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2013年4月16日火曜日

贔屓の店


贔屓の店

辻静雄氏や山本益博氏について料理や文化についての総合知としての慧眼を持っておられると賞賛したばかりだが、ひとつだけ私と違う点がある。それは贔屓の店についてである。
氏は美味しい物を食べたければ贔屓の客になるべきであると言っておられる。確かにそうかもしれない。それに異論はない。しかし、どうだろうミシュランの形骸と以前申し上げたが、星を獲った店の中には客を客として扱わない店もある。私も経験した事があるし、つい先日、銀座のそんな店に友人が出掛けたら、客の前で板前を叱りつけていたというのである。これでは興醒めである。
こうした店は贔屓の客を特別に扱う。いや、それ自体店が生き残っていくために必要ならば仕方ないだろうが、ならば一般客などとらず会員制で営業すればいい。一般客に門戸を開いておいて、そんな気分にさせる店は良い店だとは思えない。
私などそうした高級店と縁遠い存在なので、私の贔屓の店はそんな事は一度もない。
その親父は常連であろうが、初めての客であろうが、年寄りでも子供でも誰にでも江戸ッ子訛りで満面の笑みをもって話しかけてくる。そして出される牡蠣フライのカリカリでジューシーな事、それはもう笑わずにはいられない美味しさだ。料理に真摯に向き合う事も必要だが、客が楽しく帰る事のできる大らかさも必要な気がする。
私の贔屓の店は、「そこそこ美味しくて」、「肩ひじ張らず」、「客を楽しい気持ちにして帰してくれる店」である。
今日のランチは中目黒の駅裏のあの店にオムライスを食べに行こう。壁に大相撲の取り組み表の張ってあるあの店に




出藍の誉れ 「八雲」 池尻大橋


出藍の誉れ    「八雲」

私は30年近く前、浜田山に住んでいたことがある。叔父の家が西永福にあるので衣食住、何かと世話になっていた。当時は家庭教師のアルバイトに加え、大企業の厚生施設でもある運動場でもアルバイトをした。テニスコートの整備や雑草取りといった単純労働だったが、これが以外と楽しかった。当時、駅前にはホームセンターがあって、仕事中、足りないものが生じると買物に行かされた。そんなとき、食欲旺盛の若者はこっそり近くのT亭というラーメン店でお腹を満たしていたのである。この店は当時やっと名前が挙がる程度の控えめな繁盛ぶりだったが、今となっては知らない人はいないだろう。この30年の間にここ出身の人が暖簾分けして独立しているから、分派も含めれば10近く同系列の店があるはずだ。

ここの特徴は澄んだスープとしっかりとしたチャーシューである。そしてラーメン店のものとは思えない本格的なワンタンを出す。魚介の香りは最後に来る程度で、臭みは感じられない。

つい1年ほど前に、西永福に仕事で行ったついでに久しぶりに寄ってみた。

ところがどうであろう???麺が少し伸びてしまっている上に、ワンタンは融けてしまっている。うーむ、期待はずれである。スープは以前のままであるが全体としてのまとまりが無かった。

話は変わるが、ミシュランの寿司の三つ星店は銀座に多い。筆頭は小野次郎氏率いるすきやばし次郎であろうが、氏の薫陶を受けた後輩でも星を獲得している店もある。

そんな店の一つがMである。残念ながら私は行った事がないのだが、友人は気分を悪くしたという。客の前であからさまに従業員を叱咤し、常連の客とだけ会話するような尊大な態度だと言っていた。友人は二度と行かないと言っていた。

これでは、その人を教えていた親方を侮辱することになるのに、本人は分からないのだろうか。

私の事務所の近くに「八雲」というラーメン店がある。池尻から徒歩5分程のところにある。以前、その横はガソリンスタンドで私は洗車待ちの間に何回か食した事があった。当時はそれほど行列が出来ていた訳ではないが、近頃では開店と同時でないと長蛇の列に並ぶ事になる。土日では1時間待ちというからその人気は驚きである。私の場合はこのスタンドがなくなってしまったので暫く食す機会がなかったが、先般偶然にも11時半にその横に所用を済ませ入店することが出来た。

頼んだのは特製ワンタン麺(白だし)である。私の入店した5分後にはすでに満席で外には行列が出来ていた。器を温める人、具材をまとめて並べる人、麺をゆがき盛る人、その3人のプレーが完ぺきである。きっちりと湯切りして供されたそのラーメンの食感は30年前に食べたあの喉越しそのものであり、鼻腔に抜ける魚介の控えめな香り、スープを邪魔しないチャーシューといい、完璧だった。店を切り盛りするのは30代から40代のあぶらの乗り切った人達だ。何より勢いを感じる。不味いはずがない。

先般の銀座の寿司店に見習わせたい。これぞ出藍の誉れである。

後から入ってきた、近くの付属病院の研修医と思しき若者が、仲間にこの店の説明をしている。どうやらその若者の実家は歯医者で浜田山に住んでいるらしく、意気揚々とT亭との関係をべらべらとじゃべっていた。出されたラーメンを食せず話し続けている若者を店主が一猊したのは私の見間違いではなかろう。若者よ、ここの常連はそんなこととっくに知っているし、だから食べに来ているわけじゃないのだよ。一生懸命に作る一食を食べに来ているのだから蘊蓄や説明はその位にして麺が伸びないうちに食べなさい。店主の瞳がそう語っていた。
 


2013年4月15日月曜日

低温調理器


低温調理器

友人のお嬢様にお願いしてアメリカから低温調理器を調達した。
構造は何て事の内単純なものだ。大きなポットだと思えば良い。そのポットに温度を一定に保つサーモスタットが内蔵されている。
これによって低温で定温を保つ訳だ。
ところが一度間違った方法で料理してしまったことがある。京鴨(合鴨の一種で少し大きい)が手に入ったので真空になるビニールに入れて3.4時間調理した。(この方法だとドリップがほとんど出ないのだ)
出来あがった鴨肉は綺麗なピンク色で中心にゆっくり火が入ったことがわかる。焼き加減は旨く行った。ところがここで問題が生じた。皮目に焼き色を付けなかったのでこの見た目と食感が悪い。慌てて皮目を焼いたが今度は火が入りすぎてしまった。
この調理器を使う場合は出来るだけ塊の肉を使い、最初に強火で表面を焼き。冷ましてから真空のパックに入れて調理するこの手順を踏まなければならないのだ。
二度目に料理したそれは自画自賛になるが火の入り加減、焼き色といい、最高の仕上がりだった。
私はこの手の料理にスペシャルスパイスをあわせる事にしている。フランス料理では良く使うカトルエピス(Quatre Epice)である。このスパイスは白コショウ、ジンジャーパウダー、ナツメグ、クローブ、パプリカ、フェネルなどから4種類を混ぜ合わせて使うのだが、私はこれにクミンシードパウダーとシナモンを加えることにしている。こうすることでフランスの対岸である北アフリカのどこかエキゾチックな雰囲気になるからだ。そして京都からやってきた鴨に敬意を表してシナモンを加えた。もし手元に八橋があればそれを粉砕して使っても良い。断っておくが生は使えないのであしからず。
こうしてカトルエピスならぬ7種のスパイスで焼かれたお肉はとても上品な味になる。
そして付け合わせはかぼちゃのムースである。これには生のオレンジを絞ったジュースを加える。少量のバターとクリームが適度な柔らかさをつくり、滑らかな仕上がりになる。



2013年4月13日土曜日

村上春樹にご用心Ⅳ 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅」


村上春樹にご用心 Ⅳ

夜中に並ぶ勇気と体力は持ち合わせてないのでアマゾンに注文していた。発売日翌日には手元に届く予定になっていた。ところが昨日書店の平積みされた本を見るや他の本に混ぜ隠すように会計を済ませていた。つまり土曜日には2冊同じ本が手元にあることになる。

私は誰に何と言われようが村上春樹氏のファンである。それも相当のファンだ。
第一の理由であるが氏は私より一回り上であるが、氏の観て来たものの多くは私と時代をだぶらせて体験している。つまり私がとても「共感」できるという点である。私は小説においてこの共感こそが面白いと思うか、思わないのかを大きく分けるものだと思う。

もうひとつは彼の言葉の巧みさである。これは彼の観察眼によるところが大きいのではないか。例えば1Q84に出てくる3号線の描写。西側のベランダにゴムの木があると描写している。そこに置かれる木はゴムの木でなければならないのだ。アジャンタムでもベンシャミンでも駄目なのだ。ゴムの木でなければ。高速道路に面したマンションのそれも高速道路から見えるベランダは滅多に開けられる事も無く、そこにぽつんと取り残されたゴムの木がいわずとこの物語の方向性を与えている。
私は一時期、伝説のバーラジオに通っていた。通っていたと言うほどの常連ではないが先輩にくっついて末席で静かにグラスを傾けていたのである。そのバーラジオで村上春樹氏や安西水丸氏、糸井重里氏にも邂逅した。同じような空間にいたのに彼の観察眼はそのまま彼の身となり肉となり筆致に生かされている。氷一つの描写も舌を巻かざる得ない。まさしく仕立ての良いオーダースーツのように無駄な物は無く、その言葉が文章にぴたっと収まっている。

話を「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅」に戻そう。
もちろん、まだ1回読んだだけだし、内容を話すなんて無粋な事はしない。
ただ、冒頭から村上ワールド全開である。さらに物語に花を添える音楽の話題にも事欠かない。1Q84がヤナーチェックだったのに対して今度はどんな音楽が用いられたのだうか。読めばすぐにわかる。村上氏の文学はジェネレーション文化だと言う人もいる。確かに私もその点の面白さは前述のように理解できる。しかし、本作はそうじゃない物も書けるよと氏からメッセージを受けた気がする。これも読めばわかる。

凡人の私にはただ悪戯にギムレットやマティーニを飲んでいるだけで何一つ身にならなかった。ところが氏は違う。バラバラに分解咀嚼され再構築されている。そこが凡人と違うところだ。ノーベル賞を獲ろうがとらぬかは、私にとってさほど重要ではない。それよりも一冊で多く著作を世に出して欲しいと願うのである。これからも村上春樹にはご用心が続くと思う。レコードの針をスターターのブラックドッグに落としたものが、天国への階段に変わろうとしている。コーヒーは冷めてしまった。



2013年4月12日金曜日

赤座海老 


赤座海老

30年近く前になるが岐阜に住んでいた事がある。私の住んでいた借り上げ社宅は毎日3時頃になると香ばしい匂いがたちのぼってきた。私の部屋のすぐ下がフランス料理店だったからで、落語の世界なら匂い賃をよこせと言われそうであるが気のいい店主は最後まで言わなかった。私達は娘が生まれたばかりで、おいそれとは外食は出来ず、あの頃は妻がレシピ本を見ながらせっせと夕食を作っていた。妻の名誉のため今でこそ料理を作らないと思われているようだが、あの頃は作っていたのだ。

そんな中、クリスマスだったと思うが娘を寝かせてから3人でこの料理店に出掛けた。メニューの中から手長海老のオーブン焼きを注文した。暫くして供されたそれは赤く染まった身の上にチーズがふりかけられ見事な姿だった。確かに長い手がついていた。

それから20年が経過し荘厳な内装の青山のイタリアレストランでメニューにあったザリガニのオーブン焼きを注文した。

供された料理に目をやると、子供の頃湖沼で良く捕まえたザリガニではなく、例の手長海老がのっている。ウェイターに確認すると「ザリガニ」ですとそっけない答えが返ってきた。それ以上ことさら追及することはせずそのまま食事を楽しんだ。

それからさらに10年、娘の嫁ぎ先である愛知県の三河地方に行った時だ。ご両親が私達のために蒲郡クラシックホテルで食事の予約をしていた。蒲郡クラシックホテルは小津安二郎の映画にも登場する歴史あるホテルである。その後、某鉄道グループが所有するが今はまた別会社が運営している。そのホテルに行く途中、娘の旦那が運転する車の中からふと蒲郡の市内を見渡すと、ところどころにのぼりが立っている。そこには「アカザエビあります」の文字が見えた。恥ずかしながらこの時まで赤座海老がどんな海老でどんな味がするのか知らなかった。

横浜に戻って赤座海老を調べてみた。何と蒲郡で多く水揚げされるとある。この海老は深海に住んでいて大型船で捕獲されるらしい。日本の固有種で駿河湾や三河湾の砂底に住んでいると書かれていた。写真を見ると想像していた海老と違う。でもどこかで見た事がある。そう、岐阜で食べた手長海老、青山で食べたザリガニのそれではないか。

よくよく調べてみると日本の手長海老は汽水域に住んでいて全くの別物のようである。この海老には鋏がある。つまりザリガニの仲間である。青山のウェイターはあながち間違っていた訳ではなかった。

今度、娘を送っていく時にでもこの産地である西浦温泉に逗留して、たらふくこの海老を食べてこよう。30年来の謎解きが分かったのだから・・・


 


2013年4月11日木曜日

Convivialite


Convivialite

妻の友人が私の一押しの京都のイタリアンレストランに行ったが本人が期待した程ではなかったと言う。彼女が行ったのはランチで決められたコースをチョイスしたようだったのだが。
私が八坂のこの店に行ったのは娘が嫁ぐ前日である。イタリアン好きな彼女だということもあったが、家族で記念になる食事を味わいたいと1カ月前に予約を入れた。

私は辻静雄氏を敬愛する。彼の料理に対する情熱は料理人としてのそれに文化人としての枠閾をなぞって余りあるものだ。その辻氏もさらに彼の後輩でもある山本益博氏もよく使う言葉にコンビバリティというフランス語がある。直訳すれば「皆でテーブルを囲み、楽しい時間を共有する」といった意味だ。
そのために何が必要か?それはその料理とサービスそして時間を繋ぐホストの存在であると山本氏も言っている。子供にメニューを決めさせるような日本では食に対する真摯な対応が難しいし、このホストが不在の場合が多い。ホストに求められるのは単なる知識の詰め込みではなく、料理人やサービスマンへの気配りである。欲を言えば彼らがやる気になるような労いも必要である。

ワインも同様、全てソムリエに任せるのは無難な方法だが、どんな料理とこのワインが合うのか想像する楽しさを捨ててしまっている。
例えば5月下旬の初夏の様な陽気の時には、「今日の様な暑い日に鱸のパイ包み焼きにあわせてさっぱりだが力強いワインが欲しい」と言ってみる。我前、ソムリエのやる気が変わってくる事請け合いである。
難しいことではない。自分の心境を吐露すればいいのだ。

白金台にある三ツ星フレンチに行った時である。料理のレベルはもちろん高く、一切の妥協なき料理はこれならばと、三ツ星を納得するものであったが、その料理を繋ぐソムリエがまた素晴らしい。料理にあわせて次々に出てくるワインはこの料理にしてこのワインの手本のようだった。ふた皿目の貝類にあわせたワインは年代物のブルゴーニュでミネラル分が多くそのワインのテロワールが感じられ目の前にはワイン畑が見えるようだった。そして最後は抜栓したばかりのカリフォルニアのシャルドネだった。デザートと併せてまるで私達をジャッジしてくれとばかりだった。これには降参だった。

もうお分かりだと思うが、素晴らしい店を作るのもまた客なのだと山本氏も言っているがその通りだと思う。その素晴らしさを引き出すのは客なくして出来ない。そして一流の料理店には一流の客がつくものなのだ。料理との出会いは一期一会、そしてその先にいる料理人やソムリエとも一期一会であることを肝に銘じるべきである。私達は美の食の国に生まれたのだから



2013年4月10日水曜日

Car Wash Machine!!!!!!


CaR Wash Machine!!!!!

昨日は酷い目にあった・・まあ自分の好奇心がそうさせただけなので他人のせいではないが、とにかくまずい外食をした日は落胆する。
こと美味しいとか美味しくないとかという他人の指標は信じないことにしているのだが、昨日はほんの少し他人の誘惑に載せられもしたのだ。
信念の無い店は駄目だと書いたばかりなのにこの体たらくでは失笑の的となってしまうが自分の責任である。自業自得。
元来、山国生まれの私は新鮮な魚とは縁遠い存在である。美味しいと思った寿司は上京してから叔父が連れて行ってくれた荻窪の寿司屋が初めてで、それまで禄な魚は食べていない。身銭を切って食べられるようになっても美味しいと思った寿司屋は五本の指より少ない。

だから外食で寿司屋にはほとんど行かないのだ。

もっとも数少ない私のお気に入りの店もある。友人の贔屓の吉野寿司はそのひとつ、何と言ってもネタもさることながら、その大きさが良い。さっとつまんで口に入る。これが寿司の鉄則。養殖物のハマチがシャリの上にだらっと垂れていたらもうお手上げである。こんな店は二度と行きたくない。

マグロは舌の上で鉄の味がする。鉄の包丁があれば試してみると良い。舌の上に包丁を乗せてみる。間違っても刃を下にしては血生臭い流血事件となってしまうので慎重に。吉野寿司ではそれと同じ味(包丁の)がする赤身が旨い。

駄目な店は駄目な人がやっている。当たり前だが道理。でもこの狭い日本なのにこんな店にも贔屓の客がいるのだ。でも客も駄目だから仕方ない。

私も昨日はその一人。自業自得、身から出た錆、自縄自束、the natural consequence of my act


ところで皆さんは洗車機どう思います。このところ私の車は洗車機に入らない車なので残念なのだが、実はあの洗車機、私は大好きなのである。これは間違いなく三指に入る好物だ。我が家に車がやってきたのは中学になってのことだったので、その前は東京に住む叔父がガソリンスタンドで給油するときにこの洗車機を使っていた。

ぐるぐると回るブラシ、勢いよく飛び出してくる水流、ゴシゴシと泡だて洗うその様は私にとって至福の時間だった。最後に物凄い勢いで水滴を吹き飛ばす風なんてもう感激以外の何物でもない。最高のひと時を味あわせてくれる。

そのためだけに車を買おうかとさえ思う。それだけ私は洗車機マニアなのだ。
断っておくが、柔らかスポンジは駄目。車体にナイロンの髭が残るようにゴワゴワしたブラシでしゃきっと洗ってもらいたい。そうでないと気持ちが悪い。

誰かの小説に「雨の日に洗車をしよう」という素敵な題名の短編があった。もう題名だけで蕩けそうである。洗車機マニアにとってこの言葉は禁句だ。

ラジオのパーソナリティもやっている畠山美由紀さんとう歌手がいる。気仙沼の出身で素敵な歌声の持ち主だ。その彼女が新しいアルバムを出した。誰もが知っているポピュラーな唄を集めている。そのアルバムもお薦めだが、冨田ラボとフューチャリングしているこの歌も最高だ。何と言っても洗車機だからね。