があります。折角、理論的に証拠を組み立てて、論戦を交えても、その一言が「証左」となり裁判官の心証が決まってしまうからです。

今の日本の企業も自分たちにとって都合良い行為がこの証左にならなければ良いと心配になってしまいます。

情報の開示とは都合のよい情報を並べるだけでなく、犯罪や犯罪に類似する行為を起こさないような工夫を開示するべきなのです。それがなければステークホルダーの信頼を勝ち得ることなど出来ません。画像はウィキペディアよりお借りしました。

2012年7月22日日曜日

休日の読書


とにかく本が溜まって仕方ない、されど本は読みたい・・・・・・・・本棚の整理をして読みたい本をさぐれど既に読んだ本には触手が伸びない・・・困ったもんだ。

しばらくして息子の部屋に行き、専門書の類で私が読んでも分かる(多少)本を物色するとこんな本が現れた。まず、ネーミングがいい。だって「ベットサイドの神経の診かた」だよ。
中にはドクターG宜しく総合診療についての項もある。これはずるい。

今日の自転車に乗れない鬱憤を晴らすかのように3.4時間読み漁った。中々楽しい、こんな事を授業でやるなんてずるいじゃないか。

すると、高校生の時、生物で唯一習ったメンデルの遺伝の法則が載っていた。そう常染色体優性遺伝、常染色体劣勢遺伝、伴性遺伝・・・・なるほと私でも分かる、例のXとYを使った組み合わせの事だ。もちろん本書は医学書なのでこれらの遺伝に関係の深そうな病名も羅列されている。

妻の父親は眼振だといっていた。強度ではないし、視力にも影響は無いので特段の治療の必要もない。息子も同じように軽度の眼振がある。同様に何ら治療の必要とするレベルではない。

しかし待てよ、以前妻から自分も眼科で眼振と言われたと聞いたことがある。

あれ何か変だな、そう眼振が遺伝性だとすれば伴性遺伝なので女性には現れないはずだ。とすると妻の場合には別の影響からくる眼振といことになる。

人間と言うものは人から聞いた事を確認せず思いこむ事が多い。バイアスである。私もすっかりそのバイアスに掛っていたということになる。

何事も確認、確認そして理論の整合性・・・・中々容易ではないが・・・・・・・・・・

2012年7月20日金曜日

日本の製造業

日本は「物作り大国」と少し前まで言われ続けていたが本当に物作り大国なのだろうか。

「銀輪の巨人」(台湾の自転車メーカージャイアント)という本には日本の自転車産業が如何にして衰退して言ったかが書かれている。

当初は台湾や中国などと嵩をくくっていた。しかし、蓋を開けてみると自転車作りのノウハウをすべて浚われて何一つ日本には残らなかった。

彼らは自転車は売ったがそれはママチャリを売る売り方で、収益性の高い高級車を売る売り方ではなかった。さらに業界が政治に働き掛けその下地を作ることもしなかった。

いまだに歩道を走る国は日本くらいなものなのだ。

白物家電といわれる製品だって同じではないか。韓国や中国の製品を馬鹿にして、「****工場生産」と液晶テレビの国産の優位性を謳ったところでもう遅い。

アメリカに行くとよく分かる。以前は高級ホテルに設置されている液晶テレビはほとんどが日本製だった。しかし、数年前に行った時にはほとんどサムスンに取って代わられていた。

自動車はまだ大丈夫と思っていまいか。

私はヒュンダイが日本から撤退すると聞いた時に、日本市場に合わなかったと指摘した専門家がいた。そんなはずはない。私は日本の市場を捨てたのだと思った。

案の定、ヨーロッパを主な戦場として現在ではもっともシェアの高い自動車メーカーのひとつに成長している。

GMだってそうだ。日本では売れてないからといって世界で売れてない訳ではない。事実、ブラジルでの販売は好調で大きな収益源となっている。

島国根性ゆえと総括してしまうのでは身も蓋もない。これらの製造業のトップの多くが国際的な感覚が乏しく、創業家の歴史を重んじる傾向にある。それゆえ、一度敷いた路線を変更する事を良しとしない。

「レクサスとオリーブの木」という本があった。南北格差を言い変えている訳だが、レクサスが製造業の成功の指標であったのだろうか。

H報堂が企画した当時のプロモーションはボンネットの上にシャンパンタワーをつくり、その上からシャンパンを注ぎ、エンジンをかけても零れないパフォーマンスで紙面をにぎわせたのだが、アメリカ人はそんな単純にレクサスを賛辞したとは思えない。

ある調査によると、レクサスを買った多くの人が人種的偏見を持たないことを心情としているとアンケートに出ていた。さらにレクサスの他に数台所有している人がほとんどで唯一無二の車ではない。

豪華客船の先端でのパフォーマンスが有名になった映画に出演していた某俳優もエコカーを買ったと出ていた。しかし、彼は「そうみえる」事を予想して買ったのである。

物が売れるには二つの側面がある。圧倒的に他との差異が生じ、市場に同様なものが無い場合と市場には同様の物があり、比較の中で購入される場合だ。

前者の場合はすぐに他者が真似るので独占できる期間は短く、最終的には後者の状態により均衡される。

私にはガラパゴス化と言われた日本の携帯電話同様、物作りの現場に置いて、ブランドにこだわり知らず知らずのうちにガラパゴス化しているものが多いような気がする。

カーナビ、ヘッドレストについた後席テレビ、クルーズコントロール・・欧州やブラジルの人に選ばせたらどれも要らないというだろう。エアコンさえいらないというのだから・・・・・


家族の再構築

以前にも親業について書いた事があるが、私達のような年齢になると家族とは何ぞやと考える事がある。

もともと他人の二人が結婚して新しい家庭をつくる。働き盛りの頃は子育てと仕事にふりまわされて、家族についてよくよく考えた事などない。何しろ、目一杯だからである。

ところが子供が社会に出て、一応の親業は第三段階を迎える。そして、いよいよ子供が家を出る時が来る。そう丁度今の私達のように。

以前、子供達の映ったアルバムを整理していた時に、妻が私に「このアルバムは私達の物、だから子供達は関係ないの」なるほど肝の据わった発言である。妻の事を見なおした。

ところが、娘の結婚が秒読みに入ると一転して、妻は動揺し精神的に不安定になってきた。

空の巣症候群という言葉がある。子供達が独立し突然の虚しさに襲われるというものである。

空の巣とは欠け落ちた状態を放置し、そのままでいようとするから起こるのだと思う。

家族とは一度築いたらそのまま永遠に変わらないものなのだろうか。

巷ではREの付く言葉がもてはやされている。REBUILD,REBORN、RECYCLE・・・・・・・・・

家族もまた再構築されなければならないのではないかと思う。

夫婦関係ももう一度見なおさなければならないのだろう。お互いの友達や親戚も含めて、今までとは違う関わり方をしなければならないかもしれないし、そのままで行くかもしれないが、状態が恒常的な訳ではない。

再構築とは壊れてから作り直すばかりではない。状態や要素が変われば再構築する必要があるかもしれない。

喪失は新たな変化と考えて、そうジャマイカの人は家族が亡くなると、お祝いをするそうだ。つまり、生まれてきた事に感謝する意味として。

子供は生まれただけでメッケモンなのである。あとは、親がそれ以上の欲をかいてはならないのだよ。

2012年7月18日水曜日

言葉の洪水

久々にソシュールやロランバルトの本を読んだ。この頃自分の使う言葉について何となく違和感を感じていた。もっともその最たるは気象庁が新たに取り入れた気象用語であり、その言葉を連呼するテレビのアナウンサーであった。

言葉は時代と共に変化するし、その文化に内在される差異性を含有する。言いかえれば一つの文化が他の文化に吸収、併合されれば言葉はその意味を失う。

近頃は言語論というものは大学で学ばないであろろうか。言葉を軽視するこの傾向はもはや止める手立てもないものなのだろうか。

政治家の使う言葉も貧相である。言葉から自己弁護と自己欲求の顕れが垣間見得る。国民にエクスキュースする自信の無さが言葉から伺われる。

バルトは日本は「記号の国と言っていた。これほど多くの記号が氾濫する国は珍しいらしい、いや待てよ私達はそれ故言葉を大切にしなくなったのか・・・・記号化された文脈で人々はお互いを認識しているそういうことなのか・・・・

いずれこの国の言葉どうなってしまうんだろう、AKBなんとかSTBなんとかとか全て記号化されていくのだろうか、子供の名前もAZB1なんて呼ぶ日が来ないとも限らない・・・

2012年7月17日火曜日

ギリシャ化する日本

昨日のデモでどのくらいの人が足を奪われて、大変な目にあったのだろう。休日とて働いている人はいるのだし、折角の行楽に出かけた家族連れは散々な目に会った事だと思う。

言っておきますが私は原発推進派ではありません。原発は無くなって新しいエネルギー政策に転換されるべきだと思うし、政治にそのインフラの整備を求めています。

私が言いたいのはあれだけ多くの人がきちんとした思想信条をもって参加しているのかという問題です。

私の知り合いは時給いくばくかのお金を受け取り組合から要請されて参加していた人もいます。

私は組合というものに懐疑的です。私が勤労奉仕していた某組合での経験から、組合が組合員から搾取する構図を良く見てきたからです。結局、ソビエトのそれが官僚社会的組合の自己保身と垂直性に他ならないのと同じ事です。

なんだかニュースを見ていて、ギリシャ国民が行っていたデモとオーバーラップします。

ギリシャの国民はあれだけ自国が衰退し、国際社会から非難を受けているにもかかわらず自分達の既得権益を守るために国民が「正しい」という唯一理念のため動き出す。

そうです、丸山眞男の言った「キヨキココロ」そのものです。

昨日のでも参加者の中には福島から参加した人もいて、マスコミは正義の味方とばかりこうした人を取り上げます。これが問題・・・テレビを見ている人は何も考えず自分の感情移入をしてしまう。

私達より先に生まれた多くの人はマルクスやレーニンを学びました。知識人といわれる多くの人がこの思想的影響を受けているのです。もちろん社会主義は泡沫と消えました。だから、だれしもがマルクス主義のようにならないことは理解しているのに体にしみ込んだ匂いのように何かが起こると現れてくる、いわばマルクスの亡霊のようなものを抱え込んでいるようです。

理論的と言われる人達も一たびこの亡霊にやられると感情的になり、「キヨキココロ」が発動されるのです。

壊し屋の異名をとり、新しい政党を作った人は理念も無く原発反対をうたっています。ポプュリズムとはこうした人達の事をいうのに、デモに参加した人たちはこの人たちに国政を任せるつもりなのでしょうか。

日米安保、沖縄の米軍基地、中国との領土問題、そして韓国との関係・・・我々は総合的に考えなければならない問題を多く抱えているのにマスコミはすぐに白黒つけたがります。

多くの問題はとても複雑で白黒付けられるようなものではないのに国民が単純化した理論を選んでいるようで私には末恐ろしくなるのです・・・・

2012年7月13日金曜日

責任を取らない大人達

久々の内田先生の本、この手の話題になると俄然、筆致が良くなって一気に読者を引きずり込む先生の本です。

私は大学の3年生の後期に突然何を思ったか教職を目指し、普通なら少し暇になる文系の学部で1.2年生に交じって学科を受講したのでありますが、その私が教職を諦めたのが何を隠そう教育委員会という代物でした。

高い希望と志しを持っていた若者にとってその得体のしれない組織はまるで形の無い「怪物」そのもので、若者の出脚をくじくのには十分すぎるものてした。

時は変わって現代、この教育委員と言う代物は当時よりさらに大きくなっているような気がします。

自殺した自治体の教育委員の口から聞こえるのは「私達は悪くない、私達は知らなかった」という無責任な発言ばかりです。


先生のこの本にもそんな責任を取らない大人達が登場します。

私の周りでも何かにつけて書面だの契約書だのと言う先達がおります。

弊社の顧問弁護士に言わせればどんなに細かく文章で取り決めをしても、守る気持が無ければ無意味だし、言葉の多すぎる契約書ほど浅はかさを感じると言っていた事を教えてあげたい位です。

しかしながら、こうした形式に頼る大人の多くは私に言わせれば「失格者」なのです。

物事の本質から遠ざかりわざと見ないようにしている輩なのです。

経済的な失格者もいれば、家庭の失格者、教育の失格者色々です。どれも共通するのは己が失格者と理解していないことです。

以前にも現代は自己愛過剰社会だと指摘した事があります。

私の周りにも不妊治療に悩む夫婦も多く、こうした人には酷なのですが、一般的に子供を育てるということはこの自己愛にブレーキをかけざるえません。結果、自己愛以上に大切なものを理解します。

こうしたことで大人が大人になっていくのではないかとも感じられます。

自己責任を取らない大人達の多くは自己愛過剰者です。そうした人しか組織に残れないようであれば先生の指摘するようにこの国も沈みゆく国なのです。

今真に必要なのは多様性と柔軟性です。硬直した日本社会に誰か鉄槌を加えてほしいと願うばかりです・・・・

閑話休題

NHKの番組でオリンパスの飛ばし問題を指南したと言われる人達が映っていました。彼らは自分たちの行為が悪かったなどと思っていません。逆にやりすぎたから逮捕されたんだと反省するどころか、居直っています。

しかし、顔が宜しくない。金の亡者は顔に現れるというがそのとおり。誰しもその形相でした。

私もまだ山一証券が健在だった頃、後輩に株を勧められお付き合いした事があります。

結果、損失を出したのですが、株は儲かる時もあれば損をする時もあるのだから自己責任です。後輩を恨んだことなどありません。ただ、悲しいのはその後その後輩が二度と私の所にやってくる事の無かった事と、そうした行為を当たり前として営業していたその会社そのものです。

娘の勤めている会社は社員に生徒を集めさせます。生徒が集まらないとその先生の責任となり社員から嘱託社員にさせられるような会社です。娘もその事は分かっていても性分からか無理に生徒を集めようとはしません。私はそれで良いとも思っています。

こうした会社が長続きする道理がありません。顧客ロイヤルティの究極の質問とは何だかご存じですか?それはその企業や製品を自分の一番親しい人に勧められるかというものなのです。

そんな企業勧められるわけがありませんから・・・・