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2012年12月10日月曜日

小説と車


小説と車

私の家にテレビがやってきたのは1歳の時だっと母は言っていた。赤ん坊の私の後ろに写るそれは白黒のパンダテレビ、アンテナは大きく開かれてテレビの上に鎮座している写真があるのでおおよそ間違いはないだろう。

ところで幼い当時の私にはアメリカのドラマ「バークに任せろ」という西海岸が舞台でハンサムな富豪の刑事ものが記憶の片隅に残っている。もちろんストーリーや詳細は覚えてないし、この記憶だって曖昧だ。題名の「バークに任せろ」が原題の“Burke‘s Law”を上手い事訳したと感じたのはもう20年後になる。私が言いたいのはこのドラマの中ですごくかっこいい車が登場していたということだ。もちろん当時の私にはその車が何という名前だったのか知る由もない。

歳日が経過し、サンダーバードを見たときにまたしてもかっこいい車が登場したのだ。ペネロペの運転するピンク色のそれは白のレザーと相まって、一瞬にして私を虜にした。それが前述のドラマにも登場していたロールスロイスだった。それが私の意識にある初めてのカッコ良い車だった。

私の住む街は当時、それでも今と比べれば繊維業が盛んで関東の上海などと呼ばれ、街も活気を有していた。小学生の私は学校からの帰り道、市役所の駐車場に止めてある車を見ながら、一年もしないうちにその車が何というメーカーの何という車なのか全て答えられるようになっていた。けれどもテレビで見たあのカッコイイ車は一台も見つからなかった。

マウイ島へのトランジットのため空港のロビーで時間を持て余していると、正面の男性が読んでいる本の表紙が目にとまった。それがダンブラウンとの最初の出会い。偶然にも席が隣り合わせになったその男性に読んでいた本の事を聞いた。彼はそれが最新作「天使と悪魔」であること、自分もこの作者が小説の中で使用する車の描写が好きなので読んでいることを私に説明した。島に渡って2日目には同じ本を購入していた。

小説の中で出てくるのはレンジローバー。私も先代のレンジローバーに乗っていたので多少なりとも詳しいと自負している。小説ではジャバブラックのレンジローバーと書かれている。そうレンジローバーの黒はジャバプラックなのだ。断然、ジャバプラックのレンジローバーであって黒のレンジローバーでは感じが出ない。もちろん小説は2日で読みおえた。

最近、MITのメディアラボ所長の伊藤穣一氏が薦めるダニエル・スアレース氏の「デーモン」を読みおえた。内容は近未来のコンピューターネットワークの話なのだが、さすがに著者自身がその道のプロであることも加わって大変楽しかった。ビッグデータといわれる最近耳にする話題もその一翼なのだけれども、私にとってはまたして車の記述に興味持ってしまった。黒のBMWのM6やリンカーンタウンカーといった新旧の車が登場する。それぞれが場面の貧富、正悪を対照させるように登場する。読んでいるだけでその臨場感が一気に高まる。

小説ではないのだけれど映画の中でも車は大切な役割を果たす。同型の車を持っている方には大変失礼だとお断りしておくが、ケビンスペーシー主演のアメリカンビューティーに出てくるのはメルセデスのMクラス、これがまさにはまり役でごくごくありふれたアメリカの中流家庭の表と裏を現していた。私はこの映画に使用されたことでかなり売り上げに影響したとみているが実際はどうだったのだろう。

私は自他共に認める村上フリークである。彼の作品は長編、短編を問わずほとんど愛読している。しかし、彼の車に対する表現はイマイチピンと来ない。ピンとこないというのではない、時代翻訳が必要と言うことかもしれない。「国境の南、太陽の西」に登場する主人公の家庭が青山の高級住宅街に住んでいて妻がチェロキーでご主人がBMWというのは当時の青山なら確かに分かるが、今読んでみると少し陳腐な感じがする。今ならさしずめ妻がアウディで、夫はメルセデスといったところか・・・

 

LAのハイウェイでブロンドの女性がオープンの白のメルセデスSLを運転していて、途中で束ねていた髪をはらりとほどきそのまま髪を風に靡かせながら、チラッとこちらにウィンクして走り去っていったという情景は想像できますよね・・・
 
 

2012年12月9日日曜日

ケサディーラ Quesadilla



ケサディーラ Quesadilla
何を隠そう私は15年前までハワイは嫌いだったのである。正確には嫌いなフリをしていたのである。30年前にトランジットで訪れたハワイは喧騒と雑踏の中良い思い出は無かった。これならグァムもサイパンも変わらないとハワイに対して穿ったものの見方をしていた。それが一日にして変わったのがロサンゼルスからハワイに到着して渡ったマウイでの休暇だった。今までイメージしていたハワイとは別世界のそこは風も、光も、匂いも私の知っているそれではなかった。

マウイ島が私のお気に入りになるまでそう回数は必要なかった。そしてマウイ島の中でも自分が落ち着ける場所を見つけた。それがカパルアだ。マウイ島の他の場所に行ってもやはり落ち着かない。南洋松の聳える姿を見ると戻ってきたと感じるのだ。

私はほとんど観光というものをしない。それとアクティビティというものが好きになれない。ずっとやっているスポーツの延長ならまだしも初めてのスポーツに興じる事はまるで遊園地のアトラクションを経験しているようで腑が落ち着かない。だから日がなプールサイドや椰子の木陰で持ってきた本を読む。他は何もしない。

15年前にはカバルアベイホテルがあった。ロビーにはペギーホッパーに描かれた大きな油絵が飾られていた。ハワイアンの女性が猫を愛でながら優しいまなざしで見つめている。開け放たれた木製の大窓から太平洋の乾いた風が通り抜ける。

数年前そのホテルも取り壊された。それからはその場所に出来るだけ近い場所に立つホテルに泊った。そのホテルの調度類はいささか欧米の貴族趣味で私には好みではなかったが、とにかく立地は素晴らしい。プールは階段式になっていて、いつも空いている。プールから続く芝生は広大でなだらかな弧を描きながらビーチまで続いている。芝生の向こうには古代の墓地がこんもりとした緑の結界で守られている。プールとビーチを行ったり来たりしながら持ってきた本を読む。ときおりハンモックに寝転びながら。

それでもお腹はすく。マウイでは軽いビールと決めている。水のように飲むには軽いビールが一番だ。私は必ずここで主題のケサディーラを頼むのである。

最初に食べたここのケサディーラは絶品だった。私は今もこの時のレシピで作っている。

そもそも、メキシコではタコスとブリトーとはどこが違うのだろう。作り方も色々あり、陽気なお国柄ゆえ煩いことは言わないだろうが、前者は調理したものを入れてトルティーヤにそのままラップして食すのに対して、ケサディーラは包んでから再度トルティーヤを調理すると勝手に解釈している。当初ここで食べたケサディーラにはindian Quesadillaと書かれていた。中には行っていたのはタンドリーで焼かれたクミンやターメリックなどで味付けされたターキーと細かく切られた玉ねぎ、トマト、それに生のコリアンダーとチーズが入っていた。もちろんトネルティーヤは色良く焼かれていた。これにワカモーレといわれるアヴォガドのディプと少し辛いフレッシュなチリトマトが添えられていた。昨年食べたそれはもはやインド風ではなく、ターキーからチキンに変更されていたが美味しさは中々のものだった。

マウイ島に限らずオアフでももちろん本場に近い西海岸でも多くのケサディーラがファストフードとして供されている。でもここのケサディーラを是非一度食べてごらんなさい。ケサディーラの概念が変わること請け合いです。

東の横綱を挙げたのに西が不在では宜しくないので、あえて西の筆頭として挙げるとすればラナイ島のフォーシーズンズ・マネレ・ベイで食したベジタブル・ケサデーラである。

色とりどりの野菜が詰め込まれ、皮には芸術的な焼き色が付いている。メキシコ料理は豪快だと決めつけていれば、ここはそれに反して上品この上ない。いくらでも食べられそうな軽やかさが特徴だ。何故西にしたかと言えば、それはすぐ近くの目と鼻の先の島であってもマウイ島とは風が違うのだ。ここはマウイより幾分乾いている。逆にモロカイ島はずっと重くなる。風もメニューの一部なのだ。

オアフ島にも同様のケサディーラがあるがとうていこの二つには及ばない。オアフ島の高級ホテル、ハレクラニでも食したが残念ながら番付は関脇にも入れることは出来なかった。

2012年12月8日土曜日

焼きそば 青葉台 想夫恋


焼きそば 青葉台 想夫恋

 私が初めてこの焼きそばを食べたのは今から3年前の丁度今頃の初冬の午後だったと記憶している。 何故記憶しているかと言われれば、その日に妻と二人で河口湖の新しく出来たリゾートホテルに向かう途中に立ち寄ったからである。
 以前から噂には聞いていたが足を運ばなかったこの店は焼きそば一本で売っている。大分県ではチェーン展開もしているポピュラーな焼きそばということだが、関東地方ではここだけだそうである。青葉台から車で15分は掛る、はっきりいって辺鄙な場所にある。

 店内は鉄板を囲むようにカウンターが配され、明るい窓側にはテーブル席もある。大きくて厚そうな鉄板は真ん中がやや窪んで綺麗に磨きあげられ、店主の拘りが垣間見える。

 カウンター席で店主の作り方を見ていた。ここの焼きそばは本当の焼きそばなのである。焼きそばと言って良く食べているあれは実は炒めそばなのである。まあ、それはそれで美味しいのだが、有体に説明すれば、ここの焼きそばは麺をよく焼くのだ。細めの麺をよく焼き、頃会いを見図りこれまた細いモヤシと細切りの豚肉を入れる。そして最後に卵をトッピングする。私達はトッピングに目玉焼きをオーダーした。
味はとても上品である。ソースばかりが強い屋台の焼きそばとは一味違う。焼き方、麺の細さ、もやしの塩梅、肉の量、ソース・・・その全てが計算されつくされている。これは完製品だ。これ以上余分な物を足したり引いたりしてはいけない。そういうものである。値段は決して安くない。けれども無性に食べたくなる。ビールと焼きそば・・これまたゴールデンカップル、似合いすぎる組み合わせだ・・・・
そうそう、いつも想うのだがどうして「想婦恋」じゃないんだろうか・・・それじゃ不倫になってしまうから??いやいや焼きそばは「フウフウ」言って食べるからなのか・・未だ謎のままにしている・・・・

2012年12月7日金曜日

PM3:00


PM3:00

美佐子はスーパーの青果売り場にいた。手に持っていたプラスチックの買物籠には、今日の夕食の食材が無造作に放り投げられていた。遠目には分からなかったが目を凝らして見ると、品物には全て赤い特売品のシールが貼ってあった。

美佐子は好き嫌いの多い4歳の息子に少しでも野菜を食べさせようと、夕食のおかずは野菜を一杯入れた酢豚にしようと決めていた。

もう六年も前になるが美佐子は職場の上司に中華料理店に連れて行ってもらったことがあった。そこで美佐子は初めてパイナップル入りの酢豚を食べた。パイナップルを入れた酢豚は邪道だと嫌う人もいたが、美佐子はこれがとても体に良く高級そうな気がして一度で好きになった。でもそれ以来、酢豚は食べても作ってもいなかった。

美佐子の結婚した男は調理人だった。若いながら腕はよく、日本橋の和食料理店ですぐさま板長に抜擢された。美佐子と出会ったのは丁度その頃だった。皆に煽てられ有頂天になった彼は生活が派手になり身分不相応な高級クラブに通い女に入れあげるようになった。

そして挙句の果てに店の金まで使い親方に罷免された。その後の彼は新しい店に勤めても長続きせず、すぐに別の店に移る「渡り」と呼ばれる根なし草の調理人となった。彼は昼間から酒を飲み、今の全ての不幸の原因が妻である美佐子のせいであるように絶えず罵り、暴力をふるった。

美佐子はそれでも耐えていた。

美佐子は福島でも宮城に近い山深い村で生まれた。家は5人兄弟で長兄、長女、次女、そして三女の美佐子とその次に生まれた次男だった。父親は生まれつき脚が悪く、力仕事はほとんど母がこなした。生まれつき体躯が良くがっしりした三男が中学を卒業すると同時に家を手伝うことになった。長男は高校卒業後、港町で港湾労働をしていたが今まで音信不通、行方不明になっている。当然、このような家庭環境だったので美佐子も高校を卒業すると働かなければならなかった。商業高校で簿記を習っていた美佐子は福島の小さな機械加工会社の経理科に就職することが出来た。美佐子はそこで数年コツコツと働いた。

ある日、会社の部長から東京で事務所を出すので一緒に来てほしいとの依頼があった。住む所も、給与も今より破格の条件だったのと、若い美佐子は内心東京に憧れていた。美佐子はすぐさま応諾した。

上京して2年が過ぎようとした時に、部長から突然の電話があった。今日からもう出社しなくていいという電話だった。突然の電話に驚き事務所に行ってみるとそこには白い紙が貼られていた。ここに押し掛けた人物は口々に汚い言葉を吐いて、ドアを蹴り、大声を上げていた。美佐子はいたたまれなくなり、その場を後にした。

美佐子は実家にはこのことは伝えなかった。いや正式には伝えられなかった。男性と知り合ったのはこの頃だった。男性のアパートに同棲するには時間は掛らなかった。そして息子が生まれた。男性は最初の頃は帰ってくると息子の顔を見てそれから冷蔵庫からビールを取り出して飲んでいたが、最近では息子の顔すら見ない。酒に酔って美佐子を殴るだけならまだしも息子にまで手を出した。美佐子は別れる決心をした。

あとの一週間で三歳の誕生日を迎えるある日だった。美佐子が目を離している好きに男は息子の足裏に煙草を押しつけていた。男性は息子の正座がうまく出来ないという理不尽なことで、何度も何度も火の付いた煙草を足の裏に押し付け、泣いて逃げ惑う我が子をニヤニヤした目で追いかけていた。美佐子は別れる決心をした。

もちろん別れるのは簡単ではなかった。ただ、美佐子は強い決心をしていた。それにこの男は別に愛人が出来たようで美佐子のことはどうでもよくなっていた。美佐子はそのことを逆手に取り、男にとって飛びつきたくなるような条件をぶら下げて男と取り決めをした。美佐子は自分でも信じられないくらい冷静だった。もちろん美佐子はその男と刺し違えても約束を守らせる準備もしていた。それ以来、男は美佐子を追ってこなかった。

店の入り口に男性が立っていた。美佐子とは10歳以上年の違うであろうその男性はグレーのフランネルのスーツに茶色い鞄を肩からかけてもう一方の手には買物籠を下げていた。買物籠には何も入っていなかった。

男性の身長は美佐子より20センチ以上は高く、肩幅もありがっしりしていた。美佐子がその男性がいつも早朝に現れる、息子と思しき人を連れた常連の男性であることに気づくには時間は掛らなかった。

美佐子は今年で30歳になる。背はさほど高くはないが太ってはいない。もともと肌の白い美佐子は鳶色の瞳と相まってハーフと間違えられることもある。ボブの様に短く切り揃えられた髪の毛はストレートでサラサラしていた。ベージュのウールのパンツにライムグリーンのスゥェターを着ている美佐子は子供を連れていなければ独身に見える。

美佐子は首をかしげる程度の会釈をその男性にした。男性は美佐子が誰なのか分からず逡巡したが、ライムグリーンとベージュのパンツを頭の中でいつもの制服に変換して、やっとのことで毎朝、自分を元気づけてくる南平台の朝食の時の女性だと気が付いた。

男性は軽く会釈をして、美佐子の方に近づいてきた。

モミジバフウの葉が風に飛ばされ、幹が直線の強さを取り戻した穏やかな初冬の午後だった。


Bride


Bride

古い石造りの教会は幾分湿気を帯びていて内部に立つと、うっすらと首筋に汗が滲む。高い天井の両横が翼のように折れ曲がりそのひとつひとつには白い天井扇が回っていた。

男は足元に視線を落とし、数ヶ月前の事を考えていた。

娘がその男性を連れてきたのは蝉の声が煩く聞こえるまだ夏の暑い頃だった。その男性と結婚したいと言いだしたことは男にとって以外ではなかった。そもそも序章はその数ヶ月前に始まっており、てっきりその時に結婚の申し込みをされるものだと思っていた男は肩透かしを食らった形だった。

男性は長身で目鼻立ちのしっかりしている好青年である。事前に娘から職業やその人となりを聴いていたので、反対する道理はなかった。

結婚の話はとんとん拍子に進められた。新郎新婦の希望は親族だけで海外で挙式することだった。男は大いに同意した。何故なら、娘の結婚式を出来る限り陽気に送り出してやりたいと思っていたからだ。

それから数カ月が経過するうちに男は様々な感情の入り混じった、不思議な感覚の中にいた。

二人の新しい門出に祝福し、最大の賛辞を贈りたい気持ちと、自分の体の一部が失われていくような喪失感、それはなんとなく今までも分かっているつもりだったが、結局今まで実際の自分の細胞がそれを体験することはなかったのだ。

テレビのCMに赤ちゃんが生まれると母親が生まれますというコピーがあった。それを借りるなら花嫁が生まれると花嫁の父も生まれるのだ。それまでは「うすうすなるであろう」という感覚が、全身の細胞の体験によって確定されるのである。そして初めてわかるのだ。

教会の内部からキリストの描かれた大きなステンドグラスを見上げることが出来た。そのステンドグラスはまだ明るい南国の太陽の日を受けて荘厳な教会とは似つかわしくない派手な色を放っていた。

一回きりの予行演習はあっという間に終り、本番を迎えた。男の妻がベールをおろして娘に祝福の抱擁をしたときにはさすがに男も目頭が熱くなったが、祭壇の十字架を見つめ涙は流さなかった。男は娘の手を取りバージンロードを進んだ。娘の目に光るものを見つけたが、新郎の顔を見るや笑顔に変わった。これで良かったと男は思った。

牧師の宣誓のもとに式は終了し、男は戸外に出て祝福の花を天高く舞い上げた。

花はステンドグラスの光と重なり幾重にもはらはらと地面に舞いおりた。その時、外から見るそのステンドグラスは夕闇に染まり、先程の派手な色からアンバーの落ち着いた色に変化していた。

お葬式は儀式である。お葬式は亡き人の身体という象徴を目の見えないものにすることによって大いなる悲しみを、時間を借りて思い出に変える儀式だ。ならば結婚式どうであろう。娘が言うようにこの世からいなくなってしまうわけではない。では何であろう、きっと娘のウェディングドレスで一番輝いている姿を目に焼き付け、「これでいいんだ」という「心の諦めの儀式」なのではないだろうか。ちなみにスペンサー・トレーシーは宴の後でとても柔和な顔をして妻と談義するではないか・・・・世の多くの花嫁の父に・・・

 
 
 

2012年12月5日水曜日

AM6:15


AM6:15

美佐子は店内の時計を気にしていた。店内の時計は5分遅れていたがすでに外は明るくなり湿った夏の朝を迎えていた。美佐子は昨晩から続く深夜勤務の途中だ。

美佐子の働いている店は24時間営業のファミリーレストランである。渋谷の繁華街から少し離れた場所にあり、まわりには都内でも有数の高級住宅街を擁していた。

美佐子は週に2.3日このような時間帯で働いている。もっとも、美佐子にはこの時間帯を自ら選ぶ必要があった。美佐子はシングルマザーである。3年前に夫のDVが原因で離婚をした。一人息子はまだ幼かったが、裁判所は親権を父親には認めなかった。

美佐子は両親の家のすぐ近くでこの一人息子を育てている。美佐子にとって普通の両親のいる家庭のように出来る限り子供と一緒にいる時間を作りたかった。結局、今日の様な勤務を選ぶことがその最良の様な気がして進んで引き受けたのだ。

この時間の客は2通りだ。遊び疲れて塒に帰る終着駅に向かう客、そしてこれから働こうと鋭気を養うために始発駅に降り立つ客である。大抵の客がその表情からどちらなのか誰の目にも分かるのだが、どちらもエネルギーの種火を付けている程度で控えめな点が共通している。

通りに青黒く光ったBMWが止まった。中から二人の男性が降りてきて、美佐子の店のドアを開けた。男性はグレーの頭髪を短く切り揃え、ブルーのピンストライプのシャツを着ていた。もう一方の男性はまだ若く、良く見てみるとまだ子供だ。体躯は大きくがっしりしているがもう一人の男性宜しく短く切りそろえた頭髪はまだあどけなさを残している。東海岸のアイビーリーグの大学名の入ったグレーのTシャツと大きなデイパックを持っていた。

美佐子は禁煙か喫煙か聞きながら、禁煙席にこの二人を案内した。もっとも、二人は美佐子に案内されるまでもなく、いつものお決まりの席に向かっていた。その席は他の席から見えにくく、逆に他の席が見渡せる場所だった。

美佐子がこの二人を見かけるようになってすでに3か月が経過しようとしていた。美佐子はこの二人に次第に興味を持つようになった。父親らしき男性が注文するものはベーコンエッグ朝食に納豆である。時折、焼き鮭定食に納豆という日もあるが9割方同じものを注文する。息子の方は洋食の日もあれば父親と同じものを頼む日もある。

父親は席につくや大きな鞄からスケジュール帳を取り出してその日の予定を確認している。確認が終わると新聞を取り出し読み始める。読み終えた部分から息子渡し、息子はそれを読む。料理が運ばれる頃にはその新聞は二人に読みおえられていた。

男性はひとつの決まりがあった。ベーコンエッグには必ずソースを掛ける。テーブルには醤油は普通準備するのだが、ソースは置いていない。美佐子はこの二人が来ると何も言われなくてもA1ソースと醤油をテーブルに運んだ。男性はベーコンエッグにはソースを、キャベツには醤油を掛けてその料理を食した。最初のうちは飲み物の追加オーダーを聞いていたが、二人は頼まなかった。美佐子もこの頃はもう聞かないことにしていた。

美佐子は二人の話している会話を聞くでもなくただ耳に入ってきた言葉を繋ぎ合せ、息子が中学生らしいこと、そしてこの近くの中学に父親に送ってもらっていること、父親の会社もこの近くで早朝よりオフィスで働いていることを知った。

二人は席を立ちレジに向かった。美佐子は男性からレシートを受け取りレジに金額を打ち込んだ。男性は大きな鞄から黒い高級そうな長い財布を取り出しその中から千円札を引き抜き、違うポケットから黒いコインケースを取り出し百円玉を千円札の上に乗せて、美佐子に手渡した。美佐子は黒くくすんだ硬貨を横に外して出来るだけ綺麗な10円玉二枚をレシートと共に男性に手渡した。

1981年のゴーストライダー Ⅻ





洋一は変なものを集める趣味があった。子供のころはどこかに出掛けると必ずバッチを買った。何処かに行った記憶としてバッチを買うのではなく、とにかく沢山の色んな種類のバッチが欲しかったのだ。
 洋一は大きなブリキ缶の中にそれを入れていた。時折そのブリキ缶からバッチを取り出し並べてみる。形の違いによって並べたり、関東なのか関西なのかまたはどこの県なのかによって並べてみる。どうでもいいような基準をその時の気分によって自分で設けて並べてみるのだ。
 その中にどの基準にも当てはまらないものがあった。洋一が母親と行った新潟県の岩原というスキー場で居合わせたテーブルの前の男性が付けていたバッチだ。洋一はカーキ色のリブ編みのスゥエーターの胸に付けられた綺麗なバッチが日本の物でない事を知っていた。バッチは雪をかぶった白い大きな三角の山とスイスの赤い国旗が描かれていた。洋一の目がそのバッチに釘づけになっていたのは誰もが分かった。男性は気に入っているのならとバッチを洋一に苦笑いしながら手渡した。それ以来そのバッチは洋一のブリキ缶に入っている。

 洋一はそれ以外にも切手を集めていた。かなりの切手を集めたが、もっとも希少切手のコレクターというわけではなく、郵便局で売り出される記念切手を買うのだ。人気のある記念切手は売り切れになることもあるから気を抜けない。洋一が集めていたものの中で一番のお気に入りは日本の国宝と国立公園のシリーズだった。洋一は切手に描かれていた仏像は、まだ行ったことも無い京都のお寺にある弥勒菩薩でそれが国宝である事、そしてその表情をアルカイックスマイルということを知っていた。

 洋一は大人になってバッチの事も切手の事も忘れていた。もっとも切手は親戚の子供にせがまれて貸したつもりだったが今はどこにも存在しない。バッチはかろうじてブリキ缶の中に眠っているが、もう何年もその蓋は閉じられたままだった。

 洋一の手の中に一枚のコースターが握られていた。洋一は丸い形のコースターの端を指で弾きコマのように回した。コースターは力なく何回か回りながら印字のある面を上にしてテーブルに倒れた。コースターには浅草の日本一古いバーの名前が書かれていた。数ヶ月前に優子と出掛けた時にもらってきたものだ。名物のカクテル頼んだが甘くて飲めなかった。テーブルの上には十数枚のコースターが重ねられている。全てが国内のホテルやバーの物だ。洋一はいつかレイモンドチャンドラーの小説「長いお別れ」に出てくるギムレットをアメリカのバーで飲んでみたいと思っていた。もちろんコースターは持ち帰るつもりで。