今年のノーベル経済学賞はマッチング理論の構築と実践のアルビン・ロス教授とロイド・シャブレー名誉教授に授与されました。
ノーペル賞というものもはやりすたりがあるようで殊、この経済学賞に至っては2010年にもこのマッチング理論に関する研究者に与えられているのでまたかという印象です。
日本でもこのマッチング理論をもとにして大学の選択基準(入試の選抜方法と選考)などの研究もなされていて、アメリカでは実際に臓器移植の際のドナーとのマッチングにも応用されているそうです。
条件が複雑になり、選択の多様性が増す状態になればなるほど、どうやらこのマッチングは効果をあげるようです。ならば多様性の現代はこのマッチングが重要なキイワードとなることは明白です。
そもそもロイド・シャブレイ氏が安定結婚問題と称するマッチング理論を世に出したのが1969年ですから、この二人にとっては決して早すぎる受賞では無かった訳で、我々のような門外漢がとやかく言うのは控える事にします。
個人的には何故村上春樹氏が受賞しなかったのか、不思議で仕方ありません。ノーベル賞を取るも取らぬもほんの少しの違い、運とタイミングという気がしてなりません。
このブログを検索
2012年10月15日月曜日
ある家族のお話
皆さん、今になって娘は持つものじゃなかったと思います。こんなに辛いのは娘を持ったせいですから。
妻は生まれ来てくれただけでもう親に全ての恩を返しているといいますが、それを割り引いても本当に辛いものです。身を引き裂かれるというか、体の一部が無くなってしまったようなうつろな感覚です。もちろん娘の門出を祝福していない訳ではありません。
相手の男性にとやかく言う訳ではありません。でも、辛いのですよ。
妻がポロリと言った「家族は4人だよね」と言う一言が心に刺さります。ずっと4人で暮らせるはずはないのに、でも4人でいたいという思い。それは消し去る事は出来ません。
娘が生まれた時に私達は親になりました。それまで自分が中心だった世界が子供が生まれたときから優先順位がころっと入れ替わりました。辛いことも嬉しい事もこの4人で分けあってきました。全ての記憶に家族の姿がラップします。残像は厳しすぎる現実です。家の中には娘と暮らした27年の足跡があちこちにあります。柱の傷を見ても、娘の部屋を見ても娘が嫁いでいった事実を受け止めることなどまだ出来ません。
娘は結婚して自分の子供を持った時に、初めて親の気持ちを理解できるのでしょう。そして私達が味わっているこの深い悲しみもいつかは輪廻転生のごとく味わうことになるのです。私だって子離れや教育におけるキャッチ&リリースの重要さを理解しています。理解してはいるけれども心が言う事を聞かないだけです。
娘がこれから暮らす事になる駅前の写真を眺めながら、そこで暮らすと覚悟を決めた娘に驚くとともに、親とは違う考え方に賞賛を送りながらも寂寥感が重くのしかかります。私の信条として親と同じベクトルを持った子供に育てる事を良しとしなかったのですから、当然の帰結ではありましょうが心が言う事をききません。多様性こそが生物生存の原理だとすれば喜ぶべきことなのですが、それさえ上の空です。
感情と言うのは無理に抑えつけようとすればするほど膨張して最後に爆発します。そんな風にならないためにも日常の中で吐露しながら暮らす事になる訳でしょうが中々上手い塩梅にはいかないものです。
私達の人生は若い時に考えていた漠然とした自分の人生と同じだったでしょうか。私の場合は全く違っていました。横浜で暮らして20年になりますが、ここで暮らすなどと思ってもいませんでした。娘達もこれから先どんな人生が待っているか分かりません。その時々で親は子供達の港になり、暴風雨や荒れ狂う大波から小舟を守れる存在でいたいものです。人生良い時もあれば悪い時もあります。そんな子供達の人生の港であるべく老境の心構えとしたいものです。昔から言います。苦労は買ってでもしろと・・・
妻は生まれ来てくれただけでもう親に全ての恩を返しているといいますが、それを割り引いても本当に辛いものです。身を引き裂かれるというか、体の一部が無くなってしまったようなうつろな感覚です。もちろん娘の門出を祝福していない訳ではありません。
相手の男性にとやかく言う訳ではありません。でも、辛いのですよ。
妻がポロリと言った「家族は4人だよね」と言う一言が心に刺さります。ずっと4人で暮らせるはずはないのに、でも4人でいたいという思い。それは消し去る事は出来ません。
娘が生まれた時に私達は親になりました。それまで自分が中心だった世界が子供が生まれたときから優先順位がころっと入れ替わりました。辛いことも嬉しい事もこの4人で分けあってきました。全ての記憶に家族の姿がラップします。残像は厳しすぎる現実です。家の中には娘と暮らした27年の足跡があちこちにあります。柱の傷を見ても、娘の部屋を見ても娘が嫁いでいった事実を受け止めることなどまだ出来ません。
娘は結婚して自分の子供を持った時に、初めて親の気持ちを理解できるのでしょう。そして私達が味わっているこの深い悲しみもいつかは輪廻転生のごとく味わうことになるのです。私だって子離れや教育におけるキャッチ&リリースの重要さを理解しています。理解してはいるけれども心が言う事を聞かないだけです。
娘がこれから暮らす事になる駅前の写真を眺めながら、そこで暮らすと覚悟を決めた娘に驚くとともに、親とは違う考え方に賞賛を送りながらも寂寥感が重くのしかかります。私の信条として親と同じベクトルを持った子供に育てる事を良しとしなかったのですから、当然の帰結ではありましょうが心が言う事をききません。多様性こそが生物生存の原理だとすれば喜ぶべきことなのですが、それさえ上の空です。
私達の人生は若い時に考えていた漠然とした自分の人生と同じだったでしょうか。私の場合は全く違っていました。横浜で暮らして20年になりますが、ここで暮らすなどと思ってもいませんでした。娘達もこれから先どんな人生が待っているか分かりません。その時々で親は子供達の港になり、暴風雨や荒れ狂う大波から小舟を守れる存在でいたいものです。人生良い時もあれば悪い時もあります。そんな子供達の人生の港であるべく老境の心構えとしたいものです。昔から言います。苦労は買ってでもしろと・・・
2012年10月11日木曜日
家族論
友人の一人は今の私をみて、小津安二郎の映画に登場する淡々と時を過ごす父親を掛け合わせ、また別の友人はエリザベステーラー主演の「花嫁の父」の正反対の状況だと冗談のように言うのだけれど(言っておきますが正反対の経済状況ではありませんから)どちらも正しく、どちらも間違いなのです。
尤も小津作品には色々な父親が登場するのでどの父親か分かりませんが、要するに嫁に出す父親の心境と言うのはあっちへ行ったり、こっちへ行ったり揺れ動く水面の木の葉のようなものなのです。
手放す悲しさや寂しさの半面、成長した娘を祝う気持ちや安心した自分もいて、なかなか一筋縄ではいかないものなのです。
そんな中、木の葉の私は、猿の研究の第一人者の山極先生のこの本を読んでいます。これによると人間の家族に対する感情は確かに特別なものであるけれども、猿にも同じような行動が見られるようなのです。
多くの哺乳類は子供が生まれると、その子を守ろうと親は必死に敵対するものに対して保護行動を取ります。人間とて同じです。赤ちゃんに対する何物にも代えがたい守ってやるという心境はまさにそれです。
そして、子供が大きくなるにつれ、食料の採取の方法や外敵から身を守る方法を体を持って教えます。人間でも家から徐々に大きな社会に出て行き、社会との親和性を身に付けるようになるのと同じです。
そして最後は自立です。動物の場合、この自立は親子の縁を切る訳です。たとえその後に会っても親子としての対面ではなくなるのがほとんどです。
そこへ行くと人間と言うものは何と未練たらしい事か、孫の面倒をみたり、その後も親子としての関係を継続します。私達より先輩の多くが孫の写真を財布に忍ばせて、時あるごとに人に見せるのは多くの方が目にしている一般現象でもあります。私はここで宣言します。友人との語らいの場で孫と病気の話はしないと。まあ、聞かれれば別ですけど、私の方からする事はありません。嘘だと思ったらペナルティをお付けします。第一、孫が可愛いというのは婚外した子供に自分との関係性を強制できないため孫にその分を投影し、ただ可愛いという誰もが反論しえない状況を仮定して、演じていると思うからです。
子供は一生子供です。どんなに歳をとっても変わりません。それこそが他の哺乳類との大きな差なのです。人間と言う動物は他の動物と違って抜群の記憶力と想像力が働きます。過去の子育ての歴史がどんなに辛い記憶でも美化し、記憶の中に留めて置く時には懐かしい哀愁のあるものに作り替えます。そして子供との関係性を心の中で保とうとするのです。だから子供が手元から離れても、小さい頃の記憶を呼び起こし、再現させるのではないでしょうか。
これだけ言っているのですから、決して財布の中には孫の写真を忍ばせて人目を気にせず見せびらかすような愚挙はしません。せいぜい、パソコンのデータファイルに娘と孫の写真を取りこんでおくだけでしょうが・・・・・
尤も小津作品には色々な父親が登場するのでどの父親か分かりませんが、要するに嫁に出す父親の心境と言うのはあっちへ行ったり、こっちへ行ったり揺れ動く水面の木の葉のようなものなのです。
手放す悲しさや寂しさの半面、成長した娘を祝う気持ちや安心した自分もいて、なかなか一筋縄ではいかないものなのです。
そんな中、木の葉の私は、猿の研究の第一人者の山極先生のこの本を読んでいます。これによると人間の家族に対する感情は確かに特別なものであるけれども、猿にも同じような行動が見られるようなのです。
多くの哺乳類は子供が生まれると、その子を守ろうと親は必死に敵対するものに対して保護行動を取ります。人間とて同じです。赤ちゃんに対する何物にも代えがたい守ってやるという心境はまさにそれです。
そして、子供が大きくなるにつれ、食料の採取の方法や外敵から身を守る方法を体を持って教えます。人間でも家から徐々に大きな社会に出て行き、社会との親和性を身に付けるようになるのと同じです。
そして最後は自立です。動物の場合、この自立は親子の縁を切る訳です。たとえその後に会っても親子としての対面ではなくなるのがほとんどです。
そこへ行くと人間と言うものは何と未練たらしい事か、孫の面倒をみたり、その後も親子としての関係を継続します。私達より先輩の多くが孫の写真を財布に忍ばせて、時あるごとに人に見せるのは多くの方が目にしている一般現象でもあります。私はここで宣言します。友人との語らいの場で孫と病気の話はしないと。まあ、聞かれれば別ですけど、私の方からする事はありません。嘘だと思ったらペナルティをお付けします。第一、孫が可愛いというのは婚外した子供に自分との関係性を強制できないため孫にその分を投影し、ただ可愛いという誰もが反論しえない状況を仮定して、演じていると思うからです。
子供は一生子供です。どんなに歳をとっても変わりません。それこそが他の哺乳類との大きな差なのです。人間と言う動物は他の動物と違って抜群の記憶力と想像力が働きます。過去の子育ての歴史がどんなに辛い記憶でも美化し、記憶の中に留めて置く時には懐かしい哀愁のあるものに作り替えます。そして子供との関係性を心の中で保とうとするのです。だから子供が手元から離れても、小さい頃の記憶を呼び起こし、再現させるのではないでしょうか。
これだけ言っているのですから、決して財布の中には孫の写真を忍ばせて人目を気にせず見せびらかすような愚挙はしません。せいぜい、パソコンのデータファイルに娘と孫の写真を取りこんでおくだけでしょうが・・・・・
2012年10月9日火曜日
イノベーションのディレンマ
山中信弥教授のノーベル生理学・医学賞受賞おめでとうございます。
いつかは受賞する業績ではありましたが、近年のノーベル賞は慎重になりすぎるきらいがあり、画期的な業績を残してもそれが間違いでないと判明するまで、過去の倏疴からか中々受賞させない傾向にありました。よって受賞者は高齢になり、場合によってはこの世にもういないなんてことが多くありました。ですから、今回の受賞については研究者のはしくれである息子も驚いていました。
しばらく前に写真の本を読みました。内容は端的に言ってしまえば、優秀な経営者のもとでは画期的製品=イノベーションは生まれないというものです。
確かに多くの日本企業はそこらじゅう見回してもその手の例にもれません。
物作り大国として海外に胸を張っていた大企業メーカーはこぞって優秀な社員を獲得していきました。大学生も自分の優秀さをはかるスケールとしてA数を多く引き連れてこれらの企業に就職しました。結果、保守的になりエリート経営者を生みだし、過去の遺物を引きずったのです。
ある液晶メーカー(すでにこの手の呼び方に変わっている)など好例です。
では何故、山中教授はこの画期的発明が可能だったのでしょうか。彼がエリートでないなどとは言いません。しかし、彼の何が普通のエリートと呼ばれる人と異なっていたのでしょうか。
私が彼の略歴を見る限り、決して一直線の道程ではなかったような気がします。まずはお決まりの臨床医としてデビューします。それも内科医ならまだ分かりますが、整形外科医としてです。
その彼が色々な人との出会いを通じて、本研究に至った訳です。まさに一直線、最短距離の成功ではなかったが結果としてまだ若い年齢での受賞に至った訳ではないでしょうか。
つまり、遠回りをした結果、彼には多様性のある人々が集まり、さらにその中で今までの慣習や制度に囚われない自由な発想を後押ししてくれるパトロンが現れ、研究が進んだとみられます。
そうです伊藤穣一氏の言う「コネクト」であります。
確かに彼の在籍する京大はその校風からして自由で風通しがよく、権威的で保守的な東大と比較されます。
そうしたすべてのセレンディピティが次から次へと登場し、たまたま結実したということではないでしょうか。
ノーベル賞そのものが時代と共に変遷し、本来の意味から少し距離を置き、自らが権威的となり、若い研究者の励みというよりも、象徴的となりつつあったことに、この受賞が反撃してくれたことは私には嬉しい事です。そして、息子達にはさらに「パンのため学問はするな」と強く伝えたいと思います。
いつかは受賞する業績ではありましたが、近年のノーベル賞は慎重になりすぎるきらいがあり、画期的な業績を残してもそれが間違いでないと判明するまで、過去の倏疴からか中々受賞させない傾向にありました。よって受賞者は高齢になり、場合によってはこの世にもういないなんてことが多くありました。ですから、今回の受賞については研究者のはしくれである息子も驚いていました。
しばらく前に写真の本を読みました。内容は端的に言ってしまえば、優秀な経営者のもとでは画期的製品=イノベーションは生まれないというものです。
確かに多くの日本企業はそこらじゅう見回してもその手の例にもれません。
物作り大国として海外に胸を張っていた大企業メーカーはこぞって優秀な社員を獲得していきました。大学生も自分の優秀さをはかるスケールとしてA数を多く引き連れてこれらの企業に就職しました。結果、保守的になりエリート経営者を生みだし、過去の遺物を引きずったのです。
ある液晶メーカー(すでにこの手の呼び方に変わっている)など好例です。
では何故、山中教授はこの画期的発明が可能だったのでしょうか。彼がエリートでないなどとは言いません。しかし、彼の何が普通のエリートと呼ばれる人と異なっていたのでしょうか。
私が彼の略歴を見る限り、決して一直線の道程ではなかったような気がします。まずはお決まりの臨床医としてデビューします。それも内科医ならまだ分かりますが、整形外科医としてです。
その彼が色々な人との出会いを通じて、本研究に至った訳です。まさに一直線、最短距離の成功ではなかったが結果としてまだ若い年齢での受賞に至った訳ではないでしょうか。
つまり、遠回りをした結果、彼には多様性のある人々が集まり、さらにその中で今までの慣習や制度に囚われない自由な発想を後押ししてくれるパトロンが現れ、研究が進んだとみられます。
そうです伊藤穣一氏の言う「コネクト」であります。
確かに彼の在籍する京大はその校風からして自由で風通しがよく、権威的で保守的な東大と比較されます。
そうしたすべてのセレンディピティが次から次へと登場し、たまたま結実したということではないでしょうか。
ノーベル賞そのものが時代と共に変遷し、本来の意味から少し距離を置き、自らが権威的となり、若い研究者の励みというよりも、象徴的となりつつあったことに、この受賞が反撃してくれたことは私には嬉しい事です。そして、息子達にはさらに「パンのため学問はするな」と強く伝えたいと思います。
2012年10月5日金曜日
カメラのこと
息子に言わせると私はカメラが好きなふりをしているそうである。まあ、確かにずっとカメラマニアだった訳ではないし、つまるところ必然に駆られてカメラに興味を持った訳であるから言われても仕方あるまい。
そんな私がカメラを選ぶには二つの決めごとをしたのである。こう見えても私は自分の中に一応の境界線というものを設定して身の丈をわきまえるようにしているのだ。
例えば車、50歳までは絶対にドアが2枚の車には乗らないと決めた。2枚の車を買ったのは51歳だった。そして、もうひとつは妻も運転できる比較的(ここが大事)壊れない車であるということだ。
だから、イタリアやフランスの車は御法度ということになる。
自転車(ロードバイク)に限ってはこの境界線をあげている。金額による分け隔てはない。ただし、電動の変速機には興味が無い。だいいち、自転車が車やオートバイに近くなったら自転車に乗る意味がなくなってしまうからだ。
そこへいくとカメラの場合は少し複雑だ。私にとってカメラは街歩きや何気ない日常の風景を切り取る日記のような役割をするものと、もう一つは対象物を決めてから写す、ややコマーシャル的要素のものとがある。
日常を切り取るには操作性と携帯性が大切だ。レンズを付け替えたり、袋から出したりしている間にシャッターチャンスはなくなる。コンデジで十分である。
それにである。写真の上手い人と言うのはこの観察する目のセンスがいい。だから、私達が見逃してしまうような一瞬を見過ごさない。ならば凡人の私は尚更、見る目に集中するべきだと思うのだ。
撮り方にもこだわりがある。よく写真館の応募フォトにあるような風景画を撮るのは好きではない。
三脚を構えて、暮れゆく夕日と富士山のような作画が私の理想とするものではないのだ。
あえて言わせてもらえば木村伊兵衛やアンリブリッソン、そこまで行かなくても武田花さんのような(それでも目標が高すぎる??)のような写真を撮りたいというのが私の無謀な野望なのである。いつかは時間さえもとらえたようなそんな写真を撮る事が夢なのだ。
だから、こだわりがあるとすれば、カメラがその街の雰囲気を顕してくれるかということがある。以前フィルムのときに使っていたコンタックスはその点微妙な色合いを映し出していた。
パリやニューヨークのある暗さや重さを表現したかったからだ。
つい最近手に入れたライカのコンデジX2もこのあたりが気にいって買った。以前の光学式ファインダーに変えて登場した電子式ファインダーはほとんど実際の映像のように見える点も秀逸だ。
では物撮りではどうか。物撮りに限らず動物や動く対象物にはコンデジは弱い。運動会で走る子供を獲るにはどうしても望遠のついた一眼が欲しくなる。さらに接近してとるクローズアップ撮影もマクロレンズを付けて撮ると素晴らしい作画になる。
ここで私は境界線を設けたのだ。
いまのところオリンピックの報道陣のカメラを見ていてもニコンとキャノンが2大メーカーであることに変わりはないが、あとはそれぞれの作画が好きか嫌いかである。私は前述したようにあまり人工的に明るい写真は好きではない。その点でニコンを選んだ訳であるが、もうひとつの重要な点は、キャノンはニコンに比べて後発のためデジカメ以前のレンズはほとんどない。逆に言えばほとんど全てのレンズが使えるということになる。
そこへいくとニコンはデジカメ以前のレンズが膨大にある。そこで同社はデジカメ以降のレンズをDX規格として以前のFX規格のレンズ区分けしたのだ。これによってニコンは同じメーカーでありながら機種によって使えないレンズが存在する事になった。
このFX規格のレンズは素晴らしい、プロがこぞって絶賛するだけのことはある。ただし、この世界もライカのRレンズ同様高価で奥が深いのだ。
という経緯もあり、私のカメラ選びのポイントは①ほんどのレンズが使えるようなフルサイズは買わないこと。(ニコンで言えばD3やD4)そして②もう一つはライカのRレンズが付けられるものは買わない事だ。
カメラの場合、確かにレンズによりその映り方は大きく差が出る。しかし、そのレンズの世界にのめりこむとそこはまさに底なし沼である。
ライカのエルマリートやズミックスが使えるとなると当然そのレンズの性質上、防湿庫に保管しなければならない(すぐに埃やカケの原因になる)さらにFXの400mm以上望遠レンズはどれも驚くほど高価でかつ大きさも尋常でない。カメラを撮ることに集中する気が無ければ持ち出せない代物である。
ということでカメラの境界線が出来あがったのだ。でもこの境界線は国境とは違い、あっと言う間に領海侵犯され崩壊する危険性を孕んでいる事は事前にお伝えしよう・・・
そんな私がカメラを選ぶには二つの決めごとをしたのである。こう見えても私は自分の中に一応の境界線というものを設定して身の丈をわきまえるようにしているのだ。
例えば車、50歳までは絶対にドアが2枚の車には乗らないと決めた。2枚の車を買ったのは51歳だった。そして、もうひとつは妻も運転できる比較的(ここが大事)壊れない車であるということだ。
だから、イタリアやフランスの車は御法度ということになる。
自転車(ロードバイク)に限ってはこの境界線をあげている。金額による分け隔てはない。ただし、電動の変速機には興味が無い。だいいち、自転車が車やオートバイに近くなったら自転車に乗る意味がなくなってしまうからだ。
そこへいくとカメラの場合は少し複雑だ。私にとってカメラは街歩きや何気ない日常の風景を切り取る日記のような役割をするものと、もう一つは対象物を決めてから写す、ややコマーシャル的要素のものとがある。
日常を切り取るには操作性と携帯性が大切だ。レンズを付け替えたり、袋から出したりしている間にシャッターチャンスはなくなる。コンデジで十分である。
それにである。写真の上手い人と言うのはこの観察する目のセンスがいい。だから、私達が見逃してしまうような一瞬を見過ごさない。ならば凡人の私は尚更、見る目に集中するべきだと思うのだ。
撮り方にもこだわりがある。よく写真館の応募フォトにあるような風景画を撮るのは好きではない。
三脚を構えて、暮れゆく夕日と富士山のような作画が私の理想とするものではないのだ。
あえて言わせてもらえば木村伊兵衛やアンリブリッソン、そこまで行かなくても武田花さんのような(それでも目標が高すぎる??)のような写真を撮りたいというのが私の無謀な野望なのである。いつかは時間さえもとらえたようなそんな写真を撮る事が夢なのだ。
だから、こだわりがあるとすれば、カメラがその街の雰囲気を顕してくれるかということがある。以前フィルムのときに使っていたコンタックスはその点微妙な色合いを映し出していた。
パリやニューヨークのある暗さや重さを表現したかったからだ。
つい最近手に入れたライカのコンデジX2もこのあたりが気にいって買った。以前の光学式ファインダーに変えて登場した電子式ファインダーはほとんど実際の映像のように見える点も秀逸だ。
では物撮りではどうか。物撮りに限らず動物や動く対象物にはコンデジは弱い。運動会で走る子供を獲るにはどうしても望遠のついた一眼が欲しくなる。さらに接近してとるクローズアップ撮影もマクロレンズを付けて撮ると素晴らしい作画になる。
ここで私は境界線を設けたのだ。
いまのところオリンピックの報道陣のカメラを見ていてもニコンとキャノンが2大メーカーであることに変わりはないが、あとはそれぞれの作画が好きか嫌いかである。私は前述したようにあまり人工的に明るい写真は好きではない。その点でニコンを選んだ訳であるが、もうひとつの重要な点は、キャノンはニコンに比べて後発のためデジカメ以前のレンズはほとんどない。逆に言えばほとんど全てのレンズが使えるということになる。
そこへいくとニコンはデジカメ以前のレンズが膨大にある。そこで同社はデジカメ以降のレンズをDX規格として以前のFX規格のレンズ区分けしたのだ。これによってニコンは同じメーカーでありながら機種によって使えないレンズが存在する事になった。
このFX規格のレンズは素晴らしい、プロがこぞって絶賛するだけのことはある。ただし、この世界もライカのRレンズ同様高価で奥が深いのだ。
という経緯もあり、私のカメラ選びのポイントは①ほんどのレンズが使えるようなフルサイズは買わないこと。(ニコンで言えばD3やD4)そして②もう一つはライカのRレンズが付けられるものは買わない事だ。
カメラの場合、確かにレンズによりその映り方は大きく差が出る。しかし、そのレンズの世界にのめりこむとそこはまさに底なし沼である。
ライカのエルマリートやズミックスが使えるとなると当然そのレンズの性質上、防湿庫に保管しなければならない(すぐに埃やカケの原因になる)さらにFXの400mm以上望遠レンズはどれも驚くほど高価でかつ大きさも尋常でない。カメラを撮ることに集中する気が無ければ持ち出せない代物である。
ということでカメラの境界線が出来あがったのだ。でもこの境界線は国境とは違い、あっと言う間に領海侵犯され崩壊する危険性を孕んでいる事は事前にお伝えしよう・・・
2012年10月4日木曜日
セレンディピティ 伊藤穣一
昨日、NHKで伊藤穣一氏のロングインタビューが放映されていた。
私はブログを始めた時にこの本を読んだ。
御存じのように彼はいくつもの顔を持ち、現在MITのメディアラボ所長という肩書も持つ。
私は汐留の電通ホールで行われた講演会で直接聞いた事があるが、個人的には彼の著作を読むよりもこちらの方をお薦めする。
何故かと言われれば、微妙なニュアンスが伝わってくるからだ。
彼の妹はカリフォルニア在住の文化人類学者である。恥ずかしながら私は彼女のBENTOBLOGの愛読者である。
もともと研究者の父を持つ彼の家庭は日本とアメリカをいったりきたりしていた。さらに彼によれば人生最大の転機は父の恩師でもあるノーベル賞化学者の福井謙一氏の言葉だったという。
彼はきちんと決まり切った結論しか持たない大学の授業に辟易していた。そんな折、先生の言葉が心に響いたという。
世の中の不思議な動きはまさにカオスであり、彼はその研究を独学で行った。
彼のセレンディピティの始まりである。
誰でもこうした人生の転機を持つのだが、それに気づかずそのまま消えて行ってしまう事が多い。
彼は多様性を大切にする。日本的組織はその点に置いて弱い。均質な教育が均質な経験をつくり、組織は硬直化する。
彼は色々な経験をしてきた。IT企業の創立者、クラブDJ、NPO法人・・などなど・・それがどれも有機的に関連し合い、今に生きている。
入学したころに息子に留学について聞いた事があった。あの頃は留学しても時間の無駄とばかり効率性を優先し、外に出て行く事に消極的だった。何と今時の大学生気質と落胆したものだった。
あれから5年、今や明確な目的意識を持ち、チャンスあらば海外で経験をしたいと言っている。
まさに青天の霹靂!!かの環境のなせる業か。
「創発」と言う言葉も彼がよく使う。一人では考えられる事は限られるが、多くの多様性をもった人と交われれば、必然的にその解は多くなり、景色は広がる。
まさにセレンディピティとは人との出会いそのものである。
今日も一流会社を辞めて、コーヒーの販売会社を興したいという相談者が来る。楽しいではないか、まさにそこにこそセレンディピティが潜んでいるのかもしれないのだから。
2012年10月3日水曜日
驥尾に付す
この歳になって嬉しい事は、私の周りには素晴らしい先輩がいるということです。
同年代の友人もそれはそれで楽しいのですが、歳が一回りも違っても全然ふけていないどころか、こちらの方が刺激を受けるような新しい事にチャレンジしている姿がまばゆいばかりです。
こうした先輩に共通して言えることは、常に自分の経験知を更新しているところです。留まって澱んでしまう水とは大違いです。まさにLike a rooling stone!!
知というのは常に新しいものと繋がりたがります。これは人生と同じで毎日私達は何かの出会いがあり、その出会いをセレンディピティとして受け入れ昇華出来るかどうかが人の人生では大きな意味を持つことになる訳です。
いみじくも私の恩師は「縁」を大切にしなさいと教えてくれました。その当時はまるで何のことか分かりもしませんでしたが、30年経ってその縁を大切にしてきた人間とそうでない人間の違いがはっきりと分かります。
もちろんどんなに大切にしたい縁でも次第に薄れていくものもあり、それもまた現実です。
前の会社で広告畑で第一線を歩んでいた先輩が、肩書きも何もかなぐり捨てて、水彩画の教室を開きました。
当時のその行動には素晴らしいという賞賛の声が多い半面、何故だろうという不思議がる声も多かったのも事実です。
そして今私の大切な犬友の先輩がこの画塾に通っています。
水彩画をやる人に悪い人はいないといいます。その通りでしょう。そして権威的でないということも、ただし、その裏側には物凄い量の経験と実績を踏まえた上での確固たる自信に裏打ちされているような気がします。
柔らかさは強さでもあります。自在に流れる水はその象徴です。
今週いっぱい、あざみ野の市民フォーラムでこの先輩の画塾の展覧会を開催しています。
是非、お近くにおいでの際には足を運び下さい。必ずその水の力強さを体験することができます。
http://y-gajuku.com/
同年代の友人もそれはそれで楽しいのですが、歳が一回りも違っても全然ふけていないどころか、こちらの方が刺激を受けるような新しい事にチャレンジしている姿がまばゆいばかりです。
こうした先輩に共通して言えることは、常に自分の経験知を更新しているところです。留まって澱んでしまう水とは大違いです。まさにLike a rooling stone!!
知というのは常に新しいものと繋がりたがります。これは人生と同じで毎日私達は何かの出会いがあり、その出会いをセレンディピティとして受け入れ昇華出来るかどうかが人の人生では大きな意味を持つことになる訳です。
いみじくも私の恩師は「縁」を大切にしなさいと教えてくれました。その当時はまるで何のことか分かりもしませんでしたが、30年経ってその縁を大切にしてきた人間とそうでない人間の違いがはっきりと分かります。
もちろんどんなに大切にしたい縁でも次第に薄れていくものもあり、それもまた現実です。
前の会社で広告畑で第一線を歩んでいた先輩が、肩書きも何もかなぐり捨てて、水彩画の教室を開きました。
当時のその行動には素晴らしいという賞賛の声が多い半面、何故だろうという不思議がる声も多かったのも事実です。
そして今私の大切な犬友の先輩がこの画塾に通っています。
水彩画をやる人に悪い人はいないといいます。その通りでしょう。そして権威的でないということも、ただし、その裏側には物凄い量の経験と実績を踏まえた上での確固たる自信に裏打ちされているような気がします。
柔らかさは強さでもあります。自在に流れる水はその象徴です。
今週いっぱい、あざみ野の市民フォーラムでこの先輩の画塾の展覧会を開催しています。
是非、お近くにおいでの際には足を運び下さい。必ずその水の力強さを体験することができます。
http://y-gajuku.com/
登録:
投稿 (Atom)



