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2013年6月4日火曜日

渋谷のワイルドターキー

渋谷のワイルドターキー

渋谷にいた頃、先輩に色々な店に連れて行ってもらった。どの店も共通するのは音楽を楽しめる空間だった事だ。
ヤクザな社員だった私達はお昼を早々に済ませて、レコード屋をぶらつくのが日課だった。東急ハンズの道を渡った裏路地にはいくつかのレコード店があった。タワーレコードも近くにあった。そんな宝物のある店を巡るのだから時間が足りない。定刻までに戻らない常習犯は、その課のお局様(失礼)と思しき年上の女性に小言をいわれた。それも今では懐かしい思い出。
数年前、その先輩の一人が他界した。闘病中より相談を受けていたが結局手遅れだった。
この先輩とは長い付き合いだった。私か会社を辞めても渋谷近くのどこかで会う機会を定期的に作ってくれた。皆、歳をとったけれどあの頃と変わらない。先輩の墓が私の家と同じ多磨霊園なのも不思議な縁だ。
渋谷の東急プラザの裏手にインクスポットはあった。ベージュ色の麻のスーツにジェフリービーンのネクタイを締めた先輩は飄々としてその店に向かう。私ともう一人の先輩も一緒に。店内は薄暗い。いや黒が基調な店の上にスポットでしか一部しか照らしていないから。
大きなターンテーブルが見える。壁には今かけているレコードのジャケットが飾られている。スタンバーバレーのブルーだった。
私はこの店でバーボンの味を覚えた。ワイルドターキーのアルコール度は高く、つんと鼻につく樽の匂いが際立つ。それをロックで飲んだ。先輩がいなかったら一人では入る事は出来なかったろう。もう一人の先輩の弟はミュージシャンで、そのせいか音楽にとても詳しかった。今でも本当に詳しい。
その店のオーナーが同じく岐阜で世話になった先輩の奥様()の親戚だと知ったのはずっと後になってからだった。確かに名字が同じだった。
現在、このマスターが経営している店が都内に四店舗もあるという。灯台元暗し、恵比寿にもある。店名は「BAR MARTHA」「BAR TRACK」というらしい。
七月は命日月である。フランスから帰ったら先輩を偲んであの頃と同じワイルドターキーのバーボンを飲むのも良いだろう。


出店 渋谷「インクスポット 閉店」、恵比寿「BAR MARTHA」「BAR TRACKS


2013年5月31日金曜日

時代の相克 自動車考

時代の相克 自動車考

昨日、テスラのモデルSを試乗した。日本に一台しかないそうである。
この車を今年2月にハリウッドのフィリップスタルクが内装を担当したという高級な日本食レストランのバレーパーキングで見た事がある。バレーの若者が駐車場からこの車を運転してレストランの前に横付けしたのだ。確か色は黒だったが一目でモデルSと分かった。何しろ音がしないのだから。
ステラとの出会いは2年前になる。私の蜑戸のあるマリーナで試乗会が催されスポーツタイプの同社の車に試乗した。その時の感想はまさに青天の霹靂、おったまげたである。自動車メーカーの作る電気自動車やハイブリッド車はエコを意識しすぎるあまり不格好で、運転も楽しくない。どれひとつ触手を動かされるようなものはなかった。それがこの車は違った。
発想そのものが違うと感じた。並列のバッテリーパック、そして冷却技術、そうした根本的技術にプラスして、サスペンション、ハンドリング、ブレーキどれをとっても自動車として一級品である。ところが自動車雑誌にほとんどこの車の論評は無い。メルセデスの新型Aクラスには数ページに及ぶ試乗フィールが書かれているのに、この車のそれは雀の涙程度である。彼らは試乗して驚かなかったのだろうか。自動車メーカーはここまで電気自動車の可能性を目前に突き付けられ、それでもハイブリッドとかディーゼルといった内燃機関に執着する。500キロ航続出来る上に三時間で充電できるこの車はもはや電気自動車のマイナス面を感じない。もはやメーカーの旧態とした己の利得を固持するが如くあえて新境地に踏み要らないという感が歪めない。しかしながらイノベーションの流れは止められない。例え、メーカーの多くがそしてマスコミが敢えて炊きつけなくても徐々に広がり浸透する。イノベーションとはそういうものだからだ。
同級生が役員をやっている大手ブレーキメーカーも来ているらしい。何しろこの車はOEMの最たるものだからだ。サスペンションはビルシュタィン、ブレーキはブレンボ、バッテリーはパナソニック、そうした優良なパーツを組み合わせて一台を作っている。そして車の心臓部はアップルそのものだ。新しい時代の物づくりの発想である。
私の乗るメルセデスもBMWも4.5年もするとソフトが古くなり、ナビの機能は大幅に低下する。それでも自社のものに拘る。結果、ユーザーは使えないインターフェイスのナビをつけてグレーの画面のまま、我慢しながら運転しなければならない。
タッチひとつで回生ブレーキの強弱やサスペンション、ハンドリングが切り替えられるそのスムーズさに驚愕した。個人個人の要望にマンツーマンで対応できる。凄い事だ。
同乗したカーリーヘアーのアメリカ人がこの車の楽しさについて目を輝かせて語っていたのが印象的だった。彼は丁度、水上の取材から帰って来たばかりのようだった。そして彼の家にも75年製の911がガレージにあると言っていた。私も旧いゲレンデと911だと言うと、彼は「イイネ」と一言笑った。私が「ダイナソー」というと彼はにやり、それも「イイネ」と・・・。
今朝も雨にぬれた首都高速を運転しながら彼の「イイネ」を反芻していた。やはり悩ましいこの頃である。まあ申込金は未来への懸け橋として入金するつもりではあるが・・・・






倫敦のパブ

倫敦のパブ

倫敦ンのパフでは宗教と政治の話はタブーとされている。北アイルランドの民族紛争を抱え、隣の人と必ずしも政治的、宗教的信条が同じとは限らないし、日本のような平和オンチの国とは違い、人々の間に漂うそれはピリピリして引火しそうなのだからこの格言は理解できる。

一方日本はどうだろう。同僚との酒席で政治や宗教の話はしない。おお、ロンドンと同じじゃないかと軽々にお考えなさるな。経済についても己の会社のことが専らの耳目である。
そして会社や上司、同遼の悪口。聞いていて本当に嫌になる。いっそ日本では会社の話はご法度としたらどうであろう。私は次のようなルールを考えた。

日本酒席でのルール

一 会社の話はしない
二 女房、子供、孫の話はしない
三 病気の話はしない
四 エッチな話はしない
五 儲け話はしない

私は二が少し引っかかるかもしれないが()あとは自信がある。有体に言えば、今自分に興味があって、のめり込んでいるものを話題にすればいいのだ。何、今会社にのめり込んでいる?それはお手上げである。


写真は金沢の倫敦酒場・・・マスターの本売れてるのかな???






2013年5月30日木曜日

フランス料理との出会い

フランス料理との出会い

田舎の若造が東京に出てきて驚く事ばかりだった。友人に誘われて青学の学園祭に出掛けた。ステージでは数名の学生バンドが熱演していた。それがサザンオールスターズ、桑田さんとの出会いだった。他のバンドと比べるまでもなく音楽センスはずば抜けていた。その歌詞も当時としては放送禁止ギリギリのもので、でもどこか私達若者の気持を代弁していた。まもなく夜の歌番組に出てその後は皆さんも知るようにビッグスターへの道をまっしぐらである。
妻は昨年、桑田さんのコンサートに出掛けた。娘ほど年の離れた我が社のA女史がファンクラブに入っているためチケットが取れたとお誘いを受けたのだ。
娘の幼稚園面接の時、桑田さんご夫妻に待合室でお会いしたことがある。この話は娘たちに百編話だと糾弾されそうだが事実だ。もっとも興奮した私達は面接もそっちのけで二人の一挙一頭足に目が釘付けになり、結果、不合格だった。そして野生児のような娘は白金にある裸足で駈けまわれる幼稚園に進んだ。その娘も今は一児の母である。光陰矢のごとし。
丁度、そのころだったと思う。渋谷の並木橋にあった小さなフランス料理店が店をたたんだ。私達は閉店の前にもう一度行きたいと思っていたがそれは叶わなかった。
「アン・ヴォー・ルナール」というその店は渋谷駅に近い明治通り沿いの小さなビルの二階にあった。
妻と出会ったころ、妻はこの店で週一、二日アルバイトをしていた。アルバイトを辞めた後も、そして結婚が決まった後もこの店を訪れた。店主は小柄な人でいつも優しい目をしていた。
ごく普通のフランス料理はどれを食べても美味しかった。コーンスープにしても、パンにしても尖ったところか少しも無いのだが、妙に安心できる。フィレミニヨンの肉を切ればロゼの肉の断面から肉汁がうっすら皿にしたたり落ちるが下品ではない。美味しいステーキだった。
給料日の後など少し余裕のある時は、オマールエビを頼んだ。オマールエビを食べたのはここが初めてだった。そんなことを妻に察知されないようにあたかも食べた事のあるふりをしていた。内心、こんなに美味しいものが世の中にあるのだと感激していた。
私達が結婚式をしたのは芝にあるクレッセントハウスだった。妻の父親の参列を考えるともっと大きな式場が良かったのかもしれないが、私の頭の中には美味しい料理を食べてもらいたいという、私自身があの頃感じた喜びを共感してもらいたくてここに決めたのかもしれない。だとすれば私が初めてフランス料理を食べたこの店の影響が大きかったのだろう。
岐阜に赴任したマンションの階下がフラン料理店だったのも妙な縁を感じる。東京に戻った後も長男が生まれ、転職だの色々あって足が遠のいていた。けれども私にとってフランス料理との出会いは紛れもなく、この小さなフランス料理店である。

出店 渋谷「アン・ヴォー・ルナール 閉店」芝「クレッセントハウス」





2013年5月29日水曜日

煙も味のうち

煙も味のうち

私の家は横浜の北部で野毛はさほど近くない。それでも足を延ばしたくなる魅力的な店が多い。
横浜三塔をご存知であろうか。横浜に縁のない人のために説明すると、一つ目のキングは県庁本庁舎の事で、二つ目のクイーンは横浜税関、そして三つ目のジャックは開港記念会館の事だそうである。歩きながら上を向いて探して見るとよい。夜の方がライトアップされているので探しやすいだろう。
偉そうに言っている私もつい最近教わったばかりなのだ。この事を教えてくれたのは私の友人の弟さんである。彼は由緒ある船舶会社に勤められている根っからの正真正銘の浜っこである。私のような横山人とは月とスッポンなのである。
野毛には横浜にぎわい座という寄席や演芸を行う小規模なホールがある。この中の美味しい河豚店を教えてもらったのもこの方なのである。残念ながらその店は無くなったが、東京では信じられないような、新鮮でかつ、豪勢に厚く切った河豚を安い値段で提供していた。我が社のハラペコどもを連れて大挙して押しかけたのがきっと閉店の一員だと反省している。惜しむらく残念である。
もう一軒教えてもらったのが「若竹」である。はじめて行った時は普段変わっている店でも、さほど驚かない私も驚いた。震度云々の話ではない。少し揺れただけで倒れそうである。蜑戸よりまだひどい。窓は開け放たれ、もちろん冷房は無い。冷房はうちわである。店内は白い煙でもくもくしている。その煙を押しのけて進めばトイレがある。トイレは傾いていて酔ってもいないのに自分の平衡感覚が変になる。その壁には仙台四郎の写真があった。なるほど、ここ店主は東北出身とみた。
仙台四郎は実在した人物である。彼が困って商家に行き、いくばくかを与えた商家が繁栄した事から、商売の神様となり、東北の商店街ではこの写真や置物を見つける事が出来るが関東では珍しい。
そんな店であるが、暖簾を掛ける前に既に満席である。他人と寄り添ってただ食べる。焼きたての串をかじりつきながら、ビールで流し込む。旨い。また一本、また一本、永遠に食べられそうである。頑固でとっつきにくいと思われるかもしれないが、そんな事はない。実はここの女将のコンピューターはかなり精度のよいチップが使われている。友人のお嬢さんの経歴や年齢までしっかり記憶していた。いやはや人はみかけによらず(失礼)である。
食べ終わって外に出た。さぞ洋服に匂いがついたろうと嗅いでみるが臭くない。あれっ、一同きょとんとした。あの煙は味となって胃袋の中に収まってしまったのかもしれない。
そんなあっけにとられた私達の姿をみて、となりの黄色い店の看板が笑っていた。
さあ、もう一軒マリンタワーの近くのバーに行こう!友人が歩き始めていた。



2013年5月28日火曜日

田舎の怠慢


田舎の怠慢

昨日、西三河の西浦温泉より帰郷した。訳あって逗留したのだがこれが酷かった。
その旅館は辺り一帯では一番と評判の宿のはずだったが全てにおいて琴線を触れるものはなかった。
巷では日本の観光業は斜陽だと聞く。昨年訪れた加賀の温泉もそうだったようにこれでは人が来ないと嘆く前に、もう少ししっかりと顧客のニーズを掴むべきである。
すると彼らは「田舎は東京とは違うから」とすぐ言い訳をする。東京の人達に来てもらわなければどうするつもりだろう。
宿には****中学同窓会様という案内状が出ていた。まだ団体客の残滓を求めている。
それだけならまだいい、大型の観光バスを広くも無い車寄せに横付けして一般の宿泊客の出入りにも支障をきたす。こうした何も考えない人達。
料理も酷い。袋から出しただけのものを数があれば良いという風に皿に盛り、鰺の干物は鰯より小振りで、冷凍庫で2年以上保管し化石化したような代物である。
夕食を2名追加してほしいと頼めば宿泊料金の7割を頂戴したいときた。あほか。
私が国内旅行をしたくない理由の一つがこうした宿のように何一つ満足できるところがないからだ。
これは田舎の怠慢以外の何物でもない。左前になると、すぐ東京はいい、大阪はいいとすぐに言う。
ワールドワイドという言葉がある。国際的に何処へ行っても対応できる基準の事だ。海外で生活していた友人たちの多くがこれを持っている。残念ながらドメスティックオンリーの私は持ち合わせていない。それでも私の場合には仕事柄ジャパンワイドでないとやっていけなかった。
田舎に行くと、この基準を満たしていないものが如何に多いか辟易させられる。基準を満たせないのだったら最初からうちはそういう風には出来ないと独自の路線を打ち出せばよい。出来ないのに都会を意識して似てもいないのに真似をする。これくらいカッコの悪いことは無い。大食堂を小分けにして個室風にするが、火を使うと暑くて仕方ない。エセの洗い出し風リノリウムの床や薪風の照明はお笑い物である。
もっと恐ろしいのは、こうした地方ではいくらジャパンワイドをお題目にしても、「だから」と言われる。そして次第にジャパンワイドも使わなく、その事も忘れてしまう。車は走れば良いからと白の軽自動車のオンパレードである。しまいには経済性。
私は息子にはワールドワイドになってほしいと思っていたし、娘にもジャパンワイドであってほしいと思い続けて来た。しかしながら、今黄色の信号の点滅である。
郷に入らば郷に従えの教えがある。この場合はとても危険な教えになる。あーくわばらくわばら、娘は可愛いが、まだ田舎の怠慢を受け入れられるほど私は達観した訳ではないので暫くは近づくことを遠慮しよう。私も確かに「あーいやだ、いやだ」なのである。




ハモンイベリコとハモンセラーノ


ハモンイベリコとハモンセラーノ

私が生ハムに夢中になったのは写真家の西川治氏の影響が大きい。何かの特集で彼が生ハムを紹介していたからだ。おそらくイタリア産のパルマハムであったと思うが、彼の写真が映し出すそれは艶めかしく色気があった。食べたい衝動が抑えられずパック入りの生ハムを買い求めて彼の薦めるオリーブオイルと塩コショウ、レモンで食した。美味しかった。
そうこうするうちに私の家では毎年5月に友人や会社のスタッフ、関係者を集めてバーベーキューを行うようになった。最初はごく親しい友人と始めたそれがいつの間にか五十人を超す参加者となっていた。
この会で活躍するのがこの生ハムである。もう八年間ワールドグルメミートというネットショップで買い続けている。一回もブジョネ(ワインじゃなかった)間違ったものは無かった。最初はハモンイベリコを購入した。ところが会が佳境になるとハム切りどころではなくなってしまう。終了後の数週間、生ハムは切台に置かれたまま、その匂いを部屋中に巻き散らしていた。
数年前、ハムをセラーノに変えてみた。セラーノは黒豚ではない。切りたてを食べるのであればこちらの方が癖はないと思えた。案の定、ほとんど無くなってしまった。ただ、時間を置いて食べた時のイベリコの熟成された旨みに対してこちらはややおっとりしている気がした。そこで今年はイベリコに戻した。今年は前もって切り落として真空パックに入れて参加出来なかった人のお土産にした。今年は上手い具合に三日後には切台から生ハムを下す事が出来た。来年はどちらにしようか思案中である。ここでひとつ少し古くなった生ハムの美味しい食べ方をご紹介する。

生ハムとパルミジャーノのリゾット
作り方

鍋にオリーブオイルを入れ、つぶした半かけのにんにくで香りを付ける(ニンニンクは取りだす)
鍋に生米をそのまま入れよく炒める
米が透明になってきたらアクアパッッアの残り汁(濾したもの)加える(無ければ市販のフェメドポワソン)
大方出来あがってきたら摩り下ろしたパルミジャーノをたっぷり加え混ぜる
皿に持って細切りの生ハムをトッピングする
最後に塩コショウする(生ハムの塩分があるので加減する)
レモンを添えて出来あがり