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2013年5月17日金曜日

哲学するパン屋


哲学するパン屋

246を渋谷方面から下って三宿の信号を左折する。その通りは左手には知り合いがデザインした骨董家具を扱う店があり、適度な道幅と街路樹の緑が美しい。そのまま進むと駒沢通りに行きつくが、店が連なっているのは前半部分のみ。
私はこの通りが好きだ。とりたてて通う店があるわけではないが、車を停めるパーキングメーターもあり、車用族には便利だから。交番を左折すれば東山の官舎跡を通り抜けて山手通りに戻れる。
交番の斜め前にハンカチを専門に扱う店がある。最近、丸の内にも店を出したというからこの店も全国区になってきたようだ。スーツを着ている時私はハンカチを必ず携帯する。当たり前といえばそうだが、持つハンカチにも拘る。真っ白な薄いハンカチでは冠婚葬祭のようでもあり、子供っぽい図柄も好きではない。どこか英国をイメージするタータンチェックやアーガイルの紳士物が多い。ここではオリジナルにイニシャルを入れてくれる。今も薄いブルーと冠婚葬祭用の白の二つをイニシャル入りで所有している。
暫く直進して交差点の手前を右折し道なりに進む、ある建物が見えてくる。すでに30年以上経過しているその建物は鉄筋コンクリートの3階建てでエレベーターはない。
この建物を見るたびに私がこの仕事を始めた時のことを思い出す。毎月末にこの建物の3.4室の家賃の集金をしていたからだ。
集金の時間は早すぎても遅すぎてもいけない。何故なら早すぎると夕餉の支度で手が離せないと口実されてしまうし、遅すぎると寝てしまったと言われるからだ。そこで丁度良い、時間を狙うのである。私の考えるベストな時間は7時45分だった。それが功を奏したのかは不明だが家賃の遅れは少なくなった。
店子にも色々な人がいる。いつも面倒を掛けて申し訳ないと私に手土産を渡す人、お金を払ったんだといわんばかりに偉ぶる人。人ぞれぞれだった。
数年前、知り合いの会社がデザイン性の高い建物を作った。半地下になっていて、大きなガラス面が緑を映し出す。その建物にテナントとして入ったのが「シニフィアン・シニフェ」というパン屋である。私は滅多なことでは自分からパンを買う事はないが、我が社に在籍していた女史がパン好きで、美味しいパン屋のことをよく調べていた。
この店の店名のシニフィアンは誰もが知っている共有できる事という意味で、もう一方のシニフェは個人の思い出や憧れという意味らしいが、詳しい内容については何分、大学の第二外国語のフランス語は授業に1回しか出席せず、辞書持ち込みでやっとCを戴けた輩だったのでご容赦たまわりたい。というわけでなにか哲学の雰囲気のするパン屋なのである。
お気に入りは無花果やレーズンの入った硬いパンである。パンの名前は忘れたが赤ワインと大変相性が良かった。このパンをスライスしてブルーチーズを端に乗せ口に運び、ピノノワールを流し込む。ビロードのような滑らかな喉越しとスミレのような香りが鼻腔を刺激する。
私の場合、パンはワインのためにあるのは間違いないだろう。決して主食にはならないが。




2013年5月16日木曜日

河豚田さん家のあなご丼


河豚田さん家のあなご丼

サザエさんに登場する人物の中で脇役で重要な役回りをしている人が何人かいる。私はこのような人はこの物語のトリックスターだと思っている。御用聞きの三河屋さんもその一人だとにらんでいるがマスオさんのサラリーマン仲間のあなご君もそうではないかと密かに推測している。マスオさんが君づけで呼ぶのだから後輩なのだろうが、アナゴ君の物言いは同遼かそれ以上だ。これはトリックスターの所以なのだと一人にんまり思っている。磯野家、河豚田家とは血縁関係がないにも関わらず魚介の名前が付いていることも不思議でしょ。
話はアナゴの事。宮島のアナゴ丼は有名である。残念ながら一度も食していない。是非機会があったら食してみたいものだと思うが、実はこのアナゴは羽田沖が漁場でよく釣れる。友人と多摩川の河口近くに行ったときに川の真ん中で何やらビニールのパイプのようなものを水中から引き揚げている船を見た。これがアナゴ漁だと後で分かった。
鰻はもちろん大好物なのだが、鰻よりさっぱりしているアナゴも好物である。長いものが全部好きなのかと思われるかもしれないが、ウツボは不味かった。いくら噛み切ろうとしても噛み切れず懲りた覚えがある。それと海蛇も沖縄で食した事がある。確かその料理はイラブー汁と言っていたと思うが、あの味には馴染めなかった。
銀座にHというアナゴ専門の料理屋がある。誰だったか忘れたが連れて行ってもらった事がある。その御仁には申し訳ないのだが、あまりのメニューの多さに直前に食べたアナゴの味を忘れてしまう。こういう店より直球勝負の店が好みだ。
店をやっているころ、横浜の南部市場に早朝に仕入れに行ったことがある。ここは一般で入れないが、生麦には一般でも買える魚河岸通りというのがある。ここは旧街道に沿って鮮魚店が立ち並び神奈川、東京の飲食店も仕入れにやってくる。この中にアナゴを専門に扱う店がある。
多くの寿司店もこのアナゴを使うくらいだから味は折り紙つきだ。お薦めは焼きアナゴを買って、炊き立てのお米とまぶした弼まぶしである。好みでワサビを添える。
自分で調理するのは面倒だと言う人に。もう一件誰にも教えたくない秘密の店がある。
金沢漁港のすぐ隣にある「かりんの木」いう店である。駐車場はないので海の公園に車を停めるかシーサイドラインに乗っていく事をお勧めする。なによりここのアナゴは金沢漁港の漁師さんより直接買い付けているから新鮮である。新鮮な材料はシンプルに料理するのに限る。焼く、煮る、揚げるこれで十分なのだ。魚介類全般が苦手の母もペロッと平らげた。私に珍しく美味しかったと感謝していた。これでしめしめゴマすりも効いたようだ。
この店は普通の家の一階を改装している。良く見ないと見逃してしまう。行かれる際には予約を入れて出掛けた方が良い。日曜は休みなのでその点も注意されたし。ただし、行けば満面の笑顔となって玄関を出てくる事は間違いない。そしてもし拘りがあるのならばマイ山椒を持って出掛ける事をお薦めする。この店の山椒は残念ながらSBなので・・・





2013年5月15日水曜日

花パン


花ぱん

子供の頃、生まれ育ったK市は大きな街だと思っていた。大きなぐわらんどうの器の中で滓となってまとわりつき一生涯その街を外れることなど出来やしないと思っていた。あの頃、夏まつりは盛んで、旧暦のお盆のときには町内ごとに御神輿や八木節の舞台が道の真ん中に作られていた。老いも若きもこの日ばかりは浴衣を着て集まった。中学生の頃、祭りの日は喧嘩の日でもあった。街中の血気盛んな中学生が集団になり対峙する。ただ一番威勢がいいのは喧嘩が弱い。たいがいはそうだった。強い奴はその横に居てじっと黙っている。私は当時体も大きくバスケットで鍛えていたので、一目おかれていた。大概は喧嘩をせずに済んだが中にはつっかかってくる奴もいた。隣の中学に相当な悪を気取った奴がいて、そいつがよくつっかかってきた。
ある試合でルーズボールになり、思い切り振り回したらその男は体育館の下窓が割れないように拵えてあった鉄の柵に背中を強打した。それ以来つっかかってくることはなくなった。
子供の頃、誰かが訪ねて来た時によく「花パン」を土産にもらった。群馬県内でもここだけとは知らなかった。例えば前橋や高崎の人に聞いてもこの話はチンプンカンプンであると思う。
この街の名物にもうひとつ忠治漬けというものがある。有体に言えばワサビ漬けの代わりに奈良漬が入っている。手土産に購入する人が多かったが味が茫洋として好みではない。
いずれにしても名物に旨いものなしの通り。
花パンはパンというより中身がスカスカのクッキーのようなもので、周りに白い砂糖が塗り固められている。寒い時はよいのだが、暑い夏にはこの砂糖が溶けてどうしようもなくなる。一度袋に入れてあった花パンが全部溶けてくっついてしまい大変な事になった。
片原饅頭をもらうと子供心に嬉しかった。翌日のストーブの上でこんがり焼いた饅頭を想像していたからだ。一方、花パンをもらうとがっかりした。今でもこの花パンはあるのだろうか。私の甘いものへの恐怖心はどうやらこの頃刷り込まれ始めたようだ。
母さんは花パン怖い。これ本当。


2013年5月14日火曜日

小柴のシャコ


小柴のシャコ 

江戸前の寿司屋で供されるシャコは身が硬くなっていて味の無いものが多い。なんとかその味を誤魔化すかのようにツメを塗る。シャコを嫌いな人はまずこの手シャコしか食べた事が無いのだろう。私もそうだった。

死ぬまでに一度、シャコを捕ってみたいと思う。筆先をすっと巣穴に潜らせて反対側に長い紐を結んでおく。シャコが外的を掴みだす習性を利用したものであるが穴から摘みあげられたシャコはさぞかし驚いた顔をしていることだろう。

このアナシャコ実はシャコとは別物である。味は似ているらしいから近縁種であろうか。
吊りあげられたシャコを馬鹿にしてはいけない。シャコは全身殺人兵器で武装するターミネーターのようなものだ。二枚貝の養殖をしている人達はこのシャコを目の敵にする。シャコのするどい刃がいとも簡単に貝の硬い殻を切る。水槽でシャコを飼っていた人が、ガラスの水槽をシャコの刃で壊されたと言う話も聞く位だから侮れまい。

7.8年前に瀬戸内のシャコを送ってくれた人がいた。大きな鍋にぐらぐらと熱湯を沸かしてシャコを投入する。そして茹であがったシャコを軍手で防備した左手でやわら持ちながら、右手に料理用のキッチン鋏で鋭い尾や頭の辺りを切り落とす。春先は「カツブシ」という卵を持ったメスが美味であるが、旨みはオスのほうが強い気がするが、こんなところも蟹に似ていると言われる所以であろうか。

あつあつのシャコを手でむんずとつかみ、からし酢醤油で戴く。その旨いのなんの、今まで食べたシャコは何だったのと思ってしまうだろう
小柴ではこのシャコの不良が続いている。もともと江戸前のシャコネタはここ小柴産が最良とされているようだが、ここ数年あまりの減少ぶりに禁漁が続いているようだ。

寿司屋でこのシャコのことをガレージという人がいる。戴けない。客ならまだしも店側でそう呼ぶとしたら、その店は失格である。業界言葉を一般の人に使うのは品格がないに等しいから。

そうそうシャコバサボテンという植物は葉がシャコのツメに似ているから付いた名前だった。

一度、産地の岡山でシャコを食べたことがある。それは旨かった。シャコがまだぷりぷりとした弾力を残し、臭みも全くなかった。店の名前は忘れたが、ショーケースもなく、木の箱にその日の魚が並べてある店だった。またいつか行ってみたいと思うが、中々行けない。誰か岡山に仕事を作ってくれたら即新幹線に飛び乗るのだが、いつになるやら。




2013年5月13日月曜日

鰺寿司


鰺寿司

鰺の刺身を食べたのはすでに不惑に手が届きそうなつい最近の出来事。魚の美味しさを知ったのはこの頃だから鰺も同様であった。
私の車の師匠(私が勝手にそう呼んでいる)H翁は美味しいものを知っていた。
翁は日本の自動車産業の黎明期に自動車の修理業を始めた人で、多くの後継者を輩出していた。そんな翁は仕事を辞めてからはコーヒーを飲みに私のところへ毎朝やってくるようになった。
いつも話すのは自動車の事。ランチャを購入したのもそんな影響があった。ロールスのエンジンはロングストロークでトルクが太いとか、ブガッティは気難し屋で慣れが必要だとか私の知らない事を教えてくれた。昔の職人というのは宵越しの金は持たないと言うが本当らしい。虎ノ門の仕事場では隣の店からうな重をとって玉突きをしながら昼食をとっていたというのだからこの粋人の多くの説明はいらないだろう。バーバーリーの誂えのコートは共生地でハンチングも作っていたし、白足袋のコハゼは純金だった。
ただそんな翁も贅沢な生活が祟ってか一方の足を悪くしていた。スーパーカブを器用に乗りこなし近場の移動は苦労しなかったが遠出は出来なかった。そんな理由から私は翁の言われるままドライブがてら美味しいものを食べに行った。帝釈天の鰻屋を教えてくれたのも翁であったし、麻布の蕎麦屋もそうだった。そんななかで小田原に魚を食べに行ったことがあった。いつもは早川で天麩羅を食べる事が多かったが、その時は小田原のだるま食堂という店に行った。建物は宮建築とよばれる丸い屋根が特徴で天井は高く薄暗かった。ここは足の悪い翁に好都合なテーブル席があった。席に着くなり翁は鰺寿司を注文した。私もならい同じものを注文した。皿に載って運ばれてきたそれは7.8かんあって優しく包丁で切りこみがなされ、ちょんと生姜が乗っていた。その艶めかしいまでの鰺の表面が薄暗い店内でニビ色に光りを放っていたのを記憶している。
口に入れた瞬間、生姜の風味の後に奥から海の香りがする。磯臭いそれではなく、どちらかというと大海原の洋上を吹く風のようだった。そしてその身を噛めば旨みがぎゅっと広がっていく。こんなに美味しい鰺の寿司を食べたのは初めてだった。関西ではよく押し寿司が食べられる。私も鯖の棒寿司をよく食べるがこの食感とは違う。江戸前の寿司屋で出されるそれは形こそ似ているが、鰺と酢飯がバラバラになる。そこへいくとここのものは少し硬めの握りと鰺が旨く整っている。あっと言う間に皿はガランとした。それを見ていた翁は「良い食べっぷりだ」と目を細めて、もう一つ皿注文した。
そんな翁も亡くなって10年近く経つのではないか。この翁はKさん(こちらも師と呼ぶにふさわしい)とも仲が良かった。大晦日には私が運転して真鶴まで出掛け船を出した。
船に乗れない私は船宿でひとり美味しい朝食を食べていたことが昨日のことのようだ。
この二人の共通することは二人とも外連見がなかったことだ。人に媚びようとかどうみられようとかそんな事には無関心だった。だからウマがあったのだろう。そんな二人ともこの世にはいない。
来週、天気のいい日に妻を誘って小田原まで足を延ばして見よう。平日なら夕刻までには家に着くので孫のお風呂にも間に合うだろうから。





2013年5月10日金曜日

卵好きのたまごサンド


卵好きのたまごサンド

私はたまごが大好きである。たまごがあれば他のおかずはどうでも良いと思えるくらいたまご好きなのである。目玉焼き、オムレツ、ゆでたまご何でもござれである。
初めてパリに行った時にモンマルトルの小さなホテルに泊まった。
エコノミーの窮屈なシートに10時間以上縛り付けられた長旅の疲れと時差で私の体はボロボロだった。そんな体調でも朝食はバターたっぷりのクロワッサンとコーヒーである。さすがにこんな時は胃に優しい和食が食べたかったが、それは無理なお話。仕方なく籠に置いてあるゆでたまごが私の唯一の食事だった。このときたまごをフランス語でウフという事を知った。毎日、毎日たまごばかり食べているので、小さなホテルでは私の渾名はムッシュー・ルフになったようだ。

疲労困憊でゆでたまごの殻をちぎりながらふと食堂の小さな窓からまだ薄暗いモンマルトルの広場を見ると、パリの小学生が親に手を引かれながら歩いていた。まるで映画のようなワンシーンだったのを思い出す。

話はたまごの話に戻そう。そうたまごサンドの話だ。
前にも書いたが、私はテレビに出演する土井さんをかなり信用している。もっとも父上の頃からだから2代にわたって食に関する嗜好ベクトルが似ていると感じているからだ。
父上が京都なかむらの先代の主人と一子相伝の椀物の作り方を著した本も持っているが、この件は昨年そのなかむらにいって体験することが出来たので別の機会に書くとして、その息子である土井氏がたまごサンドの作り方を今日の料理の中で披露していた。
それはたまごをよく潰し、クリームを入れると言うものだった。世界一美味しい朝食として膾炙したビルグレンジャー氏のスクランブルエッグも同様にクリームを入れる。

私はどちらかというとこのクリームを入れたたまごやき(スクランブルエッグ)はあまり好きではない。確かに口当たりはソフトでクリ―ミィであるがたまごの風味が消えてしまっている。たまごの白身と黄身はそれぞれ別の味がする。個人的には黄味はねっとりして少し硫黄臭く、白身はつるっとしていて草の味がするのが良いたまごだと思うがいかがであろう。それがマヨネーズという天使でやさしく結び付けられ私達の口に運ばれ混然一体となって胃の中に収まっていく。私が高校の時にアルバイトをしていたパン屋のそれはゆでたまごを包丁で荒く刻みマヨネーズと合せた。3年前立ち寄った時には新盛堂という名前だったそのパン屋はすでになくなっていた。

東銀座にアメリカというサンドウィッチの店がある。この頃はお笑いの若手がテレビで紹介した事もあるので耳にしたことのある人も多いのではないかと思うが、何分、量が多すぎるのと、どうしても手で持って一口でいけない所がイマイチなのだが、たまごの混ぜ具合は良い線いっていると思う。こんな天下無敵のたまごサンドであるが唯一の問題は呑みこみずらいところにある。歳をとるととにかくパサつくものが呑みこみにくくなる。私はその回避法としてこんなとき「仕方なく」ビールで流し込むことにしている。あくまで「仕方なく」である。だからたまごサンドにビールは必需品ということになる。もちろん「仕方なく」である・・




乗らずに逃げ出すねずみ


乗らずに逃げ出すねずみ

断っておくが私は原発容認でも反対でもない。出来れば原発は少なくなってほしいと思うし、一方では極端な電気料金の値上げは困りものである。
ところが原発事故の直後、テレビに出演して国民の不安を煽り、すでに家族は海外に移住させたと公言する輩もいた。さすがに最近は姿を見なくなったがマスコミへのリテラシーを持たない人や守るべきものが幼かったり、弱者だったりした人はこうしたデマに右往左往したのだからやはりこうした人は非理論的な感情に火を付けたヒトラーのような悪者である。
電力会社の関係者だと言い、如何に原発が危険かを紙面に掲載していた人もいたが、一方では同じ会社の人間が必死に処理を続けている。この矛盾は何だろう。
このところ船に乗ってから逃げ出すのではなく、船に乗らずに、如何にその船が危険かを説く人間が多い。リスクは対岸、自分は評論家である。私はこの評論家が大嫌いだ。何故なら、専門家と称する多くのこの手の人間は知性が統合されておらず、ある一面でのみ持論を展開する馬鹿だからだ。評論家と言うのは全体でしかものを言わない。世間の諸行には黒もあるし白もある。全体としてグレーに見えても本当はひとつひとつ違うのだ。
評論家の中でも経済評論家というのが一番始末が悪い。そもそも経済活動というのは大変複雑であって数値化出来るような単純なものではないと思う。例えばデフレとインフレと言われてそれぞれが諸悪の根源だとすればそれは禍福は縄の如しの例え通り、陰陽道の光と影に似ているのだから、所詮同じことの繰り返しなのではないだろうか。だとれば極端なリフレ政策はインフレを招き、その反対の緊縮政策はデフレを招く。
今、株高が止まらない。2万円に届くと言われている。でもそのあとは?
人間の欲望は止まらない。先人が経験してもまた同じことを繰り返す。
人間は老い易く死は自明の理。それに比べて自然は何事なかったように季節を繰り返す。身の丈を弁えず他人の物まで欲する人には幸せは訪れない。乗らず逃げるのであれば船の事は口外しないことだ。何も知らないのだから。