このブログを検索

2013年4月30日火曜日

ポキのお話


ポキのお話

ハワイに通い始めて15年になる。マウイに安くステイできる小さな蜑戸を買ってからはもっぱらマウイに滞在することが多くなったが、日程の調整もありオアフにも足を延ばすこともある。
ハワイに通い始めた頃、よくKマートのポキを買った。ここのポキはあっさりしていて美味しいし何より手軽なのが良い。チョッと小腹が空いた時などこの総菜とビールがあれば何もいらない。
ポキはご存知のようにハワイのローカルフード、生の魚を食べる習慣の無い西洋人にもここでは浸透している食べ物だ。味は千差万別、玉石混交、醤油を使わないものもあるし、ごま油も使わないものもある。
ワイキキに泊っていてもノースショアに足を延ばすことが多い。理由は海老を食べるため。
私がよく行くのはワイメアタウンの手前にある大きな海老の夜台、ここでシンプルなシュリンプを頼む。
あるとき隣り合わせた腰にタトゥーを入れたローカルの10代の女の子がポキの話をしていた。どこのポキが美味しいかという話題だった。その子たちによるとカフクにあるスーパーレットというローカルなスーパーマケットで売っているポキが一番だと言っていた。
興味を持った私は早速その店に行った。その店はまず日本人は見かけない、ローカル以外は知らないハワイの風景にすっぽりとけ込んだ店だった。奥から出て来た女性は商売っけのまったくない素振りで私を無視していた。それでも勇気を持ってカウンターでポキを頼んだ。女の子が言っていたように、ライスの上にポキを乗せてもらった。醤油のしっかり滲みたそのポキと白いご飯の相性は日本人なら嫌いな人はいないと思う。まさにハワイ版づけ丼である。ノースショアに行ったら勇気を持ってこの店を探すことをお薦めする。世界一のポキだから。



人間観察


人間観察

街歩きの項でも書いたが私は人間観察が好きなのである。喫茶店や飲食店でまじまじと他人に見られたら相手も嫌な気分になるだろうし、下手すると変態扱いされかねない。だから、私はオープンカフェや車上から道行く人を観察するのである。

もっともこれは学生時代のアルバイトに端を発する。就職が内定してからその会社のアルバイトをした。その会社はアクロスという情報誌を発行しており毎号街角の道行く人のスナップ写真を撮り、アンケートを実施して持ち物なり、洋服なりの調査を行っていた。そこで暫くアルバイトをしたのだ。

渋谷の公園通りの交差点で、カウンターと筆記具を持って通行人を観察していた。(写真は別の社員が撮っていた)暫くして慣れてくるとあの人はどんな人でどちらの出身なのだろうとか、学生だろうかすでに就職しているのだろうか、どんな職業なのだろうかとひとりでに疑問がわいてくるようになった。さらに経験を積むとあの人は東京の出身ではないとか、学生、学生ではない程度の区別はかなりの確率で当てられるようになっていた。

もし裸の人間を観ているのだったらそんな判断は出来ない。多少なりとも身につけているものがそのヒントを指し示すことが多い。

私鉄沿線を観察した事があった。驚く事にそれぞれの沿線にはそれぞれのカラーがある。例えば田園都市線と東武東上線ではなんとなくカラーが違うのだ。JRに至っては環状線のように放射線だけではないのでこの判断は難しのだが、私鉄は比較的放射系のため分かりやすい。ところが一番分からなかったのが京浜急行である。西武線に似ているようでもあり、違うようでもある。東横線に似ているようでもあり違うようでもある。ただひとつ比較的荷物を持った人が多いような気がした。それは同線の軌条が他より広めだったと言うことに相関はあるまいか。

夢想はさておき、先日面白い事があった。これから社を興し、経営者となろうとするその若者が自分の事業の将来性、政治家との繋がりなどを雄弁に語っている時、ふとその彼の足もとに眼がいった。びしっとしたダークスーツとは似合わない明るい色のブランド物のスリップオンを履いていた。巷のファッション誌でよくコーディネイトされているその靴であるが、どう見てもその場には相応しくない。そんな違和感を抱いていたら数カ月でその会社は倒産した。

こんな事を言っている私であるが、もっと始末に負えない。人と会わないときはスニーカーにブルゾンで出社している。それも相当草臥れているもので。傍から見たらどんな職業か分かるまい。お店に行くと頭から足先まで隈なく観察される事もままある。私としてはそうした事を楽しんでいる向きもあるのだが。
そこへいくと言葉は重要だ。例え身なりで分からなくても相手の話を聞けば、その人がどんな思想を持っているのか、どんな教育を受けて来たのか大体は分かるからだ。
私が無口なのはそういう理由があるからである。沈思黙考、敢えて語らず。


2013年4月26日金曜日

片原饅頭


片原饅頭

上州人で30才以上の方ならこの名前を知らない人はいないだろう。
日本全国を探せば酒饅頭の類は数多あると思う。中の条から草津に向かう途中に岩井洞と言うドライブインがある。近所で捕獲されたツキノワグマが檻の中に入っているのを観た事もあるのではなかろうか。あのドライブインでも酒饅頭は売っていた。だが、これとは別物。皮が厚く、少しぶよぶよしている。
子供の頃の記憶だが片原饅頭の店は前橋のアーケードの中にあったと思う。恐らく私は8.9歳で母に連れられて前橋までやってきた時だと思う。当時我が家は車が無かった。
桐生から前橋まで行くには2通りある。ひとつは両毛線を使う。これはJR(国鉄)なので多くの人が使っていた。
もう一つは西桐生の駅から赤城山麓をなめるように進む上毛電鉄の電車に乗る。
あの時はこの上毛電鉄に乗っていったような気がする。
窓からは赤城山の山並みと反対側にはなだらかな丘陵が関東平野に延びる景色は日本の原風景のようでもある。今でもその長閑さは変わらないだろう。
桐生には百貨店が無かった。生活雑貨と衣料品はスーパーの長崎屋がある程度で前橋まで行かなければならなかった。といっても当時の前橋にあったのはスズランデパートぐらいで、後に西武百貨店が生まれたがいつしか消滅していた。
片原饅頭はもちろん出来たても旨いのだが、翌日、少し硬くなったものをストーブの上に置いてこんがりきつね色になったのを食べるのが通だった。お酒の飲めない小学生の私は焼き片原饅頭と緑茶で空腹を満たしたことを思い出す。

この店は当時積極的に障害者を雇用していた。彼らが一生懸命作る姿を子供心に見ていたのである。ターボーと仲良くなれたのもこんな素地があったからかもしれない。
この片原饅頭が廃業したと言うニュースを聞いた。子供のころから当たり前にあるものが姿を消すのはやはり寂しいものだ。そんなこんなで数年が過ぎた頃、今度はこの片原饅頭復活のニュースである。
プロの競輪選手で全国的にも名前の通った福島選手が復興するとあった。場所も前橋である。早速、ネットで調べてみたが通販はしていない。現地に出向くしか方法はなさそうだった。
前橋に立ち寄る用事は無くやきもきしていたら、昨日、饅頭がピンポンと呼び鈴を鳴らして入ってきた。妻の友人が娘の出産の陣中見舞いにこの片原饅頭を持ってきてくれたのである。手を出して食べようとした妻に「一日待てぇ」と言ったのは間違いなく私だった。





2013年4月25日木曜日

街歩きの楽しみ


街歩きの楽しみ

私は観光と言うものに興味が無い。教科書に出ているような名所旧跡を巡る旅と言うのは忌々しい修学旅行を除いてした事が無い。元来我儘な性格からか、サーファーの偏屈さとローカリズムの間違った影響からか分からぬが大勢で一緒に行動するというのは嫌いなのだ。

しかしながら街歩きは好きだ。いろいろな街に行き自由気ままに歩きながらその街や人を観察する。手には小さなコンタックスを持ってニューヨーク、パリ、ミラノいろいろと見て来た。東京だって楽しい。

私の東京の入り口が浅草だったことは以前にも書いた。それがいつしか東京の西に住み始めそこに定住し、今や最もサーフェイスな所に暮らしている。おかしな感じがする。

今、巷では「谷根千」が人気らしい。「谷根千」とは谷中、根津、千駄木のことである。

古くからの街並みが残る場所である。日暮里から谷中銀座に向かって歩くと、夕焼けだんだんという坂がある。東京の他の富士見坂同様に晴れた日には富士山が遠望できる場所だ。
 
この坂を命名したのは作家の森まゆみさんだと知った。東京の下町と文学について多くの短編や随筆を残しているが、現在、自己免疫疾患と闘病中とのこと一刻も早い回復を祈るばかりである。因みに彼女の母親は政治学の巨匠、藤原保信氏の門下だったというから偶然である。

この辺りには多くの坂がある。まさご坂、壱岐坂、菊坂、多くの坂が物語に登場してくる。漱石や一葉もこのあたりで暮らしていたのだからもっともである。

妻の実家は目黒の茶屋坂のすぐ横にあった(今もある)

家の横にはサッポロビールの工場まで水を引くためのレンガ造りの産業遺構もあったが道の拡張で壊されてしまった。坂と言うものはなんとかく街を楽しくしてくれる。

坂の無いのっぺいな街は確かに歩きやすく、便利なのだが面白みに欠ける。

そういえば明治の話しではあるが、映画にもなった板谷波残も日暮里外れに窯を持っていた。それを今思い出した。

今週末もし天気が良かったならば街歩きをしてみたいところがある。鶴見線の国道とう無人駅周辺だ。
 
一度、車で通りかかったことがあるが、多くの小さな鮮魚店が可笑しいほど短い間に建ち並んでいた。おそらく旧街道の名残であろう。コンタックスの代わりにすっかり手になじんだX2をぶらさげて散歩しよう・・・
 
 

2013年4月24日水曜日

シマアジ 縞鰺 島鰺


シマアジ
シマアジは縞鰺とも島鰺とも書く。残念ながらこの魚の美味しさを知ったのはつい数年前である。それまで寿司屋で握られてくるこの魚の味は脂がのっているのか、淡泊なのかよく分からなかった。ただ、時折この魚特有の匂いが鼻についた事を覚えている。新鮮なはずなのにその記憶がトラウマとなって自分から進んで注文した事はなかった。
モルディブでシャークショーを観た。プロのダイバーが手から鮫に魚を与えていた。私達は岩にしがみ付いてその演目を観ていた。数年後、事故があってそのショーは中止されたようである。鮫は人間には慣れないということとか。そんな水中でよく目にしたのがもこのシマアジに似ているナンヨウカイワリという魚だ。もっとも日本近海のシマアジより大型である。モルディブの現地の人にこの魚は美味しいのかと聞くと、彼らは食べないという。後で調べたら同じ魚でも住む場所(熱帯地方)では食物連鎖の関係からか毒を持つらしい。
藻の一種類にシテガラ毒を持つものがあって、その藻が生育する海域の魚は毒を持つようになるらしい。
社会人になってまだ間もない頃、伊豆を旅行した。南伊豆のどこかの漁港だったと思うが、地元の漁船から降りて来た、真っ黒に日焼けして一目で漁師と分かるその男が岸で舫い綱を繋いでいるもう一人の男に向かって「オオカミがあがった」と言った。
オオカミが海に居るはずないし、もしやオオカミの死骸がとも思ったが、すでに日本オオカミはとっくに全滅していたのでそんなはずはないと気を取り直し、その男にオオカミとはなんぞやと聞いてみた。するとその男曰く、このあたりや伊豆諸島では特別に大きいシマアジの事を「オオカミ」と呼ぶと言うのだ。謂われは分からないとの事だった。
鎌倉での楽しみの一つは美味しい魚が食べられることである。逗子駅前の鮮魚店に姉妹店を持つ小坪の「魚佐次」は私が20年通っている贔屓の店だ。お刺身全般美味しいのだが、アジフライや鯖の文化干しも旨い。この頃は食が細くなってきたのでご飯を少なくしてもらい、その分魚を食べることにしている。
もうひとつ小坪漁港に谷鶴水産という鮮魚店がある。以前は土日しか営業をしていなかったが、数年前から平日も営業している。平日はもっぱらプロ御用達と化すが、魚の種類と新鮮さは抜群である。
そんな店で今頃の季節からシマアジが並ぶようになる。夏にかけて美味しくなる。
天然のシマアジがあれば良いのだが、ほとんどが養殖だ。私は何が何でも天然礼賛とい訳ではないので美味しければ構わない。もっとも前述したように季節や餌によって大きく食味が変わるので、外れを食べた場合には天然ものでも寿司屋の二の舞になってしまう。
江戸時代からこの魚は旨い、不味い、下品と評価が真っ二つに分かれていたと言う。
なるほど私の舌はまんざらでもなかったのかとほっとする。
ここで半身を買えばアラも付いてくる。身は刺身用のサクにしにしてもらい、アラはアラ汁にすると旨い。
今日も所用で午後から鎌倉に出掛ける。時間を見つけて谷鶴を覗いてこよう。もちろんシマアジがあれば購入する。もちろん車にはたえずクーラーボックスは持参しているから。




2013年4月23日火曜日

鰻礼賛


鰻礼賛

以前も書いたように私は鰻が好物である。出所は書いたのでここでは省くが、とにかく美味しい鰻を食べる事に掛けて努力は惜しまない。

ところが、近年うなぎ稚魚が不漁である。それも相当な不漁らしい。当然、仕入れ値は高騰し、鰻屋さんは悲鳴をあげているはずだ。私の知る限り店を閉めてしまった所も多い。先般私に横浜スタジアムで催事を行うと案内してくれた八十八さんも店舗の開店をさぞ思慮されている事だろう。

私は思った。伝統のある鰻屋さんを無くしてはいけない。ならばどうするか、鰻屋さんに行って鰻以外のものを注文するのだ。私ひとりぐらいこんな事をして何になると御叱りを受けるかもしれないが、要は私の心持の問題なのだ。もちろん永久にという訳にはいかないのでとにかく1年間は自分の足と懐で暖簾をくぐった場合には、その掟に従うつもりだ。

とりあえず4月までその掟に従っている。昨日も鎌倉のつるやさんに行った。鰻なら50分お待ちいただく事になりますと言われ、普段ならもちろん待ちますと言うところ、別のメニューを探した。注文したのは舞子丼、つまり柳川鍋の牛蒡を無くしたものがご飯に載っているものである。泥鰌は泥臭くなく、玉子もふわっととしていて優しい味だった。

食べ終わり丼の蓋を閉めていると、隣の席に鰻重が運ばれてきた。その香ばしい匂いが届かぬうちに私は退散を決めたのである。それでも暖簾の外までその魅力的に匂いは追ってきたのである。明日は菊屋にでも行こうか・・掟破りは近そうである・・・・鰻礼賛





接待と共感


接待と共感
私もこの年だからサラリーマン時代もそして独立してからも接待を受けたことも、した事もある。良い思いをした事が無いと言えば嘘になるが、総じて接待の裏側に見え隠れする損得勘定が酔いを冷めさせる。
考えてみれば世の中そんなに旨い話は無いのだから当然と言えば当然だが、ある時に自分が接待をしてもらってそう感じるのだから相手だってきっとそう思うだろうと思って一切やめた。
今は接待ゴルフも接待で夜の街を案内する事もされる事もなくなった。
相手が私はそうした誘いに乗らないと分かると気が楽である。サラリーマン諸氏に言わせればそれも仕事の内という事になろうが、個人商店では残念ながら断じてそれは仕事ではない。
私が30代の頃ある人に言われた。お酒で接待するなら、ゴルフを誘いなさい。1日酔わずにその人と対峙することは普段の接待の100倍も200倍も効果がある。
さっそく試してみた。しかし、中にはゴルフをやらない人もいる。それに折角の休みを家族と離れて一人だけゴルフの興じるということは如何なものであろうと思った。
英語でひとり残された妻の事をGolf Widowと言うらしい。尤、「夫元気で留守が良い」という謳い文句の通りなら、妻も喜ぶであろうが、そうでない女性には申し訳ない事になる。実はその女性よりその家族、とりわけ幼い子供がいた場合など私は一番気になるのだ。サラリーマンの場合、父親が子供と接するのは土曜日曜位なものだ。その機会を奪ってしまう事になる。それからゴルフの接待もやめた。
忘年会や新年会というものもある。普通なら社員の懇親の意味合いが強いのだろうが、同業の中には得意先や関連会社を招いての会を催すところもある。こうした手合いのほとんどは如何にお金を持っていて、高級な店を知っているかという事を誇示するかの如く金満下衆で品が無い。
巷で言う一般的な接待をしなくても相手に共感してもらえれば良いのでないか。確かに赤の他人が一人の人間の考え方を簡単には共感してもらえないのは分かるが、個人商店の究極の目標は実はこれに尽きるのではないだろうか。それを究極の目標として実践するしか会社の根っこを育てる方法はないのだ。個人商店にとってオンもオフもない。そんな事を言っていたら時間などいくらあっても足らなくなる。時間は自分で作る。忙即閑、閑即忙である。
自分の引き出しを人に見せるというのは恥ずかしいものである。私だって無知無能の中身をさらけ出すのは恥ずかしいし気後れする。でもここで躊躇しては駄目だ。一切合財全てさらけ出して見てもらわなければ共感力を引き出せないからだ。
最高の接待とは何であろう。自宅に相手を家族で招き入れ、ゲストに心をこめた手料理をふるまい、そしてお互いの趣味や興味のあるプライベートな話をすることではないだろうか。実は美味しいとか不味いといという舌の感覚はもっとも共感しやすいものでもある。美味しい店の話題で盛り上がるのは村上春樹氏の新作の評論をするより簡単でしょ?(例えか変かな)
出来ればこれに友人たちが加われば尚更宜しい。そうすることでどんな意識を持って生活しているのか、そしてそれが実践されているのか一目瞭然だからだ。
そんな会を家でやるようになって8年目を迎えた。最初の頃は仲の良い友達だけだったが、今では社員の家族もお世話になっている方々も加わり大所帯になった。ある人が言うとおり、残る人、去る人もいるがそれは世の常。ただ、今年も腕によりを掛けて料理を作らねばと思うのである。折角の料理がまずかったら共感などしてもらえないからね。